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2015-06-16(Tue)

型にはまる・こわす

kaoru様
コメント欄での返信がなぜか不正投稿と弾かれたりパスワードが違うとか抜かされるので…。ついでに漫画原稿制作における写植の思い出なんかを少し脱線。


「金魚の殿様」、覚えていて下さって嬉しいです。
あの作品はやまだ自身も「comicばく」連載当時(1984年)から、気に入っていた作品でした。
後に青林堂(もちろん、今の青林堂(笑)じゃないですよ)から出していた自分の作品版権を全て筑摩書房に移転して刊行された
「やまだ紫作品集 全5巻」のうち、第3巻に収録されています。が、今はもちろん絶版です。
あの作品集も、生前にそれまでの作品をまとめたものが出るというのは、業績が認められたという事だと当時は喜んだものですが、その後大事にしていただけず、再版がされずに品切れのままでした。
なのでこちらから、やまだの死後に絶版を申し入れました。このブログでも書いた通り、死んでから塩漬けにしておいた作品を慌てて「評価」したり葬式商売をされるのは堪らなかったから、です。もちろん今はとにかく読んで貰わねばしょうがないので、どこかいずれ復刊して貰えればと思います。
幸い、世の中ちゃんと見てくれる人はいつの時代でもいるもので、やまだ作品の評価はちゃんと続いてくれているようで、嬉しいですね。(COM時代の作品とか

やまだ作品は電子出版でも近々、復刊されていないものも読めるように進行中ですので、詳細決まったらお知らせ出来ると思います。「金魚の殿様」は本という「かたち」では、今のところは古書などで入手されるしか読む手段はありません…。

ところで今のマンガは「型にはまった」というより、自分としては個人的に「型を意識しすぎて壊し方を苦労している」ように見えますね。
例えば、ですが「スポ根もの」という大枠ざっくり言うとしたら、昔は野球やバレー、サッカー、テニス…とその時々人気のものを、本筋は同じ(主人公が努力→勝利、みたいな)でモチーフ=スポーツなどを替えて行く…という手法がありますね。
そういうある意味王道=型はいかんという事じゃなく、それが型であり続けるということは、やはり喜ばれるから、面白いから、だと思います。それに単に王道やっても、キャラに魅力がなかったりそもそも面白く作れなければ評価されませんし。
で、スポ根みたいな型の構造は同じで、それが例えば料理だったり囲碁になったりかるたになったり…と、どんどんマンガの世界はこれまで拡大してきました。
それが最近ではアニメですが「ガールズ&パンツァー」では「戦車道」になったりして(笑)。
「美少女と戦車」というと一見ミスマッチですが、中身は「王道スポ根もの」ですね。しかも萌えはオタクに受けますし、戦車は我々オッサンがかつてプラモで作ったものが、3Dでゴリゴリ動くんですから、そりゃあ血がたぎります。そしてちゃんと王道のドラマを作って描いていたので、ヒットも当たり前かと思います。
余談ながら、マンガの製作現場では、もう下書きからデジタルという人も増えています。アニメもそう。それをして手描きの方が味があるとか、議論もあるようですが、いや、インプットはアナログでもデジタルでもツールなので、どっちでもいいんじゃないかと思いますね。だってアウトプットはもう完全デジタルの時代です。
本という形あるものも、その大元は「データ」になって久しいです。紙で版下をえっちら作っていたのは、もう前世紀の話なんですよね。
もちろん漫画家さんでも、紙と鉛筆から始められる方も多いし、というかその方がまだ多いですが、「絵を描く」とか「作品を造る」ことが好きで、それをどういう手段で現すか、何を使うかはあんまり重要じゃないというのが前からの持論です。
本当、ホワイトボードに描いたっていいんですから。それをどう読者の手に届けるかを考えるのは、編集なり出版する側の問題で。

