2014-11-30(Sun)

感染症で入院した

2014年11月30日(日)までの顛末をば。
突然ですが、今入院十日目です。

いやはや情けない。
先月、病棟に残る患者仲間と握手をし、「お互い元気で」「病棟では合わないように」なーんて別れたというのに、一ヶ月も経たないうちに、今、病棟に入院している。

このたびの経緯はと言うと、ただひたすらに自分がまた「やっちゃった」に尽きる。
そう、しなくていい「我慢」をしてしまったために、感染症が悪化したわけ。
記録魔ゆえに、顛末だけは詳細につけていた。

今月(11月)18日火曜日。
部屋に備え付けだったガス湯沸器、去年の末に越してきた時から水漏れがしていたが、自力でパテで修復した。
それがこのところ異音を立て始め、また水漏れもするようになったので怖くて結局交換工事を頼み、作業員が来てくれた。それはまあ無事終了したのだが、マスクをして作業をして貰わなかったな、と後で思った。
その日の夜就寝前にいつもの検温をすると38℃。
病院からは、週一での抗癌剤投与にあたり、退院時に「38℃台の熱が出たら飲むこと」という指示と、解熱剤+2種類の抗生物質をそれぞれ3日分貰ってある。
とりあえず朝まで様子を見よう、と寝た。

その明け方、つまり19日水曜日の早朝にトイレに立つと、ぐらりと目眩がする。
ああ、こりゃ熱下がってないわ。しかももっと悪い。
転ばないように壁を伝ってゆっくりトイレへ行き、戻って来て検温すると38.9℃。

ああ、これ救急車案件かな。
でもとりあえず朝まで様子見るか。
(※この判断がおかしい)
うがいをすると若干気持ち悪かったので、吐き気止めプリンペランと胃酸止めパリエットを飲み、解熱剤カロナール2錠を飲んだ。
残りの抗生物質2種類は服用時間が決まっているので、朝食後にオーグメンチン、夜にクラビットを飲もう。
とりあえずはまだ未明、水分を摂ってまた寝よう…と冷蔵庫を見ると、備蓄してあると思っていたポカリスエット非常時のOS-1も無い。
しょうがないので冷えたオランジーナを飲む。とりあえず水分補給、しかし柑橘類が入ったものは胃酸を誘発して嘔吐、逆流などの原因になるので注意。体を起こし気味に、ソファに倒す。

何だろう。
風邪か、細菌感染か、ともかく思い当たるフシが多すぎて全く解らない。
腹が下るという事はないようだし、咳もない、息苦しい感じもない。
ただ熱のせいで、ぼーっとする。目眩というか、くらくらする。

…これらを記録したあとにいったん寝て、9時半ころの検温では36.7℃に下がっていた。
良かった…
(※よくない、ここで動けるうちに病院へ行くべきであった)
立ってみるとふらつきも目眩もなかったので、すっかり安心してレンチンのポトフを温めて食べた。
その「食後」に、オーグメンチンの服用を開始。抗生物質は飲み始めたら指定量を続けて飲む必要がある。
それにしても何だったのかねえ、と考えつつ軽く仕事をして昼に検温すると再び38.1℃。
あららと思ったが熱以外は異常がないので、1時半ころ冷凍うどんを茹でて、かき玉を落として麩、冷凍ネギ、揚げ玉、冷凍大根下ろしなどで煮込んで食う。
うまかった。2食分くらいになったので半分は冷蔵庫へ。
熱は相変わらず38℃台。食後のオーグメンチンも飲んだ。
(※38℃台がもう一回出て、何で平気なのコイツ!)

このとき、Facebookのメッセンジャーで高校時代から30年来の友人であるUから連絡。
以前から伝えてきていた予定通り、奥さんと23日上洛するので、夕方あたり会おうというので了解する。
(※その頃には治っているだろうという、何と言う過信…)

その後検温すると熱は36℃台に下がっていた。
これがまた判断を鈍らせたと今は思うのだが、うどん~紅茶ときてエアコンがちょっと暑くなり、消したためにさすがに体が冷えただけだったのかも知れない。その後手指の末端が冷たく寒気がして、エアコンをつけてずっと毛布にくるまっていた。
検温は1時間おきにしていたが、その後37℃台に上がり、夜8時38.7℃、7時は38.8℃と、38℃台後半が続いている。
(※ここで病院だろ普通!!)

