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2014-07-10(Thu)

「家族」のお世話をお願いするということ

猫のユキのはなし。
前回の通院日記にて報告した通り、もうあちこちここまで色々出てくると、先生がわは「入院して一回薬試しませんか」と言いたいご様子。
今の自分は、その日記でも書いたように、
その人生自体、終わりが見えかかっているからこそ、
最後のわがまま=出来るだけぎりぎりまで普通に暮らしたい
とだけ、願っている状態。

もちろん、自分だけぽっくり逝った場合は、「変死」扱いになるので警察が入り死因を特定し事件性の有無なども調べられる。
そういうような「普通じゃない死」が、孤独死ということだ。
そうなると色々な人に迷惑がかかるので、癌宣告を受けてすぐ、当時はまだ生きていた連れ合いに向けて
医師の死亡通知は火葬許可証貰うまえに念のため複数複写しておくこと、保険証券はここ、病死の場合はいくら出るので、必要書類はこれこれなので揃えてここへ電話すること、仕事のデータのHDDはこれこれで、Aはこの手紙と一緒に誰それさんへ、Bは…
という具合に細かい指示書を作り、遺言書みたいなものを一式でかいクリアファイルに一冊にまとめておいた。
だが連れ合いが先に死んでしまった今、そのファイルを見る人が身内とは限らないので、全部書き換えねばならず、数年前にそれも整え終えた。
なので俺の部屋に入って俺の死体を発見する人は、まずは「死亡時に見てください」というファイルが目立つところにあるので、それを見て貰えると有り難い。
…ってまあ自分の事はたいしたことじゃないのでだいたい決まったコースに沿って粛々と進められておしまいなのだが、問題は一緒に居るこの白い耳の聞こえない猫のことだ。

俺が死んで誰も気付かない場合、当然数日で水やご飯がないと大声をあげる、俺が動かない異変にも不安を感じて鳴くはず。悲しんで泣くかどうかは不明として、大声で鳴くことはまず間違いない。
何しろ、ちょっと風呂に入って姿が見えなくなっただけで、大音声で「うわあ、うわあああ!」と鳴きながら探し回り部屋じゅうを徘徊するのだ。風呂から顔を出して目が合うと「にゃーん」と普通のトーンになる。
「にゃーん」じゃねえよ…学習してくれいい加減。

と、まあこのような不憫な猫がいるので、出来れば俺が死んだらなるべく騒音を気にしなくていい、そしてなるべく留守にしない人に面倒を見て貰いたいというのがささやかな我が儘である。
あ、俺が死んでからの話じゃなかったですね。
入院したら、という話であった。

先日書いた通り、2005年に確定診断されて以来、ずっとくすぶり続けていた白血病が、ここ2年でぐぐっと進行してきた。
いや一度は余命半年と宣告されたわけだから、違ったとはいえ、10年経とうとしている今さら、どうという感想はない。
別に俺がこうなんだからあんたらも頑張れとか、説教臭いことを他人に言うつもりも毛頭ない。そんな立派な生き方してきてないし。単に「治らない癌」を宣告されて、治す方法と治る薬がないんなら、治療じゃないんだから、何もしないでくれということで、「無治療で様子見」という状態にして貰ってただけ。

もちろん、十年生きた人はあまりいない病気みたいだったので、日々じわじわと確実に「死」に近づいていく、恐怖が無かったかと言えばそれはあった。もう慣れた。
格好つけて「それでも前向きになんたら」とか、「誰にでも死は訪れるんだから同じこと」だとか言うつもりもない。
健康な人にそれを言われると複雑な心境にはなるけど。

ともかく、連れ合いと二人でお互いの病気をケアしながら支え合ってそろそろと生きていこうと思っていたのに、5年前に先に逝かれてしまった。
いやもう、何回も申し訳ないすけど、俺、よく持ってると思う。
この間に、無治療で様子見という事はすなわち、免疫低下によるさまざまな感染症含めた疾患にかかり、いくつかは地獄のような苦しみを味わった。
ここには書けないような辛いことも多々ある。全部書いてるみたいだけど、書いてない悲惨なことの方が実は遙かに多い。
そういうのあんまり書いてもしょうがねえ、読む方も気分悪いだろうと思うので、これでもほどほどにしてます。

