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2014-10-18(Sat)

経過良好、退院の目処

2014年10月18日(土)
京都は雲一つ無い快晴。
昨日主治医のK先生と研修医のY先生、担当看護師さんとのカンファレンスがあり、これまでの治療経過の確認と今後のことを話し合いました。

再確認;
慢性白血病と確定診断されたのが2005年夏。
そのときすでに脾臓は巨脾の状態だったので発病はもう少し前だったはず
つまり発病から十年は経過しているだろう
これまでは白血球数が下がり1000~1500の間を上下しつつ、急激な容態の変化は無かった
ゆえに「無治療・様子見」という事で、感染症に注意しながら普通に暮らしていた
それでも大はカリニ肺炎、帯状疱疹、小は膿疱切開などで何度か入退院をしつつも、
「何かあったら救急へ」で、対処療法で何とか誤魔化してきた

しかしここ1年でこれまで動かなかった赤血球系の減少が始まった
同時に感染症に大小「常にかかっている」ような状態になり
採血の結果も赤血球数が半減、HGB値もたびたび輸血が必要となり
溶血と軽い黄疸症状も現れはじめた
「これはもう放っておけない」というK先生のご判断で
入院、加療となって、今日で27日目。

昨日のカンファレンスでは
治療前にK先生が言われていた、
今の俺の体に強い薬は使えないので弱い薬を少しずつ使う
免疫抑制や溶血が無いか慎重に観察しつつ
3回に分けて投与、1週休みを「1クール」とする
これで骨髄中の95%以上が癌という膨大な腫瘍細胞の量を少しでも切り崩し
「スペースを空けて」正常な細胞・血球の増える余地を作れないか
これを繰り返すことで、より強い薬が使える状態へまず持っていく
最終的には骨髄移植を含めた、寛解導入を目指す…

…という、「狙い」が今のところはほぼその通り、うまく行っていることが数値で俺にも解るように示され、説明もしていただいた。
これまでの外来通院での採血結果や入院後の数値もちゃんとその都度いただいており、こちらにも2005年からのデータが蓄積されている。
なのでグラフ化も出来るのだが、まあ、いや、アレです。
この人ほっといたら死ぬな、というか。
治療開始はまさに今やらんとアカンというところでした。

「1クール」を終え、体の状態はかなり良い。
入院前より明らかに体調、体感が良く、常にあったどこかしらの「痛み」が無く、手指の節々が赤くぶよぶよしたようになっていた免疫異常のような症状も改善された。
右足の麻痺は毎日メチコバールを飲み地道にマッサージやリハビリに動かしたり、なるべく歩くようにしたりしているせいもあるのか、下垂足の度合いも軽い。
まだ普通に歩き、走るのは無理だが、少なくとも足先、つま先が前は渾身の力でも数mmしか上がらなかったのが、左足とほぼ同じ高さまで上げることが出来るようになった。よって、ある程度の速度で歩いても、スッ転ぶことが無くなった。これは嬉しい。
こうした体調が良くなった、という漠然とした感想が、抗癌剤のお陰様というわけではもちろんないだろう。
先生も、「本当にまだわずかな量しか使ってないので」と言われていた。
だがクリーン病棟で環境的にかなり衛生、防疫に関しては大幅に改善され感染のリスクがほぼ無くなったこと、(入院以降微熱すら一度も出ていない)抗癌剤を入れてからは腎臓負担を軽減する意味からも、水分の多量摂取と意識的な排泄、つまり代謝を良くする事に心がけており、実際毎日2リットルを目標にほぼ完遂している。
もちろん、一人で衛生的にもどうだろうか、という環境から、病院という安心安全な場所へ移り、しかも防疫体制が整った場所に移ったという「安心感」もあるだろう。

そうした総合的に見て全ての面で「状況が改善された」結果、状態が良いのだと思う。
それは採血の数値で、入院前・後で綺麗に悪い、良いが別れている事でもはっきり示されている。

ごちゃごちゃと「整理」したが、要するに「つまり、狙い通りですね」と言うと「そうですね、今のところ治療は順調です」と明るく言われて、こちらも安心し、明るい気持ちになった。

それと、具体的に(順調に行けば)来週2クール目の1回目のGEMを入れ、採血で大きな変動が無ければ退院、2回目以降は週一で外来の投与に切り替えると。でその前に一度通院での抗癌治療についてのオリエンがあり、呼吸器内科の先生とも月イチの日程を調整のため相談という事になる。

週一通いで抗癌剤。

ところでこのクリーン病棟は基本抗癌剤治療中の患者しかおらず、中には移植で大変過酷な状態にある方も個室の方にはおられる。
我々は免疫が薬や病気のせいで低下しており、ここへ入る目安としては好中球数が500前後だそう。自分の場合、だいたいここ数年そのラインを行ったり来たりという感じ。
で、200を切ると基本病棟から出るなという事になり、エレベータに乗って気分転換に院内の売店やコンビニへ買い物に行くことも許されなくなる。
ちなみに俺の好中球数は今250~290くらい。病棟の外には出てカップスープだの味噌汁だのおやつの甘いものだの買って戻る事が許されているが、これ、日常普通に外で暮らしていいのか。
いいんですか先生。
そう率直に聞くと、そうは言ってもこの病棟は長期入院は出来ない。なるべく、可能な人は外来で通院しながら抗癌剤の投与を受けるという事が基本なので、これまで以上に感染症には気をつけて生活して貰い、予防的に抗生物質はお渡ししておくので、熱が出たらまず病院へ来るという事と、具合が悪くても「様子見」とか「我慢」はしないこと、と言われる。
世の中んはちょっと調子が悪いとか血圧が普段よりちょいと高めとか、はたまたゴキブリが出たとかいう理由で簡単に救急車を呼ぶアホンダラの方々が多数おられる中、自分は今のところ自分のために救急車を呼んだことはない。
もう癌患者として十年も生きながらえていると、40度近い熱があろうが背中から腹からケロイドで血まみれだろうが、肺の片方が破れて血痰出しながらだろうが、タクシー呼んで自分で救急外来へ駆け込んだ。

