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2015-09-23(Wed)

明後日はPET検査

2015年09月23日(水)
明後日はPET検査で病院へ行かねばならない。
世間ではシルバーウィークとやらで連休の話題。
こちらはもちろん、極力大人しくしていた。

ちらほら、と母親以外に友人知人から連絡を貰う。
ただ今回ばかりは皆「何と言ったら良いか…」という、まあ言外に「ご愁傷様です」というニュアンスが透けている。
いや、嫌味とかではなく、逆でも俺ならそう思うよ。
頑張れなんてとても言えないし、きっと治るとも言えない。
白血病と十年闘って、満身創痍ながら何とか生きている。そこへ来て最悪の皮膚癌と来たら、ああこりゃもうさすがに…。
それでもそうして心配してくれ、声をかけて貰うのは本当に嬉しいし有り難い。
正直一人で鬱々としてたら、楽に死ぬ手段などをあれこれ考えてしまいそうである。

よく人に「白取さんは強いですね」と言われるが、そんな事はない。
今回は本当に正直凹んでいる。
100kmマラソンを終えたら「ご苦労さん、次トライアスロン3本な」と言われたような…違うか。
とにかく「もう勘弁してくれよ」と、ほとほと落ち込んでいる。

俺には常に編集でいて欲しいと言ってくれる後輩が、ちょいちょいメールで「今これこれが面白いっすよ」「前に紹介したあれがアニメ化されるので見てください」とか色々教えてくれる。
そういうもの…創作の世界を楽しんでいると、しばし「辛い浮き世」を忘れられるので有り難い。
幸いまだ編集者としての「仕事」は続けていられるし、元々の畑であるマンガ編集もやらせてもらえ、最先端の作品や情報に触れられるのは有り難い。
中にはピタッと連絡をくれなくなったのもいる。
気を遣ってるんだろうな、と思いこっちから電話すると驚いていた。聞けばさすがにかける言葉もなく、気を遣っていたという。
気を遣うという事はすなわち俺はその人にとって気を遣わせる存在なのかと、少し残念に思った。
今はまな板の上の鯉状態。
それでも心配してくれる人がいるし、親もまだ生きているので、「生きてくれ」と言ってくれる人のために生きる事がモチベーション。
それらが無くなったら、本当もうどうでもよくなりそうで、そしてなんとなくそういう確信もある。

先週火曜日、15日午後からは毎月通っている呼吸器内科受診。
胸部レントゲンを撮って1時前、ちょうど飯時でレストラン前には十数人の列が出来ていたので、そこらにとりあえず座るか…と何度も入退院した積貞棟のエントランスにて時間潰し。
1時半になったので、そそろそろ呼吸器内科の外待合へ移動しようと立ち上がったら、ちょうど血液内科の主治医、K先生が通りかかったので、声をかけてその場で立ち話になった。

こちらが「例の左瞼の出来物、まさかの皮膚癌でした」と報告すると、「えー…」と絶句するように驚かれた。
「前に見たときはポチッと小さかったし…」と済まなそうに言うので、こちらも「大きくなったのはあの後なので…」となぜか恐縮して話す。
念のため皮膚科で調べてもらいましょうと言って下さったのはK先生だ。
先生は「後で見ておきますね」と言ってくれたので、生検の結果などは電子カルテで確認してくれるのだろう。
こちらが「この検査日程の間に進行しないんですかねえ」と言うと、
「こういうのは専門じゃないとそれぞれの癌に進行度合いがあって、その上でのご判断でしょうから…」とのこと。
まあしょうがないし、専門の医師の指示に従うということ。ここはそういう意味では全ての診療科が揃っている大学病院だ。
それにもう癌細胞が生検で出てしまっているから、セカンドオピニオンもヘチマもないし。
お昼を買いに出て戻ったらしいK先生をあまりお引き留めするのもアレなのでそれで別れた。

