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2014-11-05(Wed)

まあまあ、元気。

2014年11月05日(水)
このところ、朝晩冷える日がちょっとずつ増えてきた。
風邪や肺炎、インフルが怖い季節…とよく言うが自分の場合はそれが一年中。
そういえばちらほら、勘違いした知人から
「抗癌剤治療効いたんだってね、おめでとう!」
というコメントやメールが来て困惑。

いや、俺治って出て来たわけじゃねえし…。

誰かが誤解してくれたらしく、それが拡散したみたい。

経緯を一応事実だけ説明すると、
2005年に判明した血液腫瘍=慢性リンパ性白血病は進行が遅く、顕著な症状が
白血球減少(による免疫の低下)と巨大化した脾臓(学会発表レベルだそう)。
なるべく普通の暮らしがしたいというこちらの希望もあり、京都に転居後もずっと
「無治療、様子見」を続けてもらっていた。

その間もちろん毎月通院して血液の様子は注意深くモニタリングして貰っていたし、
それでも大小の感染症を起こして入退院数回、手術もしている。
でも、それらは「対処療法」で、
元の病気=白血病の治療は何ら行われておらず、
その病気の結果起きた免疫低下
によって起きたさまざまな病気や感染症に、
その都度対応していただいてきた
わけです。
ふう。

ところが1年ちょっと前くらいから、これまで顕著だった白血球系の減少以外の、恐れていた血球減少が起き始めた。
病気の進行、と言える。
大小常に感染症にかかって発熱したり、今年に入ってからは輸血が頻回となった。
なので、医師が「放置できない」と判断し、抗癌剤投与となった。

この抗癌剤投与は元の病気を「完治させる」のが目的ではなく、
血を造る細胞の95%以上が腫瘍細胞=癌という状態のため、
強い薬でいっぺんにたたけない。
死んじゃうからね。
なので、弱い薬をちょっとずつ使い、様子を見ながら投与。
で巨大化した脾臓が小さくならないかなあ、
血球減少も収まって、多少造血の方が頑張ってくれないかなあ、
そうなるとこの先もうちょっと強い薬使えるんだけどなあ…

という状態です。
ええ今、そういう状態なんですよ。

だから今、富士登山でいうと一合目にまで達してないくらいです。
富士登山したことねえから判らんけど!

じゃあ何で退院したかというと、長いことかかるこの登山=山頂は
「骨髄移植による寛解」
までの間、ずーっと入院しているわけにはいかないためで、
感染に注意しながら通院、つまり外来での抗癌剤投与になった、というわけです。
なので、「抗癌剤投与が成功して良くなったんですねおめでとう」
では残念ながら、ないんですよ…。

そうだったら、どれだけ嬉しいか。
こういう事説明するのもどうかと思わなくもないっすが、心配して下さる方の誤解に別に悪意はないので(無い、と思いたい)、そういう事ですよすんませんねと。
過去のブログいちいち遡って経緯を把握してくれる人ばかりじゃないよねと。


さて退院してのあれこれ、体調は悪くない。
というか入院前よりかなり良い。
脳に血が廻ってなかったのだろう、いつもやる気が出ず朦朧とした感じだったのが、割合しゃきっとした。
バカは治らないけど、ぼんやりするのは治りかけている。
HGBの値にも現れているが、懸念された輸血レベルへの低下もないため、
息切れや目眩といった症状もあまり出ない。
そのほかストロイド効果もあるだろうが、慢性的に体のあちこちにあった炎症がたぶん治まっているのだろう、常にどっかしら痛かったり、微熱があったり、下痢だったりしたのが割合調子が良い。
そして足の麻痺が軽くなった。
こんな感じっす。

元の病気自体は、「良い方へ向かっている」とまでは残念ながら言えません。
まあせめて2年前くらいの数値に戻ればいいんだけど。

先月の末は買い物に出たり、外来で初めて抗癌剤の投与を受けた。
血液腫瘍内科、K先生の外来受診は毎週金曜となった。
採血の結果と所見を伺うと、白血球数が940となぜか増えている。
前回病棟での2クール1回目のGEM投与後、白血球は730-740と横ばいだった。
それがなんもせんと何で増えてるのか、と。
これがまともな血球である保証はないものの、網赤血球数(パーセンテージではなく、絶対数)の方もまあまあ増えている。
赤血球数は2.72と横ばい、血小板数はぐっと下がって58000となったが、これは何とか血球を作っているとも考えられるそう。ヘモグロビンも8.8とまあまあで、引き続きの投与は問題ないでしょう、という見解。
あと相変わらずUAが8.0と高い。LDHも280とやや増えたが、肝機能や腎機能に異常はなし。
つまり、薬が効いて腫瘍が壊れているとも考えられないこともないっていうかみたいな感じ…。

