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2013-04-19(Fri)

断腸の思い

2013年04月19日(金)

明日は松本零士先生のインタビューの予定があった。
どうにも体調が安定しない。

微熱が出たり下がったり。
実は本来なら明日、あるお仕事で松本零士先生のインタビュー取材へ行く予定である。
…のだったが、月曜がこのところの高熱微熱の異常が続く状態の再検査ということもあり、体調を鑑みて医師とも相談の結果、断腸の思いで断念することになった。

松本零士先生のマンガは、ガキの頃からもう40年以上のファンということもあれど、何より、貧乏な青林堂時代に他の多くの作家さん同様、「親不知讃歌」という作品を印税無しで出させていただいたという「ご恩」がある。
当時赤貧堂と呼ばれ貧乏にあえいでいた我々社員は、そういうたくさんの作家さんたちの「ご厚意」で食べさせてもらい、「ガロ」の赤字を新たな単行本で埋めながら(それらはちゃんと印税をお支払いした)、出版界を何とか底辺で支え、踏ん張ることが出来たのだ。

…こういうあたり、漫画史的にもちゃんと声を大にしてキチンと記していただきたい。
最近の若い漫画研究者や批評家は、「ガロ」の顛末にしても、俺という全てを俯瞰して知る生き証人に全く話を聞きに来ないし、ネット叩いて調べた気になっている連中も多い(…と、旧知の編集さんと批評家さんと嘆くことがよくあります昨今)。
ググってばっかいねえで早く聞きにこねえと死んじゃうぞコラ、若造ども。
あとウソばっか書いてるとそのうち枕元に立つからな。

ああ、しかし、しかしである。
健康体なら今ごろ前ノリして、松本先生に小学生の時に買った「戦場まんがシリーズ・オーロラの牙」を持ってってサインをいただけるのに。仕事がら「ガロ」の人もそうでない人も含めてた~くさんの、今はもう雲の上の存在になった方や御大、重鎮の方ともお会いすることが出来た。

でも前にも書いた通り、たくさんの著名な方たちとお会いしたけれども、サインをいただいたのは水木しげる先生ただ一人だけ。ささやかなプロ意識である。
仕事で会っていただいている、時間を割いていただいているのに一緒に写真撮ってもらったりサイン貰ったりなんて、職権乱用公私混同言語道断厚顔無恥も甚だしい…と、思っていた。
あの、若かったから…。
病気がうらめしい、健康がうらやましい。
そして若かった自分が情けない。


松本零士先生のマンガにはじめて出会ったのは40年以上前だったか。

小学生時代、兄貴とジャンプやサンデー、マガジン、チャンピオンや冒険王を割り当てを決めて買っては交換して読んでいた。
高度経済成長期の後半、住んでいた家は平屋で借家でぼろかったが、3歳の兄と赤ん坊の俺を残して父が死んでしまったあと、母親はおにぎり屋から身を起こし、函館では有数の高級クラブを数軒経営するやり手の経営者になっていた。
ただし日中は接待ゴルフやパーティに呼ばれたり、お付き合いや経営のための外出で忙しく、帰宅はいつも深夜だった。
小学校に通っていた自分と母は、基本すれ違いの毎日であった。
その後ろめたさもあったのかも知れないが、割合に小遣いは潤沢に貰っていたと思う。
といっても、それはひいばあちゃん=曾祖母が管理していて、何か理由をつけて必要と判断されれば貰うというケースも多かった。
兄貴は後に道内でもナンバーワンの名門私立高から理系の難関大学へ進学するのだが、その片鱗を小学生時期から見せており、小遣いは電子ブロックから始め、すぐに鉱石ラジオだのよく解らない電気回路をいじりはじめた。
俺は俺でまだ親父の遺品だった世界文学大系はちょっと難しく、星新一のショートショートを買っては読み、一方で(理系の兄への対抗心もあったのだろう)、マンガを描き始めた。
書道をずっと習っていたので文字に興味があり、家にあった大正時代発行の分厚い辞書(もちろん全て旧仮名遣い、旧漢字)を眺めたり、新聞を広げて見出しの書体を真似してレタリングしたりもした。

後にこのスキルは、引っ越しにより転校した学校で当然「イジメ」にあった時に役に立った。
小4のころ、母親がとうとう念願の「一戸建て・注文住宅」を郊外に建て、自分は函館の津軽海峡と函館湾に挟まれた狭い地域にあった借家から、郊外に引っ越した。
当然学校も転校となり、転校生というだけで地元の百姓の息子らにいじめられた。

だが「絵がうまい」「字がうまい」というスキルは小学生にとっては魔法のようなもので、そのうちいじめっ子が「俺の自転車にかっこよく名前を書いてくれ」と言ってきたので、油性マジックでローマ字で書いてやると尊敬され、いじめはなくなった。
(「ガロ」編集者になってからも、沼田元氣さんの連載のレタリングを毎回毎回書かされた。お仕事でモダンチョキチョキズのCDとか、ゴンチチのチチ松村さんの本のレタリングなんかもやらせていただいた)

そんなことはどうでもいい。

とにかくそういう少年期にはまっていたマンガの一つに、松本零士先生がサンデーで連載されていた「戦場まんがシリーズ」があったわけだ。
いやもう、小林源文先生もまだ知らない頃だし、戦車や戦闘機、そして何よりカッコイイドイツ軍(過去何度も書いてきたが、ナチズムや大戦時のドイツの所行、歴史観などとは全く別に)が、そのままあの独特のタッチでデフォルメされ漫画化され、そしてやっぱりすさまじくかっこよかった。

