2014-07-08(Tue)

また輸血、神経内科受診など

2014年07月07日(月)
輸血、神経内科

朝7時くらいに眼を覚ましてトイレに立つが、右足の麻痺というか下垂足のせいで、用心しないとつっかかって転びそう。
その後ユキにご飯もやって水も替えてトイレもすぐ洗ったし、最後の最後にシャワーする。猫の奴隷か。

部屋の古いエアコン、昨日フィルタ掃除してダクトの吸入もやって様子を見ているが、もうすえたような臭いがする。
幸いにして水がぼとぼと垂れてはこないが、日中外が熱くなって外気温と室内温度の差が大きくなると、水が垂れるかも知れない。
大金持ちだったらとっとと入れ替えるんだが。
何しろ古いエアコンはいいこと一つもない。音がうるさい、電気代は今の倍以上、さらに内部のカビや雑菌を部屋中にまき散らすので、俺のような免疫低下の人間には命に関わるといっても大げさではない。
だからこまめに清掃、手入れをしているが素人には出来る限界があるし、そもそも古い本体そのものはどうしようもないのだ。だましだまし使うしかない。
何か肺の病気になったらそれから考えよう。

シャワー終えたら8時半、うちを出たのは9時ころだったか、もう忘れた。
足を引き摺りながらゴミ置き場のネットの下へゴミ袋を置いて、五条のこっち側にいる空車に乗ってUターンしてもらう。
こんな足ではしんどくて、信号待ちして長々広い道路を渡ってられない。
何しろ、びっこに加え数日前から貧血の自覚症状が明らかにある。息切れと目眩。
たぶん、今日は輸血になるだろう。
外で長い距離を歩かない方がいい。

病院に着いて血内の受付終えたのは9時20分ころで、採血は10時前だったか。
血液内科のK先生の予約は11時半だったと思うので、まあ採血結果のカルテ転送はそれまでには間に合うだろう。
階段はしんどいのでエレベータで1階に降り、レントゲン受付、3番から6番の前で待てと言われて、ええ~すぐそこのテレビ前じゃアカンのかよと思いつつ、足を引き摺って廊下の方へ行く。
椅子が全然空いてなくて、結局かなり奥の5番の前の椅子にようやく座れた。

この段階で心臓がヤバい。

貧血があるので(この段階では数値は解らないが、はっきり自覚がある)、心拍がたぶん130以上になってると思う。息苦しさはマスクのせいだが、右足ビッコひいてちょっとの距離を歩いただけで、このきつさ。
20分くらい待たされ、ようやく名前が呼ばれたので立ち上がると、「2番へどうぞ」
あらあら2番なら一番手前のテレビ前の椅子で良かったやんか~、いけずぅ。と思いつつ、また足を引き摺って廊下を引き返す。何の荒行だよこれ。
ほんましんどい。
で胸部X線撮影はほんの一瞬で終了。

これまで、血内と同日受診だった呼吸器内科の受診&カリニ肺炎予防薬の吸入は、今月からI先生が異動で火曜になったため、明日また病院へ来ることになる。まあということは、今日は血液内科だけだ。これなら楽だなあ、と。ただし輸血が無かったら、の話だが。そしてたぶん、いや絶対輸血になる。

とりあえずあとは待つだけ。腹が減って胃酸過多になってきたので、レストランまで戻りオムライスキノコソースを食べて、朝の薬を飲む。京大病院レストラン名物「今月のラーメン」は八王子醤油ラーメンとあってうまそうだったが、ラーメンは診察前にちょっと腹ががぼがぼするのでやめておいた。明日もあるし…。