まあ悪くはないんだから、良しとせねば。

ええ方へええ方へ考えよう。

脾臓も触診していただく。
「治療前より縮小してますねえ」とのこと。胃に近い固かったところも柔らかくなっているそう。
確かに、あんなにしんどかった腹が、まだ太鼓腹とはいえ体感でかなり楽になった。
横に居た研修医らしい若い医師にも「触りますか」と声をかけると「いいですか」と言うので、
「どうぞどうぞ。病棟でも研修医の先生がたにがんがん触られたので」と言って、触診して貰う。
巨脾でもこれだけの大物はなかなかないですよ。

その間にK先生は、俺の持参した自己管理ノートのデータから所見を電子カルテに書き入れていた。
ノートは入院中にオリエンで病院から渡されたもの。外来で抗癌剤治療を受けるため、日々のバイタル、調子や心配事まで、医師が状態を把握できるよう書き入れるようになっている冊子。
もちろんバイタルは毎日書き入れている。
こういうの「面倒くせえな」と思う人も多いと思うが、俺の場合記録魔なので屁でもない。

そういうわけで、採血、問診、触診、日々の様子など総合的に患者の現状を医師が診た結果、
「じゃあ抗癌剤を継続使用しましょう」
と判断し、抗癌剤の投与が決まる。
誤解している人もいると思うが、機械的に毎回ほい入れましょうはい帰って良し、というものじゃないのだ。何せ強い抗癌剤なんか、ちょっと血管から漏れたら下手したら壊死しかねない。そんな簡単なもんじゃないのだ。

俺に使われるGEM…ゲムシタビン(ジェムザール)も、弱いとはいえ、骨髄抑制=による免疫低下や吐き気脱毛アレルギー眠気血管痛などなど、一通りの副作用は当然あるとされている。抗癌剤を入れるルート…血管も、同じ血管を何度も使っていると固くなってしまうので、替えて行かないとならない。
まあ、抗癌剤ってそういうものだ。
怖い怖い。
俺の場合は免疫が最初からかなり低いので、さらに慎重に投与されているというだけ。
まあ今のところ、若干の血管痛が出たことがあっただけで他の副作用らしいものはほとんどない。
入院中は、味覚が変わってしまい普通食が受け付けなくなった人、食欲が減衰して10kg以上痩せた人、黒々としていた髪が日々抜けていって坊主になった人など、さまざまな人を見た。
自分なんか弱い薬をちょっとずつ、でほとんど何もなく、ありがたい。
もっとも、一番怖い副作用である免疫抑制を最初から起こしてるようなもんだが。

そういえばアレルギーで書かれてあったじんましん様のぽつぽつが首から肩にかけて少し出たが、痛みはなく軽い痒みのみ。報告するのを忘れたくらい。
とはいえ、この薬は俺には神経への影響が良くも悪くも出やすいようで、視神経…目がしばしばするような、時々変な光が見えたり、右足の麻痺は良くなったのに左足の親指だけがなぜか時々ずきんずきん痛くなったり、軽い麻痺っぽくなったり。わけわからんです。

それでも、一年前の自分の状態より心身共に、マシだと思う。
一年前の自分の日記見ると、「寒い、エアコンの暖房全然きかない」「寒くて腹が立つ」とか書いている(笑)。
いや笑い事じゃねえし。
寒くて免疫が落ちる、寒さそのものが体をいためつける、その寒さにイライラしてストレスでまた体に障る。
いいこと一つも無い。気圧や寒暖の変化で体は大きく揺さぶられる。
その、肩をつかんで揺さぶられる感覚は、健康な人はたぶん気付かない程度のものかも知れない。が、徳俵に足指だけで踏ん張ってぷるぷるしてるような人間には、かなりしんどい。
京都の底冷えはまさに地獄。
骨の髄から冷やし、揺さぶりをかけてきやがります。正直、毎年毎年冬との闘いで、寿命を縮めてると思う、本気で。

去年の秋口くらいからどんどん採血結果は悪くなり、体調を崩し熱を出し、感染症は乗り越えたと思った時にはどん底の状態で、輸血輸血の挙げ句、とうとう治療に入った。
さて正直、この冬が一番戦々恐々。

