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2014-03-17(Mon)

白血球数560、輸血する

2014年03月17日(月)
朝の京都は普通に寒かった。
予報では15度を軽く超える陽気になる予定。6時頃余りに寒いのでエアコンをつけ、布団にくるまったまま、病院の日なので寝過ごさないようテレビをつけてうとうと。8時過ぎにようやくのろのろと支度をして、9時ころに部屋を出た。
ユキは当然ながら起きたばかりで、出かけてしまう俺をじっと見ていた。
「鳴いてやる」「暴れてやる」という強い決意を感じたが、仕方がない。

このところ、サッと立ち上がって方向転換したりするとふらついたり、ほんの数百m歩いただけで息が切れたりしていたので、貧血が改善していない自覚はある。
それでも、何とかまだ、猫との暮らしを許されるレベルであって欲しい。しかしここ数ヶ月の状況は、それどころか、来年の今生きていられる確証が全く無い…というのが現実。本当に一年後、という世界に全くリアリティがない。前はなんだかんだいっても「半年一年くらい大丈夫っしょ!」と思っていたし、そう思うようにしてきた。
今は全然違う。
半年先、死んでる可能性もかなり高いと思う。

五条通りを渡り、東へ来るタクシーを拾って病院まで向かってもらう。
車中はたった今朝の一服をしていたらしく、タバコの煙で充満しておりマスクごしでも凄い臭いだ。まあ個人タクシーだしこちらは何も言わず。

さて、病院は月曜にしては空いていた。
とはいえ採血は40人待ちで20分、その後のレントゲンでは40分待たされたが。最近レントゲン多いな。気のせいかな。前はレントゲンは受付して5分、10分だと長いという印象だったが。
それにしても、院内移動、とくに階段がきつい。これはアカン。
回廊の椅子に座り、ひたすらじっとしていた。何しろ俺は病人なのだ。それも、医学的にはかなりの重病人。何で生きてるのか不思議レベル。
幸い10時半ころ呼吸器内科に呼ばれたのだが、I先生「また落ちてるねえ」と採血データの方を見て渋い顔。レントゲンの方はまだデータが届いてないという。採血が出てレントゲン画像がまだとは珍しい。

白血球数…560、
血小板数…49000、
HGB…6.7。

「あ~、輸血だなこりゃ…」と思った。

これまで白血病とはいえ顕著な症状は、巨脾の他は主に白血球の減少による免疫機能の低下。それもずっと1000から1500くらいでじりじり推移してきた。1000を切ったら大変だ、と騒いでいた5~6年前が嘘のように、ここ半年は3ケタが常態化。
さらに血小板も10万切らなきゃ大丈夫、だったのが5万前後が普通になってきた。
そしてずっと影響が少なかった赤血球系の減少も始まり、HGB=ヘモグロビン値がガタガタガタッと落ちてきた。
めまいがする、息が切れる…というのもじわじわ8年以上かけて慣れてきた。そもそも貧血傾向は弱かったのだ。
ただ、ここへ来ての「進行」は数値にもはっきり現れているのと同時に、体感もきっちりある。
I先生は俺のまぶたや口腔などを見て、「ああ~やっぱり貧血だなあ。K先生にちゃんとよく相談して下さい」と言われる。肺は音を聴いて貰い、あと「レントゲンはちゃんと見ておきますから」、とのこと。

血内の予約まで1時間あったので、先に薬の吸入を済ませておこうと処置室へ。「1人入っていて、あと十分くらいで終わります」と看護婦さんがいうので廊下で待つ。
目を閉じると、すうっと眠くなる。
ここ最近、メシを食うとガクンと眠くなったりして、糖尿かよと思ったが、貧血で胃に血が集まったせいだろうか、とか素人臭い考えをしたり。素人って何だ。俺は病気のプロか。まあたいがいの痛い目にも遭ってるし入院手術も何度も体験しているけど。
でも素人はどこまで行っても素人、である。

以前、こうした詳細な記録をつけている事を、医療の現場にいる医師や看護師の方、患者さんやそのご家族など、とにかく「癌宣告を受けた人」「その上配偶者を失った人」「さらに相次ぐ不幸が怒濤のように襲った人」がどう思い何を考えどう生きていくのか、そして死んでいくのか、一種の「献体」のような気持ちで書いているというように述べた。
気のせいかも知れないがたぶんそんなような感じで。
実際、コメントやメールをいただく方の中に、医師や看護師の方も実は、たくさんおられる。お立場上公開は出来ないが皆さん「貴重な記録と思って拝見している」とお世辞を言ってくださる。いいのお世辞でも。
誰かの役に立っている、そう思わなきゃ普通こんな目に遭ってこんな境遇になったら死んでるって。

