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2014-08-05(Tue)

入院、抗がん剤決定?

2014年08月04日(月)
今日は病院。
血内の診察予約は12時なので、採血は10時半までに済ませておけばよい。となると10時ころ病院へゆっくり行けば良い。
起き抜け、午前中は調子が悪いことが多く、ちょっとでも遅い方が助かる。
最近(トシのせいか!?)薄暗い時間に目が覚めたりして、無理矢理に寝ることが多い。
月末の各種支払ほかの野暮用が溜まっていたので、とりあえず9時過ぎに着替えて出た。

麻痺した右足は、なぜか起き抜けの方が調子がいい。
それでも、軽い駆け足ですら怖い。右足首をひねるように体重移動を行う場合には、足首が負荷に耐えきれずクネってしまい、転ぶ可能性がある。なので注意しながら歩いているが、下垂足というのはつま先が上げられないため、ちょっとした段差も意識しながら歩いていないと、いつ決躓いて転んでもおかしくない。で、転んだら今の俺は受け身はおろか手をついたら手の皮が剥けるか骨折する。免疫上も、弱り方も、たぶん百歳以上のジジイと思っておけば間違いなかろう。

右足を引き摺りつつ、いったん河原町五条の交差点へ出た。
今日は曇っているせいか、まだ気温はさほど上がっておらず、助かる。
信号待ちで名古屋ナンバーの大型観光バスがおり、きっと京都観光にわくわくしたお客を満載してるんだろうなあ、と思いつつその前を横切ってコンビニへ。
お金をおろし、野暮用をいくつか済ませて外に出ると、入り口で喫煙している若者の吐いた煙をもろに浴びた。
マスクはしているが、当然防げる煙ではない。思わず「何すんだこの野郎!」と反射的に言いそうになるがグッとこらえる。もっとも喧嘩になってもこちらに全く勝ち目はないどころか、相手を「殺人者」にしてしまうという…。
この場合、喫煙はもちろん違法ではないし、店がこの場所に灰皿を置いたのだから、若者がそこで吸うのはむしろマナーを遵守している事になるわけだ。偉い。いや偉かないか。
とにかく問題は客が頻繁に出入りする、もちろん非喫煙者も子供も出入りのために「必ず通る場所」に灰皿を設置した店に、もうちょっと配慮があればいいだけだ。

さて混んでいる河原町通りはなかなか空車が来なくて往生した。なにしろ足がコレなもんで、大通りを2つ渡ってはす向かいへ行くというのはコレがまた重労働。南へ少し下がって、車線変更可能な路幅のあるところで数分待ち、ようやく来た空車で病院へ向かってもらった。
タクシーは行き先を聞くと河原町をまっすぐ北上。
てっきり松原あたりで川端抜けると思ってたので、それなら車線気にせんで良かったかと…。

四条河原町の交差点を越えて三条、御池方面へ抜ける。
5年間まで、夫婦で何十回と歩いた通り、東京時代からも、京都に引っ越してからも。
去年まで住んでいた祇園の北の外れからも近かったので、寺町三条あたりまではちょくちょく出てきていた。
しかし今の場所に引っ越してからは、とにかく病気の進行で貧血に加え足の麻痺など、ほとんど外出できなくなってしまった。久しぶりの繁華街はまだ朝なので観光客もほとんど歩いていないものの、バス停には地図を見ながら番号を突き合わせている白人親子連れがいたり、信号待ちでは5~6人のご婦人がおり、一人が地図を拡げていて、他の人がそれぞれてんでばらばらの方向を見ていたのがおかしかった。「Band on the run」かよ。

病院に着いて受け付けをし、エスカレータで2F採血受付、待ち時間は15分くらいかな、と思って座ったら強烈な眠気が来た。朝出る前にシリアル食べてきたから、インスリンが出て眠くなったか。って俺糖尿なのか。
何とか眠気に耐えつつ、でも首がくんがくんしているのを自覚していると、いつの間にか自分の番号をとうに通り越しており、慌てて採血室へ入る。すぐ順番が来て、試験管4本血を採られた。
今回は輸血レベルじゃないといいのだが…。

