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2013-10-08(Tue)

癌細胞、90%

2013年10月07日(月)は病院の診察日であった。
いつもの血液内科、呼吸器内科に加え皮膚科のトリプル受診。
病院の日なので朝7時半ころ目覚ましをかけて寝た。
だがなかなか寝られず、寝たのが3時近かったのにも関わらず6時前にはもう目が覚めてしまった。
その後うとうと薄く寝たような寝てないような状態。

いや、そりゃあ心配なんだろうと自分で思う。
これだけ今年に入ってから免疫低下による感染症を繰り返し、MARKで取った骨髄の細胞検査の結果が今日出るのだ。それによって癌の進行度、今後の治療方針などを決める。

とりあえずまだまだ日中暑いし、病院の中もだいたいが暑いので、薄い肌着のTシャツにアロハで出た。
病院へは9時過ぎ着、今日は何か混んでるなと思ったら、自動受付機が故障とかで全機使えず。
ただでさえ月曜は混んでるうえ、先月は2回も祭日で潰れているから混雑が予想されていたのに、まったく迷惑な日に迷惑な故障で…。
したがって再来の予約患者の受付でも長蛇の列。
自動受付機が故障しているということは、連動しているPHSの情報端末も使えないということ。これが実に普段便利なだけに、無いと不便きわまりない。

ようやく予約の再来受付終えて9時半くらいだったか、採血受付も長い列でかなり待たされ、病人にとってはこれだけでもう若干疲れ気味だ。しかも番号札を見るとかなり待たされそうで、一瞬胸部レントゲン先に行こうかと思ったが、どうせレントゲンも同じ状況だろうと思い、そのまま採血受付前のソファに座って待つ。
20分ほど待って、あと15人くらいかと思ってたら院内放送で名指しの呼び出し。皮膚科外来へ来いとのこと、一応予約時間は10時だったが、採血待ち中。

しかし皮膚科は医師に「患部」を見て貰わないとならないので、とりあえず皮膚科へ向かう。外来の処置室へ行くと、前と同じベッドに促され、若い研修医に切開痕を見てもらうが、もう塞がっているし、「処置」もここ1週間ほどはもうしていないと言うと、おそらく大丈夫と思うが上の先生に確認してもらうので、ということで「分娩体制」のままとりあえずパンツだけ上げて待つ。

間もなく来た女医さんも「ああ、もう大丈夫ですね」と言いつつ執刀してくれたF先生に見て貰いますか、と聞くので「大丈夫ならいいです、採血待ち中だったので」というと、「じゃあ今後もし何か痛みが出たり、が出てきたりしたらすぐ来て下さいね」と言われる。汁って…。

それから採血の方へ戻ると、飛ばされて15番くらい先に進んでたので、とりあえず手前の検査技師が採血を終えるのを待って、飛ばされた旨伝えて番号を告げる。そこから5分ほど待って、試験管3本採血。
そこから今度はレントゲン受付だ。
ここの巨大大学病院の外来棟、1階回廊が総合受け付けや会計。
今日はそこで並ばされて受け付け、2階の採血受付で並ばされて受け付け、待ってる間に皮膚科外来に呼ばれて3階処置室で傷を確認して貰い、また2階へ戻って採血。そこからレントゲンは1階まで降りて受け付け。
ちなみにこのレントゲンなどの撮影をする棟は外来の回廊部分から直接は行けず、ぐるりと迂回して回り込むかたち、つまり、かなり歩かされる。
こういうところ、そこそこ元気な頃はあまり気にならなかったが、肺をやって以降、そしてここ一年くらいがくっと体力が落ちてからは、本当にしんどい。健康な人がスイスイ歩いて行き来する何でもない距離の移動、その繰り返しがじりじりと体力を奪っていく。
本当、面倒臭いし体力的にもきつい。

