2014-12-10(Wed)

退院した

2014年12月10日(水)

昨日の午後、退院して自宅に戻った。
入院期間は結局11/19~12/09というわけで約3週間。

高熱が出て水すら飲めなくなって病院へ行った時には即輸血、抗生剤、栄養剤の点滴と安静という危機であった。入院時のCRPは12超、そのほかもボロボロだった。
抗がん剤の治療中、ステロイドなどの併用ともともとの白血病による汎血球減少があり、免疫が低下し「いつ何に感染してもおかしくない」状態。
そんな中の高熱なのに、「我慢する」という誤った選択をした結果が、このたびの入院となったわけ。
いろんな人に迷惑をかけ、そして助けていただいた。とほほ。

ちなみに入院すると、治療計画などを記した「入院計画書」と、退院時には退院後の加療方針その他を記した「退院計画書」というものを貰う。
その退院の方には今後何かあったら「早めに」病院へ、また別の項目にも異常があれば「早めに」病院へ、と念を押されていた。我ながら笑うしかない。笑い事じゃないが。

何の感染か解らないのでとりあえず個室に入り、感染症が落ち着くまで検査と点滴、落ち着いたところで大部屋=四人部屋に移動。抗がん剤投与の前クール、様子見週の次にこの感染症が重なったため投与がずれ、結局3週ほど空いてしまった。
このため縮小が見られた脾臓がリバウンドしてしまい、感染症が落ち着いた後はこの巨脾で苦しんだ。そこで抗がん剤の量を倍に増やして投与されることになり、その際のステロイドで食欲が復活。自力でもりもり食えるようになった。
ちなみに、家で瀕死の状況で買い物を持って来てくれたK山さん、その後不在時のネットスーパー配達に対応していただき、さらには忘れ物まで届けていただいた。大部屋に移動した時に、一瞬帰宅してPCを持ってとんぼ返りしたのだが、何と肝心のノートPCのACアダプタを忘れるというボケっぷり。それを持って来ていただいた。もう土下座しても足りないくらいお世話になったのに、まだその時は感染症が完全に治まってなくて、部屋の前で吐き気で見苦しい場面をお見せしてしまった。申し訳ありません。
にゃほやまさんにはまだユキちゃんを預かっていただいたまま。一人じゃ、やはり生きられない。

幸い、再投与した抗がん剤は倍量にしても、血小板以外の血球減少は大きくなく、量的には問題無いことが解った。先週金曜にもう1度投与を受け、月曜の採血結果を見て、血小板輸血が不要であれば退院…という予定になった次第。

で月曜の採血、血小板の減少は3万ちょいとギリギリで踏みとどまり、成分輸血も不要。さらにヘモグロビンや、何より白血球数がひさびさの4ケタに上がった。
月曜の採血ということは金曜のステロイド効果(血管内の好中球を剥がすので一時的に増えたようにみえる)で上がった数値ではないので、これは悪い傾向ではない。
と、いうわけで以前の「感染症にじゅうぶん注意しながら娑婆に出て良し」つまり退院の許可が下りたというわけです。

…月曜は晩飯のあと、前の入院時に一緒にテレビを見てわいわいやっていたIさんとやはり食堂でテレビを見ていた。そのとき担当のY先生が来て、退院でいいでしょうという話をあらためて確認、その後ナースに書類なども貰った。
横でそれを聞いていたIさんが「良かったですねえ」と言ってくれ、こちらも「でもIさんもちょっと見た感じ状態良さそうじゃないですか」と言うと、「そうですか、でもちょっと味覚も戻ってきたし、ええ感じなのかも知れないですねえ」と。
そんな話をしていると、Iさんの担当医師が入って来て、採血の結果病院内だけじゃなく、短時間なら外出してもいいですよ、という話になった。

Iさんは夏に突然急性骨髄性白血病の診断を受け、その時にはもう血小板数が「首を振ったら血管が切れて危ない」レベルまで落ちていた。もちろんすぐに入院、抗がん剤投与となり、何クールか過酷な治療を続けている。副作用で髪が抜けたりは当然ながら、一番見ていて気の毒なのは「味覚異常」。彼の場合はものの味が全く解らなくなってしまうという辛いものだ。
何を食っても味がわからず、強い塩味やかなり濃いジャンク系の味がちょっと解る程度とか、それでいつも病院の通称「給食」を断って、コンビニで食えるものを買って来て食べている。
それでも気分転換に病院の外へ散歩に出て、運動不足の解消も兼ねて歩いたり、普通のメシを食ったりするのが楽しみだと常々話していた。