デジタルという事でいうと、写植なんかは本当にもう特殊な世界になってしまいました、昔は漫画には付きものだったんですが。
今、自分は有り体に言うと「病気で自宅療養中」という事になりますが、それでも月刊誌の一部分を請け負わせていただいてます。編集者として現役でいられるのは、デジタル化ならではです。
マンガも請け負っていますが、やっぱり今でもデジタルとはいえ編集の現場で仕事をする、マンガをデータとはいえ「版下にする」工程、つまり写植を貼るという作業は嫌いじゃない。いちいち台詞を打ち込んで行くのも、電算写植に移行する過程でもう前世紀に経験済みなので慣れたもんです。
それ以前…つまり昔は、作家さんの原稿を貰ったら原稿そのものかコピーを取って、それに作家さんの書いた台詞やナレーション(=ネームと言いますが)などに、書体や大きさの指定を入れて、出入りの写植屋さんに印画紙出力をして貰い、それを原稿に張り込む…という作業が必須でした。
うち…ガロ編集部、青林堂(今の青林堂とは違いますよ(笑)の場合は、白山坂にあったIという写植・デザイン会社の専務さんだった通称「カンちゃん」に渡し、上がったのを届けてもらうという形でした。
カンちゃんは車であちこち廻ってたので、我々編集者は担当の原稿があがれば写植の指定を入れて入口のところに吊っておいて、カンちゃんが来て持って行ってくれたものです。
急いでる時はさっと原稿だけ貰ってちょこっと話してすぐ去って行く。こっちもまだ校了まで余裕があり、かつ向こうも急ぎの用事が無い時は、世間話をしながらタバコを一服し、茶を出したりなんかしていたもんです。
甲子園の季節になるとラジオでよく結果を気にしていた(いやまあ、アレですよアレ(笑)、もう本当に当時ごくごく普通に見られた出版関連の中小零細企業同士の普通のお付き合いでした。
こっちのスケジュールが詰まってきて、かつ向こうも忙しくなってくる時期になると、作家さんのところで受け取った原稿を直接持って行く事も多かった。神保町から都営三田線で白山までは水道橋、春日、白山と3駅だったので、カンちゃんの外回りのついでを待つより帰りがてら持ってった方が速かった。
そういう場合、原稿にトレペをかけて写植指定を入れてから行く場合もあったし、もの凄く忙しい時は電車の中で指定を入れたこともある。まあ臨機応変です。
上がってきた写植に直しがあれば、FAXで指定を入れて送り、上がりを待ち、30分前になったら電話を貰い、こっちから電車で取りに行く…なんて事もけっこうあった。
また切羽詰まってなくても、こっちが原稿受け渡しや別の用事、打合せなどの途中で会社に電話をすると誰かから「あがってる写植取ってきて」と言われることもあった。
何しろ、原稿に写植を張り込み、ノンブルや何からを入れていかねば製版に出せない、印刷できない、本にならないという時代ですから。
写植屋の職人さんが写植機でがっちゃんがっちゃんと凄いスピードで文字盤から当該文字を打ち込んでいくのを、時間に余裕がある場合は、面白いのでよく見せて貰っていました。
まさにそれは職人芸で、文字盤は写植の書体…今でいうフォントを高額で買って、それを写植機にセットして印画紙に印字していたのです。大きさはレンズで拡大縮小して焼き付けるようになっていた。
(今でも写植のことを「写真植字」の略だと知らない人がいるが、当時の現場を知っていればまさに印画紙に文字盤で植えた文字を焼き付けていく、という工程が解る)
それが電算写植に変わり、テキストを持ち込めばそれを利用して印字がスムースに出来るようになったわけです。

俺の場合キーボードは比較的速く…ワープロ専用機を90年代入る頃にはもうガチャガチャブラインドで打てるようになっていたので、会社に持ってってはネームやエッセイの長文を打ち込んで、フロッピーで渡したりしていました。いや、デジタル化というのは結局サービス残業という時間外労働、自分の手間を増やしただけでしたね(笑)。
当初は、写植屋さんにとっては入力の手間が省けるので楽だったらしく、カンちゃんに「シラトリ君は優秀だなあ」とよくお世辞を言われた。出力料金は印画紙一枚いくら、月刊誌は月の契約だったから、向こうは商売的に手間がこっちに行く分は嬉しい。
こっちはそんな事より閉めきりが迫り、時間が惜しい。まあまだ、両者今でいうWinWinだったわけですね。
でまあ褒められると頑張るタイプなので、入力速度はかなり上がり、後年ゆっくりなら話しているのをそのままタイプしていく方がテープ起こしより速いくらいまでになった。世の中がワープロ専用機からPCへ移行していくのもスムースだったですね。