レントゲンも待合で案の定30分くらい待たされた。
車椅子の老人を連れてきた看護助手のおばさんが「あら混んでますねえ」と言っていたので「20~30分かかりますよ」と教えてあげた。おばさんは連れてきた老人を待合の椅子へ移し、終わった頃にお迎えに来ますから、と言って別の患者の搬送へ向かった。
この人たち…助手さんたちはいつも患者さんの送り迎え、薬を取りに行ったり届け物をしたりと走り回っている。なので待ち時間が解らずに一緒に待ってるとその分、他の手が足りなくなるのだ。

30分待って撮影は1分くらいで終わり、である。
また外来棟へぐるりと廻り、エスカレータで2階の呼吸器内科の受付へ「前(皮膚科)とレントゲン終わりました」と伝えて、待つ。
いつもは院内PHS端末での案内が非常に便利だっただけに、あれが故障で使えないとやっぱり不便だ。スピーカのアナウンスで名前を呼ばれるから、それが聞こえる範囲内で待っていないとならない。
患者が普段より多いうえに機械の故障もあって、外来は非常に混んでいる。座る椅子のない診療科もあり、普段なら空いてる方へ移動して待つことが出来るが、今日はPHS端末がないため、呼び出しが聞こえる場所にいないとならない。
見た目はちょっと腹の出た(これは巨大化した脾臓なのだが)、トシ相応の元気そうなオッサンに見えるだろう。
でも実際はこの「巨大脾臓」という荷物を常に腹に抱えた、体力ボロボロの白血病患者である。
座らせてくれ…と正直思ったが、立っていた。疲れる。
呼吸器内科の外来は患者が多く、またその分「感染リスク」も高いためいつもは外来では待たないようにしているが、今日は仕方がない。
あと声を大にして言いたい…てか言い続けてるが、マスクをせずゲホンゲホンやっている人がいつも必ず数人いる、これ病院見つけ次第強制的にマスクつけさせるべきじゃないすか。特に呼吸器外来へ来てる新患なんて、何か伝染性の菌持ってたら、いったい、どうするんですか?な~んでモンスター患者みたいなことをチラッと思わないでもなかったです。
まあ実際、そういう事を張り出そうがアナウンスしようが、エチケットに頭が回らない回路の人には全く届かない事を知っているのでなるべくそういう人から遠ざかるようにするのだが、まあ世の中で一番感染リスクの高い場所は「病院」。もうこんなの運/不運だ。
幸いすぐに呼ばれたので、呼吸器のI先生の診察室へ。

肺の所見は相変わらず変化無く、良好とのこと。
(ここでいう「良好」とはもちろん「健康な肺に戻りました」ではなく、カリニ肺炎で一回ズタボロになったあと、特に異常なく新しい感染もないよ、ということ。要するに「予後」の話である)
血液の方は全部出てないけど、(血内の)K先生によく聞いて、とのこと。でこないだ骨髄検査(MARK)やったんですね、と言われたので「はい」というと「生検の方?」と聞かれたので「ええ、いわゆる痛い方ですかね」と言うと「ははは」と笑いつつ
「でも気管支鏡とどっちが痛いですか」と言うので
「そりゃもう気管支鏡に決まってますよ!」と即答。
んでついでに「あと胸腔ドレーンとか差し込まれる時! 尋常じゃないですよあれは!」と言うと
「そうでしょう」とどこか満足げに(いやこちらの主観ですよ、あくまで)言われるので、ちょっとおかしかった。
いやMARKもとても痛いんですけどね、性質の違う痛さというか。
そのMARKの時の痛みが2週間以上経ったいまだにまだあって、腰に鈍痛が残っている。
股間の傷といい、回復もいろいろ遅いのだろう。

次回11月の外来の日程と処方、それとカリニ肺炎の予防薬の吸入処方を貰って出る。
さてこの吸入を先にするか血内を先にするか。血液内科の予約時間は12時。今11時。
とりあえず吸入を先にやった方がいいよな、と思い処置室へ向かうと、何と吸入が2人待ちで、入ったばかりだという。つまりあと1時間ほど待つと言われて、じゃあどっちにしても1時間待ちかよ、と思い、血内の外来で待つことにした。