と思いつつも、残念ながら「体感」では今回も輸血だろうなあ、という実感がある。
もう解ってしまっているのだ。ふらつき感、少し歩いただけでの異常な疲労感と脈拍の上昇。その他、典型的な諸症状があって、ああこりゃアカンわというか。
そのまま階段で1階に下りて、レントゲン受付、テレビの前に腰を下ろした瞬間にすぐ呼ばれた。最短記録。で撮影はすぐ終わり。ここで10時15分くらいだった。
ああ、完全に計算間違えてた。さんすうまでできなくなったのかなぼくちん。
1時間、いや40分くらい早すぎたか。血液内科の診察予約は12時、軽く2時間近くある。
そう思った瞬間、また脱力と眠気が来て、とりあえず2階までまた上がり、回廊前の椅子に座って眼を閉じる。
30分くらい薄く寝て、首に汗をかいてしまった。除菌ティッシュで首と、もちろん椅子も拭く。

病院内の冷房は弱い気がする。自分が暑がりなのは自覚しているとはいえ、熱でも出てるかなと心配になるほど暑い。
Yシャツを脱いでTシャツ一枚になり、扇子で扇ぐが、そのうちまた眠だるさが来て、採血室前の椅子へ移動し、横になった。ほどよい喧噪というか、「騒音」がいい感じで眠りを誘う。30分ほど寝られた。
また汗だく。朦朧としている。座っているだけでもしんどい。よほど処置室行って寝かして貰おうか…と考えていたら11時45分ころ、予約時間より早く呼び出し機が鳴った。
採血を受けた時間から、もうとっくに病院内には居るという事は先生も把握しているので、空いたところへ先に入れてくれたのだろう。これはほんまに助かりました。

ビッコ引きつつ診察室へ入ると、先生「どうですか、あ、足がね…」と顔を曇らせる。
こちらも「何か一時的なものでもないようで、一応明日検査なんですが…」と言いながら、「でも治らないんでしょうねきっと」という言葉は飲み込んだ。左手の麻痺の経緯から、きっとこのままだろうという確信みたいなものがある。

で採血の数値だが、白血球数660、赤血球2050。
問題のHGB=ヘモグロビン値はたった6.6…。

前回5.8で輸血して、これまで輸血した翌月は8台や9台…と持ち直していたのに、今回は体感通り回復していない。
先生も「これは…輸血した方がいいと思うんですよねえ」と渋い顔。
二、三ヶ月に一度くらい輸血して、それに反応してそこそこ持ち直すという状態ならまだいいが、毎月輸血が必要みたいな状態がいいわけがない。これはもう「治療」を考えないといけない、とのこと。
ハイ。こちらももう観念してます…。
効かない抗がん剤でも何でも入れてくれ。
いい加減、正直しんどい。

先生は「治療と言う事になると脾臓を取ってしまうか、抗がん剤治療をするかどちらかになると思うんですが、この血球の数値だと外科の方も(脾摘には)ちょっと難色を示すでしょう。それと、体にもかなりの負担になりますし、薬の方がいいと思うんです」という見解。
そこで「でも、効くかどうかは解らないんですよね」と言うと、
「それはそうなんですが、もう白取さんの場合はそもそも、肺がんや他のがんの人に使うような強い、たくさんの量は使えないと思うんですよ。入院して、最初は少量ずつ、効果を見ながら副作用にも注意しつつ、ゆっくり入れていくのがベストだと思います」とのこと。

で、それについては
「副作用も人によって全然出方も症状も違うし、とにかく一度入院して試してみて、癌を少し減らすという効果が出ればいいんですが…」と言われるので、
「2年くらい前の、白血球数も1000以上あって、血球減少も今ほどじゃない…くすぶってた頃に戻ってくれれば…」と言うと
「そうですね、そうなれば通院での抗がん剤投与も可能だと思うんです」とのこと。
癌の種類と量的なもの、そして薬によるが、そういう人もけっこう居る。
自分の場合十年もくすぶっていた癌で、確実に効く薬もないため、もともと強い薬で癌を叩くという事は危険なのだという。
今回CRP(炎症反応)も1.7と相変わらずやや高く、これも何らかの感染があるのかも知れないと。つまり常に何かしらの感染に大小かかってる感じだ。
これも非常にまずい。
こうした事を総合的に考え、入院で抗がん剤投与をし、効果を見つつ、副作用でさらに下がる免疫にも病院で対処しつつ慎重に…という方向で考えましょう、ということ。

いやはや、いよいよ抗がん剤か。
ていうか入院だ。

とりあえずは明日、神経の検査や呼吸器の診察があり、その後で輸血を受ける段取りになっているので、その反応を来月見て、やはり同じように反応が薄いようなら、入院して治療しましょう、ということになった。
今すぐというわけではないものの、来月中あるいは末あたりに入院という事になる可能性が大きい。
もうこうして採血の数値ではっきりと汎血球減少が解り、体感でもきつい、しんどい、おまけにトドメは足の麻痺とくれば、いい加減こっちもお手上げだ。降参。

