2015-10-21(Wed)

二度目の手術前後

2015年10月21日(水)
二回目の手術前後~の経過報告を。

その前に、ここの病棟では自分という血液腫瘍患者、免疫抑制…通常の血球数では判らない、CD-4の特異的減少などでカリニ肺炎にすら負けるという患者が「イレギュラー」である事を再確認しておく。
形成外科で足を折った人や神経科で神経痛やパーキンソン病の人もいる。歩行困難者、排泄や入浴に介護の必要な人もたくさんいる。
そういう中で、一応易感染状態にあるが、外見上は眼、それも瞼切っただけじゃんと軽く見られても仕方がないとは思う。
本当は慢性白血病を長年患い、今もこうしてその上皮膚癌宣告までされて…という状態を、全ての看護師や医師が知っているわけでは、ない。
それはちゃんと認識しておかねばならない。
簡単に言うと「悪気があって対応してくる人は、基本いない」ということ。
そう思いたい。思わねばやってられないし。

さて、5日の午後、最初の手術で左瞼を悪性腫瘍もろとも切り取った。
10日には大部屋へ移動させられたが、大部屋なんかこれまで何度も経験しているし鼾はかかない人の方が珍しい。わいわい仲良くなった人もたくさんいる。

そういう事じゃなく、珍しい皮膚癌を発症するくらいに免疫力が落ちている自分が、はっきり言えば足悪いけど後は健康、軽い風邪くらい治せる強い免疫力を持った人たちに囲まれている。他の患者さんたちが、わざわざ俺という「イレギュラー」に防疫上の配慮をするわけがない。それにそれを要求する気もないし、要求しちゃアカンと思う。
では自分で防衛するしかないのだが、看護側に防疫上の知識があれば、やはりちょっとは気をつけてもらえるとありがたい。
大部屋では向かいの患者がゲホンゴホンと咳をし、検温のたびに微熱がある、でも医師は「大丈夫」と言っている…なんていう会話をしていて、「明らかに風邪やんこの人」と、カーテン一枚隔てて近くで一緒に居る。
看護師が向こうへバイタル取りに行く、咳しながら何か会話している。当然飛沫感染する、それ次にこっちへ持ってくる、これ普通にある事。
防衛のしようがない。
マスクをし、うがい手洗いをし、同じ部屋の中にある洗面台は使用しない。
あとはもう運しかないだろう。気にしすぎてもしょうがない、これは何度でも言うが、「健康な人」に言う台詞だ。
俺らは「気にし過ぎても感染で痛い目に遭う」し、入院もしてるし、生死に関わる事になってきた。
そういう事が、大部屋でイレギュラー患者として過ごす事の煩わしさだ。
自分の病気を治すこと、療養するという基本に専念できないのがしんどい、という意味。

それにしても共用の洗面所にしてもトイレにしても、ちょっと積3病棟の看護師Nさん呼んできて! ここの皆さんに防疫の基本から教えてあげて! と言いたくなる環境である。
看護師さんの中には「何や白血病か何か知らんけどアンタ気にしぃちゃうの」みたいな空気をあからさまに臭わせる人までいる。
こういう人に、自分は雑菌が怖いから家でもタオルは使ってないので…と、入浴の際タオルを貸して貰うように頼むと、
「パジャマはいいですけど(有料なんだから当たり前だ)タオルは患者さんご本人で用意される決まりになってますから。今回はいいですけど次からはそうしてください!」
と冷たい態度をされたりする。
おー、相当イライラしてんだな、そんなにストレス溜めて患者を突き放すような態度しなくてもいいのに。
…と思いつつ「すんません、『お願い』なので、あくまでご厚意だとは知ってますから」と言いかけて、そういう事は通じねえなと思いとぼとぼと浴室へ向かうと、元気のいいベテラン看護師さんが「シャワーですか」と声をかけてくれたので、「はあ…でも」としょうがないですよねえとさっそく愚痴る。
看護師さんは確かにそれは「決まり」やけども、と。でも言外に患者にはそれぞれの事情もある。それを汲んだ上で一言。
「ごめんねえ。(小声で)次からは他の人に頼み」
うん、そうします、ええ人やなあ。