その後呼吸器内科の診察室に呼ばれたのは結局2時半を軽く廻って、予約時間から1時間くらい経ってからだった。
I先生にいつものように「変わったことはないですか?」と聞かれたので、「変わったも何も…」とまさかの「メルケル細胞癌」という皮膚癌が出たと言うと、いつも沈着冷静なI先生もさすがに驚いていた。
カルテで皮膚科の医師の記述などを確認して、
「ふんふん、ほんまやねえ…」と言っていた。
俺も「今はネットがあるので何でも見れるじゃないですか、調べたら珍しいらしいですね」というと先生も「名前だけは聞いた事ありますけど…」と何とも言えない表情をされる。
俺が「何やら白人男性に多いそうで、でもHIV感染者やCLL患者はハイリスクとあったので、まあそう言うこと(免疫低下=高リスク)なんでしょうね」というと「なるほどねえ」と。
先生は「じゃあこれから大変やねえ」と言われるので「はあ、明日脳のMRIで、連休明けにPETです。進行早くて転移もあるという最悪の皮膚癌でしたね」と思わず失笑。
I先生は「とにかく肺の方は何もないし、何かあってもこっちの方はちゃんと対応させて貰います」と言ってくださったので、こちらも「よろしくお願いいたします」と言い、処方箋やらをいただいて診察室を出た。

この日は主治医の血液腫瘍内科のK先生と、呼吸器内科のI先生のお二人に見解は伺った。
いずれも皮膚科は専門外なので、「皮膚科の先生がこの検査スパンの間に大きく悪化するとは判断されなかったんでしょう」というご意見。
そういう事ならもうそうだと思わないと、こっちも神経が持たない。「まな板の上の鯉」とはそういうこと。
長年生きる死ぬだのいうところをうろうろして来ると、ある意味肝が据わり、こういう時にオタオタしない。
記者会見開いたりドキュメンタリも取らないし、お涙頂戴の作り話もしない。
ていうかそんな余裕が、逆にない。たんたんとこうして日記として記録するのみ。
それをこうして時々アップするのは、心配してくれる人のため。
生き延びるという方面へ全エネルギーを傾注する、集中するので、それ以外の欲求、欲望が極めて希薄になった自覚がある。

HIV感染者でもないのに、CLLで免疫が抑制レベルに低下したことで、いわゆるカリニ肺炎に感染した。
肺が穴だらけになって死にかけたアレだ。それ以来もう毎月毎月ベナンバックスの薬剤を吸入に通っている。
そういえば、AIDS発症者の死因は、昔はこのカリニかカポジ肉腫と言われた時期があった。クイーンのフレディが死んだ頃だから、もうずいぶん前かな。
あれから比べれば医学も格段に進歩したし、AIDSの治療法の研究も進んでいる。もちろん白血病も。
CLLからメルケル細胞癌というコースも免疫抑制に関係あるような素人考えがあるので、こういうケースを研究に活かして貰えると嬉しいなあ、と思う。生きながら献体しているような気分と以前書いた記憶があるが、本当にそういう気持ち。
じゃないとやってられねえし。

この日、吸入をするいつもの処置室へ行くと患者は誰もおらず、顔なじみの看護婦さんたちが「あら白取さん」「ベナンバックス」とすぐ声をかけてくれた。
何人かが準備をしてくれ、別の、前に病棟の手配が悪いことをわざわざ電話で病棟に注意してくれた看護婦さんが来て「どうですか」と聞いてくれる。
吸入でも数ヶ月前から薬剤の取り違えのないよう、リストバンドをすることになったので、こちらの腕につけつつ聞いてくれる。
俺が左の瞼を指さして「じつはこれこれで」というと文字通り目を丸くして驚いていた。
「…というわけでまあ瞼もたぶん全部切られると思います」と言うと「それを淡々と言わはる白取さんもお辛いでしょうけど…でもねえ…」と、まあ、「かける言葉もない」というご様子。
ここの人らは俺が入院中のボロボロ状態で車椅子で吸入に来たのも見てるからなあ。

準備が出来て、いつもの「電話ボックス」にティッシュがっこんがっこん何枚も取って持ち込み、30分のベナンバックスの霧を吸入。
いつも涙とヨダレ嗚咽地獄なのだが、今日は何か淡々と吸う事が出来た。
開き直ってんのかな。
これだけすさまじい不幸が次々と身に降りかかってくると、薬のまずい煙がどうこうとかどうでも良くなってきてるのかも知らん。
実際感情に非常に抑制がかかっている事が自分でも解る。脳がいろいろやってくれてるんやろな。偉いなあ脳。
この脳に転移がないか、翌日にMRIを撮る。

