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2014-09-17(Wed)

明日、「家族」のお世話をお願いする

2014年09月17日(水)
こちらの入院は、今日京大病院の病棟から連絡があり、予定通り22日午前中からと決まった。
一番の懸念は、一緒に暮らしてきた家族である、ユキのことだ。

yuki140917.jpg

前前から書いているように、この猫は耳が聞こえない。
俺が目の届く範囲に居る分には大人しい。たまに遊べエサくれトイレ掃除せよ、という「命令」以外は基本的に、だいたい1m以内の近くにいて、撫でるとすぐに喉を慣らし、すりすりと額や鼻の脇をこすりつけてくる。
感極まると甘噛みをし、さらに調子に乗ると俺の薄い皮膚が切り裂かれたりもする。
まあ、バカで可愛い。
俺の姿が見えなくなると、探してうろうろし始める。今の部屋だとトイレとか風呂とか大抵すぐ見つかるので、安心して戻っていく。
だがちょっとだけ、ほんの数分だけ買い物に出て戻る、戻ってくると階段のあたりでもう大声で鳴く声が聞こえる。
日中はまだ、ド薄い壁でも、周辺の雑音も多いのでまあどっかで猫鳴いてるわ、くらいで済むかも知らん。
でも夜間、家を空けることになり、大音声で鳴き続け、そのうち尻尾を加えてくるくる周りはじめ、その周りにあるものを周辺へまき散らす。台風と同じ原理だ。
これをもし、夜中にやられると、おそらく近所の住人は警察を呼ぶだろう。
入院中だと如何ともしがたい。
これまでの部屋なら一応マンションという事で最小限の防音はあり、何とか誤魔化せてきた。
なので入院のたびに知り合いに通いで、水替えやエサ、トイレの始末なんかをお願いしてきた。
今回このたび、この部屋ではそれは無理。何しろ壁が薄くふだんから通行人の会話まる聞こえ、夜なんかは交差点の盲人用信号誘導音すら聞こえる。壁、あって無きがごとし。
というわけで、一番の懸念はこの耳の聞こえない、空気の読めない猫をここには置いて入院は出来ないという事だった。
だから入院できない、というモチベーションになっていたのも事実だが、もうここに来て数値も限界、ほっといたら死ぬ。
何らかの薬をぶち込むべく一ヶ月ほどの入院となった。観念した。
で、ユキの方はブログの愛読者でおられたTさんが「家族としてお預かりします」と言ってくださった。
正直、抗がん剤投与、治療での入院は、癌患者になってまる9年、初めてだ。
効くかも知らんという新薬は、日本での認可がのろのろチンタラやられており、使えないと結局断念。
ほんま正直腹が立つ。
これまでの、俺のタイプには効くか解らんようなものを多剤併用で色々試す。
副作用もどう出るか解らん。正直医師にも解らないし、俺に解るはずもない。
いろいろ不安がある。
でも、その中で「ユキをどうしよう」という大きな不安を、Tさんが取り除いて下さった。
これがどれだけ大きなことか、大きな負担の軽減すなわち安心につながったか、健康な人には解るまい。

引き取りは車で来て頂き、俺がかごとエサやら一式を持って乗り込み、しばらく「ならしドライブ」をしたあと、俺だけ降りるという事にした。ユキは「え、オッサンどこ行くの、あたしどこ行くの?」という不安はあるだろうが、いきなりほいかご入れ、ほいあとよろしく~! みたいな粗雑な「預け方」はしたくない。
ユキの癖や、吐かないエサの与え方など、細かく指定をさせていただいたが、ちゃんと受け入れていただいた。
本当にお礼の言いようもない。
「早く元気に退院されて、白取さんが笑顔でユキちゃんをまたお迎えするのが一番のお礼ですよ」
と言ってくださった。本当に、ふだんの親戚や友人でもない、ブログを読んで下さっていた方が、こうして助けて下さる。
正直、どんな「がんばってください」という一言より、実際に預かって頂けるという「行動」が、もう百万倍の安心と勇気を下さった。
うん、必ずもう一回ユキと暮らす。
お礼は明青さんで一杯、ご馳走すること。
美山のお店にお伺いして、カレーをいただくこと。
色々目標が出来た。

親に逆縁の不幸を味合わせたくない、その一心だけだと、正直「お袋、すまん」で済みそうな時もあった。
でも他人様に家族を預けた状態でくたばるのは、いくら何でも無責任だ。
頑張る、じゃない。俺は今までさんざん頑張ってきた。
頑張りすぎて癌が進行してしまった。だからもう頑張らない。
踏ん張る、だけだ。生と死、その淵で生の側に踏みとどまる。それだけ。
その時アッチ側へ落ちないためのモチベーションが、他人様に迷惑かけたまま死ねない、そういうことだ。