2階、回廊前の廊下でぼーっとしていると、猛烈な便意。
11時半、予約時間だがすぐには呼ばれないだろうとトイレへ行こうとした瞬間に呼び出し機が鳴る。
万事窮す。
第一波なら精神力で抑えられるので、そのまま診察室へ。
先生は「きついでしょう、今回は…」と開口一番、採血結果の出力を見せてくれた。
うわあ。
HGBが5.8しかねえ。
過去最低記録更新。
絶句していると先生「これはもうすぐ輸血ですね、目眩とかしませんか」というので
「今回は、ちょっと前から自覚がありました…」と白状。
先生はそうした「異常」があったらすぐ遠慮無く外来へ、と言ってはくださるのだが、実際問題「おっちょっと今日貧血っぽいな、輸血入れて貰ってくっか」とは行かないだろう、普通。
次の受診日まで待とう、それまでなるべく動かないようにしとこう…となるのが普通の人。それとも俺が遠慮しすぎなのか。ていうかホイホイ病院へ気軽に行けるほど動けないよ今の俺。家の中歩いて転んでんだから。

それから右足の麻痺の話をお伝えすると、「何度も別の日に来られるのは大変でしょうから、今日神経内科で新患で入れて貰えるよう聞いてみます」と、電話してくれた。ほんま助かります…。
この時間どの診療科もてんてこ舞いなのはよく知ってる、処置室も野戦病院みたいな科もある。なかなかつながらない中何度か電話してくださり、結果神経内科の方はすぐ来いという事で、血内の方はその間に輸血の準備をしておくので、終わったら声をかけてください、という事にしてもらった。
有り難い、有り難い。
こうした患者本位というか患者目線でのロスのない動き、差配をさっとやっていただけるというのは、先生がいつもそういうお考えで医療現場に対峙しておられるという事だと思う。

些細な事かも知れないが、待ち時間が長い、何度も別の日に来なきゃならない、二度手間三度手間が増える、そういう患者の「病気以外のストレス」はとても多い。
電子カルテで患者情報が同じ院内で共有出来ていることもあり、自分の病状と、主治医であるK先生の所見と要望もメッセージとして添付されて積み重なっている。もちろん、転院してからずっと、担当が変わったり、他の科の受診の際や入院時のそれぞれの医師の所見も「蓄積」されている。
それでも、この日本でも有数の巨大病院は「待ち時間が長い」と患者がブーブー言う場面をよく見かける。
いや新患で来て、予約患者の間に差し入れて限られた先生たちが順繰りで受け持ってるんだから、ちょっと考えれば1時間2時間当たり前、というのは常識だろう。拠点病院だし研究機関でもあるし患者数もべらぼうに多いし。

実は今日も外待合で「なんで1時間も待たせんねん!」ととても大きなお声で抗議なさっていらっしゃるBBAがおられたが、思わず後ろから「たった1時間かよ!」と後頭部にツッコミ入れたくなった。

さて、今日は予約時間ちょうどに呼ばれるという幸運にあずかり、神経内科への「他科受診票」を受け取って、同じフロアの対角線側にある神経内科へ、足を引き摺りながら移動。ほんまこれ、しんどい。
かといって車いすを借りると、これ車輪自分の腕力で転がして進まねばならんわけですわ。
いやどんな剛力やねんて。
こっちは筋力が落ちて、ちょっとの運動で息が切れ目眩がして乳酸地獄になるのに、車いす座って両腕乳酸地獄で息切れ起こしてたらどっちが楽なのか解らんて。
そのために看護助手さんがいて、頼むと来てくれて、連れてってくれたりするんだけど、この人たちがもうほんっっっとうに、病院の中では走り回りお使いをこなし患者の送迎をし、多忙を極める人たちだ、頼めば車いすくらい快く押してくれるのは知ってるが、だからといって「ちょっとそこまで押してって」とか簡単に使えねえっての。
それなら十数メートル、しんどくてもびっこ引いて歩くわ。
本当、セグウェイ導入してください、
年末くらいまででいいので、600台くらい。
ダメですかそうですか。

