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2015-06-04(Thu)

最近の調子・リハビリ中

2015年06月04日(木)
また「どしたの」お尋ねをチラホラ頂戴しまして、近況をば。
まず体調の方は、概ね変わらず横ばい、数値的には先日(5/25)の採血で、さらに少し良くなっていました。

WBC(白血球数)が900-1170ときて1370。
HGB(ヘモグロビン)が8.6-9.8ときて何と10.6
PLT(血小板)は57-65-70(×1000)でまあまあ。
まあこういう数値はがたんがたん上下するので、そんなに一喜一憂はしない。もう「T細胞性慢性リンパ性白血病に似たタイプで世界中で俺だけ」という血液腫瘍にかかって十年になる。
引っ越し前後のあれこれで、入力を別に分けていた分の記録がない飛び飛びの2年くらいがあるが、概ね、十年分の採血はデータを記録してある。
グラフの、だいたい左三分の一くらいが2005年あたりのデータで、真ん中のガタガタが2013年、右三分の一くらいがここ一年ちょいという感じ。
真ん中のガタガタはハロワ通ったり、ちょっと無理して働きに出たりあれこれ動いたので、悪化しちゃったんですな。
数字にはっきり、出ている。
病人が無理しちゃアカンという事です。

これがその採血一覧の、ほぼ全体の最新3分の1(2014~)。細かいあれこれはまた別シートもある。
blood1.jpg
本来は、定点観測…採血日の間隔がある程度一定に揃ってないとグラフ化する意味ないんすけど、一応おおまかな流れが十年も蓄積されると、解るようになります。

ちなみにこれが白血球のみのグラフ、全体。目盛りは500単位。
途中激しく上下しているのは、去年秋の抗がん剤投与の際に使用したステロイド剤効果(血管壁の好中球なんかを剥がすので一時的に数値が上がるだけ)で、すぐ元に戻り、最近までゆるやかに下降線をたどっているのが解る。
bllod_wbc.jpg

んでこれがヘモグロビン値のグラフ全体。
これはもっとはっきり、グラフの左側三分の一、十年前のデータが安定して12~14を保っていたのが、2013年、感染症にまたちょくちょくかかるようになったあたりからおかしな事になってきて、その後一年でがくんと落ちて低値安定し、さらに治療後は輸血レベルに頻繁に低下している。
bllod_HGB.jpg

他にもいくつか視覚化しているデータもあるんだけど、まあそれはそれで。
一応定点ということでいうと2年前に病気が「悪化」した時までの、一年おき同時期のデータを比較のため切り出したりすると、いかにこの年…2013年に病気が大きく「動いた」=「悪化した」かがわかる。
blood2.jpg

2005年の8月15日に「あんた血液のがんね」と確定診断をされた(「癌告知と余命宣告を受けてきた」)。
それからほぼ8年ほど病気はくすぶってくれた、だがその間に京都に引っ越しをし、胆石発作が続いて胆嚢切除手術、2009年春には連れ合いが先に逝き、猫二匹の片方にも死なれ、自分も帯状疱疹悪化させて死にかける、肺に穴空いて調べたらカリニ肺炎で肺の中が穴だらけ、おまけに縦隔の腫瘍はみかん大で摘出手術。
いろいろ物いりで貧乏になるわ仕事は減るわで、引っ越しをしたのが2012年春、そこから俺はとにかく動けるうちは働こう、働いて何とか最後まで死ぬまで編集者として生きる、「編集王に俺はなる!」という決意をした。嘘だけど。

有り体に言うと貧乏になったが病気は低値安定、くすぶっていたので、防疫に気をつければ、常勤じゃなければ仕事を…と思って2012年、ハロワに通ったんだよ俺。
今から考えたらアホかお前、と思う、でも日本男児として…違うか、とにかく大人として「働けるうちは働け」というのは人として当たり前だし、俺は、働きたかったんだよ。
いやね、でも後で役所の人と世間話をした時に
「白取さん、普通そこまでする人おられませんよ…」と言われた。
俺もそう思う。
でも幸い桜風舎さんが編集の仕事を、しかもやれるところを在宅でという条件でいただけたので、何とか頑張ってるうちに、やっぱり、この年病気は悪化したんだなあ。アカンかったんですわ、やっぱし。
病人がまっとうに働いて、格好良く「自分のケツは自分で拭く」「死ぬ時は前向きに」「死ぬまで生涯一編集者」とかね、さんざん格好いい事言っておいて、このていたらくですわ。
いやまだ編集者やってるけどさ!


