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2015-10-11(Sun)

経過報告 術後四日目、談話室で雑魚寝させられる

2015年10月11日(日) 術後~。
左瞼を失い、片目状態でPCを起動したあと最初の記述は7日水曜の午後3時まえ。

術前、手術台に載り、左手の甲に麻酔を入れるためのルートをとってもらい、酸素マスクを嵌められ、ゆっくり呼吸するよう言われてコトリと意識が落ちた。
最後に、両目で見た光景はやけにまぶしい手術室の照明だった。
名を呼ばれ起こされると、手術は終了していた。
当たり前だが気道挿管されていたので喉はかさかさで、ゆっくり呼吸し、名前を言うように言われて答えた。
チンコにはカテーテルがブッ刺してある感覚があり、心臓周辺には心電図モニタリングの器具がくっついており、指先からは酸素濃度測定のコードが延びている。
まあ、この全身麻酔から覚めるという体験も3度目すよ…。

ただこれまでのとは違い、手術後の痛みはそうでもなかった。しかし左目は完全にガーゼか何かで覆われていてがっちりテープで固定されているようす。右目だけの視界が落ち着かなく、しんどかった。
瞼を失ったために眼球がピントを探して常に動き続けるみたいな左目に、右目が追従するように震動する。
軽い船酔いみたいな、軽いめまいみたいな感覚が夜もずっと続いていて、痛みよりもその感覚が実に不快かつ辛かった。
その夜はどこからか、美空ひばりとか懐かしの昭和歌謡みたいなのがずっと聞こえてきて、こちらはずっと目を閉じているだけなので幻聴かと思った。看護婦さんに聞いたらとなりのばあさんが「夜一人で怖い」とか言うのでかけさせてやってるという。
術後一日は内服薬が飲めないそうで、寝る前の導眠剤と安定剤がなく、全く眠れなかったうえに、マイナスな方向ばかりに思考が行く。
これは本当に参った。
数回、ヤバい、折れる折れると思った瞬間があった。本当に危なかった。
これまでは痛みで折れそうになっても心で耐えてきたが、その心がとうとう折られそうになった。

結局ほとんど寝られないまま朝になり、朝食が来て、それは頑張って食った。
外科は飯を食わねば栄養剤点滴。歩けなければチンコからチューブ。嫌なら食い、自力で歩くことだ。
飯が食えたんなら、と歩行訓練になるが、腹や足を切ったわけじゃない。片目でバランスがとれずにふらふらする以外は歩けて、無事カテーテルは抜けた。
がちょっと痛くてやはりしばらく排尿時はひいひい言う感じ。
血も出た。小便をするのが怖いという感じ。
便も夕方になってどかっと出た。
昼食はあまり食えず、夕食も半分くらい残した。

何もする気になれず・何も出来ず、右目の震えと左目の違和感に耐える時間が続いた。
夜になってF先生が様子を見に来てくれ、ちょっと話をする。
手術が終わって「終わりましたよ」と執刀したK先生が言い、俺が「ありがとうございました」と言うと、「術中診断では全部陰性(切除したあとの周辺8箇所の組織から癌は出なかった)でしたよ」と言われ、F先生が「良かったですね」と俺の肩をポン、と抑えてくれたのを覚えている。

手術の目的のうち、腫瘍とその周辺組織の切除はもちろん成功。
術中診断で、腫瘍から放射状に延ばした残存皮膚の八箇所からは癌が出なかった。
同じく術中の染色検査でセンチネルは見つからなかった。
…という結果の評価として、医師としての「所見」は言いづらいでしょうから、あくまで個人的なご意見はどうですか、と聞いた。
F先生は「腫瘍は綺麗に取れたし、その周囲八箇所の術中診断では陰性だったから、ほぼ取り切れたとは思う」ということだった。
確かにリンパ転移は心配ながら、個人的には可能性は低いとは思います、これは「決してよろこばせよう思うて言うてるのとちゃいますよ」ということでそうなのだから、そうなのかも、と希望が沸いてきた。