ここに来て頭痛がしてきて、熱が収まらなくなった。
これ風邪なんちゃうか、届け物に来たおっちゃん、宅配業者のお兄ちゃんたち、ガス工事の兄ちゃん。
今週けっこう色んな人と、うっかりマスク無しで応対している。
誰かが風邪持ってたら終わりだったなあ。
何とうかつだったか。
一番長く居たのはガス工事の兄ちゃんだが、どう見てもしょぼい風邪なんか気合いでフッ飛ばすようなガテン系の健康そうなガチムチタイプ。でも潜伏期間とか考えたら違うわなあ…とかあれこれ考える。

細菌、特にそこらの大腸菌だの黄色ブドウ球菌だの真菌だのに効く抗生物質飲んでるのに何で効かないんやろ、と思いつつトイレに立ったら吐き気がしたので、頓服でプリンペランも飲んだ。
さらに寝る前に、いつもの眠剤と、でかい抗生物質クラビットの服用も開始。
(※この段階でもうとうに病院案件なのだが、本人は「あさって診察日だから」と思っている。
「いま」熱があってしんどいのに、なぜ「あさっての診察日まで待つ」のか、意味が分からない。
熱で意識が混濁していたのだろうか、記録メモの字もだんだん読みにくくなっている)



夜11時、38.1℃。
寝る前の薬を飲むのとトイレに立つとふっらふらだった。
エアコンを消していたから、体が冷えて体温が思ったより低いだけだろう。
押し入れから、あの掛け布団を一枚出して毛布に重ねてくるまる。

メモにはこう書いてある。
「血圧はひどいもんだ。
122-82はいいが、心拍が120。うわあ、と思った。
明日もこの調子で下がらないようなら、一日早いが外来に電話して病院行きだな。もう我慢は禁物。ていうか今朝行っとくべきだったかも。あさって抗癌剤次クールだが大丈夫かよ。」

なんとかこの日は無理矢理寝ることが出来た。
そして20日木曜日。
朝から38℃台で、全然熱が下がらない。
あったかい紅茶をゆっくり飲んだが、半分くらい残した。
立つと吐き気がする。そろそろとトイレに行き、排尿。濃い。
一度だけ下痢があった。何しろ前の日はうどん以来何も食ってないので、これ以降大の方は無し。

この日の昼ころから午後にかけてが一番しんどかった。
エアコンをずっとつけているのに寒気がする。
そのうち室温が上がると暑くなってきて、どうすりゃええのよという感じでもだえ苦しむ。(※←病院行け)

1時間置きの検温では、2時くらいにとうとう39.1℃が出た。(※←病院行け!)
とにかく何か飲まねばと、冷蔵庫にあった唯一の冷たい飲料だったポンジュースを飲んだ。
オレンジ系は胃酸を刺激するのでアカンのに、冷たいものをゴクゴク飲みたいという誘惑に負けた。
そしてやはり吐いた。
これは正直きっつかった。(※←だから病院行けって…)

この時点で必死で記録だけはつけて、あとは外来に電話するか、でもそうすると病院来いと言われるし、となると歩けないので救急車しかない。
さすがにそれは…と躊躇。
じゃあ着替えて外に出てタクシー拾って行くのか、…なんてもう想像しただけでクラクラする。
前の祇園の部屋だったら抜け道に縄手を使う空車がよく部屋のすぐ前を通ったものだが、ここに入って来る空車は絶無。つまり大通りまで自力歩行して空車を捕まえねばならない。
これが大仕事。(※←救急車呼べアホ!)

とにかくもう下手するとこのまま脱水になる、しかしあとはオレンジ系とか味の濃いコーヒーくらいしかない。そういうのを飲むと吐きそうで、じゃあポカリだのアクエリだのを近くに買いに行けるかというと、立っただけで台所で吐く始末。動けるうちに買っておくんだった。

結局転がっているしかなく、つまりは脱水状態に近づいて行くわけで、何も好転する要素がない。
どうしようもなく、5時過ぎにお世話になっている編集プロダクションO社のKさんにメール。
熱が出て動けないので、ポカリ500を何本か買ってきて貰えませんか、と頼んだ。
PCのメールの方が良かったか、でも仕事中だろうし忙しいから気付いた時についでに来て貰えたらな、と思いつつじっとしていた。

すると5時半ころ、Kさんが部屋にポカリ何本かと小さい水、スポンジケーキ、レトルトのおかゆなどを買ってきてくれた。
ありがたい…。
地獄に仏とはこのこと。
もう目の前ですぐ、冷えたポカリを開けて飲む。
冷えててうまい。
吐き気どころか、こないだ平常時に飲んだポカリより全然うまい。これほどうまいポカリを飲んだのは初めてだ。