明日の晩にはユキはいないんだな。
そう思うと、こっちはちょっと寂しい気分になるが、数日前からならしておくために置いてあるかごを寝床にしてやったら、窮屈なのがいいらしく、みっちりとそこに体を押し込んで寝ている。
出てくると撫でろ、毛を梳け、遊べと異常に甘えてくる。
明日、いったんお別れだと解っているのか、異常に甘える。甘噛みもされた。ひさびさに何年ぶりかに、猫キックまでされた。何かいいたい事でもあるのか。あるんだろう。

それにしても、道中二時間。大人しく車の中でユキは耐えてくれるだろうか。

そして、俺は入院までのたった数日の、「ユキの居ない日」を、耐えられるだろうか。

入院中はむしろ観念しているし、諦めているが、それまでの数日とはいえ、「一人」の寂しさに耐えられるだろうか。
夫婦二人と猫二匹で京都へ来て、一人失い、一匹を失い、それでもユキが居てくれた。
馬鹿だし耳は聞こえないから空気読まないし、アホみたいに大声で鳴く。
ウンコはくっさいしゲロは吐くし毛は飛ぶし部屋は綿埃だらけだ。

でも、ずっと傍に居てくれた。

横になっていれば常に1m以内のどこかでそっと丸くなっている。
こちらが動けば気配で目を覚まし、にゃあと鳴く。撫でるとすぐ嬉しそうに喉を鳴らし、抱けばぐぐっと爪に力を入れて皮膚に食い込ませ、人の腕を甘噛みする。
最近は横になっていると甘えに来て、よりによって半身になっているこちらの脇腹という不安定な場所で無理矢理丸くなって寝ようとする。こちらは背中側に落ちないようにバランスを取りながら手を添えてやる。人間椅子、いや人間ベッドだ。
しばらくしてこちらが限界になると、見計らったようにソファの背に飛び移っていく。
ハナから本気で寝ようとは思っていない、ただ甘えに来ただけで、向こうも不安定な場所よりソファの背の方が本気寝にはいい。
こうした「距離感」とか互いの気分を、十年連れ添っていると、やはり「家族」としか思えない感覚で共有している。
そのユキが居ない、ほんの数日入院までの「孤独」に俺は耐えられるのだろうか。
耐えるしかないし、入院したら一ヶ月くらいは戻って来られないんだから、どうせその間は誰かに預かって貰うしかなかった。

十年も一緒に居て、しかもその間に一緒に居た他の人と猫は死んでしまった。残された一人と一匹っきり、離れるのは正直辛い。
いい人がちゃんと家族として面倒を見てくれる、それも永の別れじゃない。
解ってはいるが、上京して一人暮らしをしていた時期から三津子と子供たちと暮らし始めるまでの間以来、俺は一人で暮らしていない。
常に誰かが居たし、居てくれた。それが猫であっても、どれだけ辛いときに孤独から救ってくれたか。
必ず取り戻そう、また「猫と暮らす普通の日常」を。

今月に入ってから、俺死ぬかも知らんから今のうち飲みに行こうよ、後で後悔すっぜと脅迫したら、何人か来てくれた、という話を書いた。有り難いもんだ、30年の友人より、ここ二、三年の知り合いや、京都に来てからの友人、十数年前の専門学校時代の教え子なんか、「どうせアポ取ってもその日の先生の体調悪いかもしれないから、ダメもとで夜行で来ました」とか。
今のうち今のうち、そういうわけで割合、入院までの間飲み会や小宴会あって、楽しかった。
なんか俺、ほんまに死ぬみたいやん。
でも大丈夫やで、退院したその日に生ビール飲む気概は十分。
ま、若い人たちは基本、酒が入ると年長者の話とか退屈でどうでも良いらしく、こっちをほったらかしで勝手に話を始める。こちらはそれでいいし、こういう席での若いもんの非礼には慣れている。
年を取ると、寛容になるし、色んな引き出しも増え、視野も広く、当然ながら知識も経験も若い頃より死ぬほど増えた。
だから俺が若いときは、その年長の方に必死で、それらを分けてもらおうと食らいついた。
そういう気概、今の若い子らって、ZEROね。ゼロ。全く無し。
覇気がねえよ。しゃきっとしろよ。
おまえら、俺みたいに白血病患者になって40越えてからハロワにチャリンコで通う経験とかしねえ方がいいぞ。
いろいろ今のうちにいろいろ勉強していろいろな人の話聞いていろいろ映画見て本読んで引き出し埋めてけ。
屍乗り越えて行けよおい。

そんな事を思いつつ歯がゆい思いをしながらも、にこにこと何も言わずにただ飲んでました。
まだ数日、ユキといったん別れた悲しみを癒すぞ。俺なりに。
そして抗がん剤が効こうが効くまいが、また戻ってくる。必ず。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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