お互い退院と外出許可というわけで、Iさんが「じゃあ退院される前に昼飯でも食いましょうか」と言ってくれ、昼を食ってから帰ることになった。

9日、火曜の朝は軽めにパンを1つ残す。
何しろ入院中に外は完全に「冬」に転換してしまったが、こっちの体は寒さにまだついて行けてない。買い物や外食だとふらふらするのはまだ早い。
そういうわけで、退院前の食事も、あったかい病院の中のレストランで、という事にしたのだ。レストランは昼時、外来患者や一般客でもの凄く混む。俺らにとって人混みは猛獣がうろつくサバンナにフリチンで立つようなもの。なので混む前の11時くらいに、と打ち合わせておいた。8時の朝飯から間がない。

食後にシャワーも病院で済ませておく。
何しろうちの風呂場と来たら、ほぼ外気と同じ温度である。
ちなみに今浴室暖房を取り付けたいと交渉中。カビ防止の意味もあるし、ていうか、いろいろ命がかかってますんで、大げさじゃなく。

このたびは「緊急入院」のようなもんで、要するに予定されていたものじゃないため、ほとんど荷物はない。仕事に必須なPC関連の他もあまり無く、カート1つと大きな紙袋1つ。前回よりかなり少ない。荷物をまとめるのも、向かいのベッドで毎日退屈同志で世間話をしていたAさんが見守る中、あっという間に終わってしまった。
患者名と番号が書かれ、それらの情報がバーコードとQRコードでも印字されているリストバンド、切って貰うのを忘れていた事に気付いたが、この時点ではまた病棟に戻る気だった。

病室前でAさんと、新しく入って来たもう一人に挨拶して、ナースステーションに挨拶しようと思って覗いたら何か忙しそうだったので、とりあえず食堂まで荷物を引いていき、Iさんを待つ。Aさんが着いてきて、助手さんと二言三言話してるとIさんが来た。助手さんに「荷物、ちょっとここ置かせて貰っていいですか」と言うと、困ったような笑顔&無言で首をかしげたので、これはダメですねと判断してカートを引き紙袋を提げて、Aさんに手を振って病棟を出た。
病棟外の見舞客用ロッカーにいったんしまおうと思ったら、ロックの仕方がクソ面倒くさかったのと、Iさん待たせるのも悪いので、結局そのままエレベータで1階に降りる。

病院下のレストランはまだ混む手前。席も四人掛けが空いていた。
俺は牡蠣フライとハンバーグ定食、Iさんは牡蠣フライ定食。
待つ間、「シャバはいいですねえ」と笑い合い、お冷やを飲んで「お冷やもうまいっすね」と笑う。「(黄色いハンカチの)高倉健のビールみたいなもんですね」とか。隣のおばはんが怪訝そうな顔でこちらを見ながらうどんをすすっていたが、ま、こっちの話です。

Iさんはちょっとずつ味覚が戻った感じがあるという事で、なんとなく味噌汁や牡蠣フライの味も全部ではないが解るところもあり「うまいです」と言っていた。
良かった。
お互い普通の体じゃなく、血液がんと戦う身。型の違い、進行の違い、使う薬剤もその量も影響も、患者一人一人によって全く違う。
たまに「白血病は今は治る病気の一つですから」とか、知った風なことを言うバカをたまにメディアで見かけると、冗談抜きで強い憤りを覚える。
なーんにもこの病気の事を知りもせずに、じゃあ治してみろよこの野郎。
(ついでに、インフルエンザや何かの感染症が流行すると「高齢者や乳幼児は注意を」と定型句のように言うけれども、要するに免疫力抵抗力の弱い人、弱ってる人への注意喚起だろう。つまりステロイド剤使用中の患者、抗がん剤治療中で頑張って働いてる人など、老人や子どもだけじゃなく世の中にはたくさんの弱者がいて、実際は働きながらそういうリスキーな空間、場所に身を置いている人も多いという事実を、一般の人には知ってもらいたい…とか今さらながら思います)

普通に、病棟ではなく院内とはいえレストランでメシをIさんと食っていると、何か変な気持ちになる。向こうはまだ入院中で、こっちはこれから退院で自宅へ戻る。
ついさっきまで同じパジャマを着て患者同士、テレビを見ながら朝飯を食っていたのが、今こっちは私服で病棟の「外」でメシを二人で食っている。
俺たちは過酷な病気や治療を経て、たまたま、今日は血液の状態が良くて外でメシが食えるという軽い偶然と、俺の退院が重なって「普通のメシ」を食えている。
「…なんでもない事なんですけど、ありがたいですねえ」としみじみ、文字通り噛みしめつつ食った。
Iさんも「他の人からみたら、あんな普通のもん食べて何言うてはるんやと思うかも知れへんけど、これは私らにしか解りませんね」と言いつつ、牡蠣フライの下に敷いてあるしゃきしゃきのキャベツを食っている。
ああ、シャバのメシはやっぱりうめえや。