感情も抑制されるというのは、自宅でも自覚していた。
前の日も一日じゅう、下の階のキ○ガイがすさまじい騒音でDIYか何か、工具使ってやっていたが、全く腹も立たなかった。壁も薄い賃貸なのに、大規模な「工事」を年がら年中やっている。頭おかしい。去年あたりは殴り込んだろかと思ったりもしたが、もう何か心といか感情があまり動かない。
まさかの2度目の癌宣告、しかも白血病患者のままで悪性の皮膚癌と来たら、たいがいの事はどうでもよくなる。生きる、これしかもう関心がない。
生きるが一番上に来て、そのために寝る、食う、出す、あとは病院通いくらい。
あとほんまどうでも良い。
そんな感じになる。
精神が壊れる人もおるやろなあ。うん、でも誰も責められないし、責める資格もないと思うよ。
俺は、壊れないけど。
十年前に「十年後も笑って酒を飲んでいる」と誓った。
一緒にいるはずだった連れ合いは先に、しかも早々に逝ってしまったが、こうして俺は十年生き延びている。
そうしたらこれがまたえげつない嫌がらせのようなハードル=悪性の皮膚癌がまた用意されていた、というわけだ。ステージを早く調べて貰ってぶっ倒さないと、一年くらいで死ぬらしい。
人生ハードモードやのう。

吸入を終えて、「お、お大事にね」と作り笑顔で送り出してくれる看護婦さんたちに「お世話さまでした」こちらも笑顔で頭を下げて、会計に並び、処方箋をいつもの薬局へFAXし、地下のローソンで買い物をして、タクシーで帰宅した。
着替えて今日初めての飯…サンドイッチと小岩井ミルクコーヒーで薬を飲んだら夕方4時半過ぎだった。

そして翌日の水曜、16日は脳のMRIを撮ってきた。
2時からの予約だったが病院には1時半前に着いてしまい、受付をして待合でウトウト。
割合早く呼んでもらって、術衣に着替えて、髪に不織布製のキャップを被り、助手さんの問診を受ける。MRIも何回も撮ってるし…と思ったけど頭部はやってないか。
(※やってた…5年前、記憶やばいっすね…まああの時は入院長くて検査検査手術とかいろいろ…あったし…)
この問診が終わったあとすぐ撮影…ではなく放置プレイとなり、座ったまま本格的に眠りそうになる寸前、ようやく「お待たせしました」と呼ばれて撮影室へ入る。
男性技師に撮影台に仰向けに寝るよう指示され、
「今回は頭部になりますので、固定させて貰いますね」といいつつ、俺の頭をはめ込んだヘルメットを半分に割ったようなものと、俺の顔との隙間を両側に何か詰め込んで固定された。さらに白いホッケーのキーパーがかぶるような固定具を嵌められ、耳栓もあるのでかなりの拘束感。
「この撮影は小さな動きにも非常に弱いので、瞼も閉じておいて、なるべく動かさないようにしてくださいね」と言われる。
これ頭部だけなので息止めはないが、嫌な人は大変だろうなあ。
撮影は固定が終わるとすぐに始まり、例によって何とも言えないピーガーいう電子音やガタゴトという操作音などが断続的に何度も何度も繰り返される。精神弱い人だと、「うわああああ」とか言って暴れそうだけどそういう事例無かったんだろうか。無いか。
今の俺が暴れたらジェイソンみたいにならんかと思いちょっと笑いそうになった。
10分か20分か知らないが撮影は終了、着替えて受け付けに挨拶しておしまい。

会計は一列びっちり並んでいて、がっくり。
それでもサクサク進み、俺は支払はないので、会計箋出して名前確認したらそのまま呼び出し端末を返して終わり。
この時2時45分くらい、まっすぐ帰宅。

今月1日、皮膚科で細胞検査のための腫瘍部切開と縫合を受けた。
翌週8日にその結果で最悪の「メルケル細胞癌」宣告を受けた。
翌週14日呼吸器内科があり、15日はMRI検査を受けた。
あとは25日…つまり明後日のPET検査である。

この8日の、「人生二度目の癌宣告」以降何をしてたかというと、普段から免疫の事を考えて大人しくしていたので、結局何も変わらず淡々と生きていた。暮らしていたというより、生きていた、という感じ。
ときどき、猫のユキちゃんを預かって頂いているにゃほやまさんことTさんから、「ユキちゃん元気ですよ」と写真とメールが来る。
ほんま有り難い。こういう人の温かみに救われる。
遠くの身内より近くの「他人」と言ったらTさんには失礼だ。家族を託しているんだから。
ユキはもう老年にさしかかりつつある。
Tさんは、京都の郊外、京都市民の心の故郷(?)美山で、「またたび」というカフェを営んでおられる。
そこにはモコちゃんという可愛い犬がおり、ユキがそこへ行くと喧嘩しないかな、と心配していたが、今では連れだって外を散歩する微笑ましい写真が送られてくる。
こういう事がどれだけ動かない、動かさないようにしている心を暖かくしてくれるか、まあ健康な人には解らないかな。
IMG_1844.jpg