安心感もあって、夜は薬で10時過ぎにことっと寝た。

7日水曜日、411号室に移動。語呂合わせはもういいや、何しろ「4階」自体「死」なんで縁起も何も担いでる暇がない。
6時起こされたあともしばらくうとうと。手術当日全く寝られなかったせいで、この日はよく寝た。
しかし午前中に主任ぽい看護婦さんが来て、さっそくの部屋移動、今後大部屋にというので、あらら勘弁してくれよと思う。でもここは積3じゃないし、血液腫瘍患者が来る病棟でもない。自分で防疫関連はしっかり気をつけておかねばならないな。
何しろ廊下を普通にオッサンが「へぇっくしょーい!!」と言って通過していったり、子供がゲヘンガハンと咳をしながら廊下のパイプ椅子に座ってたりする。
あと廊下がトイレ臭い。
病棟でトイレ臭いとかあり得ないでしょう? 誰に聞いてるよ俺。

そんなこんなで先々の、病気本来の予後や「審判」への不安とは別の不安をいっぱいに抱えつつ、前回の入院荷物にあったからと追加しなかったティッシュとマスクが切れ、看護婦さんに買って来てもらった。いずれも家には大量の箱買いストックがあるので、実に悔しい。

お袋には手術終わったと短く昨日電話しておいた。
「なんであんたがこんな目に」というマイナス方面に話が向かいそうになるので、「とりあえず諦めず頑張るから」と言い聞かせて短く終える。
すんませんねえ親不孝ばかりで。若い頃にだまし討ちで大学受験を蹴飛ばして上京、気がつけばこの八十を過ぎた母親と過ごした時間は、あれから合計何日あっただろうか。
この上に逆縁、では申し訳がなさ過ぎる。

手術後、片目でよろよろふらふらと歩いたり、そこらのものを取ろうとして失敗したり、茶をコップに注ごうとして奥にだばだば零したりしつつ、徐々に適応してきた。

左目の方は、一日一回「処置」がある。
瞼が無いため終始剥き出しの眼球には、乾燥や感染防止のための軟膏をたっぷり盛られ、それを何重かのガーゼなどでカバーし、テープで固定するのだが、その取り替えの際に生食(せいしょく=生理食塩水)で眼球を直接洗い流すのがちょっとしんどい。
あと左こめかみというか目尻のあたりから頬にかけて、センチネルリンパ検査のために切った縦の傷、縫い目は抜糸され、テープになった。6~7針縫ったんだろうか、抜糸の回数によれば。

だがこれら目の「処置」で一番しんどいのは、切り取った部分の周囲八箇所の術中検査で組織を取られた痕だ。
いまだにテープを剥がす時に痛くて声が出る。皮下組織まで取るという事は、こんな小さな穴でも相当痛いという事を実感する。
生食で目を洗われるのは慣れたが、処置の間まぶしいのが困る。瞼を閉じられないので、もの凄くしんどい。
確か拷問で強制的に器具などで目を開けっ放しにさせて、答えるまで閉じさせないというのがあるが、これ長時間やられたら本当に気が触れると思う。何でも吐いちゃう。
瞼の重要さ、人体の繊細さを改めて再認識。

9日金曜日つまり術後四日目あたりからは、完全に片目…というか手術と聞いてすぐゆうちゃんが送ってくれたアイマスクを左瞼ガードの上に覆い、光を遮断すれば、右目だけでのPCプラウジングなどは多少長時間でも可能になった。
このようなタッチタイピングでの長文打鍵は、左手の甲に点滴ルートが取られているだめにどうしても痛みで速度が鈍る。それに片目でモニタを見続けるのは目にも悪かろう。今度は右目に癌が! とか笑えない。
それやこれやでここ数日の記録はスマホの音声録音でやっていた。
もう、執念である。
記録魔としては、キーボード使えないモニタ見れない、紙に書くのも片目なのと視力的にかなりつらいとなれば、後は録音しかない。

この手術後の「処置」の他は、通常の服薬は元通りになり、あとは一日2回、抗生剤点滴がある。昼前に一本、夜は9時ころから1時間ほどで消灯とほぼ同時に終了。
この一日二回抗生剤投与の効果はてきめんで、正直ちょっと悪かった尿の色が正常に戻ったり、菌交代によりカンジダが繁殖していた舌も、フロリードゲルとの併用で色が戻った。
だがこれに慣れてしまうと、要はガードマンに常に守られて生活している事になり、ガードマンがいなくなる=抗生剤中止になると、自力で免疫、抵抗力をあげないとならないので大変になる。

