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2015-03-04(Wed)

生きている&生きていく

2015年03月04日(水)
冬来たりなば…と言うが、春はなかなか来ない。
病気をして体が弱ると、ほんとうに寒い冬はきつい。寒いってだけでしんどい。北海道生まれなのに。

退院からほぼ一ヶ月経った。
この間買い物はネットで済ませ、ゴミ捨て以外は、外出はほぼ病院の2回だけだ。
このゴミ捨ても2階からゴミ捨て場までえっちら持って行くというのが「凄く過酷な苦行」である。他人にはそう見えないだろうけど、人は見た目では解らんのですよ、皆の衆。

退院の後と言えば、様子を聞いてくれる電話を携帯にかけてくれて、俺が気づかずに体調が悪くて寝ていたら、心配してすっ飛んで来てくれた方がいる。いつもお世話になっている編集のKさんで、「また熱で倒れているのかと思って」と、ポカリとか買って来てくれて、もう恐縮至極。今は出来ないけど元気になったらフライング土下座とかしたい。
去年の感染症での入院時、忘れ物があれこれあって、本当にお世話になりっぱなしだというのに、ほんますんません。

お世話になりっぱなしといえば、去年の秋、抗がん剤治療に入るために入院するにあたり、猫のユキをずっと預かっていただいているにゃほやまさんにも頭が上がらない。
自分でも、白血病が進行し、治療を受け、入退院をこの半年で3回も繰り返すようになる…とは思わなかった。また必ず元気になって猫と暮らす、そんなの当然じゃないかと微塵も疑わなかった。いっときの事だと恐縮しつつ、お願いしたつもりが、このていたらく。
そんなにゃほやまさんは、ご自身のご家庭の事情で大阪にいったん移ってあれこれ用事があるというのに、引き続いてユキを連れてって下さるという…。

耳の聞こえないユキは、誰かが面倒を見ていてあげないと、泣き、わめき、暴れる。その変わり人なつこく甘えん坊で警戒心は無いので、もし外へ遁走したらきっと、すぐ保健所行きか交通事故か、あるいは猫嫌いに殺されるか、いずれにしても生きては行けないだろう。
もちろんまた一緒に暮らしたいが、俺もこんな状態で、いつまた入院するかも解らないうえ、今の体の状態ではとても猫という「感染リスクの塊」とは暮らせず、体力的のもこういう状況ではどうしようもない。その、申し訳ないけどご厚意に甘えるしかない、という状態がまた申し訳なく、本当にせめて進行前の小康状態まで戻って欲しいと思う。
強い治療をすればしたで長く治療はかかるというし、治療後に生きている保証もない。やれやれ本当に因果なものだ。
つくづく、健康は宝。

…2/7に退院後、2/16、3/2と2度病院へ行った以外、基本的に自室で大人しくしていた。
買い物はネットや宅配で賄える。マスクや手袋などの防疫グッズや脱水防止のためのスポーツドリンクの備蓄は退院後に補充、ソファ周りもすっかり病院のベッドのようになった。
枕元にはドラム缶みたいな業務用のアルコールティッシュ、薬箱、体温計や指先の酸素濃度を測る小型のホチキスのような機械。もちろんアルコール消毒液や、テーブルの上には常用薬とか消毒液、そして血圧計。
基本的に、入院中に病室で毎回看護師さんたちに測ってもらっていたバイタルは全部自力で出来るようにして、記録もつけている。
これでそのバイタル記録が病院の電子カルテに飛べば、完璧なのだが。

病人が一人で引きこもって暮らすのは、けっこう大変だ。
何回も書いてるけど、死んだら変死扱いで警察案件。
飲めない、食えないとなって動けなくなったらと思うと恐ろしい。電話とかあるやろ、というけどいつぞやの発熱時は、吐き気で半身起こすことも出来ず、電話もできないという状態になったことがある。意識レベルも低下していた。本当、冗談じゃないって。
あとこれは普通の人でもそうなんだけど、循環を良くするために一日1.5~2リットル程度の水分を摂るよう推奨されている。これもけっこうきつい。自分の場合は腫瘍細胞や血球が壊され、それが肝臓、腎臓に負担をかけるので、この代謝には注意するよう、もう習慣になっているが、なるべく摂る水分の種類にバリエーションをつけたり、少量こまめにとかで乗り越える。
よく風呂上がりに水分を…というような、アレに近いものだ。寝起きにコップ一杯の水とか。
放射線照射前は、巨碑が左腎臓を潰し膀胱も上から圧迫していたので、とにかく水分摂れと言われても、摂ったらすぐ出す、出したら飲む…みたいな感じだった。要するに頻尿。物理的に膀胱が圧迫されて貯水量が減っていたからだが、夜中も年寄りみたいに1回はトイレに立つとか、本当にしんどかった。
入院治療中は、副作用や感染症で吐き気が酷い時は水分も摂れず、自力で摂れない場合は点滴になる。点滴が嫌だから自力で摂取する。これは食事も同じ。