正気の沙汰じゃない。

そういう事を我慢強いとか、偉いとか、何か男らしい(笑)と思ってやってるわけじゃなくて、「動ける、すさまじく痛いけど歩ける」んだから自分で行く、というだけの話。でだいたい一発入院となり、今すぐ病室の手配を…となっても、いやいやその入院の準備俺しかやる人いないので、と言ってその状態で家に戻って一人で全部荷物を手配し、もう一回来るというおかしな構図。これを今まで何度も何度も繰り返してきた。
多少の事では動じない、というと何か立派に聞こえるが、要するに麻痺しているのである。
痛みや苦しみ、普通の人ならひっくり返るような採血結果を見ても、何か日常として受け入れてしまい、ある程度のことなら「まだ平気」と思ってしまう。
これをただちに改めなければならない。
次、肺炎にかかったら即命に関わる重大事。風邪も恐ろしい。ていうか普通の雑菌でも血で全身に廻って心臓へ行ったらこれまた命の問題。普通の人なら症状すら出ないような菌やウィルスが強敵となってそこかしこで手ぐすねをひいている、と思えばよろしいか。
じゃあ部屋になんか戻れないじゃん。

というわけで、退院は見えてきて有り難い反面、その前にこの病棟並は無理にしても、あの古くて防疫のボのテンテンすら無い部屋をどげんかせんとならん。クリーニングを入れ、エアコンを入れ替えて空気清浄機を置く。
どうすんだその金。どうにかするしかないが、生きていくために。
これほどまでして生きる意味があるのか、についてはもう結論は出ている。

昨日の夕方、ご自身も持病をもたれ、ご家族の病気の介護でご実家へ帰ったりと大変な中、「元同僚」のKさんがお見舞いに来てくださった。
まだ仕事中で、これから帰社して取材情報をまとめなきゃならんというところ、ほんますんません、ありがとうございました。
その時にもお互い、「お酒飲んでおいしいもの食べて、笑って、何かいい事があったら喜ぶ、猫ちゃんも『飼わせていただく』(笑)。そのための人生ですよ」と笑った。
いま、にゃほやまさんことTさんにお預けさせていただいている「お猫様」と一緒に暮らさせていただくには、お姫様をお迎えするそれなりの準備ってもんがいる。そこ、愚民はわきまえないと。いや単なる病人なだけなんだが。

とにかく、真面目な話、「生きる」事が生きる上での最大目標であり、実際やめてもいいのかな、と思うこともありました。が、もうちょっと生きろと言われているようなので、頑張らないで「生」に踏みとどまる=踏ん張るということです。

ゆうべ食堂でいつものオッサン達とわいわいナイターを見ました。ま、看護婦さんたちからは「まーたあのオッサンどもか」と思われていることでしょう。すいませんねえ。
でも、俺らが笑い合い、アホな冗談言い合ってるのは、自然な事なんすよ。
試合の合間合間、お互いの病気話などになる。
それぞれが早い遅い、何が多い足らない、色々な症状の違い、治療の違い、病気の「型」の違いがある。
それぞれがざっくりとした血液腫瘍と言われても、その下の病名は「あんたはなになに病」と言い切れない人も多い。俺なんか珍しいうえに珍しいが重なって、「俺オリジナルの病気」というか症例と思っていい、と医師の一人に言われた。
だから使う薬も、皆バラバラだし組み合わせも違う。量も投与時間も違う。
薬にはどうしても副作用は付きものだし、効果がある薬はそれだけ副作用も強く出る事が多い。それもまた人それぞれで、少量で凄い反応が出る人もいれば、けっこうな量を投与しても全然平気な人もいるという。
そして、言うまでもなく、年齢も生まれた場所も育ったところもバラバラで、ただ一つ「血液腫瘍という訳のわからん癌宣告」をされたくもないのにされてしまい、治療中であるという共通点でもって、たまたま同じ病院で今こうして向かい合っている。皆それぞれに人生があり家族があり、歩んできた時間と積み重ねて来た経験があってここにいる。

だから皆
「『頑張れ』言われると一番腹立つねや、もう頑張ってんねん。生きてるってだけでじゅうぶん頑張ってきた人間が、なりたくてなったわけやない病気背負って、何で上から目線で『頑張れ』言われなアカンねん」(50代で、急性タイプを突然宣告され、入院、治療に突入したIさん)という、共通の思いで盛り上がる。
もちろん悪意があって言う人はいないし、他意はなく「頑張ってくださいね」と言われることに、別に反発はない。むしろありがとうございます、と答えるしそう思う。だから、もちろん患者同士が「ここでしか言い合えない話」として言っている。
でも俺らじゅうぶん頑張ってるんだよ、今この時点でも。
そしてこれはなかなか健康な人には解って貰えないんだろうな、という諦観が常にある。

だったら、とりあえず笑っておけばいい。
そんな感じで、笑っていることにしている。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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