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2015-11-04(Wed)

明日は三度目の手術 続

2015年11月04日(水) これまでのあれこれ 2
10月最後の週、ここらで三度目の手術があるのかな、と思って戦々恐々としていた。いや実際そんな脅えてたわけじゃないが。

27日、夕食後に二度目からの眼瞼再建手術を執刀していただいているE先生から、三度目の手術について説明を受けた。
正式なカンファレンスというより、「こういうかたちで進めたいと思うが何か疑問などありますか」という丁寧なご対応の一環だと思う。
E先生は「どうですか、今日処置はちゃんとありましたか」と言われるので、「はい、午前中に無事に」というと苦笑されていた。そう、前日は午前中に処置が受けられず、午後は処置が来るか血内が先かと時間が読めず、結局シャワーを浴びる事が出来なかった。処置は夕方になった。

「痛みはないですか」というので「はい、手術の方の傷は、術後からほとんど無いです」と言うと、「もうね、見た感じも十分、上から血管が延びてるように見えますし」とのこと。
「普通はだいたい二週間くらいで(縫合部分に血管が)つながって、もう切ったり出来るんですが、今回は来週に手術を予定していますので、三週間ほど様子を見ることになりますから、血流の方も間違いなく」とのこと。
「手術に関してはもちろん、直前に詳しくお話します」ということながら、いくつかの方法があるというお話。

まず、切り取った上の眼瞼部分には下瞼から切れ目を入れて持ってったのを縫合、それが繋がったので切ってそのまま上瞼とする。
下の欠損した部分は、瞼の支え部分に軟骨が必要で、さらに瞼は通常の皮膚の裏側が結膜、粘膜になっている。
なので単に普通の皮膚を移植するわけにはいかず、軟骨と粘膜をセットか、別々に移植する必要がある。
普通は軟骨といえば耳がカーブもついていて取りやすいが、今回は軟骨だけではなく粘膜も必要になるので、その場合耳から軟骨、粘膜は別の、例えば口中から取ったりせねばならないという。
つまり傷が複数になり、それぞれ生活にもまあまあ影響がある部分。口中粘膜に関しては割合早く回復するそうなので、しばらくは口内炎のように痛みがあるが、そんなに不自由ではないというが、耳の軟骨と口の粘膜を別々から持って来て瞼に合わせる、となると当然壊死や感染などの不安定要因、リスクも当然高くなる。

で、だったら口蓋の、上側の粘膜と下の骨膜という部分を一緒に取って…という方法もある。
ただ最初に聞かされたように、E先生が勧めるのは一般的で、しかもリスクも最も少ないと思われるのが、鼻の左右の間にある軟骨と粘膜をセットで取る、という事だ。
この場合はもちろん、真ん中に軟骨、両側に粘膜があり、この片方の粘膜だけを残して薄く真ん中の軟骨プラス片側の粘膜を切り取る、というのは非常に難しいし、取ったあとは軟骨のない、ぺらぺらの片側の粘膜だけになる。
こうなると穴が空きやすくその都度もちろん出血するし、非常に弱いままになる。なので、左右の鼻の穴が中でつながる、つまり穴があく格好になるが、そうやって穴あきのまま、周囲を例えばレーザーで止血処理をしてしまえば、左右の鼻の穴がつながった状態とはいえ、安定はする。
鼻水が片方ではなく両方から出てしまったり、呼吸時変な音がしたり(笑)、ちょっと不都合がないわけではないが、もちろんそれは生活に困る、著しく不都合が出るレベルではない、と。
俺も二度目の手術のカンファレンス時に聞いた時みたいに「鼻ピアスで穴あけてる人いますもんねえ」と話すと、先生は「まあそうですね」と苦笑。

俺の方としてはとにかく、今回は癌細胞が生検で出ちゃってからのセンチネルの検査日程が二週間先になるとか、その結果にまた何日、それを受けての手術、入院の手配で何日…と、自分で毎日目にしている癌の拡大速度を考えたら、とにかく切って欲しいとお願いした。
そう訴えて形成に来させていただいて、迅速に切り取っていただけた、その事でもうほんまに感謝していると。
命に比べたら、元の顔に戻せとか、そんな贅沢は言わないし、多少鼻の中がつながっても、もう我慢できる範囲の事だ。