かつて、病気の自分を常に気にかけ、自分も病気と闘いながら助け合ってきた連れ合いが先に死んだ。
その後の半身が引き裂かれたような苦しみ、慟哭を癒してくれたのはやはり人の暖かさだったし、いっときでも忘れさせてくれたのは映画やマンガや小説などの「現実逃避」だ。
くっだらないエロ馬鹿劇画にも救われた。そういうものを教えてくれた奴とは今では一緒に本を作る仲間になった。
こうした人との出逢い、つながりがあるから何とか正気でいられるんだろうな。
がん病棟に居ても、奥さんやご家族が甲斐甲斐しく面会に来たり世話をしてくれる人を、羨ましく思わないでもなかった。
でももう、実は何もかも一人でやることに慣れてしまい、そのことが苦痛という事はない。
それこそ帯状疱疹が劇症化して血膿でべろべろになり、神経をウィルスにばりばりと食われ続けているような激痛の中でも、一人で病院からいったん戻って、仕事のためのモバイル端末を「契約」し、処理の間に自宅で入院荷物を整え、端末を受け取って戻ったこともあったっけ。
もちろん猫の世話や、去年の白血病悪化や感染症で動けない時はその都度誰かの助けをいただいた。
だから「たった一人で何もかも」やってきたわけではない。
そういう人たちが「生きて」と言ってくれるから生きる。消極的かも知れないが、実際そうなんだからしょうがない。他に理由があまり見つからない、正直生きるのがしんどいし。

金曜日はPET検査だが、風呂場でヒゲ剃りながら左瞼を見ると、明らかに皮膚癌は大きくなっている。
まん丸で赤い球が、まぶたを境に真円で8mmほどだったものが、横と上に拡がって、厚みも増して1cmほどになっている。視界を上からやや塞ぐかたちだっただけのが、下手するとちょいちょい眼球に触れるようになったので、目もしばしばする。
ほんまこれとっととまず切らんとアカンのちゃうか。
それとももう手遅れか。
そう考えると、本音ではやはり「死にたくねえなあ」と思う。
でももし、「ダメですね、半年くらいで死にますわ」と言われても、もう今の自分ならああそうすか…じゃあしょうがないですね、と受け入れそうな気もする。
ここまで何度も死線を越えてきたし、肉体的にも精神的にも死ぬ、死ぬかも、あるいは生きる、生きたい…というようなせめぎ合いを何度も何度も繰り返してきた。
それも10年。もうそろそろ、そういう本当の「生き死に」の境目が、自分の中でシームレスになってきているのが解る。
前ははっきりとエッヂがあって、「彼岸」へ行かないよう、足を滑らせないように踏ん張っていた。
たとえ真っ暗な中でたった一人でも、感覚だけで綱渡りをそろそろとするように、時々は誰かがサッと助けてくれたり、あるいは一人で真っ逆さまに落ちるところを奇跡的に指一本でぶら下がったり、そういう「サーカスのような生」を生きてきた。
何と言うか、そうした本当の生死の境をふらふらするのに、もう慣れてしまった。
これはたぶん人間としてはおかしい事だろう。
普通なら生への本能があってしかるべきで、死にたくないと願うのが当然。
なのに、そういう事いっさいがっさいが面倒臭くなってきた。
歯を食いしばって10年生き延びてきた、そうした先にあったのは安寧ではなくさらに過酷な、新たな癌宣告だった。
悪性度ではかなり凶悪な、転移も普通に早いものと解った。もう癌細胞が出たのは確定なので、後は全身に散ってたら瞼切って抗がん剤で「延命」と緩和ケアか。

左の瞼を失うくらい、正直どうでも良い。
ただ痛みと苦しみの中で死ぬのは嫌だなあ、とは思う。
日本もそろそろ尊厳死というものを本格的に議論し、考えて欲しいなあと「患者がわ」は思っている。
いやいや、まだ生きるけど。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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