2015-09-28(Mon)

「戦友」の訃報

2015年09月28日(月) 血液内科受診日。

これは月例の白血病を診ていただいているK先生の診察。
秋晴れで、雲一つないいい天気だった。青空が夏のそれより薄く、透明感がある。
病気じゃなかったら、本当にいい季節だし散歩日和なんだよな…とか、もうあんまり考えなくなった。何しろそれどころじゃない。

病院着12時20分、再来受付して2階採血受付、出てきたレシートの採血番号は806で、現在720番台だったか。
1時間ほど待ってウトウトしてたら飛ばされ、一人並んでたのを待って試験管3本採血された。採血終わり13時20分、まあまあか。
下のレストランで6~7人待ちに並ぶ。「今月のラーメン」が尾道ラーメンとあったので、間違いなくこれだと決めて、カウンタでいいと座り、オーダーし、そして食った。うまかった。実に、出しのきいた醤油スープの濃い目の味と背脂がやや控えめに混じり合い、ストレート麺がつるつるっとなめらかに吸い込まれる。うまい。
しばらくこういうの食えなくなるしな。

何度か忘れたくらいの入退院を繰り返し、結局「食」なんだよなあと思い至った。
昔、京都のある店でばくばく肉を食っているお年寄りを見た。酒もがんがん飲んでて、食いっぷりも見事で、夫婦で顔を見合わせたほど。帰った後で店の人に聞いたら坊さんだったのには笑ったが、生臭坊主とかそういう事じゃなく、年とっても肉をがんがん食える、「食う」事に執着がある人は強い。
抗がん剤治療は過酷で食えなくなる=やせ細っていく人も多い。そういう例をたくさん見て来た。そのやせ細っていく基準点の時点で余裕が無いよりはあった方がいいだろうな、くらいに思っていた。
今は自分がそういう立場になり、2月に退院した時は訪ねて来た次女のゆうちゃん母娘たちに連れ合いに瓜二つと言われた。その時の自分はもう体重は7kg落ち、その後もしばらくは本当にふらふらだった。
半年ほど経って、これではアカンと昔使っていた軽いダンベルを引っ張り出して、とりあえずストレッチの意味で上半身だけ動かすようにしていた。もう2ヶ月ほどになる。
ちょうど目の出来物が気になり出した頃か。
まあそれも今回の入院で振り出しに戻るのかも知れないが、でも、スタートラインで多少なりとも鍛えておいたことは無駄ではないはず。

この日は順調で、外待合で待て~診察室近くで待て~から予約時間を10分くらい過ぎたところで診察室へ、となった。
K先生は顔を上げるとまず俺の左瞼を見て「うーんそれですよねえ」とちょっと苦い表情。
でもすぐ向こうから、「採血の方はとくに変化なく、相変わらず低値ですけど安定してますし、PETも…」とデータを呼び出してくれ、「うん、大丈夫みたいでしたね」と言うので思わず「ほんまですか!?」と身を乗り出してしまった。
画像と所見のデータがすでに電子カルテから呼び出せるようになっていて、それをちらっと見せてくれた。今のところ悪い情報は無いという事で、懸念していた全身のリンパに散らばって…みたいな事は無さそう、ということ。
もちろん詳しくは、瞼の手術なども含めて明日皮膚科の先生によく伺ってください、という事。
手術も「今の血液の状態なら…皮膚科の先生は低いと言われるかも知れませんが、白血球数は1900、好中球数も1000以上あるし、血小板も87000なので大丈夫でしょう」とK先生も苦笑ぎみ。俺も「まあ去年の今ごろに比べたら…」と苦笑する。
脾臓に放射線照射で、これほど楽になるとは思わなかった…のに、皮膚癌だもんなあ。
血液内科としては、他はちょっと気になる部分はあるが、大きいことじゃない、今一番喫緊の問題はとにかく瞼の「悪性腫瘍をどうするか」なので、それは明日相談して下さい、ということ。

処方箋貰ったり次回予定を決めたりして帰り際、いつものように「Kさんのご様子はどうですか」と聞いた。こちらのKさんというのは、去年の抗がん剤入院の時に同室になり、食堂で笑い会い、退院したら飲みましょうと話し合っていた、納豆屋の社長さんだ。
何度目かの抗がん剤治療がうまくいかず、ドナー待ちのあと春から骨髄移植に入り、恢復途上にあった…はず。
K先生は顔をしかめて「Kさんはですねえ…」と言うので「え?」と思わず声が出た。
「亡くなられたんです…」と聞いて驚いた。
そんな。
夏ころには一度廊下を歩けるくらい回復して、先生と挨拶するほど回復したと伺ってたのに。本人からもその頃にだいぶ良くなってきました、とメールがあったのに。
その後、同じ病院仲間とH先生との飲み会の際、体調を伺うメールを出した時は、GVHDとウィルス感染で大変だという返信があって、それ以降こちらからメールすると返信もご負担かと思って、回復を祈っていた。
こっちが診察でK先生とお会いするたび、担当は違うがKさんの様子を必ず聞いていた。Kさんは慢性リンパ性白血病で、俺とは違うタイプながら患者歴13年。
10年目、奇跡的に生き残っている俺にとっては先輩でもあり希望でもあった。
一緒に外でビール飲みましょうと約束したのに…。
「いつ、ですか」と聞くと「今月の半ばくらいでしたかねえ…容態が急に悪くなられて、それで…」と。
移植は過酷やもんなあ。
お年は連れ合いと同じで昭和23年で、「早生まれ」と言われていたからもう67になられていたはず。慢性リンパ性の白血病といっても、こうした血液腫瘍は十人十色。実際Kさんと俺とは、白血球の不良品が増えるタイプと、生産出来ず減るタイプと、まったく症状も異なっていた。
でもCLLとして俺より長く生きている見本、先輩が居るのは嬉しかったし、向こうも白取さんがそれだけいろいろ酷い目に遭いながらも生きてるんだから、とお互い励みにしていた。