とにかく心身ともに無理を、本当に自分でも無茶をした。
あ、俺重病人だったんだっけ、と鼻血でどろどろになってから気がついた事もあった。
そのうち脳に血がまわらなかったんだろう、アレッ、と字や言葉が出て来なかったり、突然めまいがして立ってられなくなったり、ちょっと非常勤とはいえ会社に通うのが無理っぽくなってきた。
結局その後も回復はせず、仕事は大幅に減らして貰って、引っ越しも最後の力で会社の近くに社長さんのご厚意で世話してもらって、それからが感染症感染症との戦い、輸血頻回、ユキちゃんをにゃほやまさんにお預けして、とうとう抗がん剤入院のため9月から2ヶ月入院した。

採血データで見ても、元の病気による血球減少に、抗がん剤の副作用としてのそれが加わって、がんがん白血球数が下がっていくのが解る。
汎血球減少というのはこの病気に宿命とはいうものの、危険領域を越せば何とかせなアカン。
死んじゃうし。
俺の場合は造血細胞のうち9割以上がじわじわと進んできたとはいえ、癌に冒されている。
つまり血を造る工場のほとんどが焼け野原もしくは機械が壊れている。
まともな血を生産できるのは隅っこのバラック一つだ。
終戦直後か。カストリ雑誌でも売るか。

カストリ…じゃなくて何とかかんとかまともな血をちょろちょろ作って特価本卸し…じゃなくて血管通して流してくれていたのに、巨大化した脾臓という化け物みたいな臓器がガンガンとそれらを取り込んではぶっ壊し、結果まっとうな血…とその成分が行き渡らない。
白血球系が足りないと感染にかかりやすくなる。免疫力が落ちる。ヘモグロビンが足りないと貧血で目眩や息切れがする。これは低値だとかなりしんどい。白血球の減少は体感はよう解らん。血小板の減少は、血が止まりにくくなり、朝は必ず喉の奥に血が溜まっていたので、痰と一緒にはき出さねばならなかった。色々大変だった。
こうした状況から弱い抗がん剤から試したが、免疫低下がうまいことおさまらず、そのうちまた感染症を起こし、入院、退院、そして今年の頭にはインフルエンザにかかった。
で、その回復を待って、その入院の間で、脾臓への放射線照射を提案されて、弱い線量ながら一日おき10回照射して貰って退院した。

この2月あたまの退院から数日後、7kgほど体重は落ちており、夜中に鏡を見て「死相が出とるなコイツ」と思ったが、さいたまから仕事先の社長さんのご厚意で、車に次女ゆうちゃんと孫娘(!と思われるが実は亡くなった連れ合いよりゆうちゃんとの方が年が近いのである)が、訪ねてくれた。
俺がげっそりと痩せており、退院直後だったので、酒飲んだりは無理だったものの、彼女らが朝から観光に出たのに合流し、昼食は下鴨高木町の明青さんへ寄せていただいた。久しぶりだったが、奥の座敷をあけていただいて、本当に久しぶりに娘、M、Sたちとわいわいご飯を食べられたのは良かった。
その時写真を「イエーイ」なんて撮ったわけだが、それを見てびっくり。
亡くなる直前の、連れ合いにそっくりだった。
いや晩年の三津子さんは肩までのショートヘアにカチューシャをしており、縁なしの眼鏡。
この時の俺はオールバックでやはり縁なしの眼鏡。おまけに退院直後で激やせ死相つき、という状態だった。
ゆうちゃんが「ママにそっくりだよう、ちかちゃん」というので撮った写真を見せてもらうと、我ながらギョッとするくらい似ていた。
いやもう絶対、知らん人が並べたら最低でも姉弟、ちょっと遠目に見たら同一人物と勘違いするレベル。
…実はあまりにそれが洒落にならんレベルだったので、当時ここやFacebookにアップするのも遠慮したくらい。
今後もちょっと見せられないな。
俺が「ママがもうお迎えに来たんちゃうかな」と言うとゆうちゃんが「そんな事ないよ、守ってくれてるからだよ」と言ってくれる。
ええ子やなあ(笑)。
俺がゆうちゃんのママと一緒になった頃、ゆうちゃんはまだ小学生で、団地で叱られて泣きながら晩ご飯かっこんでたのに。大きくなったなあ。