白血病を十年患って、その間に胆嚢取ったり胸腺腫取ったり、帯状疱疹やカリニ肺炎や今回のまで、ほんまに酷い目には遭って来ましたけど、その都度こうしてここで治していただいています。
命を救っていただいてきた。
なので、今回も信じてお任せするだけなので、どうかよろしくお願いいたしますと頭を下げる。
E先生も頷きながら聞いてくれて「わかりました、また近くなったらちゃんとご説明しますので」といって去って行った。余談だがE先生はなかなか爽やかなイケメンである。だからどうしたと言われても困るが。

鼻が左右繋がった状態、真ん中に穴が空いた状態がどうなのか全く解らないが、ま、アフリカとかに鼻輪ぶら下げてる方たちもおられる事だし(よく知らねえけど)、少なくとも今の片目が使えない、あるいはぎょろっと露出状態、あるいは常に塞いでいないとならないよりはいいだろう。
ツギハギでブサイクな顔になっても、まあ元から俺イケメンでも何でもないから問題ない。全然問題ない。本当。いざとなったらお化け屋敷でアルバイトも出来るだろうし、ほんっとうに命に比べれば屁でもない。

しかし、肝腎の瞼の再建とかほんまに出来るのか、それは純粋に興味がある。
だって瞼の上下運動なんか、上瞼を筋肉で上下させるわけだろう。それ、下瞼を引っ張ってきてくっつけて切った、それでほんまにちゃんとまた動くようになるんか、という。
動かなくても手動で時たま上下に瞬きさせるようになるのか(シャッター男爵…じゃなかった公爵みたいに)、「閉店ガラガラ」みたいに蛇腹になるのか、それはよく解らないが、例えばそこが癌化したり、壊死するような事はないのか、感染は…など色々と心配や不安もある。
でも、もうとにかくここらはごちゃごちゃ考えてもしゃあない領域。
眼瞼再建のご経験があるE先生にお任せする、もうそうお伝えしたのだし。

…それにしても、今年はここまで、
正月早々インフルエンザ感染で入院
災い転じて…で、脾臓に放射線照射 で劇的に縮小・溶血も止まる
放射線照射の副作用による血球減少も収まり、状態が数年前の低値安定に戻る
…で安心してたら、まさかの左瞼に皮膚癌発生
しかしギリギリで転移前に外科的に取り切れた
あとは取った瞼の再建…
という流れ。
気がついたらもう年末近いじゃねえか!

なんだかんだ言いながら、一年先の自分が無事かどうか、ほんまに解らなくなってきた。生きているかどうか、すら。
連れ合いが亡くなった後、作家としての彼女…やまだ紫の作品を全て再整理し、代表作を復刊すべく頑張った。
同時に、俺が死んだ後のことをきちっとあれはこう、それはどう、と指示を残しておくことも進めた。何しろ、一人で身内もいない地で死んだら、「事件」となり解剖事案になる。
だが、そうして整えた途中で、何度か入院したり、引越を余儀なくされたり、就職活動を余儀なくされたり、せっかく目一杯仕事を取ったのに、そのせいで病気が悪化したりした。

で、はっきり言うと自分が死んだあとの事をきちっと指示し、書き留めておく事をだらだらと先延ばしにしていた。
もっとも、それを全て終えたら、じゃあいつ死んでもいいじゃん状態になって、油断しないか、モチベーションが無くならないかという気持ちもどこかにあった。
よく身辺整理をしだしたら、その後ほどなくその人が死んだという話を聞く。
生への執着、未練、死ねないという「しがみつく気持ち」が希薄になっていいわけがない。
だから何となく先延ばしにしてきた。
でもやらなきゃ、やっとかなきゃ…という気持ちが強くなった。