一緒に退院して、俺がたった一人で大荷物を持っているのを見て、カートを転がして東大路まで出て、俺にタクシーを呼んで去って行った。ダンディな帽子がよくお似合いで。
あの時の、力強い握手の感触を今でも覚えている。
この人は奥さんや息子さんなど、愛する人たちがいて、生きる、生きたいと強く願っている。その力強さが手から伝わってきた。
「今度ぜひ、一杯やりましょう!」そう言って、帽子にクイッと手をあてて去って行った。「かっこいいオッサン」だったし、「戦友」だとお互い話していた。
一ヶ月寝食を共にし、あれこれ話し、奥さんや息子さんも紹介された。
今年の頭、こっちが入院中は、外来で通院抗がん剤治療中だったのに、病棟へ納豆をお見舞いに訪ねてくれた。
頬はうっすら赤みがあってお元気そうだったのに、あれが「今生の別れ」になったんだな…。
一瞬泣きそうになったが、すぐに感情は抑制された。
泣いてる場合じゃ、ねえ。
こっちも闘う、いや戦いのまっただ中。

やりきれない気持ちのまま1階に降りて会計に並び、処方箋をFAXし、そこで美山のカフェ「またたび」(うちのユキちゃんを預けているログハウス風のカフェで、今なら真っ白な美猫を撫で放題ですよ!)のTさんに電話で報告をした。
実はこの前の日、またシンクロニシティがあった。
夜におおかみ書房の千葉ちゃんから、無事中川ホメオパシー先生の「もっと! 抱かれたい道場」の発送を終えましたと報告の電話があり、こっちはこっちでこれから入院手術やでという話をした。
その電話の最中、話しているスマホがメールの着信を報せ、電話を切った後確認したら「またたび」のTさんからだった。
内容は、「おおかみ書房の千葉さんのご両親というご夫婦が今日来られましたよ」というものだった。
いや凄いタイミングやなあ、とその後実は今…と話したばかり。
その昨日の今日で、今度はKさんの訃報。
で何でそれを絡めて電話したかというと、実はKさんは俺と一緒に去年退院したあとで、「またたび」をご夫婦で訪れているのだ。もちろん、俺がいまだにお預けした後会えていないユキちゃんに、俺より先に会って撫でくりまわしたわけだ。
これも何かのご縁…というのか。
Tさんに今日のPET結果を簡単に報告したあとで、Kさんの訃報をお伝えした。Tさんも電話の向こうで絶句していた。「いや…それほんまに…いややわあ」と、驚いておられた。
「美山でみんなでバーベキューやりましょう、言うてたんですけどね」と言うと、「ほんまにねえ…」としんみりしかけたが、とにかく「俺の方は明日皮膚科と相談して今後またちょっと頑張らなアカンようなので」とお伝えする。

電話の向こうで懐かしい声がする、「にゃーん」「にゃんごろ」という語尾に甘えが混じった、ユキの声だ。
Tさんが「ユキちゃんちょうど足下に寄って来ましたわ。何か感じたんやろうね」と言っていた。
耳が聞こえないので声をかけたりは出来ないが、電話の向こうで気持ちよさげに甘える様子が目に浮かび、心が安まる。
とにかく今俺は自分の病気と闘う、それしかない。
全ては明日。

夜、さいたまのゆうちゃんと長電話。
前回のブログを見てメールも電話もなくいきなり目を隠すためのアイマスクやらメガネの上にかけられるサングラスやらだて眼鏡やらをいくつも放り込んだ箱を送ってくれた。
もう左目の瞼を切ってしまうのは確定なんだが、そりゃ普通の人からすれば大変な事だろうなあ。きっと「うわあ大変だ」と思っていろいろ送ってくれたんだろう。
心配かけちゃったな、と思ってそれをギャグにして笑わせる。
もう左目ぎょろっとしたままだと下向いたらコロンと目ん玉出て来ないか心配だとか、いや逆に取りだして洗えるからいいかとか。
まあぎょろっとしたままだと目がカピカピになるので何かしてくれるだろう、例えばよくヒーロー物に出てくる悪役みたいな眼帯つけるとか。なんとか男爵、みたいな。
俺は命さえあれば別に見栄えとか気にしないので、機能性重視でシャッターみたいなのでもいい、と。「シャッター男爵」にしようと言って笑わせる。でもよく考えたら男爵は爵位でも一番下だから「やっぱり公爵にするわ」とかさんざんアホな事を話してゲラゲラ笑った。
笑ってないとやってられんよ実際。
腕力も回復してきたし、「体力の貯金」作りもやめない。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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