その頃になると、写植屋さんは明暗がくっきりと出て来始めます。
旧来の文字盤→専用機による印画紙出力から、インプットつまり入力は専用機じゃなくとも、データがテキスト形式であればワープロからでもPCのテキストデータからでも問わなくなった。文字の大きさや書体指定だけをオペレータが入れて行き、それを印画紙出力するという時代になり、写植屋さんは従来の職人は置きつつも、電算=PCと、それからまだ到来していないネット時代に備えたシステムの構築を求められていく。しかし写植機とPCは全く別もの、電算といっても写植機は写植機。
パソコンというのはワープロはその機能の一部でしかなく、ファイル管理やシステム管理など他の部分で新たに操作や概念を習得する必要がある。
そしてそれに対応出来るのはだいたい、職人さんではなく若い人たちだ。つまり、世の中の変化に伴って、新しいマシンや技術、PCに対応していく人材を入れるか育成するか、そして会社そのものも「写植専門」ではやって行けなくなることを見据えて、「DTP」へと時代が変わっていくため「プリプレス」部分…例えばデザインなどをPC上で行うという事に対応していく必要があった。
旧来の小さな職人型の写植屋さんがどんどん潰れていって、実際、俺もほぼほぼ入力はもう自分でやっちゃった方が速い、後は印画紙にして貰う部分だけ…となって、安い出力屋さんが近所に出来て来るようになると、コスト上より時間的に、どうしても神保町の会社の周辺にあるところを使う頻度が増える。
最初から電算…つまりコンピュータでシステムを組み、そして印画紙出力が出来るというシステムを組んでいるそうした新しい写植&プリプレス屋さんに、旧来の職人型写植屋さんが敵うわけがない。そういう風に設備と人材育成を見据えて投資を出来るある程度の大きい会社はいいが、小さいところはバタバタ潰れていったものです。
そして、写真植字=写植は、要するに高品質の印画紙出力が出来れば専用機じゃなくても良いという時代になっていく。
つまりインプットは誰でも、ワープロやPCで出来る、そのうちイラストレーターなどのソフトに対応していく。印画紙に出力するというアウトプット部分も、個人はプリンタという違いだけで、商業印刷に使うレベルの印画紙の解像度にプリンタが追い付くのは、レーザープリンタが安く普及するまでの時間の問題でした。
あとは出力時、印画紙のロールサイズに合わせて文字を「図形」と考えて配置すれば、それこそびっちりロスのないように張り付けたり、それこそ図形そのものも高品質で出力が可能になった…。
要は、綺麗に出力できる印画紙にデータをアウトプットできるシステムとスキルを持った人がいれば良いので、職人さんではなく「出力屋」さんが安くそこらにごろごろ出来ていった。
神保町に集積していた零細版元にとっては安く高品質な「写植」が迅速に上がるわけで、非常に助かったし作業効率も上がりコストも下がったわけですが、ここで一つ、職人技がまた消えていくわけです。
そして時代はどんどんデジタル化していき、あとはネット回線が太く速くなる…つまりインターネットの普及を待つだけという時代になっていった。90年代の半ばには、現場でバリバリPCを使っていた俺には、もうデバイスの能力向上と回線の速度アップだけの問題だから、そこから先を見通すのは簡単な事だった。
いや誰にでも予測可能な事だったと思うけど。
インターネットをインフラだと理解することなんて、簡単なことだったと思うけど。
何しろ当時はまだISDNの64kbps(bitでありbyteじゃないですよ)通信が「最速」だった時代、専用線なんか引けるのは大会社くらいなもの。でも、その回線速度が倍倍で速くなっていくのをリアルで体験しつつ仕事をしていたわけで、じゃあ、将来的にはこのもっさりしたパソコンの処理能力も凄まじい速さになり、ノロノロした回線速度もメガビット、ギガビットの世界になるんだろうなあ、と思っていた。そして当たり前だがその通りになってます。
あの当時、とっととWEBやデジタルの世界でガロの作家さんたちに自由に作品を造って貰いたかったなあ。