水が入り、知り合いの顔を見てちょっと楽になった。
体温測ったら、37.9℃まで下がっていた。
Kさんは「もうこんな事くらいいつでも遠慮しないで」と言ってくれるが、そう言って貰ってるしやってくれるのを解っているからこそ、気軽に頼むのが悪い気がしていた。
引っ越してきてから、何度か感染症を起こしたり、実際きっつい事もあったのだが、近くに顔見知りがいるからこそ、ついつい甘えてしまいそうで、一度もこれまでこうした「お願い」をした事はなかった。
でも、本当に助かった。
下手な意地を張るもんじゃない。
大丈夫か、病院行きましょう、タクシー捕まえてきましょうか、というKさんに、忙しいでしょうから大丈夫です、明日はどうせ通院の日なので、この水分補給のおかげで何とか持ちそうなので必ず明日病院行きますし、と話す。
Kさんは何度も「ほんまに大丈夫?」「11時くらいまでは残業で居ると思うから、何かあったらメールじゃなくて電話してくださいよ」と言いつつ去って行かれた。
ああ、これで明日まで何とか乗り切れる…。心底ホッとした。
(※実は脱水の危機を一瞬乗り越えただけ、ここで救急外来へ行くべきだった)

この日は何とかかんとか、激しい目眩と頭痛、動悸ながら水分補給をしつつ寝ることが出来た。

そして翌朝、11月21日金曜日。
未明、トイレに立つと膝がガクリと抜ける感覚。
体温39℃。ふらふらで布団へ。
7時、38℃。汗をかいてエアコンをいつの間にか消していた。そのせいか。
病院行かなきゃ。でもまだ動けない…。時計は刻々と昼に近づいて行く。
喉が渇いて仕方がない。でも何か飲むと吐きそう、ヨーグルト的な爽やかなもの、無いよな…。
そう思って解っているのに冷蔵庫を覗く。

あった…。
ドリンクヨーグルトの小瓶。

前の晩、Kさんが買ってきてくれたポカリや水などの中に一本。
思わず冷蔵庫の前で立ったまま一気に飲む。
元気がみなぎった。これで行ける。

エイヤと気合一発入れて着替えをし、大通りに出て空車を拾い、昼過ぎに京大病院へ何とかたどり着いた。

病院で再来受付をし、エスカレータにしがみつき、2階で採血を終えた後はもう息も絶え絶え。
目眩息切れ動悸その他でフラフラ状態で積貞棟の受付にたどり着き、「あの…」と言って状態を記録した抗癌治療患者用の手帳を受付に開いて見せるのが精一杯だった。

受付のお姉さんは開いたところの熱の数値などを見てすぐに「あら大変!」といって、とにかく座るように促してくれた。ようやく椅子に座れたのでホッとしたものの、抗癌剤投与を行う広いフロアの手前にある処置室まで「歩けますか」というので「とても無理です…」と正直に伝える。すぐに車椅子を持って来てくれた。
当然まだ解らなかったのだが、後でこの時点でのCRPが12を超えていたと知ってびっくりした。救急車呼べよアホ。
我慢とか、何と言うかそういうのじゃないんだな。
完全に熱と酸欠で頭がおかしくなっていて、まっとうな思考、判断能力が完全に欠けていたと思う。

19日水曜の段階でもう高熱が出ているのに、「21日はK先生の外来がある日だから」と考え「それまで我慢すれば」「そこまでの辛抱」とか思っている。
いや、熱あるの「今」でしょ! 今、すぐに外来に電話し状況を伝え、そうすればたぶんすぐに来いと言われたはず。そうすれば早い段階で輸血と抗生剤と輸液で、もっと軽く済んだかも知れない…いやアカンか、とにかく一人できつい状態を続けなくても済んだ。

とにかくすったもんだの末、処置室でとりあえず休むように言われて寝かされて待っていると、事情を聞いたK先生が外来診療の合間に来てくれ、いつから食べられてないか、いつから飲めてないかということを簡単に聞いてくれて、すぐに栄養剤の輸液を入れることになった。
左腕にルートが取られ、ばかでかい1500ccの栄養剤輸液の点滴が始まり、しんどいがここは病院だ、何かあってもすぐ対処してくれる、という安心感でどっと眠気が来てうとうとしてははっと覚める、という状態。
そのうちK先生がまた様子を見に来てくれ、
「採血の結果がまだ全部出そろってないですが、血球の状態が良くないので輸血しますね」と言われる。
ちなみにヘモグロビン値は5.8に下がっていたそうだ。
朦朧としつつ「はい、お願いします」と言い、カーテンの向こうで「感染症なのは間違いないので、もう抗生剤も一緒に入れましょう」という指示が聞こえた。左腕のルートからは栄養剤の輸液が入っているので、抗生剤はそっちの分岐から、で輸血用は右に新たなルートをK先生が開けてくれた。
「あとは輸血が届くまでちょっと待ってくださいね」と言って先生は去って行かれた。