そうした生きる上で最低限の水分と栄養の摂取で、いちいちコスパが悪い。
とにかく感染症ですぐえらいことになりかねないので、普通の人が不要なコストがかかる。
例えばペットボトルのお茶も、大きいものはもう買えない。水出しを自分で作るとかも、もう論外。一回で飲みきるサイズのペットを買い置きする。なのでいちいち割高になる。
一度うっかり開けて一日ちょい経過した牛乳でアイスオレを作って飲んだら、その後三日下痢をした。どういう弱さなんだよ自分。牛乳も1リットルパックではなく、500mlの小分けしたのを数箱ずつ買う感じ。本当、高くつく。
味噌汁もカレーやシチュー、鍋なども、一回で食いきれる量を作るのはいくら何でも贅沢すぎるので、ある程度の量を作るわけだけど、そういうものもこまめに火を通しても翌日に持ち越す場合は冷蔵庫、あるいはジップロックに小分けして冷凍してしまう。当然次は味が落ちるがしょうがない。

そうそう、カレーは二日目がおいしいとよく言われるけど、耐熱性の菌類(セレウス菌、ウェルシュ菌など)があるので食中毒に注意、ですよ奥さん。健康な人は神経質になる必要ないけど。
その他使い捨てのマスクゴム手袋だの、歯ブラシは使用後にUV殺菌するケースを使ったり、空気清浄機は基本24時間作動とか、本当にあれこれ大変。ほんま、大変。


さて、そんな中数少ない外出、先日2日の血液内科受診。
結論から言うと悪くはなってない、ただし赤血球系だけが今一つ…という、ちょうどその日の「曇り空」みたいな感じだった。

白血球数は
440-480-650-620-(最後の放射線照射)-520-(退院)-850-920
と順調に増え、脾臓の機能亢進による血球減少はとりあえず落ち着いたかたち。いやまだ低いけど。

血小板数は64000と、入院中上下していた数値に比べると横ばい。それでも退院前の37000から43000と来て…なので持ち直した格好、これはOK。

ただ赤血球数が増えないのと、困るのはHGBが
6.7-7.1-6.6-6.4-(最後の放射線照射)-5.4-(退院)-6.6-6.0
と、輸血しようかどうしようかという数値で推移していること。

一応若い血球は数値上は増えて来ているので、ちょっとまた様子を見ましょうか、という事になった。
結局、脾臓が縮小して機能亢進をいったん止めても、根本的な治療=腫瘍細胞を叩いてはいないのでまた膨れてくることもあるし、治療どころが難しいですね、という。
現実にまだ血球がこうして壊されていることを考えると、今抗がん剤でがつん…という治療はあんまりよろしくないという事だ。特に治療では血球減少、骨髄抑制が懸念されるので、毎度毎度同じことを書いている通り、もうちょと上向きに、白血球数も増えてくれると…というところ。

でも白血球数は900台なんて久々じゃないか。(これで喜ぶのもどうかと思うが)
好中球数が53%だから単純計算で487。鮮度のいい寿司なら食えるか…とか考える。ていうかもうそこら辺「運」なんだけどね、実際。健康な人でも衛生上よろしくないのに当たったら文字通り当たるし。そのハードルが俺の場合恐ろしく低いのと、もし食中毒にでもなったら普通より重症化しやすいというだけで。

そんな感じで、輸血は、とりあえず本人=俺にきついという自覚症状があまり無いので、回避。
普通の人がHGB6に突然下がったらブッ倒れるだろうなあ。慣れって凄い。実際、病棟でお世話になった看護助手のKさんは貧血が持病で、ヘモグロビン値が6のこともあるという、なのに元気に笑顔で患者さんの車椅子を押したりしてて、凄いし、偉いと思った。同時に体大事にね、とも。

また家でいつもより目眩がするとか、強い動悸、息切れほか明らかに異常があった場合はすぐ病院へ、とのこと。あと熱は当然。
次回は2週間後にしましょう、ということになった。
ふう、これでまたシャバの生活が延長された…。
でも依然、感染症なんかでいつ入院になるか不安定な状態は続いている。また出来るだけリスクは回避しつつ、それでも感染したら即病院。