そんなだましだましの日々も、そろそろ限界に近づいてきたので、例の
「俺のタイプに効く保証はないけどひょっとしたら命を賭けたら効くかも知れない抗がん剤」
を投与してみよう、という話になると思う、近い将来。
それが半月か一ヶ月か半年か、期間も不明。とにかく抗がん剤を入れて最悪それで死ぬ人もいるし、さまざまな副作用が出るので、「通いで」というわけにはいかないことだけは確か。
というか、まあそうなったら俺おしまいだな、という何となくおぼろげな予感もある。
抗がん剤治療というのは癌が死ぬか俺が死ぬかって話ですよ。いや、本当に。
あんたの癌にゃこの薬ってもんがぼちぼち出てきてる昨今、俺のような面倒臭い癌には薬なんか無いんすよ正直な話。

このような事情もあって、入院勘弁してください、輸血でなんとか、いやいやまだ大丈夫です、びっこくらい平気です、と抗がん剤治療を避けてきた。繰り返すが抗がん剤投与がイコール「治療」とは限らない、俺の特殊なタイプの白血病に効果があると解っている薬は、ない。
ということはあれとこれの組み合わせ試してみよう、ダメならあれとあれ…という事になるんだろうし、それは先生が専門家だからきっといいようにしていただけるのだろう。

でも一度も「治る」と言われてないし「治せる」とも聞いてない。

もちろん治らないし治せないことを知っているから、俺は「治りますか」という愚問を発しないだけ。
しかしこうしてじわじわと、いやここ2年ほどはガクガクッと悪化してくると、もう気力も体力も意地も何も、もう無いですわ。
好きにやってくれ。死ぬための準備だけはしてあるし。
あとは大切な家族である、猫のことさえ何とか…という状況だった。

一定以上の長い入院となると、猫のユキとの普通に近い暮らしを「一時的に」(希望として)中断し、誰かに世話をお願いしなければならない。
その場合、これまでのように部屋にユキを置いて、誰かに世話に通っていただくという方法はもうとれない。
連れ合いが死んだ年、悲しみのあまり陰膳と向き合わねば食事が採れず、あとは寝食を忘れて彼女の「やまだ紫」としての仕事、業績を遺そうと原画や原稿を整理し、何とか一周忌までに代表作の復刊を、と必死で働いた。

俺は健康体ではなかった、それを忘れて無理をしたのがたたって帯状疱疹が悪化、劇症化して一ヶ月入院した。
そのときの猫たち…当時はシマも生きていた…の世話は、夫婦ぐるみでお世話になっていた、下鴨高木町の「明青」渡辺さんご夫妻にお願いした。連れが趣味で並べていた植木に水までやってくださったり、本当にお世話になりました。
その翌年、普通の人ならなんでもないカリニ肺炎が重症化して、二ヶ月も入院することになった。この時も渡辺さんご夫妻にお願いしたのだが、当初一ヶ月だった入院期間が二ヶ月に延びに延びて、心苦しかった。
当時のマンションは防音がしっかりしていたので、ユキが鳴いても引っ越しの時の挨拶で上の住人が「え、猫ちゃん飼ってらしたんですか」と驚かれたほど。
そのあと、二匹でいっしょに引っ越してきた片割れ、オスのシマが死んだ。最後歩けなくなっても、俺の枕もとまでいざって階段を上がってきた。号泣した。猫は家につくとか、三日で恩を忘れるとか、死期を悟ると飼い主の視界から消えたがるとか、みんな嘘っぱちだ。それはそういう接し方しかして来なかったからだと思う。
少なくとも俺たちと暮らした猫は皆、最後は俺や連れ合いのそばに来たがった。
自分がもう死ぬ、怖い…と思ったとき、「家族」のそばへ行くだろう、怖いから。それは人間も動物も同じだ。

その後も俺の不幸は続く!
不況で取引先が倒産、別の案件も担当が退職など色々がたがたと経済状態も悪化して、引っ越しを余儀なくされた。
連れ合いの大量の原稿、原画を置ける余裕のある部屋には住めなくなったので、次女のゆうちゃんに保管して貰うことになった。
その部屋は狭く防音もあまり良くなかったのだが、他の部屋と隔絶したところにあったので、猫が鳴いても誰にも文句を言われなかった。というより、エントランス脇という常に人が出入りし道路に面した最悪な位置にあったので、騒音で聞こえなかった、というところだろう。人間には最悪な環境だったが、猫を飼う身には良かった。
そこで、金玉の裏に感染症で大きな膿疱が出来て化膿した。
即切開と抗生物質投与、洗浄などで入院。これも色々、きつかった。このときのユキの世話は、岡崎・凜娯館の井上さん、堀さんご夫婦にお願いした。一週間ほどの短期だったとはいえ、本当にお世話になりました。