実はこのたびの入院と重なり、詳しくは書けないが、ある媒体で担当していた作家さんが急病で入院という事態が起きた。
いや、正直これは迂闊にも想定していなかった。
でも起きてしまった。
俺自身も、今後入院はじゅうぶんに可能性はあり、現実にこの1年で今回が4回目の入院になる。今後、仕事に穴を開けないという保証はない。
保証がない者に、連載仕事は任せられない。
当たり前だ。でもたぶん、この仕事をさせて貰えているのは、俺がこの編集という仕事にこだわっていると思って続けさせてくれていたと思う。
ちょっと大変な事態が発生した、しかも俺の最初の手術の後、二度目の手術の前。
正直目の前が真っ暗になった…というのは大げさか、とにかく左瞼の無い入院中の身では、出来る事は限られている。
なんとか、旧知の編集者である友人を「後任」として紹介し、受けて貰えて、乗り切れそうなメドがついたのがほんまにここ数日。
たぶん、もちろん言われたわけではないが、クライアントさんも内心ではホッとしているのではないか。いつ死ぬか解らん人間に任せてて大丈夫かいな、と思って当然だし、俺だって逆の立場ならそう思う…と思う。

こうして、少しずつ「人生の店じまい」をしている、させられている気がする。
ユキをにゃほやまさんこと谷川さんに「預かっていただけた」こともそう。
大きい流れで俯瞰すると、俺はその意味で、人生の終わりが近いのではないかと思わんでもない。
そういう風に流れてきているような気がしてならない。
だましだましあと五年…なんて思いながら、十年経っていた。
でも今、一年後すらよく解らない、この世にいるかどうかすら自信がない。

連れ合いの三津子が亡くなってからの6年はあっという間というか、もう七回忌か、という日々を送ってきた。孤独と、喪失感と虚無感。そして病気との闘い。それに明け暮れ、気がついたら6年経っていた。
でも白血病告知を受けた十年前を考えると、2005年から今年までの十年はめちゃくちゃ長かった。ほんまに色々あった。東京から京都への引っ越しもあったし、いい時間もたくさん過ごせたし、三津子の死というどん底もあった。入院退院手術だ抗がん剤だ放射線だ…は、白血病より前からあったと思われる胆石発作から胆嚢切除を除けば、全部三津子が死んでからのこと。
「配偶者の死」が、いかに人にとって最大のストレスとなるのかが解る。
同じように、三津子は「配偶者の白血病宣告」というストレスを受けていたわけだ。

こうして、三津子が去り、俺は残され、そして俺も人生の店じまいをしつつあるような思い。
…だが、今回の入院は、癌は取り切れて、辛い思いはしたが眼瞼は再建される。顔は元通りにはならないし、これからはおそらく精神的肉体的にも「苦痛」が多くなるだろう。

でも新しい友人もたくさん出来た。
だから人生の店じまいも…とはならなかった。
どっこい、ここに来て、新しい友人がこれほど増えるとは思わなかった。
みんな、会いに来てくれるし、会おうと言えば日程さえ折り合えばいつでも会える。そういう仲だし距離感だ。
「ガロの」「やまだ紫さんの」が無くても俺という人間を見ての一からの関係構築もあった。
病院、病気を通しての人間関係の場合、病が治れば集う場ではない以上、正直「負」の側面しかなく、その収斂先は「死」つまり人生の店じまい。しかしここが友人という「プラス」を産み、だからこそ心からこちらを心配し、思い、助けてくれようとする。
これまでの「俺」という人間を心から心配し、助けよう、ご無事でと思ってくれる人たち。
これは本当に得難いものであると思っている。