途中で便意第二派。こいつはかなり強力だ。なので一度トイレへ。
そして万全の体勢で神経内科の受付と初診ゆえの問診票記入を済ませ、20分くらい待ったところで呼ばれた。
早い。
20分なんて奇跡レベルに早いぞ、新患で。日頃の行いだな、と思いながら診察室へ入る。

男性医師が電子カルテを見ていて、もうこちらの基礎疾患と経過、事情はだいたいわかった様子。あらためて、

右足が「下垂足」状態であること
最初の症状が出たのは2ヶ月ほど前だが、割とすぐ消えた
その後外を歩いている時に右足首に痛みを感じたことがあった
安静にしていると痛みもなく違和感もない
一ヶ月ほど前の定期受診日の際も、普通に歩行できた
(なので報告を忘れたくらい)
つまり先月6月の半ばあたりから麻痺状態が毎日になった
麻痺の部位は右足首の甲側、かかとをつけてつま先を上に上げられない
それ以外の動作は普通、他の部分に麻痺や痛みはない…


ざっとこういう事を問診でやりとりし、いちおう一通り、両手両足、ベッドに横になって原始人が持ってる石斧のミニチュアみたいな器具でこんこん関節をつつかれたり、色々検査を受ける。
今のところは、やはり麻痺は一部分だけで、末梢神経の麻痺だと思われるということ。
脳とかそっちじゃない可能性が高いと。ちょっとホッとしたがよく考えたら何も解決していない。
この麻痺がずっと続くのか、治るのか、あるいは悪化するのか、はたまた両足になって車いすとか…。不安は尽きない。
冗談抜きで、
これで車いすになったら、
俺たぶん生きることをもう諦めると思うよ。
いいでしょ、もう。こんだけ頑張ったんだし。

というわけで、ちゃんと調べないと原因も解らないし、と言いつつ検査が詰まっていて、次回の受診日あたりでもいいかというので構わないという。急激に進行するとか悪化する性質のものじゃないそうだから、だったらしょうがないし。
それに、原因が解らない段階では、「とりあえず」メチコバールというビタミン剤をくれるという事は、三津子の手術痕の神経痛、俺の左手小指薬指の麻痺の時でじゅうぶん知っているから。

やはり先生は「それまではメチコバールを出しますから、毎日3錠飲んで、様子を見てください。麻痺の範囲が広がるとか痛みが出たとか、異常があったらその前にすぐ来てください」ということ。
運動をした方がいいのかと聞くと、むしろそういう状態で無理に運動をして怪我をすることもあるので、適当に…と言われる。
運動不足は麻痺じゃなくても、何にでもいいことではない。
しかしこの状況でいきなり運動しても危ない。
何しろ酸欠貧血状態で目眩もある上に右足麻痺、これでジョギングとかしたら確実に高瀬川へ落ちる。
落ちなくても車に自分から突っ込んで行ったり、その前に階段から転げ落ちる。室内で転ぶくらいなんだから。

さてその来月の検査というのは「神経に電気を通して、その流れ方で全身の神経の流れを検査する」という恐ろしいものらしいのだが、先生曰く「人によってはかなり痛がられまして、検査が中断する場合も…」とさらに恐ろしいことを言われる。
「でも90%くらいの方は大丈夫ですので」とのこと。なんか微妙な数字だなそれ。
俺もかなりこれまで「痛いこと」は経験しているので、まあ大丈夫だろう。

胸腔ドレーンで肺の中に管を突っ込まれる激痛、帯状疱疹劇症化による焼け火箸を体の内側をぐりぐり転がされるような激痛、マルクで骨髄細胞を吸い上げられる不愉快な痛み、もちろん手術で切った貼ったもやってるので、メスで体を切られた後の痛みも何度も経験している。
金玉の裏切られて、ピンセットで畳んだガーゼ突っ込まれてぐりぐり消毒されたのは痛かったなあ。
癌宣告前に二回ほど、アスファルトの路上で転んで手をつき、薄くなっていた皮膚がぺろんと剥離し、真皮に食い込んだアスファルトや土カスを取り除かれたのも痛かったなあ。まだまだあるぞ。