本当になあ。

…時代は戻って、そんな手動写植機から電算写植がぼちぼち主流になりそうね、という頃、出入りの写植屋さんの専務さん=カンちゃんとタバコ吸いながら世間話をしていた。
会社には昼休みだったか誰もおらず、カンちゃんは「飯食いに行こうよ」と誘ってくれたのだけど、俺は留守番で動けなくて、二人でどうでもいい話をしてたんだと思います。
「シラトリ君さあ、給料いくら貰ってんのここだけの話」というので最初は「蛭子さんですか(※実例)」とか言いつつはぐらかしてて、執拗に聞かれたので根負けして言うと、「倍出すからうちこない」と誘われた。まあ、いつも版下を作っているところや、ワープロばしばし打ち込んでるのを見たり、それ以外にやり取りしている中でいろいろ見てくれてたらしい。
驚いたがもちろん俺は今の仕事が好きなものでと丁重にお断りした。正直給料倍というのには大きく心を動かされました、はい。
思えば、カンちゃん…じゃなくその会社Iさんにとっては大げさに言えば「存続の危機」みたいな時期で、とにかく新しく来るデジタル時代に対応していかねば、生き残れないという状態だったんですね。そういう中で白羽の矢を立てられたというだけの話。
その後、うち…青林堂が発注する写植はもちろんどんどん減っていって、たまに恨み節も言われたもんです。マンガの写植は特殊なので、やはり原稿を渡したら写植を上げてくれるツーカーの写植屋さんは有り難かったけど、それも近所で格段に安く出してくれるところが、しかも長文もこっちが入力ならほぼ出力代=印画紙代だけ、さらにDTPソフトにも対応してくれるようになるまで数年、本当に時代はあっという間にプロの現場を変えていったのです。
Iさんに写植を頼む量も機会も激減し、そして街からは「写植屋さん」が消えた。
カンちゃんとは俺がガロ副編集長のまま親会社のツァイトへ移籍して、ツァイトが倒産する騒動になって以後、会っていない。福島出身で訛りが取れなかった、演歌の好きないいオッサンだったなあ。酒好き女好きで、本当に面白い人だったけど、今でもお元気だろうか。

というわけで、大きく話が逸れましたが(笑)、昨今の漫画やアニメ業界は「型にはまっている」と言えるのかも知れませんが、そういったある意味「型=王道」を意識するあまり、外そう外そうと苦労しているのが見える作品はたまに見ますね。
オリジナルを探す、独自の「型」を模索しようとするあまり、結局は「型」を意識し過ぎて「型」を破れないというジレンマはあるかも知れません。作家って大変です。
たまに「マンガ読み」と言われる人と話したりしますが、マンガにしてもアニメにしてもラノベでも何でも、「日常」をドラマたらしめるという事がいかに難しいか、という話になったりします。
それは文学の世界でも同様で、大昔のそれこそ奈良平安の頃の日常=日記が、風俗や社会が違うので「資料的価値から」面白い、というのとは違って「ちゃんと作品として面白い」「エンタテインメント」として面白いというのは、けっこうハードル高いですよね。現代の一個人のブログが面白いかというとご覧の通り、詰まらないものの方が多いわけで(笑)。
日常というのは、当たり前ですが誰もが日常を送っているからで、同じような生活を見せてもしょうがないわけで、では誰の日常をどう描いて、それを面白くしていくか、というところで作家が頭を捻りアイディアを出すわけですね。
日常といっても個人的なそこらへんの「私の物語」なんて一番他人が聞いて面白くないものの代表でしょう、それを面白くして見せるかを考え抜く、そういうことがエンタテインメントの基本みたいな事かも知れないと。
完全なる平凡な一個人のドキュメンタリでは面白くならないので(稀に面白い人もいますが、それはすでにその人が面白い人だからで、平凡な一個人では無いというわけで…)、だからそこへ平凡ではない「要素」としてスパイスが加わると、「ドキュメント」でも受けるわけです。
たとえばそれが自身の病気だったり、不幸だったり、家族の介護だったり、それは色々です。人生いろいろだから。誰でも主人公になれますが、その分、ドキュメンタリは難しいですね。
…なので、手っ取り早く日常へ素っ頓狂なもの…超能力や宇宙人やオカルトや色んなものを持ってくる事で物語を彩ります。まあ、ここら辺編集者と作家が悪ノリしちゃうとか化学変化を起こすとか、業界ではよくある話なんですが。そういうものでセカイ系や宇宙とか行っちゃうと、それはそれでまた難しいし苦労もあると思うんですが。