そんなこんなで、退院以降はそろそろと、病院以外はほぼ外出せず、とりあえずは減った体重を回復させる事に努めた。
何しろ努力せんと歩けなくなってしまう。この年で足が萎えたら色々終わる。
かといって健康な人のような運動は出来ない。感染も怖い。転倒や骨折も怖い。
何よりまだこの段階では血球減少が続いていたので、貧血輸血貧血輸血…の繰り返しだった。

それでも、脾臓が小さくなったおかげで体はずいぶん楽になった。
腹が苦しくなくなったお陰様で、飯もがふがふ食えるようになった。ありがてえ。

あと控えていた酒の方もリハビリをという事で声をかけてもらい、俺の入院で延びていたおおかみ書房のうちあげを、大阪から千葉ちゃん、伏見から呉君が来てくれて行った。

その後、つい先日は一昨年の入院の時に猫のお世話になった、岡崎のシェアはウス凜娯館の井上さん堀さんご夫婦にお誘いいただいて、うちの近所の「六軒」さんで飲んだ。
「退院後のリハビリなんですよ」とママさんに言うと、残り少ない一升瓶を「じゃあこれサービスしますね」と言われた。
それを抱いているのがこれです(笑)。
20150515rokken.jpg
どうやら死相は消えたようだし、体重も戻って死んだ連れ合い瓜二つ状態でもなくなった模様。
ちょっとポーズがオカマっぽいですがオカマでは、ないです。

しかし依然、2年前の数値にいくつかが「戻った」だけで、それが続くのかは解らない。何しろ本体のがん治療はしていないし、その他の数値などみても、健康体からはほど遠い。
腹が苦しく、臓器が圧迫されてふうふう言ってた、機能亢進で溶血が起きていた、輸血頻回で本当にきつかった、そんな状態からはとりあえず、今は解放されている。
でも調子には、乗らない。何度も書いてきているが調子に乗ると必ずしっぺ返しが来る。
調子に乗ってないのに、しっぺ返しというかしっぺみたいなものをバシバシやられ続けてきたこれまでの俺の人生。

頼りになるのは自分だけだとか、まあ正直世をすねたりもしましたよ。
でもね、結局ブログだけになってもメールをくれたり、励ましてくださるコメントや拍手をいただいたり、友人でも気軽に電話をくれる。そういう人たちが生暖かく見守ってくれているのと、老母がまだ生きてるんでね、先に死ねないってことで。
毎回毎回同じような事書いてて申し訳ないすが、そのうち、こう見えてもけっこう読書をしたり、マンガやアニメ関連の情報は、某仕事仲間のアニオタから「今期はこれを見るように」なんて言われて、話題作は見たり、あるいは読まされたりもしています。
彼らは20代と40代なので、微妙に推してくる作品が違ってたり被ってたり、クール終了後の感想も若干違っていたり、またそれも俺とも同じところもあれば違うところもあって、面白いですな。やっぱり、マンガやアニメは面白いよ。小説も、写真も、映画ももちろん。

そういえばアニメで、3月で終わりましたが「SHIROBAKO」なんかむちゃくちゃ面白かったですね。
昔のアニメ制作現場の回想シーンがあって、あれはちょっと30年前の青焼きや製版フィルムを持って飛び回ってた頃の自分ともだぶったりして、感じ入るところもありました。
何でも、「情熱」っすよ。
最近のわけえもんには(笑)、その「熱い情熱」ってぇもんが、足らないんですよね、長井さん。
小賢しい上っ面の誰でもネット叩きゃ出てくる「情報」で、自分が大きくなる過程を「はしょる」クセがついてる。
どんな仕事にも下積みがあって、俺らも返本整理や在庫整理やらで地べた這いつくばって、埃や泥にまみれ、編集から本の墓場まで見た。営業にも出てさんざん苦労をした。そうして自分を叩き上げてきた。
そこ、楽して通過しようとしたらアカンよ。特にものづくりの現場ではね。
しなくていい苦労を敢えてする必要は全くないと思う、でもしていい苦労、しなきゃならん苦労はせなアカンよ。

まあ、とにかくそういう人さまの創作物を人並みに楽しむ余裕も若干生まれてきました。
状態が悪い時、しんどい時は何もする気も、もちろん読んだり見たり聞いたりも出来なかった。
転がってるだけ。義務感で何か食って横になり、あとは生きるのに最低限の動きしかしなかった、いや、出来なかった。
そういう人も世の中にゃいるんだよな。でも俺はなんとか、ぎりぎりでエッヂをまだ、落ちずに歩けている。