ユキを預かっていただいている「にゃほやま」さんは、そんな自分に気を遣ってくださり、
「退院したとはいえ、冬を乗り切るだけでもしんどいのに通院での抗癌剤治療はきついでしょう、暖かくなるまでユキちゃんの心配はいらないですよ」
と言っていただいた。
本当にかなりホッとしています。
ユキとまた「普通の暮らし」がしたい、でもまだ今の自分にはハードルが高すぎる。
それでも気合いで! というのは、もう通じない。
そんな無根拠に「頑張る」つったって、結局はまた多くの人に迷惑をかけるハメになる。
なら今は、預かって下さるというご厚意に甘えさせていただき、後できちっとお礼をする。
そのためには、体調を立て直さねばならない。
その「ねばならない」も、ストレスになるからゆるく考えたらよろし、と言っていただいている。
ほんますんません、あ、すんませんじゃなくて「ありがとう」ですね。

つくづく、ストレスが人間の体にいかに悪いか、寿命を、命を削り取っているか体感している。長年経験して理解している。
自分は確かに免疫が落ち、防疫に気を遣い薬を飲み通院して生かされている、雑菌も怖い、だが一番怖いのは
ストレス
だ。
あの地獄のような帯状疱疹の劇症化も、肺に穴が空いたカリニ肺炎も、感染症による股間の膿疱も、入院は全て「連れ合いの死後」だ。
愛する配偶者の死がどれほどのストレスか、精神医学や統計など持ち出さずとも、誰でも理解出来るだろう。

そしてこのたびの「治療入り」は、意に沿わない仕事をたくさんする事でストレスが重なり、病気が進行したためだ。
原因と結果がはっきりしている。
連れ合いが死に、ココロの支えが無くなり孤独感と悲しみが強烈な
ストレスとなって、体を痛めた。
不景気で仕事がどんどん消えて、こんな病気なのに生活のために
ハロワへ通ったり、過酷な取材や仕事を重ねた。
やりたくない嫌だ嫌だで続けた結果がストレスとなり、病気を進行させた。
もう因果関係が笑っちゃうほどはっきりしているし、自覚も嫌って言うほどある。

ストレスフリーな生き方なんて無いし、人間生きていること、それだけでストレスだとも言える。
「俺はストレスなんて感じた事ないぜ」という人は、たぶん鈍感なだけで、きっと周囲の人の強いストレッサーになっているはずだ。断言してもいい。
問題は受けた心的な傷をどう癒すかで、外傷は治療し癒すのに、心的外傷はなかなか癒すのが難しいという事だ。
外傷はほっといても治る場合もあるし、心的なそれも些細な事は忘れてしまう。
忘れる、という事も意図的に脳が行う治療の一種なのではないか、と思うこともある。
ま、今まで脳科学やら心理学とか色々若い頃からあれこれ人並みには読んだり見たり聞いたりしてきた、でも、ここで今言っていることは全部俺の「実体験」からだ。

よくストレスでボロボロになるまで働いたり、自分を追い込んだりする人が居て、心を傷つけ過ぎて病んでしまう場合もある。真面目で熱心な人ほど、ある日突然張り詰めていたモノがぷつん、と切れるようにやられてしまう。
そういう人を「弱い」と責める人があるが、おまえバカかよと思う。
小さい傷を庇い手にたくさん受け、時には自らためらい傷を何度もつけて、四方八方からぐさぐさと傷つけられ、血まみれになっても頑張ってた人が倒れた、そこでかける言葉が「おまえは弱い」って厨二病アニメかっての。
はいはいあんたは強い判った判った、首撥ねられても笑ってそうだね~、偉いね~、と。
普通の人は傷ついたら倒れるし痛いし、治さなアカンのよ。
ましてや病気や貧困と、あるいはその両方や色んなことと戦っている人もいるんだよ、世の中には。

とまあ暗い話になりがちな今日この頃ですが、まあ自分は幸い何とか元気です。
今日は久々にカレーを作ったし。
IMG_20141105_181444.jpg
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No title

お久しぶりです。退院後もなんとか順調。嬉しい知らせです。
さて、そのカレー、一緒に添えられた褐色の冷たい飲み物は・・・ウーロン茶、ビール、色々考えられますよね~。
(^_^)

拍手、コメントありがとうございます

Nanakoさんはじめ皆さんありがとうございます。

今日は呼吸器内科の外来へ行きました。明日は抗癌剤でまた行きますが、なんだかんだ言っても、病院内をうろうろするだけでけっこう疲れます。
何せ病み上がり、いや退院しただけで「病み途中」で。

カレーにちらっと移り混んでいる冷たい飲料ですが(笑)、「からだ巡り茶」というブレンド茶です!
断じてビールやそれに類したモノではございません。
いやまあ、最初は明青さんでと決めてるんですけどね。そのうち「リハビリ」します!
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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