大病院には当然決まりがあり、それによって秩序を保つシステムがある。
なし崩しにすればそこから「何であいつだけ特別や」「不公平やろ」の声が挙がる…かも知れない。ないと思うけど。
なので決まりは守られねばならず、それをきっちり守らせようとした先の看護師さんに何の落ち度もない。それどころか規則を患者に遵守させようと促した優秀な看護師さんだと思う。
でも人としては何か欠けているとも思う。
ルールは病院のためにあり、病院は何のためにあるのか。
研究、教育、医療、そして患者のためにもある。
患者は人である。全て同じではないし、置かれた境遇、病気、状態も当たり前だが全て違う。一律にルールを厳格に適用する…のを前提として、その上で、でも患者も人間だからな、と思う。
自分は前の入院でもこれまでも、ずっと「ルール」「規則」を守って来た。
だから守らない、人に迷惑をかけても平気な患者には腹が立ったし、文句も言った。それは自分がルールを守っているから言えることだ。
なのに、タオル一枚貰うことがルール違反だ次はないぞ、と言われると、何かこれまでの矜恃が否定されたようで寂しい。
いや、そうなんだけどさあ。何つうかさあ。
まあいいや。

こんな些細な事はともかく、同室の風邪っぴきの上に凄まじい殺人鼾でとても寝られなかった問題、師長さんに泣きついて、個室に移動させて貰った。
しょうがない。
健康な人に判って貰おうとは思わない。
寝られないのは、本当に命に関わる。冗談抜きで。
それとなるべく他の患者さんと接触しない。クリーン病棟ならともかく、ここでは血液腫瘍患者も免疫抑制患者も居ないんだから、俺が間違いなく一番弱い。
ベッド上から動けない状態のご老人も入院されていたりするのだが、そういう人と比べても「免疫力」に関しては俺の方が弱い場合もあるのだ。

さてと、二度目の手術の前日…14日は、個室のおかげで久々に熟睡出来た。
本当にあっけないくらい、普通に眠れて、起きられた事に感謝するほどに「普通の睡眠」を久しぶりに摂れた。
朝方ちょっと小寒くて目が覚め、抱き枕をちゃんと掛け布団状態にしてかけて、さらに熟睡。
目が覚めた…というより醒めても起きずにとろとろして、7時過ぎにようやくシャキッと起きた。
ああ、睡眠の重要性。病人においてをや、だ。

気になるのは昨日の処置中の、額右中央部分に感じた痛み。
思わず触ると明らかに強い痛みを感じる箇所があり、処置は執刀医のK先生だったし術前だったので一応そう訴えたのだが、「見た目変わらないけどなあ」と言われ、「一応痛み続くようなら言ってください」と言われて部屋に戻った。
部屋に戻るとどうもぷくっと縦に軽く膨らんでいるように見え、そーっと触ると確かにほんの少し膨らんでいる。そして押すとかなり痛い。でも押さなければ痛まないし、まあいいやと放置した。
その後看護師さんが来たので、一応気になる点として言ってはおくべきだと思い、額の事は告げておいた。申し伝えておくということ。

今回の手術は、最初の手術の執刀をされたK先生ではなく、瞼の形成実績もあるE先生がご担当。
術前の説明によれば、左目下の眼瞼を切り、切除はせずに上の眼瞼があったところに上下ひっくり返すように縫合。ここまでだそう。痛みが心配ながら、前回を考えればさほど違いは無さそう。つまり、ロキソニンで乗り切れるくらいかな、という印象。
で、この上に移動させた下瞼に、上瞼がわから血流がちゃんとつながってから、ざっくり顔面を切ったりの「大工事」と本格的上瞼形成術になるという。
なので今回を乗り切れば、あと二週間くらいはまた片目で、左を毎日洗浄と保護「処置」の生活になる。