…でも痛いモノはその都度痛いし、毎回嫌なものは嫌なんだけど。
痛みに慣れってないし、慣れるようなもんならたいした痛みじゃない。毎回、どれも「ちゃんとすごく痛い」。
とまあ「神経に電気通すのかあ、そうかあ、嫌だなあ…」と落ち込みつつ血内の受付に戻り、終わった旨伝えると、まもなく処置室へ呼ばれた。

輸血の準備は出来ていて、あとは血液待ちという状況だったが、その前に神経内科の先生が今日取った血以外の追加した採血項目があり、まずはその分の採血と、その後で輸血。
しかし処置室はばたばたと忙しく、次から次へと患者が来る、先生も来る、看護婦さんたちは慌ただしく動き回っている。俺はベッドに通されこっちは準備万端ながら、輸血用血液が到着した後も「ダブルチェック」(看護婦2名による名前、血液型、有効期限その他の復唱)が行われない。
ようやく「ごめんなさいね」といって看護婦さんが来てくれて、まず採血。左腕、昔日大病院で24時間点滴を入れてたルートに近いところ。なので血管が固くなっているのか、やけに痛い。古傷、みたいな。でもこれくらいの痛みなら屁でもない。
そして漫画に出てくるような大きなポンプで、けっこうな量の血を採られた。
貧血患者からこんなに血を採ってよいのか! と一瞬思ったけど、この後輸血するから問題ない。
それからルートに生食(生理食塩水)の小さな注射器をつなげて逆流防止で少し押し込み、しばらく別件の対応で待たされる。
しばらくしてようやく輸血バッグのチェックのあと、輸血開始。

ここからはもうひたすら、血が入っていくのを待つだけだ。
最初5分ゆっくり入れて、あとは1時間半で入れますといういつもの事。眠くなって何度かうとうとした。
俺なんか、二ヶ月に一度の成分輸血くらいで何とかかんとかギリギリで生の淵にしがみついていられる、透析の患者さんなんかもっと大変だ。あと、胃瘻の人も見たことがあるし、人工肛門の人とも話したことがある。どれもこれもほんまに大変だし苦痛だ。
俺の病歴なんかも一応包み隠さず話すと、返ってくるのは「偉い辛い思いされてますなあ」という反応だが、いやいやそちらの方が…という人もけっこう多かった。
患者同士、こうして辛い経験を話すこと、シェアすることで何となく辛さもシェアされるようで、気分が軽くなる。
ただし、これは患者、病人同士の話だ。シェアしても二分の一にはならない。
相手の病気の辛さが身に染みて、こっちの辛さなんか…と変に我慢しちゃうとか、それは良くないことだ。
だから、健康な人が病人の話を聞いてあげる、これがいかに重要な事かが解る。
健康な人は病人の辛さを聞いても、自分が病人ではないから、辛さを理解しても荷物にはならない。
そこら辺勘違いして、「あえて病気の話をしない」とか「接触しない」という人がいるが、そりゃ単に冷血か、面倒なことに巻き込まれたくないということの言い訳だろう。あと、病人の話なんか聞いても暗くなるだけだしね。すんませんね。
友達だと思ってた奴がいて、俺が病気になったあと、ピタッと接触を断ったのが何人かいる。
ああ、かける言葉もないってことだよな、そうだよな、と思って苦笑したものだが、今にして思えば病人と付き合っても先が長くないんだから、損得で勘定して関係を断ったのだろう。