基礎疾患である慢性白血病が悪化してからは、大小の感染で一年持たない。たいてい何らかの感染症にかかり、小さい場合は下痢、まあこれは日常として、あとは発熱程度でものを食わず生食(なましょくじゃなくて生理食塩水)に近い水分を補給してころがっていればやりすごせる。

もうちょっと酷いと、口の中に炎症が出たり、どこかに膿瘍が出来たりする。さらに酷いと金玉の裏に膿瘍が出来て悪化し、切開して入院というハメになったりした。
季節に関係なく存在するインフルエンザほかのウィルス感染症も怖い。インフルは今年の頭にある意味「院内感染」して入院し、苦しんだ。

さらに酷い場合は帯状疱疹が劇症化したり、普通の人がかからないようなカリニ肺炎だのにかかって「生き死にの問題」に直結する。
こうした基礎疾患から来るさまざまな症状のうちもっとも酷いのが、このたびの「皮膚癌」だろう。

今回俺の左瞼に突然発現した「メルケル細胞癌」はそもそも日本人には少なく、探して出てくる日本人の症例もほとんどが高齢者のもの。高齢者というのはその時点で免疫力が低下しているので、その意味でリスキーということ。リスク要因としてはHIV感染者、俺のような血液腫瘍患者で免疫抑制が起きている場合、など。
つまり今後もずっと何かしらの感染症に常に注意して暮らす、しかし注意には限界があるので、また確実に何かに感染はするだろう。
それが最悪のかたちで、今回のような凶悪な皮膚癌に出なければ良いが、今回の癌細胞がリンパや血管を通じてどっかへ1つでも飛んでれば感染症とは別に、皮膚癌原発の転移癌が発生する。それまでは定着先が見つかるまで癌細胞はさまよい続けるらしいので、早期発見はほぼ不可能。

…というのが常識だったわけだが、先日何気なくWEBニュースでいつものように医学関連の情報を見ていたら、この「さまよえる癌細胞」を発見できるかも、という研究結果が米国医学協会だかの雑誌に発表されて話題になった(患者界で)。
転移前の「さまよえる癌細胞」を捕捉発見できれば、そして破壊できれば当然ながら転移は防げるし、捕まえられれば転移のメカニズムの解明につながるし、定着後でも、そこへ「なぜ定着したか」で、定着先臓器の癌に対する治療薬開発のとっかかりにもなる。凄いね医学。

そして世間ではノーベル賞を日本人がまた、2人も受賞したというニュースも当然後で知った。何しろ手術後は目を開けても閉じても眼球震動が止まらず、往生した。スマホを見ると頭がクラクラしたし、PCは画面のバックライトがまぶしかった。
その不快感、時折発狂しそうになるくらいの感覚はどうにも言語化するのが難しく、人に伝えるのが難しかったし、伝えたところでどうしようもなかったのが、これまた辛かった。

何日目か、仰向けに寝て目を閉じていた。
とはいえ右目しか閉じられないので、左目は「くわっ」とまん丸にひん剥いている状態で蓋をされているだけ。つまり光は感知できるし当然視力も術前のまま。
なので、右目は閉じると瞼のおかげで暗くなるものの、左はうすらぼんやりと視界が明るい。そこで瞳孔が動き始める。
ああ動いてきた…と思ったら、ぐぐぐ~っと、何と眼球の上、軟膏を覆っている透明シートにピンを合わせた。
合った瞬間「うわあ」と小さい声が漏れた。
視界の隅に、目頭の方に少しだけ残った瞼の残骸が確認できる。あとは、濁った軟膏ごしのぼんやりした光と、周囲の皮膚で覆われた闇。
この視界は眼を閉じている限り避けようがない、いや、眼は閉じられないので強制的に見せられる視界だ。避けるには右目を開けて、実際のものにピンを合わせるしかない。