処置室の天井を見ながら両腕にルートが開いたのは久しぶりだなあ、とぼーっと考える。
実はもうこの日の事はよく覚えていないのだが、前後して、採血の結果が徐々に出て電子カルテに飛んできて、最終的には「これはとても帰せる状態ではなく、数日入院になる」と言われたのであった。

前回の退院のとき、同じ病棟の「同志」と握手をして「お互い感染症には気をつけましょう」「出来れば病棟では顔を合わせないように」「お互い、元気で」なんつって別れたのに、一ヶ月も経たずに逆戻り。
情けねえ!
そういえば、抗生剤を入れる迄に一階処置室の看護婦さんが、車椅子を押して3階血液内科の病棟まで連れてきてくれたのだった。
病棟に入るとナースステーションの中から知った顔がちらほらと目が合う。しょうがないので情けない笑顔と共に手を振る。笑われる。
情けねえ。
感染症で何が原因かまだ不明なので、病室は個室になるというので、311という部屋に入った。
下の処置室のナースと病棟のナース…確かKさんだったかと、主治医のK先生の指示と俺の状況を確認のあと、処置室のナースが戻る背中にお礼を言って、さあまたこの病棟に逆戻りだ。

「恥ずかしながら戻って参りました」
というもはや世代的に通用しないギャグすら発する余力がなかった。
何しろ緊急入院なので何の用意もないどころか荷物はたすきがけのウエストポーチ、中身はスペアのマスクセットとか財布とか絆創膏とか連れ合いの小さな写真とか。
数日、って言ってたしなあ、まあどうせ動けねえし…と観念。
パジャマを借りたいと言って用紙を貰い、とりあえず着替え、それから抗生剤が届いたのでつなげてもらう。
輸血がいつ届いてこの段階でしてたかどうかは、もう思い出せない。
下痢をしていたが、夜になって検査用に検便も取った。
何かもう頭は回らないし、やる気は出ないし、要するにボロボロだった。

翌22日、土曜日になり、世間ではここからもう3連休なのであった。
もちろんこの時は連休だの週末だの感覚は全くなく、何と言うかもう辛かったが精神的には入院でホッとしたというのが一番だった。
猫のユキは「落ち着くまでいいですよ」と言ってくださったにゃほやまさんの家に預けっぱなしだったが、結果的にそれも非常に助かった。
何しろ入院するつもりが無かった(のも今にして思えばどうかしてると思うが)ので、ほぼ手ぶらで病院へ行ったわけで、もし戻らなかったら鳴くわわめくわ暴れるわで、家の中は大変なことになり、ご近所からは苦情が出るか保健所を呼ばれるか、まあ色々と最悪な事も考えられたわけだ。
大げさじゃなく。

何やってんだか俺。

何しろPCもないし、かろうじてスマホでGメールやWEBが見られるくらい。それも充電器すらないが。
記録魔の自分としては、また今回もとりあえず簡単な状態だけはつけておこうと、朝食が普通に来たので、その献立が書かれた紙の余白にボールペンでメモをしておいた。記録魔の習性というか本能みたいなものだけで動いていた。

この土曜の朝は、固形物はまだ食えなかったので牛乳と野菜スープのスープのみ、デザートのみかんの中身だけ。何とか吐かずに済んだ。
前の日は夜中も輸液の終了や抗生剤の交換などがあってあまり眠れず。
栄養剤の点滴は12時間以上かけて落とすもので、ばかでかい。頻尿にもなる。
とりあず点滴のまま、車椅子で助手さんに病棟地下のローソンまで連れてって貰い、お茶のボトルやヒゲ剃り、スマホ充電器など最低限のものだけを買ってきた。