まあこういう間もぐるぐると同じ2階とはいえ回廊の外来診療棟を歩き回っているわけである。疲れる。
呼び出しが聞こえるようにと思い外来の待合に座っていたのに、待っているうちに眠くなってしまい、首をがっくんがっくん振ってしまった。自分でうとうと…首がっくん…はっ!…うとうと…首がくんがくん…を繰り返していてマヌケな自覚はあるが、横になれるわけでもないので、がくんがくんに身をゆだねる。
またこれが疲れるんだな。

とりあえず12時を過ぎたので、とりあえず血内の受付に聞いてみると、血液内科のK先生に電話して聞いてくれた。
「細胞検査の結果出ているそうなので、もうこのまま診察室へ入っていいそうです」とのこと。ちょうど患者の切れ目だったようで、助かった。

というわけで診察室へ。
今日の採血結果は前回…というか先月のあたまに高熱&金玉の裏(外陰部)に膿瘍が出来て救急で切開、十日入院&全治一ヶ月という間の数値と同様、以外と造血頑張ってるな、という感じの数値だった。
WBCは1200で好中球数も60%くらいあって、血小板数も8万くらいなので、一年くらい前までの「低値ながら安定」の頃の数値に戻っている。
もちろん、膿瘍が出来た時の炎症反応CRPも0.1とまったくの正常値に戻っている。

K先生は「やはり、感染に反応して血球を作っている様子は見られますね」ということ。
もちろんそれらがポンコツな血球なわけではあるが。
で、血液を作る工場の大元である造血幹細胞、これがどんだけポンコツであるか…どんだけ癌に冒されているかも、細胞検査の結果細かく解るようになっている。
結果としては「90%くらいですかね」とのこと。
これはもちろんこういう慢性の白血病患者の症例では珍しくない数値で、まともに働いてる細胞が1割に満たないということだ。自分もそんなもんかな、と予想していたので驚きはなし。

あと抗がん剤への反応は今回まだ出ず、というより日本では未認可の新薬へ申請を出して、いろいろ手続きをしてそれが承認されて…となると何ヶ月か先になるし、それまでにじゃあ「今ある抗がん剤」を投与し、それでどれくらい癌細胞が減らせるか、反応があるかを見るという方法もあるが、ここまで免疫が低下しており、さらに抗がん剤を投与すれば今よりもさらに免疫力が落ちる。それはリスクが高い。

あと強い治療としてはもちろん骨髄移植、臍帯血移植やミニ移植含め色々あるが、それらはもっと苛烈な治療となる。
ここ数ヶ月、半年ほどの血液データの悪化がこのままのペースで続くようなら当然そうした治療も含めて、何か考えないといけない時期という判断だったが、では現実に今使えるフルダラビンなどを使っていったいどれくらい癌細胞を減らせるか、それによってどれくらい平常な血球の割合を増やせるのか、劇的な効果は当然こうした慢性の病気には期待できない、そしてその反面確実に今よりも数段、さらに免疫力が落ちる。

あと骨髄移植といった「強い治療」は、俺の場合カリニ肺炎を一回やっている…つまり肺の中が一回ズタズタになってるので、かなりリスクが高いことになる。
骨髄移植中はもちろん免疫力がゼロに近い状態まで落ちることになるし、そうなると肺の病歴が命取りになりかねない高リスクとなる。ただでさえ2-8くらいで死ぬリスクのある治療が、肺の病歴のせいで5-5になるならやらない方がまし。

と、いうわけで幸い急速に「危険」というところまで血球減少が落ち続けているわけではなく、ちょっとではあるが持ち直したので、ここは敢えて焦らず、新薬が認可されるのを待つことも含めて、引き続きじゅうぶん感染に注意し、それでも感染症を起こした場合はすぐ病院で治療をするという「現況」を継続しましょう、という結論になった。

