--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2015-04-10(Fri)

ちくま文庫「COM傑作選」にやまだ紫作品再録

nakajou_com1.jpg
数日前、筑摩書房さんからちくま文庫「COM傑作選」上下巻2部をいただいた。
これは中条省平さん編著によるもので、上巻が1967年~1969年、下巻が1970年から1971年となっている。
下巻のトップに、やまだ紫の「COM」時代の作品『九つの春』が収録されている。
この「COM」時代のやまだ紫作品は、まだ線が多く整理され洗練される前という印象だ。ここにもたびたび書いている通り、本人曰く「恥ずかしい」と言っていた当時の作品。
だが、俺はこの時代の彼女の作品もとても好きだ。女性作家にこう言うのは失礼かも知れないけれど、無骨というか、不器用というのか、とにかくいい作品を描きたいという意識より、まず、自分の頭の中にある物語を何とか絵にして表現したい、という方に苦心している印象がある。
イメージ的には棟方志功のように、机にへばりつくようにカリカリと書き込んでいる姿が目に浮かぶようだ。ちなみに若い頃から彼女は極度の近眼だった。

代表作「性悪猫」から「しんきらり」(いずれも70年代半ば以降、「ガロ」連載作品)の途中あたりから、彼女の描く線はどんどん「整理」されていく。
漫画とはよく言われるように省略の芸術…というか表現で、見た目そっくり実写並に描くのであれば、写真撮って貼りゃあいいじゃない、という事をよく話した。
彼女の理想は、例えば二本の線をすっと引いただけで女性のなまめかしい足を表現出来るような、そう、彼女の好きだった林静一さんのような線を描きたいといつも言っていた。
もちろん手塚治虫作品も大好きだったし、白土三平作品も好きだったのだが、この「COM」投稿から掲載当時を振り返って、本人は「自分の線」がなかなか見つからなかった、決められなかった頃だと後に語っている。だから「未熟」で「恥ずかしい」という思いになったのだろう。

けれども、だからこそ、この頃の作品はやまだ紫という作家の息吹が、魂が、作品を絞り出し紙面に刻み込まれていくような、「力」を感じる。やまだ紫の魅力はもちろん、その何気ない日常をドラマに作り上げていくストーリーテラーとしての部分もある。
これまた繰り返になるが、やまだ紫という漫画家を「私小説作家」と評する人がいたら、その人はボンクラだと思って良い。本人も晩年そういう批評家には説明するのも野暮だし「面倒臭いからそうだと肯定しておいた」と苦笑していた。これは俺が生き証人。
やまだ紫はデビュー時から一貫して物語りを、言葉と絵を紡ぎ作品を仕立てていく作家であった。
その仕立てがまだ手探りのような、懸命さが感じられるからこそ、俺は初期の「鳳仙花」に収録された一連の「COM」掲載作品も大好きである。
あまり器用には立ち回れず饒舌でもない、しかし内面にはしっかりとした自分を持ち、熱い部分を抱えている。いっぽうで静かに、冷静に自分や周りの「せけんさま」もじっと見ていた、やまだ紫。
そんな作家・やまだ紫が自分のこと、自分と母親とのこと、異性とのこと、そういう思いから物語を作り漫画作品というかたちにする時に、まだ抜く事を知らずに全てをぶつけていたような時期だったんじゃないか、と思う。それが、後年「若気の至り」であるかのように彼女を照れさせたのだろう。作品は素晴らしいのに。

『九つの春』はこの時期の作品の中でも、比較的線は整理され、またネーム…モノローグの構成なども詩的なリズムのあるもので、後年詩壇からも評価された独自の「ことば」の面白さがある小品だ。
「COM」にせよ「ガロ」にせよ、現代の日本漫画やアニメの隆盛(それは単なる商業的な規模や売り上げといった一面だけではない)を語るうえで欠かせない表現の場、そこで活躍した作家やその作品が読み継がれていくという事はとても喜ばしいし、一ファンとしても嬉しい。

写真の彼女に報告をし、手を合わせる。
作家は死んでも作品は残る。そして、いい作品はきちっと後世に伝わって行き、残されていく。そういう当たり前の、表現者が報われるニッポンであって欲しい。
漫画や小説でも何でも「売れてナンボ」「売れた作品こそいい作品」という考え方は、再三述べているように「正しい」。
それはもちろん、売り上げ至上主義という数がおおい・すくないという誰にでも解る指標において、の話だ。「いい作品だとか言っても、売れなきゃ存在しないのと同じでしょ」と口角歪めて小馬鹿にしたように語る連中の顔を、今でも覚えている。
同じ業界でこの仕事が好きで仕事をしているのに、こうまで見ているものが、考えていることが違うのかとある意味感動すら覚えた。
もし、売れた作品こそ良い作品であり、売れなかった作品はこれすなわち全て駄作だというのなら、この「COM」傑作選に入っている作品は全て駄作という事になる。
それでも「いっぱいうれたのがいいさくひんだ!」と言い張る「売り上げ至上主義者」は、この素晴らしい作品たちが何を訴えてくるか、気付かないだろう。さらに、この時代にこうした作家たちがどれだけ日本漫画の表現を少しずつ、少しずつ拡げて行ったか、さらに連綿とそれが今現在の漫画界につながっている事に何の意味も見いだせないだろう。だから表現論など語らずにすっこんでいればいい。売り上げなんかちょっと調べれば今時誰にでも解る。
オリコンチャートでもAmazonランキングでも何でもいい、とにかく誰にでもわかる「おおい・すくない」で一生作品を語ればいい。ただし見えないところでやって欲しい、恥ずかしいから。

筑摩書房さんは、かつてやまだ紫作品を文庫化していただいた版元さんだが、彼女の晩年、作品を品切れのままほったらかして塩漬けにした。それは経営者の判断なので仕方のないことだ。「残すべき作品、作家」と判断しなかったんだから、議論にすらならない。その人はもう退職したそうで、おそらくもう一生会うこともなかろう。

今回再録にあたり連絡していただいた青木さんは、大和書房時代からのやまだ紫の担当編集者で、業界では俺の先輩にあたる方。彼女の作品が品切れ中に「力が足りず申し訳ありません」と言われた。同じ会社でも、売り上げ至上と考える人と、良い作品を残そうという人とはしばしば対立する。そんなことは百も承知している。青木さんに全く非はないし今でも感謝こそすれ、昔、高島平でやまだ本人に紹介されてお会いした時から、全くこちらの気持ちは変わっていない。
またこうしてやまだ紫の作品が、一人でも多くの人の目に触れることに、改めて感謝したい。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。