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2015-11-04(Wed)

明日は三度目の手術

2015年11月04日(水) これまでのあれこれ 1
明日、午後から三度目の手術を受ける。
ここまでの経過としてはこのブログに記述してきた通り、以後あまり変化なく…つまり順調に来ている。
DSC_0048.jpg

ざっと、「あれから」の様子を報告すると、左瞼の方は、下瞼を切って、上瞼のあったところへ縫合、血流は下からのみという状態から、縫合した上からも供給されるようになるのを待つ。
ひたすた待つ。
もちろん俺は免疫的に「弱い」ので、個室で基本的に感染には注意しつつ、あとは一日一回、瞼を「処置」して貰う。洗ったり軟膏足してもらったりガーゼ貼り替えたり。

…で、こちらは順調に壊死したり感染症にかかることもなく、無事に上からの血流も見られるようだと言われた。
「大丈夫ですよ、色もいいですしね」
「ああ、順調ですね~」
と執刀医の先生や教授回診のたびに言って貰えると、こちらとしてもホッとする。
あとこっちが出来る事は、頑張って出されるものを食い、感染予防に留意し、足が萎えないように出来れば歩く…のがいいのだがあんまり片目でふらふらすると、「たんこぶ」では済まない事態になりかねないので、飯を「立ち食い」したり、時々ベッドの脇で手すりにつかまったままストレッチをしたりする。
病人なので、基本的に無理はしない。出来ないし。

二度目の手術のあとは、前回書いた通りK山さんが20日に来てくれた。
22日には同じ血液腫瘍患者で積貞棟3階で共に過ごした「仲間」のIさんとTくんが、相次いで外来の帰りに寄ってくれた。
このお二人は、夏に外で二回ほど「痛飲」した、あのお二人であるが、今は通院中(笑)。俺は入院中。

Iさんは相変わらず、抗がん剤治療のクールの谷間であるが、お元気そうに見え、互いに笑顔で励まし合った。ほんま、地獄見てきたもんな。
「戦友」も一人、逝ってしまった…。
Tくんは、夏に遭った時よりさらに元気になったようで、聞けば二週間前から免疫抑制剤もやめているという。
思わず「ええの?」と驚いて聞き返したら、「H先生(IさんとTくんの主治医)が『もうやめても大丈夫じゃないか』と言わはって」とにこにこしている。

彼は去年9月、俺が白血病が悪化して、いよいよ抗がん剤治療へ…という入院のとき、同じ時期に抗がん剤治療で入院していた。
当時は治療開始直後で、抗がん剤の副作用により頭がサッカーボールみたいに毛が抜けてまだらになっていった。そんなTくんが点滴スタンドをころころ押しながら、無言で食堂に来ては会釈をして出て行く…という頃に、俺と同室だったKさん、Tさん、そこにIさんが加わって仲良くなっていった。

その後俺は感染症で1度入院、退院後に3回目の入院が今年あたまのインフル~放射線照射。
このときTくんは移植直後で坊主頭で点滴スタンドを押しており、俺は俺でインフルで発熱嘔吐でさんざん苦しんだ後、ようやく廊下に出ていいという許可を貰って、同じように点滴スタンドを転がして出た。
まさしくそこで二人顔を見合わせて「あれっ、何でいるんですか」と言い合ったっけ、と今では笑い合う不思議。そしてその後、「Iさんもいはりますよ」と言われて、そっと近づいてって背後から「Iさん!」と声をかけたらマンガみたいに「うわああ!」とびっくり仰天された思い出。
この入院で、Tくんとは、Iさんを介して仲良くなった。
だからTくんは「戦死」した俺と同室だったKさんとはあまり親しくは接する時間がなかったという。
でももちろん、去年の9月には食堂で何度も互いに顔は合わせていたし、Iさんを介して亡くなったという話は聞いていたので、俺が
「退院して回復したら、一回焼香に行きたいね、Iさん車出してくれる言うたはったし」というと「そうですね」と頷いていた。

それにしてもうらやましい。
ご兄弟二人とHLA型が一致、どんぴしゃで移植が成功、経過もすこぶる順調な「最も理想に近い形」で寛解導入できたんじゃないか。
今では免疫抑制剤の服用もやめて二週間になるが、熱も無いし、そもそも退院してから一度も熱もなければ風邪をひいたことすらないという。素晴らしい。ハラショー! と立ち上がって拍手したくなる。
かたや、Kさんのように移植がうまくいかず、GVHDで苦しんで亡くなってしまう例もある。
ほんまに光と影のようだ。
亡くなった人を影というのは失礼とは承知のうえで、敢えて、俺にはこうして寛解し社会への完全復帰目前のTくんは眩しく見える。