何しろ今、なぜ、無治療でいるかを考えたら、
毎月毎月採血を受け、その上で判断した連続が「無治療で対処療法でやってきた8年」であったわけなのだ。
これがこの先ずっと続く保障はないし、続くわけがない。いいとこあと数年か。

とにかく、効く薬は、ない。
普通白血病に対処する移植などの「強い治療」はリスクが高すぎて今の自分には無理。
だったら患者の生活の質も考え、無治療を選択し、対処療法で何とか生きながらえているという状況。
それをまたしばらく続けましょう、ということだ。
体の入るとこと出すとこ、他にも健康体なら気にしないで済むあらゆるところ、衛生面その他の行動に気をつけて感染対策をし、そして何よりストレスもなるべく軽減させるかたちで、そろそろと生きていくしかない。
難易度的にかなりのハードモードである。

病院の往復交通費1600円、診察費6000円ちょい、そして明日配達して貰う薬代がおそらく一ヶ月分、14000円くらい。

ぶっちゃけた話、とにかく生活をどうするか、在宅で出来る仕事は激減してしまったし、取材などで外に出る仕事は出来ない。そして生きていくためにかかる医療費は削れない。それどころか公的な医療費の扶助は、難病指定がないためにまったく受けられない。
幸いなことに入院などで治療を受けた場合は、癌宣告前に(連れ合いが何かに促されるように、しきりに強く奨めてくれたために)入ったがん保険と共済があるので助かるが、それ以外の、日常の生活がかなりしんどくなる。ずっと入院してたら…と考えないでもないが、そうなったら正直まあ人間オシマイだろう。

俺は漫画家になりたかったが、才能がないことに割合早く気づけたわけで、ならば一番近い編集として傍で携わりたかった。師匠の長井さん(元「ガロ」編集長)曰く「おまえは最初から編集に向いてると思ってたよ」というように、すぐに編集という仕事が好きになったし、実際ずっと続けて来られた。
もし作家側になっていたらと考えるとゾッとする。いや、仮定の話は出来ないが、漫画という「表現」の世界で「商売」として成立させ自分であるという「個性」を維持し、生計を立て続ける、しかもこのトシまで=30年…ということが、どれだけ困難か。
とにかく狙いはズレたものの出版、編集、本づくりに関わる好きな世界へ飛び込むにあたって「自分のケツは自分で拭け」と母親に言われた。当然するものだと思われていた大学受験という親の期待と配慮と用意してくれた恩恵を、だまし討ちみたいな形で強引に押し切り上京してしまい、「ガロ」編集長だった長井さんが来る! という理由で専門学校へ入ってそのまま好きな編集の道へ進んでしまった。

なるべく自分のケツは自分で拭きたい。
つまり自分で稼いで自分で暮らしたい。人間なら当たり前。
ただ「ちょっとしんどい時に生活を助けてくれる制度」があったら本当に助かるんだけど、そのためには家賃補助の上限があるため、病人には地獄のような引っ越しをせねばならないとか、当然自分のような免疫低下の患者には「衛生上過酷な条件の部屋」に移らざるを得ないとか、本当に「イジメ」としか思えないハードルが数多く立ちふさがっている。

もう一回言う。
だからさ、俺健康ならホントに何でもするよ、普通に力仕事でも何でもやる、つってるんだよ。
病人でも、いや自分で言うのも何だけどこんだけの病気、苦労、困難、地獄を乗り越えつつ、それでもまだ自力で何とかしたいと言ってるんだ。

自分で拭くにも限度がある。
誰か助けてよ、と言いたいがぎりぎりまで頑張ってる。

<追記>
何かリツイートすごい! と思ったら大阪に住む筋肉質で主に劇画などを読んでいる男がツイートしてくれたみたいで。そりゃこういう記事読んだら気を遣うよね、申し訳ない。ありがとう。でもきっと大丈夫。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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