もちろん「だから病気になって良かった」まで言うほど俺はお人好しじゃない。
病気なんて患わない方がいいに決まっている。「災い転じて…」みたいな事を、なんか悟ったように、説教臭く言う人も世の中にゃおられますが、正直やかましいすっこでんろと思う。
「お前がそう思うんならそうなんだろ、お前の中ではな」という事。勝手に一人でそう思ってろ。他人に押し付けるな。目障りだし耳障りだ。
していい病気なんかあるわけがない。していい苦労はある、その挙げ句に到達したもの、見えてくるもの、掴めるものがあるからだ。
でも俺らの病気の場合、その挙げ句に到達し見え掴めるものって、「死」なんだよ。
その過程で、それを共有したり、共感してくれる、もっと言えば「同情」してくれる人が出来ても、じゃあ病気になって良かったというのはおかしい。そんなおかしな肯定の仕方があるかって。
病気になんかならない方がいいに決まっている。
病気にならなかったら、あなたに会えなかった…みたいなおためごかしは、本当にどうでもいい。病気にならなくても、自分の人生に、相手の人生に互いが重要で交わる必要があった人なら、きっとどこかで会えている。
こんな病気にならなきゃ会えない事が、不幸以外に何があるか。
会えたという結果は良いことだが、これが互いに健康で会えた方が絶対に良いに決まってる。その出逢いを優先させてまで、病気を取るという事はあり得ない。それは悪魔に魂を売るのと同じ発想だ。
だから物語でも、安直に病気や死を単なるお涙頂戴の装置として使うものを見ると、本当に腹が立つ。今の自分は、だ。
病気なんか無ければいいのにと心の底から思う。

最近、夕食後ときどき廊下でジジイがでかい声で携帯で話し出す。
携帯は大部屋では禁止だ。談話室や「通話可」の場所へ行く。これは「ルール」である。
えーとね「タオル一枚貸せません」がルールだったらさあ、このジジイにさあ、廊下で携帯すんなってさあ、言ったらいいんじゃないのさあ。とネチネチ思ったりは、しないですよ。
ただドア開けて「うるせえ!」と言えたらどれだけ気持ちがいいだろうか、とは思う。行ったら俺が叩き出されるんだろうな。
それは普段の日常でも同じ事だ。ガキ共に「階段静かに降りろ!」とか騒音発生源のご近所様に「やかましんじゃボケ! ぶっ○すぞ!」と言えたら(笑)。
まあ、そういう人間だったらストレスもなく生きられただろうか、でも喧嘩ばかりで早死にしてたかもな。ていうかそんなキチガイみたいな生き方出来ないって。

関係ないが、ここの病棟はまた蚊が出た(笑)。
そうかと思ったらこの夜、お袋に一応こういう手術になると電話した(個室は電話可なのです!)あと、看護婦さんが来る前、何か黒い小さい羽虫がぷーんと飛んで向かいの壁にとまって動いていた。あまりに小さいので何の虫か解らない。それどころか壁をじりじりと動くそれを右目のメガネごしに見ていると、左目のガーゼ面の視界が重なって、おかしな立体感覚になる。

ちなみに右目の近視は進んだのか、メガネを外すとその虫が全く見えない。
距離にして2m無いと思うベッドの足下の方の壁面を這う5~6mmの黒い羽虫、それが「全く」見えないってどういう視力だ。
気がつかないうちに、老人なんかは視力が弱っていて、生活空間がひどく汚れて汚い部屋や台所になっているのを、時々テレビとかで見る。地デジになってそういうのははっきり映るので困る。生理的嫌悪感が生じる。
でも、あれは視力が弱っていて、本人には「見えていない」汚れという場合も多いのだ。俺もたまに自分の部屋で、メガネを外してまじまじと台所なんか見ると、汚れにギョッとすることがある。ホコリとか。もちろん慌ててマスク手袋で掃除するが、そういったものがちょっと体調が悪いと積み重なって、けっこう大変な事になっていたりする。

メガネしてると視界は1mくらいでピンが合うようにしてあるため、近いところは二重にぼけるし、遠いところは霞んで見えない。
左右の近視の度合いが違うのと、左は乱視があるのと、さらに老眼まで重なって、メガネを完璧などこかに合わせることが出来ないのだ。どこかに合わせればどこかの視界が犠牲になる。
それで、俺は家の中で仕事をするので、モニタを見る1m前後がよく見えるようにして下さい、と言って作ってもらったのが今のメガネ。
だからかけていても手元はよく見えない。1mくらい先からせいぜい数mくらいまでが「有効範囲」。もういろいろアカンなあ俺。


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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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