Tくんは「こう言うたらおかしいかも知れへんですけど、最初はしんどかった入院生活もね、楽しかった言うか…」と、Iさん含め、気の合う「仲間」「戦友」がいたからこそ、辛い治療も乗り越えられたと。
そうだよなあ、カーテン引いて引きこもって、一人で悶々としてる人もおるしなあ、ていうかそういう人がほとんどやったもんなあ、と話す。
それにしても、俺に取っては亡くなったKさん、TくんにとってはIさんだろうけど、
「大の男が大人になってから、一ヶ月とか二ヶ月同じ部屋で寝食共にするって、刑務所でもなけりゃあんまり無い事やし、しかも同じ血液腫瘍で闘病という立場でね、やっぱり単に友だちというより特別な感じを持つよね」というとTくんも頷いて「戦友、ですねえ」としみじみ。

同じような血液腫瘍や免疫疾患などと闘い、常に生きるか死ぬかを考え見つめさせられる病気。
なりたくてなったわけじゃないややこしい病気に向き合う時、やはりそこに同じ仲間がおり、共に戦い、元気になったら外で一杯やろうと言い合う。励まし合う。それは特別なものだ。
TくんにしろIさんにしろ、今回ふっとこちらの病室に入って来る顔を見ると、まるで身内が来てくれたような、懐かしいような嬉しいような、変な安心感みたいな感じがある。
Tくんは移植を見事に乗り越えて、今は職場に半分復帰して「慣らし運転」中。あの様子ならきっと完全に復帰するだろう。そういう、希望というか明るい「実例」が身近にいるのは、気持ちの上でも非常に勇気づけられる。
そんなこんなで話が尽きなかった。

そしてその翌日は何度も入院し、その都度お世話になった看護師のOくんが来てくれた。勤務後だったがまだ看護師姿で、「いやー来ちゃいましたよ」と笑っていたが、これも嬉しかった。
退院後の病棟の話は守秘義務があるので詳しくは聞けないが、「白取さんたちが食堂でわいわい集まってはったやないですか、ああいうのが皆さん徐々に退院されてった後も続いてまして」という。ええ事やなあ。詳しくは書けないけど、まあ、パワーアップした感じになってるらしい。
ええ…事やったらええなあ(笑)。
こっちの業界の話もしたり、笑い話もたくさんした。O君は最後に「またこういう馬鹿な話しましょうよ~」と言ってくれ、俺も「そうそう、こういう話でもしてないとやってられへんし、また来てくださいよ」と言って見送った。

その後経過は順調で、基本的に日課としてはバイタル、首から下のシャワー(身体の清潔は基本中の基本!)、手術部位の処置くらいなもの。
もちろんうがい手洗い歯磨きは当然として、服薬と摂食量の確認なども含めても、まあ「退屈」との戦いが大きい。
この度は「目」をやられたので、ネットの長時間使用、テレビももちろんスマホも含め、暇つぶしの手段をことごとく潰されているのが辛い。モニタは緊急のメールをすぐ確認できるように常に見られるようにしてあるが、あとはこうして記録を休み休みつける以外、なるべく右目も休めるようにする。
また頭が洗えない悩みは、数日に一度看護師がリネン室でシャンプーをしてくれるので、「うわー頭かゆいー!」とはならない。顔の右半分はウェットティッシュで洗ったり、ガーゼとテーピングを濡らさないようにヒゲを剃ったりもしている。

26日は、原疾患…というか基礎疾患というか、血液腫瘍を診ていただく血液内科の受診日。本当は通院での外来予約だったのが入院で病棟から呼び出しを待って出向くというかたち。
こういうケースだと、先生はまず通院の予約患者や新患を挟みつつ、一段落したところで入院患者を病棟から呼び出すので、午後遅くになる事が多い。ていうか知っている。なので、午前中は目の「処置」もあるし、午後は受診はたぶん遅くなるから、2時~6時の間しか入れないシャワーには…とか計算していた。
ところがこの日は月曜で、とにかく病院は忙しい。医師も看護師も助手も患者も皆、忙しい。
結局午前中に処置の呼び出しが来ず、午後にずれ込んだよう。血液内科の呼び出し時間は決まっていないのでそのまま待ち続け、3時半ころ「外来お呼びがきました」と、事務担当の助手さんが来たので、他科診療依頼票を貰って出る。
廊下でその助手さんが「場所解りますか」というので苦笑しつつ「はい…こちらには八年お世話になってますので」というと「あ、そうですよね」と向こうも苦笑。

さて外来棟2G受付に依頼票を出して名前を告げ、診察室前で待つ。
廊下はもうほとんど患者はおらず、遅い予約の老夫婦が別な診察室前にゆっくり来て腰掛けたり。数分待ってK先生が左手、受付の方から来られたのだが、俺は左側は視界が効かないので、接近が全く解らなかった。
突然左斜め前方にひょこっ、とK先生が現れ、「お待たせしました」といって診察室に通される。