入院も手術も、もう何回も体験してるので慣れている。もっとも何度体験しても嫌なもんは嫌だし、痛いもんは痛い。それに今回の抗がん剤は「未体験」で、副作用や免疫低下が及ぼす影響など、ちょっと怖いところもある。
抗がん剤となれば無事では済まないだろうし、しかもこれは別に完治のための治療でもないのが辛い。何とか癌の数を減らして大人しくさせる、みたいなもんだ。いや、大人しくして貰えたらいいな、というか。

診察室を出たあとも気が重い…とこう書く、とありきたりの小説家や脚本家が書きそうなよくある情景だが、現実、実際は気が重いのが半分、残りは何かホッとしたような、力尽きた感が半分。いや半分以上がそっちかな。
こないだ、とうとう普通に歩けなくなった時も、ドラマチックに「ガーン!」てのもなかったし、「うわああ!」とか叫ばなかったし、「もう…俺、走れないんだ…」なんてハラハラと落涙することもなかった。

じわじわと「死に向かいゆく日々」を十年過ごしていると、そうそうオタオタしてその度に感情的になってたんじゃ、感情も持たないってもんだ。
「ああ、そうなんだ」とその都度淡々と受け入れていくしかない。
じゃないと、じわじわと俺を殺していく奴の思う壺。いちいちでかいリアクションなんかしてやらねえぞ。
正直、「普通の暮らし」がしたいということすら病人には贅沢であり、それが許されなくなった、というだけの話だ。

なんかもう自分でいい加減達観した境地というかですね、アレなんですが、一応
「俺が今生きているのは、生きて欲しいと言ってくれる人が居るから」…と、無理矢理思うことにしている。
そうでも思わなきゃ、こんな地獄のような毎日を発狂もせずに送れるわけがなかろう。
無理矢理にでも笑ってないと、そりゃもうひと思いに楽になりたいと思うだろう、普通。
そんなもんだよ人間。
そしてそっちの方が正しい、いやまともだと思う。
何か「頑張ること」、極限まで自分を追い込んで「無理しちゃうこと」を美徳みたいに考える、その事でより自分を追い込むような事は無意味だと、これが俺の達観だ。少なくとも俺には。健康だったら頑張ってたし自分を追い込んでたし、無理もよくやってたけど、昔は。今は違うもん。

何とかして、倒れるならせめて前向きに、寸前までは現役で編集者をやっていたい…というのも、もはや怪しい。
無理無理、と思うようになってきたのが実際だ。
カッコなんかつけても仕方ない。
倒れるなら柔らかいベッドの上で、
出来れば苦痛を感じずにと願うし、
死ぬ寸前までもし編集やらせて貰えたら、
死んだら相手が困るだろう。
そりゃ我が儘ってもんだ。


そろそろ本当に疲れてきた、いろいろ。

出来るだけ、残った人に迷惑をかけない方向で、いろいろ考えないといけない。
悲しんだり自分を悲劇のドラマの渦中に置いたり、他人にそれを積極アピールする時間も体力も気力もない。
まあ、娑婆に居る間はそれなりに気をつけて、入院したらあとはゲタを預けるしかないのだ。
紙一重のところで何かが変わる、その時に必要なのは「生きたい」という強い気持ちだ。
それは、何度も経験している。
次、その時が来たときに、そう思えるといいのだが。

帰りはスーパーまで行く気力体力なく、地下のローソンで簡単な買い物をして、階段を一段一段荷物を持って上がる。これ、何の修行だ? 病院だよね、ここ。
そのまま足を引き摺り引き摺り、タクシーで帰宅。12時20分くらいだったかな。

部屋に戻ると、ユキがソファのうえで「にゃあ」と鳴いて伸びをした。
「病院、どうだった~?」という風情だが、実際は俺が出て行ったあと鳴きながら押し入れを力尽くで開け、中に入ってくるくる周りながら喚いた形跡がある。「どうだった~?」じゃないわ全然。
また明日も病院、今度は神経の検査と呼吸器の診察と薬の吸入、そして輸血。押し入れは開けられないように、しんばり棒を内側と外側にしっかり立てかける。まあそうすると別の場所でやるだけだが。