血液内科に呼ばれるまで40分くらいぼーっとして待つ。
採血結果は、実を言えば少なからずショックだった。好転しているという予兆も実感も全く皆無であったが、それでも、何かの奇跡でちょっとは良くなったり横ばいになったりしてへんかと思うのが人情。
それが全く裏切られた。自分に裏切られたので、どうしようもない。
何も不摂生もしてないし、むしろ規則正しく、12時には寝て7時には起きている。酒も滅多に飲まず(やるときはやるんだが)、そもそも必要最低限の買い物などの外出に留め、その際もうがい手洗いなど防疫には気をつけている。
それでも、こうして白血病は進行している。
どうすりゃいいのよ、というのが正直なところ。

呼ばれて血液内科のK先生の診察。
「…ねえ…」とお互い顔を見合わせて顔を曇らせる感じ。
「やっぱり息切れとか目眩はありますか」と言うのではい、というと「そうですよねえ」と頷かれる。
とにかくもうこれは輸血レベルなので、輸血はしましょう、と。
で一ヶ月後に横ばいかある程度回復しているようなら再度輸血で、様子を見ましょうと。ただ、輸血が常態化するという事は良くないので、その場合は入院して抗がん剤を投与し、反応を見ながら治療を進めて行きます、ということになる。
いよいよ治療ですか。
新薬は認可されていないが、その新薬とて、副作用つまり免疫抑制はある。自分の場合今でこの状態なので、無菌室レベルとまではならないが、まあ厳重な防疫管理体制のもとでの治療となる。下駄を預けるしかなかろう。
もう疲れたし。

だいたい、入院もメスが入るのも、痛いのもキツいのも慣れた。
そりゃあ胸腔ドレーンを刺されるような事は二度とご免だし、痛いことは何度やっても痛い。熟睡できない環境、全くといっていいほど無いプライバシー、煩い他の患者、配慮のない見舞客、ほんっとうに人としてどうかと思うような患者もいる。
でもしょうがない。
病院って本当に社会の縮図だと思う。

ただ、俺だけを頼りに生きている小さい命のことを考えると、どうしても入院は先に延ばしたい、と思ってしまうのだ。そうして今まである意味「我が儘」を続けてきている。
編集者として死にたい、なんてもう言わないし、もうそんなちっぽけな矜持なんかどうでもいいよ。
ただ夫婦で「最後まで面倒を見てやるからな」と言って家に連れてきた、耳の聞こえない白い猫と離れるのが辛い。
二人と二匹で京都に来て、一人と一匹になっちまった、そこを引きはがされるのは勘弁してくれ、という切実な思いがある。そこまでやるか、と。
誰かに迷惑をかけ、世話をお願いして自分は病室でたった一人、訪ねる見舞いもないままただ「申し訳ない」という思いで何日も過ごす、その辛さは誰にも解るまい。
俺とユキにしか解らない。

輸血の用意が調うまで病院内で待っていて下さい、しんどかったら処置室へ行って貰って、横になっていてもいいですから、と言われた。
「ご飯食べてもいいですか」と聞くと、用意に1時間以上あれこれかかるのでいいですよ、とのこと。
病院でメシだメシ。
食わなきゃ残り少ない正常な造血細胞も働けねえっての。

病院のレストランはそこら辺のヘタな店より全然うまい。隣に開店してくれねえかな、と何度思ったことか。
もともと何てことはない普通の醤油ラーメンがうまかったのでお気に入りになったわけだが、その他もうまい、総じて平均以上なのは間違いない。
でいつもなら並ばないのだが、今日は時間もたっぷりあるし、次は入院になるかも知れない。
で並んでいたら、俺の前に居た2人の中年夫婦がメニューを見に行ったほんのちょっとの刹那に、別の老夫婦のババアの方が割り込んできた。それも夫の方に自然に話しかけながら、さも自分らがそこに最初から居たかのように。
これは手練れですな。
こいつ、割り込みのプロだ。

当然前に並んでた夫婦が気づいて「何や」という無言の圧力で押しだそうとする、すると今度は俺の前に来る、俺が「こら」という顔をすると仕方なく後ろへ…と思ったところで、中の係が「お次2名様…」と顔を出した。
すると、何とそのババア、そこへ割り込もうとしたので、さすがに俺の前の夫婦が「こっちが先やろ」的にグイと先に進むと、係の人もそこはさすがプロ。ちゃんと並んでる人の顔を把握していて、
「お次の方はこちらですね、どうぞ」と前からの夫婦を先に通し、そして俺を見て「お次はお一人様ですね」と言ってくれたので頷く。素晴らしい。
で椅子に座ろうとしたら、何とそこに割り込みババアが俺の椅子の前に平然と立っているではないか。コントか
俺が目で「どけよ」という顔をすると、自分が先だけど譲ってやるという風情で「いいですよ、どうぞ、私立ってますし」と言う。「当たり前やろこのクソババア!」と喉まで出かかったが言わなかった。
少ない血が鼻から噴出したり、低い血圧が急上昇してぷちんと行っても困る。