でまあ。…とにかく座り、「今回は…」「いやもう…」みたいな感じで何とも言えない顔を見合わせる。
「僕もしぶといですよねえ」というとK先生は苦笑しつつ「いやあ、でも良かったです」と言われ、こちらも笑顔になる。
先生はがっちりガーゼをテープでブロックしてある左顔面を見て
「今もまだちょっと辛い状態ですね」というので「一回目で癌を取り切っていただけたという結果が出たので、これくらい…」と一応言ったりする。
で「今は5日に2回目の手術を受けて、3回目を待っている状態です」というと「ねえ、次(の手術)がちょっと大きいですもんね」と眉を顰められる。それから「でも血液の方は…」とプリントした紙をくれて、「大きい変化はないみたいですね」とのこと。
相変わらず低値ながら安定。
HGBが13.2(!)と、とにかく脾臓の機能亢進を放射線照射で抑えてから、劇的な好転ぶりで、「本当によく効きました」と先生も毎回感心。
俺も調子に乗って「ねえ、積3の助手さん、Kさんなんか9言うたはりましたよ!」と言うとK先生も苦笑しながら「それは…良くないですね」と。
それにしても、低値安定とはいえ依然「白血病が基礎疾患で免疫が低下しているという状態」に何ら変化はないわけだから、今後も引き続いて感染にはじゅうぶん注意を、と。

それにつけても、今回のメルケル細胞癌、これもやはり免疫低下から発生したと考えられるとすれば「これからも何があるかわからないですよね…」というと、先生も「うーん、こればっかりは確かにねえ。何が出るかは解りませんね。でも今のところは積極的な治療をするより、また様子を見て、脾臓が大きくなるようならまた放射線も…よく効くみたいなので…考えて、という感じですね」ということ。
感染症については、大小さまざまな事態が考えられるし、これまでもそうだったように、「症状が出てから」対処するしかない。これはもうどうしようもない。
だから、なるべくその可能性を自分で排除できるなら排除する。それが防疫の基本。うがい、手洗いとか、入るところと出すところを含めた身体、そして周辺環境の清潔。多数の人が出入りする場所、混雑した交通機関や閉鎖空間はなるべく避ける。
もう習慣になっているそれらを今後も続けるしかない。
ただ、こうした事は当然ながら「健康な人」には過度な、そう、「神経質」な「潔癖症」とか誤解されたりもする。
別に誤解されてもどうでも良いのだが、たまに看護師さん側でも「そんなに過度にせんでも」みたいな人もいる。
確かに血液内科の防疫対策は俺たち血液腫瘍患者、免疫低下・易感染の患者に対応して厳格になっている。それを他の患者さんに求めるのは無理だし、必要がない。
でも俺には、絶対必要不可欠なんです、よ!

大小さまざまな感染症、と簡単に書いたけど、例えば小だと、アレッなんかおかしいな、調子悪いな…と思って自分でバイタルをチェックすると、微熱が出ていたりする。血内から出して貰っている、抗生物質を飲むかどうかは、この微熱が上がるか、それも危険領域…38℃台を超えていくのかどうかを見極める必要がある。だから、そういう時はまずは身近なところに脱水防止の水分を置いたり、いざというときの抗生物質や吐き気止めやめまい止め、すぐにタクシーで救急外来へ行けるように、羽織るものを出したりして、基本的に休んでいるしかない。
軽いものならだいたい半日か一日休んでいると、下痢くらいでやり過ごせる。
それが数日の場合もあるし、症状もさまざまだ。
だいたい、感染症といったって、高熱と嘔吐で動けなくなって救急外来へやっとの思いで駆け込んでも、抗生剤ぶちこんであれこれ検査しても「原因菌の特定」が不可能な場合もある。実際去年の俺の入院の時のように。

朝シャキッと気持ち良く目が覚めて元気バリバリ、全開で今日もいくぜ! みたいな状態は、この十年、ほとんど一回も無かった。
元気で気持ち良く目が覚めた…という日があっても、それはあくまで「血液腫瘍患者にしては」という意味。
そういう事を健康な人に理解して貰うのは難しいと思うし、もう正直諦めてもいる。
健康な人…といえば、知った風に「マスクは感染予防にはなりませんよ」と嗤う人もいた。でも俺ら患者や、看護師さんたち同士では「マスクは必須」が常識。「感染予防になる」というのも常識。
これは「普通のマスクでは目が粗くてウィルスは通過ウンヌン」という上っ面の話じゃなくて、基本病院や病棟という感染源だらけの場所で、飛沫感染や空気感染のリスクを確実に軽減させるという意味で「感染予防」にちゃんと効果があるから、やっている。無意味な事はやらないし、させない場所。
今回、病棟に空きがなく最初の手術前に入った糖尿内科病棟の看護師Fさんと、世間話から防疫の話をしていて、彼女もはっきり「マスクは防疫効果ありますよ」と言い切っていた。言外に、「だからやってるんです当たり前ですし」ということだ。俺ももちろん深く頷いた。
最近はほんとうに、ちょっとググったりwikiったりすればそこそこの「情報」が得られるので、すーぐ何か解ってるし的な小賢しい事をわーざわざ言うて来る人も居たりするわけでございますけれどもね、「現実」は「ネット」の中にはないんです。
それは病気に限らず何だってそうだろうな。

…とまあそんな感じで、今回の入院もまた色々な人に助けられ、励まされて、そうしてまた「生かされて」いる。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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