つまり眠れない、という事になる。

目を開けていると、右目は視線をやったところへピンを合わそうとする。若干遅れて、ほんの少しのラグがあり、左目がすぐ間近にあったピンを右目に合わせようと動く。この「ラグ」が、何とも言えない目眩のような船酔いのようなものを起こす。
目眩といっても頭痛を伴うとか、きついものじゃない。
船酔いといっても吐き気を伴うなど酷いものじゃない。
でも、明らかに我が目が普通ではないという感覚。そして目の混乱で起こる「脳の混乱」。処理速度が付いていかないのか、オーバーヒートするのか、PCが過負荷によってCPUが熱を持ちファンが回りだす、あんな感じで冷や汗みたいなものがドッと出る。
これに慣れるまでが大変だった。

さて、9日といえば、朗報が聞けた日であった。
いつものように処置室に呼ばれて、自分の処置に使う眼軟膏やサージカルテープやガーゼなどの放り込まれたビニール袋を自分で持参して向かうと、処置の途中、執刀医のK先生が「あ、そういえば(切除した腫瘍と瞼の)標本の検査結果、出たって聞かはりました?」と言うので「いえ、まだです」と言うと「検査の方がね、頑張って出してくらはって。マイナスでした」とのこと。

おお…。
左瞼に出来た皮膚癌は、その腫瘍本体と周囲の皮膚ごと、ほぼ取り切れたと。
良かった…。

K先生はいつものように淡々と「で次の形成の方もね、来週から始めていくように今相談中ですし」と言われる。
「ありがとうございました」「よろしくお願いいたします」と一礼して処置室を出た。ふらっ、としたのは目眩ではなく軽い脱力だった。
いやもうほんまに良かった。
今回は正直ほんまこれアカンわ俺、と思った。
だって日に日に目に見えて大きくなる腫瘍、これがリンパに乗って癌細胞がどっか飛んだらおしまい。飛んでないわけないよね、と。あーあ、だましだまし十年何とか踏ん張ってきたのにここまでか…と、覚悟を決めていた。
でも、また「まだ生きろ」と言われてしまった。
なら生きるしかねえだろうな。

それやこれやで、10日には教授回診があり、そしてまた部屋が移動になった。
この日は土曜で、休日明けまでは一日二回朝と夜の抗生剤一時間点滴と、この目と縫合痕の処置だけ。
どうせ易感染だ血液腫瘍患者だと言っても大部屋に移動したら、無神経な他者との同居にイラつくんだろうか。この後の手術は、良い方にしても悪い方にしてもいったん個室になるが、その時は痛みでイライラどころじゃないと思うし、またチンコにカテーテルだ。
でも正直、癌が取り切れたという事で、些細な事はどうでも良いと思っている。

個室に居た時にF先生とちょっと話した、その時はまだ切除標本の精査前。
「術中診断で八箇所陰性、あと切除した標本からも出なかったとなったら、外科的治療はそれで『終了』です」と言っていた。もちろん瞼の形成などは別のフェーズ。
癌が出来てしまい、短い間に切除しきったとはいえ、癌細胞が一個でも飛んでたらそれはやがて増える。免疫が強い人なら殺せるかも知れないが、自分は自慢ではないが基礎疾患が白血病であるからしてそれは無理。
でも、一ヶ月前に癌が確定したあとに脳のMRIと、全身PETをやっている。そこで現段階で何も見つかってない以上、「現代医学では転移の有無を今言う事はできません」と言われた。
先々、どこかに定着してちゃくちゃくと臓器を蝕むやも知れない。でも、そうじゃないかも、知れない。それは今は判らないことなのだ。心配してそれがストレスになっては本末転倒。

午後1時過ぎ、ネットを見て仕事の連絡を片付けてモニタを閉じ、1時半からのシャワー待ちをしていると、突然師長か副師長かのバッヂをつけた看護婦さんが入って来て、丁寧ながら今日部屋を大部屋に移って欲しいと「お願い」に来る。
お願いではあるがもちろん断れない命令に近いものなので、一応免疫が低いので大部屋だと防疫に精神すり減らすのが正直精神的にきつい、と伝える。「血内の時は病棟自体がここの個室よりクリーンなので患者同士の交流が出来たけど」と恨み節を言うが、全く曇りの無い笑顔でスルーされた。
これは有無を言わせない「命令」であり、こちらの言い分とか基礎疾患とか、とりあえずは関係ない。部屋を開けねばならない。