外は行楽日和で、とくにこの連休は京都も20℃になるとかで紅葉シーズンゆえの大盛況の様子。
知らんけど。
それより、この日は本来ならおおかみ書房の千葉ちゃんが家に来て、次の掟ポルシェコラム集、本文やツキモノの作業をする日だった。それがフッ飛んでしまったのが申し訳ない。
千葉ちゃんは「体の方が大事ですから」と言ってくれているが、明らかに遅れるダメージはでかい。申し訳ない。
さらにネットスーパーの配達が夕方あったのだが、熱でキャンセルを忘れていた。
結局その受け取りも、Kさんにお願いしてしまった。

やはりしょうもない「我慢」をすると、結果的にこうして色々な人たちに迷惑をかけることになる。バカだ。

この日医師団の中のY先生が、前の晩取った便以外の献体検査がほぼ出たとのこと・
何らかの感染症であることは間違いないが、とりあえず緊急性のある重篤なものはないようです、と。
免疫低下中の俺らには怖いカビ、雑菌の類も調べたが、特異的にこれだというものは出なかったという。そのほか尿も綺麗だったし、肺と腹部のレントゲンでも炎症は見られなかったと。
ただし腸。
ここは細菌の温床というか凄い種類の菌が常在しているし、それらを全部調べるのは不可能、そして俺みたいな免疫低下中の人はだいたい、こうした感染症を起こして調べても、原因がはっきりと解る方が少ないのだそうだ。たとえば膀胱炎起こしてれば尿路感染したのだな、とか吐瀉物調べたら食中毒だったとか、あれこれはっきり出る場合もあるが、とにかく「容疑者」が多すぎて特定できない。
命に緊急の心配があるものは無さそうとのことで、それはまず一安心。
免疫抑制患者がこうした症状になり救急車事案ということはよくあることで、ただ、可能性が多すぎて七割は原因が特定できないとか…。
一番怖いのは血球が落ちてるから、溶血を起こしてるとちょっと今後の治療にも関わってくるので、もうちょっと調べてみましょうと。
ということで入院は連休明けくらいで出られるという目論見は甘かったようだ。

Y先生からはたとえば食い物なら何か刺身、生卵、加熱不十分な肉、再加熱した料理などなど食べなかったかといろいろ「尋問」されたが、もう普段気をつけている以上わからんし、ここまで来ると。
この日もHGBが上がっていないので再度輸血、一日3回の抗生剤点滴、ばかでかい栄養剤輸液の点滴して、その間にあれこれ検査。
病棟では顔見知りの医師看護師が皆さん笑顔で「ずいぶん早いお戻りで」みたいな半笑いもあり恥ずかしい限り。

病院にはさすがに救急車事案だったのだが、何とか自力で外来へ行った。
そして「そんなに我慢してはダメ」と叱られた。
でもよく考えたら全然「自力」でも何でもない
にゃほやまさんにはユキを預かっていただいているので、すっと後顧の憂いなく(?)入院できるわけだ。
その病院へ来れたのも、前夜にポカリとか買ってきてくれたり、配達予定だったネットスーパーの受け取りをやって頂いたりしたO舎のK山さんのお陰だ。

下手すりゃ孤独死「事件」だよ。
病院へ来るのが2日遅いと色んな人に言われた。はい。


…その後上洛した親友のU夫妻が病室に見舞いに来てくれたり、Kさんが病棟に俺の忘れ物を届けに来てくれたり、まあまあほんまに情けなく色んな人の世話になりっぱなしで、今なんとかこうしてPCをネットにつなげている。
そして感染症は何とか落ち着いたようで(まだCRPは27日の採血でも3.9)、一昨日…28日は、抗がん剤GEMを前クールの倍量、800mgの投与をされた。
その際のステロイド効果か、食欲も復活し、以後食事もしっかり摂れている。

ただ残念なのは、縮小傾向にあった巨脾…脾臓が、治療前に完全に大きさが戻ってしまったこと。
リバウンドというか、いっとき楽になった後だけに、かなり苦しい。
前クールの最後の投与が11月7日で、一週様子見、で今回21日に新クールの予定が感染症で入れられず、一週間延びた。
つまり抗がん剤治療を始めたが投与間隔が乱れてしまい、3週間ほど開いてしまった事になる。
で、巨脾が戻ってしまったのではないかと。それでGEMの量が増えたということもある。
当然ながら、比較的弱い部類の薬とはいえ、この免疫状態の俺にはどれくらい「副作用」で血球減少が起きるか解らない。
なので、週明けつまり明日、採血で様子を見て、感染症の落ち着きと抗がん剤の効果を慎重に見る必要がある…。

今そういう状態です。
ってバカな顛末でほんますんません。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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