今、ユキちゃんを預かってくださっているにゃほやまさんことTさん母子は、息子さんのご病気の療養をかねて、北海道へ出かけられています。
ちゃんと、ご自分が飼われていた犬のモコちゃんと、俺がお預けした猫のユキちゃんを、それぞれ身内にお世話をきちっとお願いして行かれました。
もうほんまに頭が上がりません。正直、身内や近しい人ら、まったくユキちゃんの面倒に関しては事情が事情でお預けできる人がおらず、今自分が去年秋からの入退院を経て、とりあえずはシャバでこうして体の調子を徐々ですがリハビリを…と出来るのは、全て、まったくもってにゃほやまさんのお陰様です。
今の時期の北海道はほんまに最高です。素晴らしい花々と新緑の競演、そして採れたての海の幸や山の幸。気候も夜になればストーブがいる日もありましょうが、北海道の家はあったかいです。
…とか言ってたら低気圧が接近中! どうかお気を付けて…。遠い空の下から安寧とご幸運をお祈りしております。

そうして、山中さんと再会し、数カ所からガロのこと残しておきませんかと言われたこと、それらもぼちぼちと考えねばならん。
死ねねえなあ、まだまだ。
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コメント

No title

近況報告、嬉しく読ませていただきました。

昨日、『COM傑作選』購入しました(下巻だけですが……)。中身の濃さに驚きました。やまだ紫さんの作品も素晴らしいですし、赤塚不二夫、石森章太郎、諸星大二郎、萩尾望都、樹村みのり、そして手塚治虫御大……そのほかに対談や読者白書など貴重な記録も満載。本当に買って良かったと思います。このブログで白取さんが紹介してくださらなかったら、絶対に手に取ることはなかったでしょう。有難うございました。

お体くれぐれもお大事に。

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No title

治るんじゃないですか?そのうち!
移植は必要なさそうですね。
よくなられてよかったです。

Miee

死相が消えてる!

白取さん!死相が完全に消えて、本来のイケメンに戻ってますよー。
に、しても、すごいデータです〜。記録魔でしゅ〜。
ユキちゃんもモコも、環境順応性というか、運命受け容れ力が高いですよねー。
ちゃっかり預け先で「いる、ここが我が家。いる、ソイツが飼い主さま」てな感じで、くつろいでおりましゅ。白取さんも生きる運命受け容れて生きちゃいましょー!にゃんとかにゃるワン。

Re:

とりあえず現状維持さえ出来ればという感じでしょうか。
でもまあ、治療したわけじゃないので油断大敵ですが。

kaoru様
あの時代の漫画界は凄い人たちが競うように刺激し合って、どんどんとマンガという表現そのものの幅、奥行き、全てが全方向へ拡がっていった気がしますね。
そのエネルギー、熱みたいなものはネットが無い時代、作品を通す、作品で見せるしかなかったわけで。今よりいい悪いの話ではなく、確実にそんな時代でした。
それにしても皆さん、凄い個性ですよね。

Miee様
いやあ、何回も書きますが油断大敵で。
まあ自然寛解は無いと思いますよ、この進行度だと。移植まで行けたら逆に凄いですし。
でも何でもポジティブに考えるのはいい事ですね。
今の状態は半年前より確実に良いので、それに素直に感謝したいと思います。

にゃほやま様
いつもありがとうございます。
本文中にも書いてしまいましたが、頭が上がりません。
死相が消えたのは良かったですが、イケメンは無いですよ(笑)。でも動物は順応性高いですよね。あれこれ余計な事を考えないからかも知れません。人間は考えることは武器ですが、悪い方向、よからぬ事、ネガティブな考えはアカンですね。
状態が良いといっても、健康体にはほど遠く体感も最悪の時期に比べたらずいぶん楽というレベルです。
まあ油断せず大事に生きていきます。そちらもお気を付けて。

金魚の殿様

白取さん、ご丁寧なお返事ありがとうございます!

本当にあの時期の漫画界には大きなエネルギーが渦巻いていたと思います。今の日本漫画の隆盛もその時代の遺産を引き継いでのことと思いますが、何か今一つ型にはまったような作品が増えたように個人的には感じております。

東京郊外にある最寄駅の駅ナカになかなかお洒落なブック・カフェができ、やまだ紫さんの『ゆらりうすいろ』の新装版が目立つところに置いてありました。この作品も素敵ですけれど、私は伝説的な『コミックばく』に連載されていたやまださんの『金魚の殿様』が大好きでした。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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