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2014-07-17(Thu)

誕生日ではある

2014年07月17日(木)
49歳。
こんな歳まで生きられるとはねえ…と感慨深い。
病気のあと、一年一年、誕生日を迎えるたびにこうした感慨を持って、感謝の心で「一年また生きられた」と誕生日を迎えてきた。5年前までは祝ってくれる人もいた。
一昨年くらいまでは一応、何かしら駄文(20120717)を書いてたような気がする。
でも去年はブログの更新すらしていない。
年々自分の生に執着が無くなっているというか、「生きる喜び」が希薄になっている。
そういう実感がある。
いかんなあ、というので更新してみた。


夕方、読売テレビ「ニュースten」を見ていたら、関西の某K高校の公募校長が、ホリエモンを一日校長に招いたというニュース。
生徒たちへの講演というかトークでは、例によって「らしい」発言。
「何で毎日学校来るの」「俺が今高校生だったら絶対学校辞めてる」と煽り、
「人の何倍も努力しないと」と正論もぶつ。
その一方で
「日本史とか地理とか世界史とかなんか暗記じゃん。1192つくろう鎌倉幕府、とかさあ、今だったらネットで鎌倉幕府って打てば何年に出来たってすぐ解るじゃん。だから学習の姿勢とかも変えていくとか」
というようなウケのいい事も言う。
しかし勝手ながら、この人に欠落してるのは、謙虚さと寛容さのように思えてならない、芸風かも知らんが。
人間としての大きさ、優しさとか、よき人間であろうという意識を、敢えて封印して出ないように踏んづけてものを言っている気がする。気のせいならそれでいいけど。すいません生意気言って。
だいたいメディアに出る時はけんか腰だし、反対する者はバカだという発言が抽出されるし、それは自分が東大出て大金持ちの起業家として名をはせ、刑務所にぶち込まれたのは悪いことをしたのではなく「出る杭が打たれた結果」だと思っているせいもあろう。基本的に他人を見下しているように見えるし、自己愛は強そうだが他者への慈愛とか暖かみに欠けている、と見えてしまう。
いやはっきり言えば、メディアの側がどれだけこの人を叩いたか、その一部始終を忘れてはいかんけれども(ブログ内検索)。
だからこその起業だし財産だし、あれだけの資産を持てているのだろう。やはり何かを敢えて犠牲にしていかないと、人間全てで完璧にはなれないのかも知れない。

番組ではトーク後の高校生の感想を聞いていたが、今の子は賢いというか、本能的に勘がいいんだな、と思った。盲目的にホリエモン賛美ではなく、きちっと批評眼を持って感想を述べている子が多くて頼もしかった。メディアを疑えと言われたんなら、ホリエモンの発言も疑わなきゃね、偉い偉い。
曰く「色んな考え方がある」とか「ああいう事を言う人はクラスにはおらんし貴重」とか、冷静。

俺は、高校時代という人生でもっとも輝いている時期に、学校には絶対に行くべきだと思うし、そこで友達と一緒に何かをやったり、ぶつかったり、泣いたり笑ったりするのは、人生において本当に本当に重要で貴重で大切でかけがえのない時間だと思う。
そこへ行かなくてもいい、起業するならその事を一人で努力する時間にあてろと言うのならそれは
「人とか友人なんかどうでもよく、金儲けにだけ邁進する人」
には正しいかも知れないし、高校やめても成功した人はたくさんいる。もちろん、大学へ行かなくても。
だが大学はともかく高校までは、まだまだ子供が徐々に大人の社会という容赦のない集団の中へ放り込まれるまでの、視野を広げたり人間関係や社会との関わり方をぎこちなく学んで行く途上にあると思う。
家族だけだった幼児期、友達関係の広がる小学校、異性も含めさらに社会との関わりや視野が広がる中学校、そして色々な地域や遠くの子とも交際が広がり、バイトや部活含め社会や人間関係も格段に実社会に近くなっていく。
そうして大学へ行って、ほぼ大人と見なされつつ、自分の進むべき道を見つけて専門的に学究に打ち込むのが本来あるべき姿だが、今の大学は…ま、アレだ。

ともかく高校時代は自分が子供であり、大人ではない、最後のエッヂに立つこととなり、辞めれば自分はどっちなのか、必然的に決めなければいけなくなる。決めなくていい、と引きこもり自宅で好きなことに打ち込むのもいいが、それこそ甘えである。好きな事への努力はなんぼでも学校行きながらでも出来るし、それが出来ないようならたぶん社会とも適合は難しい。
でも、学校に「合わない」つまり適合しない人は確かにいる。
学校に来ることが苦痛で、自分には明確に他にやりたいこと、目指すことがはっきりとある。だったら、はじめてそこで辞めるという選択を考えればいい。
簡単に「俺なら絶対辞めてるね」というのはそうした色々な背景を含み、「俺ならね」という例を一つ挙げただけであり、決して一般論ではない。それを高校生たちを前に、露悪的に言ってみても、ちょっと不親切かな、と思う。オッサンはね。