まあしょうがねえよな、どうせ月曜には移動確定だったんだし。
それにしても初日から何回部屋を移動させられたか。
目に見える骨折とか歩けないとかいう患者の介護、介助を診ている病棟だから、あまり俺のような血液腫瘍、免疫抑制の患者などは見た目で元気に見えるんだろうか。野戦病院か。
と思いつつも、この病棟はそもそも俺みたいな血液腫瘍、免疫抑制患者が来るところじゃないんだし、自衛しなきゃ守って貰えないという事も解った。
病院は感染源の温床。
それは身をもって体験している。
咳しながらノーマスクで入って来る見舞客に風邪をうつされたりはしょっちゅうで、今年は潜伏期間から考えて間違いなく、病院内でインフルエンザを貰って高熱と嘔吐に苦しみ、入院したんだから。
「今なら窓際が空いてますし~」という甘言(笑)に乗せられて、3時くらいから移動となった。同意したならとっとと出てけか。ま、しょうがない。

3時半過ぎ、「423=死ぬ身」という大部屋に移動した。
とりあえず俺以外に向かいに二人患者さんがいて、向かいの人は足かどっかの骨折か何か、ななめ向かいのお爺さんは脳神経系だそうだ(挨拶の時ご本人から聞いた)。
ただ向かいの男性はカーテンは閉めきっているものの、ゲホンゲホンと始終いやな咳をしている。「嫌な咳」とは、風邪や感染症などによる咳のこと。
今は抗生剤点滴中だから、飛沫感染や直接話したりしなければ大丈夫だろうが、なるべく出くわさないように注意する。自衛しないと、俺の場合冗談抜きで「入院ごと」になるんだから。入院中だからいいって事じゃねえ。

夕方、食事前に部屋移動を告げてきた桜バッヂの看護婦さんが夜担当で来て、何か不都合ないかというので、咳をするジェスチャで「感染が不安です」と伝える。伝えるが、まあ向こうは了解するだけなのだろうが。

というわけで昨晩は、消灯前から右斜め前のお爺さんのいびきが聞こえ始め、おいおい早すぎだろうと思いつつ耳栓をし、9時になると抗生剤の点滴が始まる。
何かいつもと違って痛い、と訴えるも看護婦さんは「強いですか」というので「いや…それほどでも」と言うと「ちゃんと落ちてますし、腫れてないので大丈夫ですよ」と言う。
痛いのは俺なんだが、まあ仕方ねえかと思い諦めて「そうですね」と言いつつ「我慢します」というと、その言い方が気になったのか、手首を内側に曲げ気味にすると楽に入ると言って、タオルをくるくる巻いて、この上に左手首を置いて楽にしておけという。
で言われた通りそうして、iTunesで音楽を聴きつつ10時まで待つ。
お爺さんのいびきはまあ、耳栓すりゃ大丈夫だろという程度。
相部屋で誰もいびき発生源がいないという事はむしろ珍しい状況だ。それくらいとうに理解している。

10時になり点滴が終わって看護婦さんが外しに来てくれると、何と漏れたらしく手の甲から手首にかけて大きく腫れていた。気づかなかったくらいだから痛みはないが、かなりの量が漏れていた様子。ていうか小さい抗生剤なので、ほとんど漏れたんちゃうか。
俺的には「ほらやっぱりな、患者の訴えは聞くべきだろう」というのと「やっぱり我慢しちゃアカンな」という感じ。
看護婦さんはしきりに済まなそうに、「これルート抜きますね」と言って針を抜いてくれ、アルコール綿を畳んだのでぎゅっと抑えて止血してくれるが、そこがぽこっとへっこんで廻りが盛り上がるほど漏れている。
何せ皮下に大量に点滴が漏れているからなかなか止血できない。もう一枚アルコール綿を同じようにあてがって数分、ようやく止まって、止血パッチを充てて「先生に後で来ていただくようにします」と済まなそうに去っていった。