さあ入院となると、いよいよこの耳の聞こえない白猫を預かっていただくことになり、ご迷惑おかけします…。Nさん、近いうちご相談のメール差し上げるようにいたします。
本当、人様にご迷惑をおかけするという事は、なるべくならしたくない。もうさんざん色んな人に迷惑かけてきてるこの人生。迷惑もかけられたけど。

今担当している仕事の関係で、お世話になっている人に「とりあえず時期未定ながら来月、再来月には入院加療に入ります」という報告のメールを送った。返信では、大変なことと思っておられるようで、そんな状態でも働いて貰えるのは幸せな会社かも、と勿体ないお言葉をいただく。
いや、そうではなく、こちらがお願いして我が儘をさせていただいているのであり、もし本当にアカンとなったら、ブツッと切れて迷惑にならないよう、ちゃんと準備しておかねばならないわけで…。人として。

でも、世間からしたら「癌」ってだけで大変なことだし、だからみんな切ったり取ったりして、もう治ったってのに、講演したり説教したり、行脚してる人も居るんだもんな。早期発見で完治できる癌にはいい啓発になるから、それはもちろんいい事なのだが。

ただ俺の場合は癌と十年付き合って、進行と共にだんだん本当に確実にいろいろ悪くなってきて、もはや出来ることはせめて進行を遅らせる、いや、遅れさせられたらいいな、という淡い期待くらいしかない。
でも世間の人からしたら、それはもう大変な困難な状況にあり、さぞやおつらいだろう、大変だろう…という世界なんだろう。そうだ、よくよく冷静客観的に自分を見たらそら大変やコイツ、いつ死んでもおかしくないわと思う。それが「普通」なわけがない。
もういろいろ、麻痺してんだろうな、俺。足も麻痺したし。

そんなこんなで夜、ユキがくっっさいウンコをたれて、その処理で思わず吐きそうになる。
もうほとほと、こんな環境で、こんな病人が、猫を飼うってことは、なんて贅沢だよともう心から実感して、情けなくなる。
この耳が聞こえない、声がでかい、空気を読まない、いつまでも学習しない、でも可愛い猫を飼え、世話をしろ。
これも俺の病気と同じ、俺の背負うべき荷物の一つなんだろう。だからこそ、入院で人様に面倒を見ていただくことが申し訳ないのだ。自分が人生で持たなきゃならない荷物を持ってもらう、というような。
「別に簡単なことじゃん、助けるって人がいるんだから助けて貰えよ」という人もいるが、俺の場合はそういう考えが出来んのです、こればかりはどうしようもない。

猫がいると、病人には色々大変なことも多い。
水替えごはんやりトイレ掃除などは別に普通のことだが、「毛」が凄い。
短毛種の猫でも、家猫は季節に関係無く、一年まんべんなく毛が抜ける。
ブラッシングは趣味みたいなものなのでマメにしてやるし、すると猫も喜ぶ。ごろごろ言いながらひっくり返ったり、感極まって甘噛みしたりする。ユキの場合は胸の毛を梳いてやると、なぜか舌をぺろぺろする癖があり、櫛の上下に合わせて舌をぺろぺろやるのでおかしい。
まあとにかくこの「毛」がくせもの。少しほっとくと床が毛だらけになり、そこはホコリ、細菌やカビの温床になるのでこまめに掃除しなければならない。こまめな掃除って、実は体力の落ちた人間にはかなりの重労働。
でも放置しておくことは免疫低下した自分にはいいわけもなく、本当はトイレ処理とか、その後の床の清潔を保つことも含め、日常かなりな重労働と引き替えに、このたった一人の「家族」と暮らしているわけだ。
大変なことも多いが、その逆ももちろん多い。たくさんの喜びを与えて貰っている。

猫と暮らす喜びは、物心ついた時からずっとずっと、当たり前の事だった。
このユキを引き取ってきた三津子は、「最後まで面倒みてやるからね」と言っていた。俺ももちろんそのつもりだった。
今の感じだと、こっちが先に逝ってしまうことが、可能性としては高くなってきた。
だったらユキに新しい「家族」を用意しておかなきゃ、可哀想。
その前に、奇跡的に輸血が功を奏して持ち直し、入院がちょっとでも先になるかも知れない。
まあ奇跡なんか起こるわけが…いや、それはもういい。
とにかく何人かの人が「死なないで」と言ってくれるので、本当にそれだけが理由で生きている感じ。
「あいつまだ生きてるのか、はよ死ねよしぶといな」と言ってる連中が数名いる事も知ってるが、それも生きている理由。

人間けっこうしぶといもんだな、と日々、「死につつある自分」を体感しながら感心している。
これもまた人生也。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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