彼はきっと本当はオタクをバカにしていると思うが、たとえば小説や今ならラノベ、マンガやアニメで描かれる舞台に「高校時代」がなぜ多いのか、そしてとうにその年代を過ぎた人たちが、なぜ皆あの時代に回帰したがるのか、あの時代のドラマに自分を重ねるのか。
渦中にいる人間は気付きにくいのだ、今自分が、一瞬一瞬かけがえのない「青春」のまっただ中にいる、そしてそれは過ぎ去ったら過去になり、もう二度と戻れないし取り戻せない貴重な時間なのだ、と。
そこで君らは何を得る、体験する、見る、聞く、考える? 無限の選択肢があり、自由なんだ、その選択肢の一つに確かに「辞める」という事もあるが、この先の人生、色々な背格好、男女、考え方も目標も体力も能力もばらばらで、そして3年の春には確実に別れて散っていく奴らと、同じ一つの教室で学ぶ、同じ時間を過ごすなんて経験は二度と出来ない。
嫌な奴もいるだろうし、いいことばかりじゃない。
でも社会はもっと嫌な奴だらけだし、嫌なことだらけだ。
そして自分がやりたい事で毎日楽しく過ごして給料を貰えるという人はごくごく少数である事を思い知る、つまり、大げさに言えば多くの人は嫌なことと引き替えに金を貰う、自分の時間を売るという生活に入るわけだ。
だから、そのまえの3年間、眠くても寒くても暑くても、強制的にみんなと学校へ通い、みんなと同じ教室で学ぶ。遊ぶ。泣く、笑う。そんな輝く時間を大切に過ごすべきだと思う。
大学の4年間をそれに充てるのは、少々甘えすぎだろう。

俺だったら、今健康体で高校生に戻れたら、毎日喜んで学校通うね、一日も休まないし、部活やったり何か仲間と作ったり、どっか行ったり、色々やりたい事がたくさんあって困るくらい。だから高校生活はとても大事で、いくらお金を出してももう戻れないと思うと、余計にうらやましい…、俺なら高校生にそう伝えると思う。
人生確かに金儲けは大事だ。
やりたくない事と引き替えに、自分の時間を切り売りして給料を貰うか、それが嫌だったらホリエモンの言うように今すぐ学校なんか辞めて、やりたい事に向かって努力しろというのも、一面で正しい。
ただし彼の言う通り生半可な努力じゃダメで、中途半端な覚悟でそれをやれば、結局社会にはじき返されて終わる。なぜなら、学歴差別の存在する今の時代に、高校中退で認めてもらうには、相当な才能か、誰にでも解るもの凄い「成果」が必要だ。そしてそれで金を得るには、それを見せて投資をして貰わねばならない。その時に、自分だけやりたい事をやれればいい、解ってくれる人だけ解ってくれればいい、みたいなニヒリズムを中卒の人間がいくら言ったって、単に非礼で世の中を知らないバカな若造でしかない。
だから、安易に学校辞めて努力しろ、なんて言えない。

あと、やっぱり家で一人でネットやってても、カチャカチャSNSだけで会話してても得られない「何か」がある気がするんだなあ。何か? それは自分で探せよ、だから楽しいんだろ。
まあ、オッサンの誕生日の戯言だから許して貰おう。

結局、ホリエモンは自分が東大出という学歴ヒエラルキーの頂点に立ち、起業し大成功を収めた、出る杭は打たれたが、自分はそこからまた復活する、そういう「強い人間である」という前提でものが言える。
もちろんそれを言ってもらうためにそういう人を呼んだんだから、ホリエモンはそれでいいし、間違ってない。
でも世の中ホリエモンみたいな人間ばかりじゃないし、みんながホリエモンをロールモデルにしているわけでもない。

公募校長は、このあと正反対の人生、人生観や価値観を持っている人を呼ぶべきだろう。
そして出来ればその間の普通の人、さらに各分野のたくさんの、もっと多彩な考えの人の人生観も聞かせるとよろしい。
そうでなければホリエモンを呼んだ意味はなくなると思う。
「やりたいことがあるんだったらやればいいんじゃないの、可能性は無限なんだから」とホリエモンは言っていたが、それは一見格好いいし事実ではある、でも「結果は自己責任で」だ。
「自分なら」「今すぐ学校辞める」というのは強烈だが、それはあくまでホリエモンなら、という事。

というようなことをつらつら、思いつつ自分のブログを読み返してみた。ホリエモンの事を書いた記事で、8年前とか。
あの頃の自分はもう癌宣告を受け、余命一年ないと告げられた入院のあと、タイプが違うことが判明、ギリギリで見当違いの抗がん剤投与は回避され、無治療で様子見となり自宅へ戻っていた。
連れ合いは大学への奉職が決まった。何となく二人とも病気だったけど、ホッとしていた。
つまり、心に余裕があった、東京のマンションでの、夫婦二人と猫二匹の暮らし。
余裕がないと、ブログなんていう不特定多数の人に読まれるものにあれこれ書けない。
でも自分の場合、辛く苦しい時こそ、その全てを記録することで乗り越えてきた。
それさえ、最近はしんどくなっている。