そして一昨年、なんとかこんな体でも仕事を! というのでハロワ通ったりいろいろした挙げ句、結局一年後、残ったのは「病気の進行」だった。病人が無理をするとろくなことがない。結果的に色々な方面にご迷惑をおかけしてしまった。
今の部屋に引っ越しもした。
ここはもう防音とか呼べるレベル壁ではなく、たぶんこんな病人でも思いきり押せば壁全面を倒せるくらいの作りである。
防音はおろか保温も吸湿も何もない、木造に一番薄い石膏ボードという壁である。
もう、入院した場合ユキをこの部屋に置いて、トイレと水・ごはんだけお願いします、というわけにはいかない。
何しろここは二階だが、路上で普通に携帯で話している人の話し声が全て、明瞭に、何ならソファに座って横で喋っているかの如くキッチリ聞こえる。相手の声すら聞こえることもある。当然、この部屋の内部の音が外にも同じように漏れるだろう。
となるとどなたかに預かって頂くしかなく、その先だって、常に誰かがおり、しかも鳴き声に文句の出ない環境を持っておられるという先に限られる。
広大な敷地を持つお屋敷か。
大金持ちか。そんな知り合いいねえし。
冗談はさておき、困ったなあ、病気はちゃくちゃくと進行してるしなあ、という毎日。

こっちの体調の悪い日、ぐったりと動けない自分のそばに、かならず視界の範囲内か手の届くところで丸くなり、こちらが立ち上がるとかならずどこへ行くか確認し、戻ってくると安心してまた丸くなる。
そういう猫の姿を見ていると、入院でいなくなったらコイツはどうしているんだろう、と考えてしまう。
病室に猫は連れて行けない。週末ケアをするホスピスだと最近そういうところがちらほら出てきており、犬や猫が患者の布団の上に居て、死にゆく患者が笑顔で撫でていたりする映像を、何かの番組で見た。
とてもいいことだと思うが、普通「病院」だといろいろ問題がありすぎてダメだろう事は、さすがにバカでも解る。

生き物と暮らしたことのない人、いや暮らしてても単に「ペット」で割り切っている人には関係のない話だけど、長年一緒にいろんな時間を共に過ごした「家族」の世話を、「じゃ、そういう事でよろしく」とお願いして、簡単に別れるなんて出来るわけがない。そういう意地もあって、また薄っぺらい部屋に住んでいるから物理的に入院も出来ないという事情もあり、踏ん張ってきた。
でも踏ん張る片足が文字通り麻痺しちゃった。
ささやかとはいえ「我が儘」を貫くことで、より大きな迷惑を周辺にかけることになるなら、何らかの対応を考えておかねばならない、大人として。子供じゃないんだから。

…先日、こんなバカの日記でもちゃんと読者の方がおられて、その中で近郊にお住まいのNさんという方から、よろしければユキちゃんお預かりしましょうか、というお申し出のメールをいただきました。
詳細は書けないが近郊で自営業をされておられるそうで、環境的には可能という事で、非常に有り難く、心強く読ませて頂きました。

こちらの事情をご理解いただけたうえで、「もしもの時はご連絡ください」というお申し出は、本当に、ほんとうに有り難く涙が出るほど嬉しいものでした。
長年付き合ってる人だって、そんな事言ってくれる人はおりません。
その人たちを非難するわけではなく、その人たちにはその人たちの事情があり、環境があり、感情だけでそれこそ「簡単に」安請け合いできるものじゃない事も了解してます。なので誰にも頼めずにおりました。

まだ、二ヶ月に一回輸血をして、あとは無茶しなければ片足バカになっても「普通に猫と暮らせる」のなら、そのために頑張るという気力がかろうじて残っています。
ただそれが切れたとき、また医師のがわからもうそれも無理とはっきり通告された時は、お願いするかも知れません。
その「お申し出」があるというだけで、どれだけ自分の心が大きな安心に包まれるか、お伝えすることがなかなか難しいほどです。ありがとうございます。(もう少し数年前くらいの体の状態でしたら、こちらから出向いてご挨拶させていただくところですが、申し訳ありません)


なるべく、ご厚意に甘える日が来ないよう、なんとか頑張ります。
…片足でも、しっかり立って。
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コメント

お互い様。

困った時はお互い様なので、もっと頼っても良いと思いますよ。

多分、手を貸してあげたいと思ってる人いっぱいいると思うし。

そうやって、世の中ってつながってるもんだし。

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そんなことはないんですよ

白取さん、はじめまして。

私も長いこと日記を読ませてちいただいております。
おそらく、いえ確実に皆さん届かないところで思っていることと思います。
なんとか助けになることはないか
感じているはずですし、ままならい状況か目頭を熱くしているはずです。
どうかお申し出してくださったかた、
ユキちゃんのこと宜しくお願いいたします。
そして、できるだけご自愛いただきたいと心より願っております。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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