実際のところ、手術に関しては全面的にお任せして、ただ従うのみ。
正直今憂鬱な点があるとすれば、全身麻酔時の尿道カテーテルだけ。
またあの「痛み」かあ、と思うと…。挿れられるときは全麻中だからいいとして、あんなぶっとい管がチンコの中を通って四六時中尿を垂れ流している状況、嫌に決まっている。
なのでだいたい、全麻後は、これをまず外して貰うために、とにかく看護師立ち会いで「歩く」。歩ければ、自力でトイレで排尿可能と判断されて、カテーテルは抜かれる。抜かれた後は空気がごぼごぼと混じったり、染みたり、血が混じったり色々嫌な感じなんだよなあ。

15日の手術は予定が2時半~が押して、3時半過ぎか、もっとか、終わったら6時半とかじゃなかったか。
もちろん手術当日はとてもモニタを見たり出来なかったし、翌日に短時間、その翌日も左目が眩しくて消耗した。
数日間はアイマスクを片側だけにつけたり、段ボール紙を切って額から左目上に垂れるようにぶら下げたり「迷走」したが、要するに天の橋立状態になり大部分がまだ露出されている左目は、ガーゼで遮光されない状態で、その中で右目と同様に動く。
それが痛みと目眩の原因になり、右目は当然ながら「眼精疲労」みたいな状態になり、ついには開けていられなくなる。
しくしくする、という状態。左目ごろごろ、右目しくしく。
これが18日、術後3日くらい続いた。

この二度目の左目の手術は、いつも気を遣ってくれる助手のTさんが、術後に部屋に戻った時に来てくれたので時間を聞いたら「6時48分です」と言っていたのを覚えている。
今回は手術台に乗っかってからが色々準備があって、例によって麻酔はコトッと落ち、醒めたら手術は終わっていた。
この全麻ももう5回目か。
いつも思うのだが、あの「じゃあね、これから麻酔のお薬入っていきますよ、ゆっくり呼吸してくだ…」くらいでコトッとブラックアウトする感じ、そして数時間経過して、何事も無かったかのようにスパッと醒める感じ。
あの間の「俺」はどこに居るんだろうか、居たのだろうか、俺の「時間」てどういう事になるんだろうか、と色々考えなくもない。
でもまあ結局麻酔が効いて意識が無かっただけと言われればその通り。

部屋に戻ったあと酸素吸入がついてたが、普通に呼吸できたので自分で外した。
あと、日勤の看護婦さんが凄い忙しそうにくるくるベッド廻りで働いていた。「はあ~」みたいな感じで、お疲れのご様子だったのをおぼろげに視界に捉えていた。

嬉しかったのは夜落ち着いて来て、よく話す男性看護師君に「あれカテーテルないよ」と言うと「ああ、じゃあ手術室で抜管したんですね、前回もすぐ歩かれたので、今回もそう判断されたんじゃないでしょうか」とのこと。
良かった。イヤッホウと叫びたいくらい、嬉しかった。
ですぐ立って手を添えてもらって室内軽く往復、心電図モニタや酸素モニタも寝る前には外された。
夜、尿意を感じたのでたまたま部屋にバイタルに来た、俺が密かに「軍曹」と呼んでいる元気のいい看護婦さんに、排尿したいと告げる。
最初の尿だけは測らせて、と言われたので「出そうです」とトイレへ立とうとすると、便座にビニール袋を固定するアタッチメントをつけられ、そこに出すよう言われた。
思ったより量が出て、色は濃かったが痛みはさほどなく安心。前回は数日染みたもんなあ。
その後、麻酔が切れたのか左目の痛みがちょっとあり、また痛み止め(ロキソニン)をもらった。ロキソニンで済む痛みなんかちょろいもんだよなあ…と思いつつ飲む。いつぞや…帯状疱疹劇症化のとき…はオキシコンチンでもダメ、ソセゴンでようやく30分ほど痛みが和らぎ、その間にとにかく糜爛したケロイドをシャワーで洗い、アズノール軟膏をたっぷり塗ったガーゼを交換してもらって、切れる前に急いでベッドに戻ったりした。
ああいう凄まじい激痛に比べれば…。いや比べる方がおかしいか。