会計は「退院祝いです」とか言って、Iさんが奢ってくれた。いやはや申し訳ないです、ご馳走様でした。「次はぜひ外で、こっちが奢りますよ」と約束して、エレベータの前で別れた。ありがとうございました。お元気で。
ていうかこっちがまた戻らないようにせんと…。

退院受付は誰も待っておらず、すぐに書類と次の予約票貰っておしまい。
容積は小さいとはいえ重たいカートと大きい紙袋を持っているので、会計をして帰るのは面倒だ。どうせ金曜にすぐ抗がん剤入れるために外来に来るからと、そのままタクシー乗り場へ向かった。
タクシーに乗り込んでから、リストバンドに気付き、ああ、メシの後上がったときにナースステーションに挨拶しようと思っていたのだっけ…と思ったがもう遅い。

スタッフの皆さんにもほんまにお世話になりました。
スマホで「猫じまん」をし合ったKさん、それを聞いてシフトが合わず「次は奇跡の一枚を撮っておきます」と言ってた別のKさん。いつも長話で申し訳ないことをしたO君ほか、病棟のナースたちとは基本、外来に通院しても顔を合わせる事はない。それこそ見舞い扱いで病棟に上がって行かなければならないのだが、そのとき誰がシフトで入っているかは不明。

やっぱまた熱出すしかねえか! いや冗談冗談。

外は久々にちょっと気温も上がったようで、体調も悪くない。でも大事を取って買い物も何もせずにまっすぐ家に向かってもらった。
十数分で自宅前に着き、カートとバッグをトランクから出して貰い、ヨッコラセと階段を上がって鍵を開ける。
ドア内側のポストには郵便物とチラシがけっこうあり、外側に大型郵便物用に置いたポストにはカタログ冊子やらチラシやら。こういうのを見ると、ああ、部屋を開けてたなあと実感。

とりあえずシャワーで使った濡れたナイロンタオルは出して干し、PC類を取り出し、他のものは「入院セット」じゃないがほぼそのまま、窓際の机の下に収めた。
「有事」の際には、PC関係だけ外してぶち込んでこれら持ってけばOKという状態にしておく。
何しろいつ何が起きるか解らない。

もう、長年様子見で「共存」していた白血病というがんの野郎に、抗がん剤治療という「宣戦布告」をしてしまった。
してしまった以上、もう休戦には戻れない。やるかやられるか。
途中で勝手に停戦すれば、脾臓のリバウンドが証明したように、治療前よりも悪化する。闘いを続けるしかない。
また今回のように敵と戦う以外に感染症という、味方から背中を撃たれるようなこともあるわけだ。
ていうか指揮官が無能だったので対応が遅れただけというか…。

スエットの部屋着上下に着替え、エアコンをつける。室温は12℃と、けっこう低かった。病院は26.5℃にしっかりキープされていたが、やはりこの部屋はスッカスカだ。
エアコンは強力になったとはいえ、最初は32℃に温度設定し風力最大にしておく。1時間経ってもぽかぽか、とはいかない。まあエアコンだしな、しょせん。室温も22℃とか。スースーする感じが常にある。でもじわじわと室温は上がってきて、まだ暖かい方の今はこれでじゅうぶん。
これから真冬の底冷えが怖いが…。
まずはPCまわりを接続し直し、異常なしを確認。

ソファに転がってふう、と一息ついて天井を見る。
つい今朝がた、病室の天井を見上げていた。
ただし病室はクラス1000をクリアする、がっちり空調が効き、空気中の清浄も保たれている環境(ちなみに個室はクラス100レベル)。クリーン病棟と言われるのは、巨大病院の中でもあそこだけだ。
だいたい好中球数が500を切るような人だと入院時はあそこを推奨される。というか抗がん剤治療や骨髄移植で入るような患者のためにあるのが、クリーン病棟。いまだにビニールカーテンで仕切ったりしている病院もある中、京大病院積貞棟は現時点では日本でも有数のレベル。

そこから戻ったんだよ普通の部屋に(笑)。
常在菌、腸内菌にすら負けるような俺が、今後ひょっとしたら紅白を病室で見ている…なんて事もあながち冗談では済まないのである。
そしてマスク、うがい、手洗いをきっちりして常に手指の清浄と身体の清潔につとめ、気をつけ、人混みは避け、感染リスクは出来る限り回避して…ても感染症は抗がん剤治療という「戦争状態」に入った以上、避けられない。

いやもう、本当に一日一日生きていくのが大変だ。
その一日一日をどれだけ積み重ねていけるか、毎日が戦争。
猫と寿司と酒の「日常」という平和を取り戻すために戦うのだ! とカラ元気を出す。
そして茶にむせる。
咳しても一人、という…。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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