今はそれこそホリエモンの言うように、何でもネットでググりゃいい、ネットでみられないものはない、勉強だって学校行かなくても家でやれるじゃん、みたいな時代ではある。
それにはもちろん「自己責任」が伴い、玉石混淆のネットに溢れる情報の中から、自力で「玉」を捜さねばならず、それが「事実かどうかの確認」もネットで…となると、結局強い確証が得られないまま、自分一人で完結・納得するという決断を迫られる。
それすら出来ずに、コピペなんかで誤魔化したりもする。そして大概、バレる。
友達とああだこうだ議論したり、違う考えに触れる、実際に話し合って互いに違い、差違を見つけ合い、認め合ったり反目したり…という、敢えてありきたりの言葉で言えば「血の通った」勉強ってやはり後々頭に刷り込まれる「強さ」が違う。

勉強だけではなくコミュニケーション全般にも言えることだが、やはりネットだけのつながりというのはとても希薄で、親戚のように勝手に思っていた人からぱったりと連絡が来なくなって、気がつけばその人の実際の住所を知らなかったという事もあった。
それでも、ネットのコミュニケーションは今の自分にとっては生命線ですらある。
ただでさえ免疫低下で外出機会を意図的に減らし、避け、引きこもっていたところに右足の麻痺だ。
気分転換の散歩すら封じられた。
何しろ、右足を庇って歩くから、腰や左足、股関節などいらんところに徐々に痛みが出てくる。酷い場合は歩けなくなり、立ち止まって何かにつかまって休まねばならなくなる。
これ、別に数キロのウォーキングなどではなく、たった数百mの距離の話だ。
つまり自宅から鴨川を越えてコンビニへ行き、戻ってくるという行動すら、すさまじい難行苦行になってしまったわけ。
「どんだけ前世で極悪非道だったんだ」と、昔なら考えただろう。
だがそんなもの、もう信じていない。

もともと知り合いの居ない京都へ夫婦と猫二匹で来たのが、人間も猫も半分になって、さらに俺という人間の歩行力が半人前になった(笑)。
いや笑ってる場合じゃねえ。
でも何か笑うしかねえ。

身内親戚が遠く離れて全く頼りにならないし、実際に訪ねて来ることもない、となるとやはり「死んだ時」が不安。
前にも書いたけれども、まだ死ぬつもりもないし死にたくもない、でもかなり確実にそこら辺にちらちらっと「死」の野郎が見え隠れしている。
何か見えてるぞ、と。しかもかなり近いぞ、と。
あっち行け、と追い払わねばならんが、もちろん物理的に「しっしっ」と追っ払えるわけではない。
そんな事やってると「あの人とうとう脳まで…」と言われてしまうわけで。

冗談はさておき(冗談でもないのだが)、もしもの時はユキを預かってくれるという方が連絡して来てくださって、本当に心から感謝したし、同時に安心をいただいた。
ブログを読んでくださっている方で、これもネットのおかげ。
今の時代、SNSのつながりをバーチャルで「血が通っていない」コミュニケーション的な、紋切り型の批判も多い。
たぶんLINEとかを利用した犯罪…とりわけ話題になる未成年の被害、詐欺事件などが多いのでそうなっちゃうんだろうけど、何度も言うけどリテラシーの問題なんだと思うけどなあ、と。
まだ社会に出たこともない子供に、ネット社会というある意味「実社会よりも恐ろしい荒波」をいきなり経験させちゃあ、そりゃあ混乱もするし騙されるだろうし被害にも遭うだろうよ、そこら辺周りの大人が何とかしてやれって話だ。

とにかく、自分の場合はネットにずいぶん救われたし、今も救われている。
自分の駄文などどうでもいい話で、たとえばユキの世話をお願いすることにせよ、大阪で主にエロ劇画の紹介とか自費出版などをやっている筋肉質の男と親しくなったりとか、やまだ紫作品を通じて実際にお付き合いさせていただく事になった方々とか、ネットが無ければ生まれない関係もたくさんある。
病気になり連れ合いに先立たれた中、救ってくれたのはネットでのエロバカ劇画の笑いだったり、会ったこともない人たちからの励ましのメールやメッセージだったりした。

それまでの知り合いや友人で実際に京都までわざわざ訪ねてきてくれた人はほとんどいないし、それは仕方のないことだ。遠いもん、物理的に。
京都で幸い知り合いや友人も出来たが、やはりそれぞれのご事情はこちらも知っている以上、無理は言えない。
そんな中でのお申し出、地獄に仏とはこの事だ。仏信じてないけど。…おっとっと。

そんなわけで、久しぶりに誕生日更新してみました。
元気ではないけど、かろうじて生きています。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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