人間、そんなもんです。
その程度の人間を友人と思ってた自分が、その程度の人間だってこと。

…最後のほう、あと5分くらいで落ちきるなあ、と思って血液バッグを見上げ、次の瞬間深い眠りが一瞬来て、「白取さん」と看護婦さんに呼ばれてハッと目が覚めた。輸血バッグはほぼカラになっていた。
終了は3時20分頃だったか。
看護婦さんがK先生を呼びに行ってくれたが、診察中という事で戻ってきた。こちらは「別にいいですよ、お忙しいでしょうし」と言ってベッド上で待つ。
K先生は丁寧に患者に対応されるので、往々にして長くなってしまうのはよく知っている。
それから15分くらいしてようやく先生が来たので、具合は悪くない、神経内科ではこうこうでした、と報告。
「じゃあいつもの処方箋を出しますので…」と言うので「CRPが高かったのでクラビットを…」と言うと「あ、それお伝えしようと思ってたんですよ! 飲んだ方がいいと思います」と笑顔で。患者と医者も付き合いが長くなってくると、ツーカーとは言わないが、お互い言わずもがなという部分が出来てくる。だから、主治医をころころ異動で変えて欲しくないわけです。

さて、今なんかの感染症とかに襲われたら、もう戦う気力も体力もない。
もう無条件降伏だ、「入院させてください」とこちらからお願いするだろう。
それは、白血病の治療つまり
「俺のタイプに効く保証はないけど効くかも知れない」抗がん剤を投与するという事
になるし、
ユキとの普通の(ではないけど、それに近い)暮らしを一時的に中断し、誰かに世話をお願いしなければならない
ということになる。
別にお願いすりゃええやん、という簡単な話じゃない。
そんなに簡単に、他人に、「家族」の世話をお願いできますか、という話だ。

何よりそろそろ、本当にこのポンコツな体もそうとうヤバいところに来ていることは重々自覚しているので、誰に聞いても「入院した方がいい」と言う。
俺もたぶん第三者として状況説明されて聞かれたら、そう答える。
「意地張ってる場合じゃないでしょ、命でしょまず」というのが常識。
解ってます、解ってるけど色々あるのよ人生。

その人生自体、終わりが見えかかってる。
だからこそ、最後の最後にわがまま=普通に暮らしたいとだけ、願う。
別にそんなに酷い高望みじゃなかろうと思うのだが。

帰りは曇天、病院地下のローソンで今日明日のものだけ買って、タクシーでまっすぐ帰宅。
とてもスーパーまでなんか歩けない。階段の上り下りだけで拷問。
車窓から流れる風景を見ながら、アレッ、俺もうアパートから歩いて鴨川渡ってコンビニ行くこと、かなりの苦行じゃないかと思った。何しろ一番近いコンビニに行くのでも、脂汗垂らして息切れ動悸目眩という感じだ。それより遠いところは自信がない。
もう俺ダメだなこりゃ…。

部屋に戻ると特別何か倒れていたりゲロがあったりはせず、ユキはソファの背に居たらしく、にゃあと言ったあとすぐ毛繕いをしていた。うがい手洗いをし着替えて、撫でてやり、冷蔵庫にものをしまい、買ってきたローソンの月見とろろそばを食う。うまい。だしつゆの匂いでユキが股間から顔を出してクンカクンカする。という事はこれはちゃんとカツオだし使ってるってことか。妙な感心。
この記録休み休み付け終えた今、ちょうど6時。一日潰れた。そして、もの凄く疲れた。

明日は呼吸器内科だけで、予約時間も11時40分と遅い時間。
採血とレントゲンは今日終えているので、診察と肺炎予防薬の吸入のみ。
そしてこの吸入が地獄の拷問30分、なんだよなあ。
まっこと、人生苦痛と拷問の連続、いや煉獄である。
なーんちゃって、まだ死なんぞわしは。
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No title

あはー。わたしも中3のとき
ヘモグロビンが6くらいしかなくて
病院の先生に
「あんたは若いからいいけど、年寄だったら輸血だよ」
と言われました。

ちょっと歩くだけで心臓バクバク。
常に“恋してる”のかと思ってま



せんでしたけどね。
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Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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