やまだに話を戻すと、本当に普通の人の普通の日常、例えば「しんきらり」における妻、母、そして女である一主婦の日常を描き、それを通して夫や子ども、男女の関係や家庭・社会までを考えさせるというのは、非常に斬新だったのだと思います。その後はもちろん色んな人が描いてきましたけど。
実際、当時口の悪い人に「普通の主婦の話なんか読まされて面白くも何ともないよ」と言われた、と本人が苦笑していた事もありました。いや、ドキュメンタリじゃねえから、と言ってんのに(笑)。作品だ、ってのに。
また別に、当時は男性のファンが凄く多かったと記憶しています。そして「やまださんの作品は怖い」とよく言われたということも。男から(笑)。
何しろもう40年前の「社会」であり、当然マンガやアニメを取り巻く状況も違いましたから、今は作る側も大変だと思います。でも表現を切り開いたのは、ずーっと日本漫画でトキワ荘の人たちから、貸本マンガや紙芝居の人たちから、アニメの世界から、たくさんの人たちが連綿と切磋琢磨して悩み苦悩しつつ、です。
作家は悩んで苦しんで作品を生み出してるのは、ずっと傍らで編集者としても家族としても、また一読者としても見てきたわけですから、やはりどんな作品、どんな表現でも何かを生み出す人には今でも一定の尊敬があります。
それに、今は表現の幅を苦労してたくさんの先達が開いてきたのに、規制しようという動きもあって、難しい側面もありますね…。
とにかくマンガやアニメ、ゲーム、ラノベ、そしてもちろん小説や映画や詩や写真や音楽や演劇や…何でも、「作品」を造るという事は大変なことだし、いや、それを簡単にやれる時代ではありますが、評価されることはまた別で、さらに言えば、それで食えるという事はまた別問題です。
作家さんは人気が無くなれば即失業なわけで、本当に専業なのは大変です。好きな作家さんの応援は、本を買ってあげること。忘れないであげること。です。

コメントの返信のつもりが、やはりマンガのことになると長くなりますね(笑)、失礼しました。
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コメント

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白取さま

私のつたないコメントに対し、素晴らしいお返事を頂戴し、恐縮です!

さすがプロの編集者さん、作品をつくることの厳しさが伝わってくるご意見です。『COM傑作選』を読んでも感じますが、あの時代の漫画家の努力たるや想像を絶するものがあったと思います。そして漫画が社会的に広く認知された現在でも「世に出る」ことの難しさは恐らくあまり変わらないのでしょうね。肉体的にも精神的にも実に大変な仕事だと思います。

『金魚の殿様』は今の世の中にいなくなった古武士のようなお年寄り、凛としたお爺様を描かれて秀逸でした。引っ越しのときに『ばく』を処分してしまったのが悔やまれますが「殿様」が「卵焼きのネギの皮」について主人公に注意したり、テレビで美人を見て「うん、あの子は良い。実にこう……品というものがある」と言うシーンなど、しっかり脳裏に刻まれています。

漫画の愛し方・読み方は人によってそれぞれだと思いますが、私は「心に残るシーン」の多い漫画が好きです。そしてやまださんは繊細な線と考え抜かれたネームで忘れられない情景を描く名人だと思います。「しんきらり」とは今は亡き大歌人・河野裕子さんの短歌からとられた言葉ですが、やまださんの作品にも優れた短歌に似た詩情と鋭さを感じます。

嬉しくていろいろ書いてしまいました。お返事本当にありがとうございます。お体くれぐれもお大事になさってください!
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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