それからしばらくして、左手を上げ気味に仰向けに寝ていると、消灯後の暗い中今日処置してくれたT先生とF先生の二人を伴って先ほどの看護婦が来て、診てくれる。
でもまあ、結局漏れたもんはしょうがないし、痛みもないと言うと、じゃあ朝まで様子見ましょうか、漏れたものは吸収されますから…という予想通りのご判断。
これ抗がん剤だったら大変だったよね、とチラッと「嫌味」を言う。
ていうか本当だよ。こういう一つ一つを糧として経験積んでいい看護婦さんになってって下さい。

でおやすみとなったわけ、だが、お爺さんは気持ち良くいびきで寝ており、向かいの男性は12時過ぎてもテレビをイヤホンつけて見ていた。
それは全然、本当に全く構わない、こっちもPCやってたし。
ところが電気消したと思ったら、しばらくして凄まじい轟音。イヤホン外したら、その男性のいびきだった。
最初はお爺さんの方かと思って「でかくなってきたなあ」と思ってイヤホン外してトイレのついでにチラと見たら、お爺さんのベッドは空。あれと思ったらそこにトイレかどっかから戻って来たお爺さんが来て、「寝られませんでしょ」と言う。
もう「うがああ」「うごおおお」「ずごおおお」「ぶぐうう」というのに、ときどき「ウッ」とか「うおおお」とかうなり声も混じり、とにかく始終幕無し、廊下まで、数部屋先まで届く轟音である。
これは凄い…
当然イヤホンも重低音には効果はないし、音楽かけて消そうにも、その音楽で眠れない。
俺も十年患者やってて、その間何度入退院したか、切ったり貼ったりあれこれで、この一年だけでも四回目の入院だが、これほどまでの「騒音発生器」は初めてである。
全く眠れないし、近くに居るだけで頭がガンガンしてくるので、たまたま通りかかった男性の看護師に「これこれこうでさあ」と言うと部屋まで着いてきてくれて「確かに」と確認するが、まあどうしようもない。
本人に自覚ないし。呑気なもんだ。中には「俺いびきかかへんけど?」なんていう奴も昔いたっけなあ。

がん患者にとって、いやまあ病人にとっては、ていうか人間にとって睡眠はとても重要な行為だ。この時間に体を休め、痛んだ部分を修復し免疫力を高める。体を正常に保つ働きの一つでもある。
この凄く大事な睡眠を、何らかの要因…例えば俺のような癌宣告による命の不安や、連れ合いを亡くした心の痛みなどであれば、安定剤を貰ってでも摂る。寝付きが悪ければ導眠剤を使う。
薬を使ってでも、俺ら病人は強制的にでも『休む』。生きるために寝る、それがいかに重要かという事だ。

それを妨害されるのは困る。

これ、癌にあまり接しない病棟の人、この意味を全然理解してないことが多い。
睡眠の重要性。
がん患者の心の問題。
免疫抑制。
たぶん言葉で判ってても、[意味]を理解していないのだろう。
「だれにとって、何がもっとも重要な問題か」
は、病気や症状、そして患者個人の精神状態でも異なってくる。
だが睡眠は基本中の基本だろう。
そして個人を見極めるのが看護をする側の態度だろう。
俺の場合は基礎疾患が白血病で免疫が低下しており、さらに今回は皮膚癌になり左瞼の切除手術から4日目の夜なんだけど。
体と精神の事をちょっとは考えてくれはしまいかと思ったが、この病棟はこういう俺のような疾患の患者が「異物=イレギュラー」なんで、全く、ちっとも少しも全然考えてはくれないのであった。

結局しばらく我慢したがとても眠れるもんじゃなく、ふらふらと休憩室へ行くと、何と同じ部屋のお爺さんがすでに長椅子で寝ていた。
しかも綺麗に掛け布団かけて。
完全にコントである。
もう一つ長椅子…といっても幅が俺の体の幅と同じかやや狭いくらいの椅子だが、一応空いている。なので看護師に「あそこで俺も寝ていいですか」と言うと、他にどうしようもないらしいので許可され、ソファで寝ることにした。
至近距離で四六時中象の咆吼を聞きながら寝るよりはマシだ。
お爺さんもいびきはかくので、耳栓をし、サージカルテープで固定をし、横になる。寝返りを打つと床に落ちるので、半身にして、手術をうけた側の顔は上になるように寝る。