ナチスドイツ、特に親衛隊のコスチュームや意匠は、絶対悪とされながらも後の世代にさまざまな形…デザインやアートその他の表現に大きな影響を残したことは言うまでもなく、「善悪」だの「勝ち負け」だのそんな歴史のことはよく知らないガキにとって、WAFFEN SSはルーン文字や階級章、小さなロゴから左袖の所属部隊を示す帯、鉄十時勲章、そう、何から何までかっこよすぎた。(繰り返すが、あくまで視覚的なデザイン上のこと)

後にミリオタの道に入りかけた自分は、階級章や兵器の描写などけっこう資料と違ったりすることも発見してしまうが、そんなところに細かくイチャモンをつけるような「イヤなオタク」にならずに済んだ。何しろ、漫画として面白かったから、漫画家を目指す方向へ突き進んだ(結果編集者になったが)。

松本零士先生はもちろん、この他にも「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」といった超有名な代表作、キャプテンハーロックやクイーンエメラルダスや、またガンフロンティアや男おいどんやワダチや、後に青林堂を経済的に「印税なし」で助けてくださることになる「親不知讃歌」などなど、たくさんの名作を描かれ、もちろん全てが今でも大好きな作品だ。
余談ながらうまそうなしょうゆラーメン描かせたら日本でも一、二だと思う。

少年向けに描かれた「戦場まんがシリーズ」(正確にはオリジナルは大人向け雑誌に掲載されたものを、少年向けに改稿したりして再掲載された)は今でいう中二病的な部分と、男とはかくあるべしみたいな(いい意味での)古くさい「男の美学」みたいなものと、そして紛れもない「戦場」が舞台という、男子にとっては鼻水が出るほどたまらないシチュエーションと、そして格好良さが同居していた。
昨今のリアリズム礼賛ではない、ファンタジー、大人の「解るだろ、こういうセカイ」みたいな了解の上で、ガキがそこに背伸びして憧れる舞台。そういう意味での戦争、戦場。まあ45歳以下の人に伝えるのは難しいこの感覚。
メッサーシュミットもティーゲルやパンテル戦車(俺たちの世代は「ティーガー」じゃないし「パンター」でもない)もハーケンクロイツも何も、このマンガで知った。そしてタミヤ模型ルートへ入っていくきっかけになった。

中学生になると周囲はもう「マンガ家になれるんじゃねの」「なれよ」「なれるよ」的な、無責任なおだてで煽るようになり、また本人も調子に乗りつつあり、松本先生のマンガ以外にもたくさんのマンガを「勉強のため」と称して読むようになっていた。少女漫画からエロ劇画まで全方位的にフォローした。
「ガロ」や「COM」や貸本マンガも歳の離れた従兄弟のおじさんに教えて貰った。


その、松本先生にインタビューをするというお仕事の機会を得た。


決まったのが急だったので、小学館の川村寛大先輩(もう余りに恩義がありすぎてどう表現していいか解りません)にご尽力いただき、かつまた忙しい先生に何度も何度も何度も何度もお電話をし、まずはスケジュールをあけていただくまでが大変だった。
何度目かに「ああ、元「ガロ」の…そうですか、懐かしいですねえ」と言って貰えた。「親不知讃歌」のことをお伝えすると「確かに(印税は)貰ってませんでしたねえ(笑)。あのころは…めちゃくちゃでしたからね」と笑っておられた。
そしてようやくスケジュールが決まった。

そしていよいよ明日収録となったのであるが、自分はこんな体なので、もともと東京までの出張は無理なのは解っていた。
だが、このたびは、40年来のファンとしても、そして青林堂時代に貧乏な会社を売り上げという面で支えて下さったご恩に対しお礼を申し上げる意味でも、全身をウィルスや雑菌から防ぐ防御態勢を取り、体調がどうであれ、這ってでも向かうつもりだった。

のに、また熱である。

いや4日に熱出してその後救急外来に夜中に向かい、22日に再検査と言われているから、当然酒も飲んでないし外出も買い物以外最小限に抑えている。
でもそこら辺の常在菌でやられる恐れもある俺の免疫力。

断腸の思いとはこのことだ。
そういえば腸は免疫の宝庫でもある。

うらめしい。
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コメント

残念…秘書としてご同行できれば

よかったのですが。
先日から始まったTVアニメの宇宙戦艦ヤマト。昔の松本零士さんの絵が好きだったので、これまた残念で。
白取さんの本、私が出そうかな!

Re: 残念…秘書としてご同行できれば

> よかったのですが。
> 先日から始まったTVアニメの宇宙戦艦ヤマト。昔の松本零士さんの絵が好きだったので、これまた残念で。
> 白取さんの本、私が出そうかな!

いやー、現在放送中の絵柄はちょっと違いますよね。
ガキの頃風呂上がりに「地球滅亡まであと何日」ってのを見ながらわくわく
していたものです。
熱はたいしたことなかったのですが、月曜の再検査まではやはりおとなしく
しているしかなく…、本当に残念でした…。
(そちらもお大事になさってください、いろいろ)

俺の本は「出したい」という人がこれまで延べ6~7人おられましたが、
皆さん途中で「大人の事情」で撤退されています(笑)。
録音と著者校だけしといて、俺が死んだら出せばいいのになあ、と(笑)。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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