夜の眠剤も今回はちゃんと貰えたので、夜もしっかり寝られた。夜中一度小便に起きたか、朝は7時前まで寝たと思う。
二度目の手術も、執刀されたE先生は眼瞼形成術のご経験のある先生で、「大丈夫、順調ですよ」と言ってくれたし、何より一回目と違って「癌は外科的に取り切れた」後なので、気持ちが違う。ありがたや医学。

一日一回、左目をがっちりガードしてあるテープとガーゼを剥がし、軟膏を生食で洗い流し、消毒をしたり汚れを拭き取ったりしてもらい、眼軟膏をたっぷり眼球に直接塗布してもらって、またガーゼで塞いでがっちりテープ。
この処置を毎日繰り返し、つながっている瞼が、上から血管が延びて血流が回復するのをひたすら待つ。これが二週間ほどだということ。
その間もちろん感染などは心配ながら、処置に関しては問題なく、後は普通にその他の、とくに肺などへの感染は自分でガードしないといけない。

病棟内を歩く時は混雑時を避け、売店へ行くのも、どうしても眼が開けられなかった日を除けば、空いていると思しき時間に一人でふらふらと手すりを頼りに向かった。

20日には片目生活もだいぶましになってきた。
とはいえ、油断するとすぐ右目がしくしくしてきたり、左目の軟膏が時間が経って体温でゲル状から液状になるにつれ下がってきて、しみ出てくる。軟膏が眼球保護部分に足りなくなると、乾くまでは行かないが、眼球を動かすとごろごろした感じで、眼を動かすときに違和感と軽く痛みがある。
なので長時間のPC作業やブラウジング、スマホ画面でのメール返信などは、酷い時は数行で視界がじわーっと滲み出し、右目からは涙が出てめまいがする。
で「うわわわもうダメアカンアカン」と眼とスマホをとにかく閉じる、なんてことも多かった。
それでも休み休みでも、記録はつけている。ま、意地ですと前も書いた通り。

そうそう、術前に気にしていた額の痛み。
あれは術後何日目か、執刀されたE先生と話してるうち、先生がふと「…どっかにぶつけたりしませんでした?」と言われ、俺もはっとして「ぶつけました!」と大声を出してしまった(笑)。
一回目の手術のあと、大部屋に移動する前だっけか、荷物をまとめようとベッド脇のテレビ台兼もの入れ兼小型冷蔵庫を整理してたとき、片目なので距離感がつかめず、上棚の角に「ガン!」とぶつけたのだった。
「…たんこぶですね」と爽やかな笑顔でE先生が言い、俺も「…どうも済みませんでした」とマンガみたいに後頭部に手を充てて軽く頭を下げた。
もちろん術前なので小さい事でも気になる事は言って下さいね、とフォローしていただいたが、まあお恥ずかしい。

そんなこんなでまた片目生活でふらふらと距離感を測りつつ、廊下を歩いたりするようになり、昨日は通院の帰りにK山さんが様子を見に来てくれた。
仕事の方もお忙しい様子で、お互いいろいろ大変ですねえと話し合う。
いつも忙しい&持病もあるのにすいません。

…実は全く関係ない別件の仕事で、今けっこう大変な事態が起きてしまっている。
何で俺の入院、手術と被るねん、よりにもよって…というような状況。
守秘義務があるので書けないが、とにかくまだまだ死ねないよ俺。
そうそう、「弟子」もちゃんと一人前にしねえとアカンしな!

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コメント

No title

プラス、ユキちゃんとまた一緒に暮らすこと。プラス、美山でBBQすること。まだまだ死ぬわけにはいきませんよ!

ユキちゃん

そうですね!>美山でBBQ!!
血液腫瘍患者たちと病棟で、「元気になってみんなでBBQしよう!」と言い合いました。
お一人、それが叶わなくなりましたが…。
ユキちゃんがモコちゃんと仲良くしている写真をいつも送っていただいて、ありがとうございます。
ほんまにもう感謝しかありませんよ!
「またたび」にお近くの方は是非!(営業営業!)
俺のかわりにユキを撫でに行ってやって下さい。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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