何でこんな目に遭うかねえ…。
俺病人で、ここは病院のはずじゃないのかねえ。

これ患者さんや医療従事者の方もけっこう読んでおられるのを時々お伝え頂くのですが、どうですかこれ。
結局、狭くて固い談話室のソファの上に寝始めたのが2時過ぎで、6時手前に十数分軽くウトウトしただけで、ほぼ一睡も出来なかった
そらそうだ。寝返りも打てないし。寝たら床に落ちかねないんだから。床は当たり前だが雑菌だらけだろう。

結局6時半には起きて洗顔歯磨きなどしてしまう。
部屋に戻るとまだすさまじい轟音が聞こえる。ご本人には悪気はなく、どうしようも出来ない。
部屋の入口でお爺さんと二人で苦笑しつつ「こりゃ寝られませんよ」と話す。「夜だけ隔離すればええんちゃいますかねえ」と言うと「ほんまですね」と笑っていた。

その後なんか連帯感が生じたのか、お爺さんに「これ良かったら」とオロナミンCをいただいたので、起き抜けに飲んだ。
もう7時の朝食配膳時間を過ぎたというのに、まだお向かいさんは高いびき、というより「騒音発生器」のままだ。これ隣の部屋はおろか、2つくらい先まで響いてると思うが…。

7時半前に窓際でちょっとお爺さんと世間話をしていると、夕べの看護婦さんが来て、二人のバイタル。
向かいはその間も高いびきで、看護婦さんに起こされて、ようやく騒音が止まった。
「よく眠れましたか」「はい」というやりとりを聞いて「アホかおまえ当たり前やろ」と思わず小さい声が漏れてしまった。
先行き心配だよ(笑)。
でもまあ、癌が取り切れた、PETもやっている、そういう安心感が心を寛容にさせる。

まだまだ痛い、しんどい事が色々「闘病」以外にありそうだ。

でもまた生かされてしまった。生きねば。
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コメント

すいみんのじゅうようせい

京大病院ともあろう機関が、白血病患者を雑魚寝させて
いびき患者はほったらかしとは信じられませんね。
でも現実にそういう話はあちこちの病院で聞きました。
自分もそこそこ転院してますので。。。
そういう場合、たいていはいびきの発生源を隔離するんですよ。空いてる部屋にベッドごと運んでって、そこで寝て貰う。これで全員ハッピー!
のはずなんですけれど。。。。
でも癌が取り切れて良かったです。
もうちょっと師匠には生きていていただかないと、困ります。

No title

イビキは本人に自覚がない。迷惑をかけているとか、罪の意識もない。
周囲の怒りや殺意だけが静かに上昇していく。
なんとかしないと管理側が。

いやまあ

鼾はしゃあないっすよ(笑)。

実際問題ご本人ケロッとしてるし、ゆうべも知らない看護婦さんが「ちょっと気にしすぎちゃうの」「言うてもたかが鼾くらいで」的な態度をしてたのが、今朝になったら
「すんませんでした、あれは寝られませんね」と申し訳なさそうにしてたし。

今更普通の鼾なんか気にしないけど、あれは同じ部屋の中で常に道路工事か何かやってるような状況だから、寝られる方がどうかしてます。

部屋が空いてない、はこういう拠点病院では慢性的な問題。そういう意味では、術前の北1病棟での

「偶然一部屋空いていて、偶然知り合いの担当さんがいて、偶然とても優しい師長さんがおられた」
という事は奇跡だったわけです。

それもこれも、生かされたという事でしょうね。

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雑魚寝

何かすんません。
告発とかそういうんじゃなくてですね、まあ、コントみたいな状況をお分かりいただければ。
極限は時として…ってやつです。
術前に個室に移して貰えたので、今日はぐっすり寝られそうです。
明日からまた、大変な道のりですが…。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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