主治医のK先生も言われていたが、早くあったかくなってくれればねえ…という思い。寒いし乾燥している冬、このきっつい季節を毎年乗り越えるのが本当に厳しい。ふるいに掛けられているよう。
あとは今日の採血、他にはLDHが336となぜか上昇していて、総ビリルビンも2.0で高い。CRPもなぜか1.3。ここ数日下痢が続いているが何か関係あるのか。無いのか。もう知らん。やり過ごせるものならやり過ごすしかないし、熱が出て来たり状態が悪くなれば病院へ行く。

正直、こんな状態になって生きている、その事の意味を問わない日はない。
いや、むしろもう生きるの面倒くさい、と思う時も多々ある。
ここには以前と変わらないような平気なように装っていたが、メンタル的には最悪だった時期もたびたびあった。

でも連れ合いがいてくれた。その連れ合いが急に逝った。
でも猫たちがいてくれた。それがユキだけになり、そのユキと病気で別れざるを得なくなった。
あの時も「もう、頑張らなくてもいいかな」と思った。
たぶん、これまでで一番強く。
はっきり言うと正直死んだ方が楽かな、と。いろいろ頑張りすぎてきたし、本当に疲れたし、本当に何もかもが面倒になった。
ユキは幸い、京都府内にお住まいのにゃほやまさんが「預かる」「心配いらない」と言っていただき、ああ、じゃあ生きないと、と思い直した。

連れが亡くなったあと、悲しみの中、その「後始末」を、当の悲しみのどん底にある伴侶が行わねばならないという不条理に、本当に傷ついたし、命を削ったと思う。
連れの顔を思い浮かべただけで情動失禁が起きそうになるような状態なのに、たくさんの書類、役所の手続きなど、そして彼女が教授をしていた大学の「研究室」の整理。
彼女が生きていた頃そのままの状態だった研究室を、もちろん当時も白血病患者で連れ合いを失った悲しみのなか、たった一人で誰の手伝いもなく、部屋を片付け、遺品である荷物を送る算段をした。

これは何の拷問だと、悲しみより心底世の中全てに恨みと怒り、やりきれない絶望を覚えた。
こんな世の中、これから生きていく意味があるのかと問うたとき、連れ合いが常に自分の病気を心配し、わたしより先に逝かないでと願ってくれていたことを思い出した。
なら、もういいんじゃないかと。
しかし自分が生きることを願ってくれている人は先だった連れ合いだけではなく、それらの人の思いを自分から踏みにじる事は出来なかった。
見苦しくても、しんどくても「生」にしがみつこう、と。

だから、いろいろとただ普通に生きていくだけで、面倒だし、不愉快なことも多いし、何より世の中は不条理に満ちている。
まっとうに、何も望まない、健康すらもう望めない、であればせめて猫と暮らせるくらいまでの回復でいい。
それすら叶わないという現状、本当にどうすりゃいいのさ状態だった。
本当、死んだ方が楽だと思ったことは一度や二度じゃない、お袋に逆縁の不幸を味合わせたくないとか言ってても、正直きれい事かも知れない。
どっちが先に逝くかみたいなチキンレースやってんじゃねえっての。
それは冗談として、励ましてくれた人、助けてくれた人、今も気に掛けて下さる人、ユキを預かってくれているにゃほやまさんも大変な中、ひとこともこちらに文句を言わず、いつも励ましていただいている。
その事で生かされていると感謝している。
生きる力を貰っています。
返しきれない恩を返す、ちょっとずつでも返していく、
それが生きるモチベーションなので「頑張ります」と伝える。
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コメント

泣かせるなよ〜

なんか、白取さんの言葉の一つひとつが、命の重さを感じさせてくれる。泣けてくる。ケンコーなニンゲンでも、時々は生きていくしんどさにくじけそうな時がある。でも、白取さんが、比喩ではなく、必死で生きている姿に、私自身がシッタゲキレイされて、生きる勇気をもらっています。白取さんが元気になって、ユキちゃんをその胸に抱いてあげられる日まで、ユキちゃんを必ず守ります。

No title

B-CLLerです。これまで白鳥さんのブログには勇気づけられてきましたが、とてもつらい思いをされてこられたことを思うと、心が痛みます。
今回の脾臓の治療で血小板と好虫球数が改善されたのは大きいですね。
猫ちゃんとまた暮らせるといいですね。僕は猫と家族とで暮らしています。

管理人のみ閲覧できます

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No title

私も白取さんの言葉の重みに感じ入っています。
くれぐれもお大事になさってください。京都が早く温かくなりますように。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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