実は、これも何度か書いているのだが、京都は市バスもバス停に並んでいると、だいたい後ろの人や、なぜか横から数人に割り込まれることが多い。日本という国では列の順番が守られると思っていると、9割がた裏切られる。民度か。文化なのか。若い人より団塊以上に圧倒的に多い。何でだ。病人突き飛ばしてまで数分先にメシ食いたいのか。それほど餓えているのか。終戦直後かっての。

とまあそんなこんなでプロのウエイトレスさんのお陰様をもちまして、無事割り込まれることもなく2人掛けテーブルに通されて、そして頼んだのは「今月のラーメン」。いつもの関東風の醤油ラーメンではなく、今月のは「佐野醤油ラーメン」とあったので、頼んでみたのだ。
京都のラーメンはこってりとんこつ背脂びっしり、それになぜか麺は博多風のストレート麺という(東京もんからすると「?」という感じ)のが定番。それもいいが、ごく普通の、松本零士先生が描くような昔ながらの「ラーメン」が食いたい時がある。それが皆無、なのである。そもそも滅多にちぢれ卵麺がない。スーパーで買うしかない。
何度か書いたように、それがこの京都大学病院のレストランで食える。しかも安い。本当に何てこたぁない化学調味料も入ってるごくごく普通の醤油味で、黄色いちぢれ卵麺に過不足のない具で。本当、30年前に「ラーメン」つったらコレだったんだよ、というもの。支那そばとかそういうんじゃない。定食屋でもそば屋でもラーメン屋でも何でも「ラーメン」つったらこれだったの、という。
ちなみに俺は函館生まれだが、ガキの頃は「函館といえば塩ラーメン」ではなかった。塩はそれはそれでバカうまだったが、ラーメンつったら普通醤油だった。味噌なんかない店すらあったし。

とまあ年甲斐もなく熱くなってしまいましたが、とにかく京大病院に来れば「普通の醤油ラーメン」はいつでも食えるので、今しか食えない佐野ラーメンの方にしてみたわけ。
これがまた。
うまくて写真撮るの忘れたほど。
塩かと見まごう透き通ったスープ、具は定番のチャーシュー薄切り2枚、白ネギ、ほうれん草、なると。どんぶり持ち上げて完食。
時間余ったのでアイスコーヒーまで調子に乗って頼んでしまうほどうまかった。
ていうか余りにうまかったので、出入りしている編集プロダクションの「病人仲間」であるKさんに思わずメールしてしまったほど。明日痛飲もとい通院なので食べてみます、とのこと。いや食べるべきです。

輸血はなかなか連絡がなく、トイレも済ませて万全の体制で待っていたが、3時前になってようやく処置室へ呼ばれた。
同意書を書いたあと、ルートは左右どっちがというので、もうどこでもどちらでもいいですと言う。どっからでもどうぞ。
左腕の肘の内側にルートが摂られ、感染検査のために一本採血したあと、輸血開始。
2014_03_17_15_15_21.jpg


最初の5分はゆっくり落とし、次の10分でやや早めにし、様子を見て普通の速度で入れていく。1時間半で、というので落ちる速度を見て「2時間やな」と心中つぶやいた。プロ患者の目(笑)。
果たせるかな、2時55分に始まった輸血が終わったのは4時50分ころだった。そこから止血5分、地下で買い物して帰宅5時半ころ。

部屋の中は第三次世界大戦、じゃなく大惨事だった。

アルミの洗濯物干しがなぜか部屋の中央に倒れていて、それが棚の上のサーキュレーターをなぎ倒し、棚の上の小物が全て落とされていて、写真立てがバラバラに壊れていた。さらになぜかエネループの充電器も落ちていて、面倒くさいことに中の電池が四方八方に散乱していた。
そして「犯人」であるユキはいつも二人で寝ているソファの布団の上で丸くなって、すやすや寝ていた。
もちろん叱るわけもない。こちらは鳴いて暴れ回った意味を知っているが、今叱ったところでユキにはその意味は分からない。
着替えてうがい手洗いをし、散乱しているものを直し、やれやれと座ったところでようやく目を覚ましたので、撫でてやる。
ユキももう十歳、さてどうやら俺の方が早そうだな、と思いつつ。

出来れば同じころに逝きたいものだが、世の中そううまいことは行かないし、奇跡など起きない。もう、そんな事じゅうぶん知っているから。
奇跡は信じている人にしか起きない。俺はもう信じる事に疲れて裏切られ続けて絶望している。
あとはせめて、お互いその瞬間までなるべく不快と苦痛のないように、と願うのみ。
絶望しているとはいえ、望みはそれだけ、たった一つ。
それまでは生きるしかない。


<2日後まだこんな。>
IMG_20140319_203938.jpg
3/19/20:00
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佐野ラーメン、わたしも大好きです。 ちょうど明々後日本場佐野へ食べに行く予定になっていました(´^`)ゞ
不肖私めはもっぱら食べることが唯一の楽しみ☆☆

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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