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2015-11-23(Mon)

これまでのあれこれ3

術後十日くらいの週末。

11月13日は、午後に自宅郵便受けに溜まっていたものを持って、K山さんが受診の帰りに寄ってくれた。もういつもいつもありがとうございます…。
郵便物を入れた袋を受け取り、お見舞いというミントチョコのアイスクリームバーをいただき、座って二人で食べながら話をする。
その時俺は部屋の中だったのでサングラスを外しており、部屋に入るなり左の顔を隠して「見ます?」と言ってすぐ見せてしまった。
K山さんは「思ったより綺麗ですよ、全然キモくないですよ」と言ってくれる。いやーでも俺が本人が見てもキモいんだから…。まあ一応慰めてくれているのだろう、ありがたい。
その後はこっちの手術の前後の話、お互い持病の話やらを。

30分ほどでK山さんは仕事に戻るというので、こちらは財布を持って買い物にローソンまでと一緒に出た。
すると正面玄関の方から歌が聞こえてきて、思い上がってみたら、患者や見舞客やらが取り巻く中で、「ふるさと」を数人の女性が歌っていた。
すぐ終わったので拍手をし、そこでK山さんを見送った。
ここに出ると「季節」が解る。
今日はやはり寒い。
すぐ階段で地下に降り、とりあえず買い物するものを考えたら無かったので病棟に戻る。何か忘れたような気がしたが歩き出すと、ああ、さっき持って来てもらった荷物の中にガス代や電気代の支払票があった、あれ持ってくれば今支払出来たんだな、と思ったがもう遅し。

部屋に戻ってから、持ってきて頂いた郵便物を確認。
電気とガスの支払票、共済の確定申告用の票、お見舞いのハガキ…などなどの他はチラシや不要物、どかっと捨てる。
そんなこんなでもう真っ暗、左目はもう血も止まり、若干涙目になりがちではあるが、これくらい我慢しないと。何せまだ術後十日も経っていない。

その後6時ころ、何気なく左足を見て、脛に赤い発疹というか傷というか、いくつか増えているのに気づいた。
これらは、昨日風呂場で足を洗う時に「痛い」と思って見たら横に横断するような形でぷつぷつと赤いものがあって、最初はどっかに摺ったかぶつけたかと思っていた。
何しろ、戻って来てベッド上にいる間は痛くも何ともない。
それが、今日になったら増えているし、押すと若干痛みもある。
立っていると増えて来た気もする。血流が足へ下がると増えるのか。
ちょっとやばいなと思い、夕飯が来たが、とりあえず詰め所へ行く。
この時間は看護婦さんたちも食事介護などで出払っていて、誰か…と思ったら術前ハイに付き合ってくれたTちゃんが廊下に出て来たので、まずは「瞼出来ましたよ」と言って見せて「うわー綺麗ですねえ」と言ってもらい、それから「実は…」とパイプ椅子に座って脛を見せる。
「うーん、ちょっと熱感もありますね…」としゃがんで触ってから、「これは先生に診て貰った方がいいですね」と言って、ピッチで誰かに電話してくれ、「今カンファレンス中らしいので、お部屋に行かれるそうです」という事になり、礼を言って戻る。

見れば見るほど、内出血じゃなし、左側の足、しかも膝下だけで、右にはよく見たら2つほどある。皮膚症状か、だとしたら俺の視力では毛穴確認もできない。どうしようもないし、そもそも素人が診てもしょうがない。
とりあえず飯は食った。
歯を磨いて磨き終わりのところで、ちょうど女医のY先生が来てくれる。
部屋の椅子に座って両足を伸ばして、向こうはしゃがんでそれを見てくれるが、もう金曜の夜やし、皮膚科の先生も帰ってしまわれたので土日様子を見ましょう、ただ痛みが出るとか増えるとか、全身に広がるとか、明らかにおかしいと思ったらすぐ言って下さい、先生に出て来て貰いますという。あと後でT先生にも診て貰えるように伝えておく、ということ。

とりあえずY先生が戻った後、ちょっとして下膳に行くと、それを詰め所の中から見つけたY先生が俺にジェスチャーで処置室へ廻って、というので処置室へ入る。
戻ったらT先生がちょうど居てくれたので、と。さっそく診て貰うと、明るくしてレンズで拡大して診たら、やはり毛穴中心にあるように見えると。なので可能性としては、もとの病気があるので、ばい菌に負けた、感染による皮膚症状に見えると。
で月曜、皮膚科の外来に診て貰った方がいいでしょう、そういえば月曜血内です、じゃあ廻ってもらうかたちで…みたいな事になり、やはり何か変化があったらすぐ言って、という事で部屋に戻る。
まあしゃあないなあ。週末やしなあ。
こういう小さい感染症はもう慣れっこだ。とはいえ、放置して良いわけではない。

その後7時過ぎになってE先生が様子を見に来てくれた。
「どうですか」と言われるので、まずは足の事を報告すると目へ行こうとしていた視線が足を指さされて「えっ」という感じで苦笑したあとすぐ、「これは…」というのでT先生に診て貰った事など経緯を説明。ご判断としては同じ。
で、左目の方。
「まだちょっと腫れてますが、これもどんどん引いて行きますから」とのこと。
状態は良いので、来週眼科の方を受診していただいて、問題なければ形成外科としては来週退院でもいいくらいですよ、と。
こちらも、術後一週間で「この状態」にある事を全く想像していなかった、手術の説明を聞いた後は半月や一ヶ月はしんどい思いをするんだろうと思っていたので、本当に驚いているし、感謝していますとお伝えする。
「今回もほんまに命を救っていただけたうえに、こんなに綺麗に再建していただけたので」というとE先生は
「いやいや、僕らは僕らに出来る事をしただけですから」と笑顔で。
むっちゃ格好いい。惚れる。
そういえば先生は置いてあった、寝る時に貼る片目用パッド付きシールガーゼを見て「こんなのあるんですね」「…便利やな」と感心していた。
そのとき、子供さんなんかだと片目をずっと眼帯などをしたあと、視力が落ちる事があるそうだ。ただ、大人だと…まあ詳しくは眼科の先生へということ。
とにかく、病院は土日はもうどうしようもない。
当直の先生だけになるし、大人しくしているだけだ。

一通りそっちの話が終わったところで、「そういえば先生ギター弾かれるんですって」と軍曹から仕入れた情報を話すと、「いやあ、僕はそんな弾けるというほどのもんじゃないです」とご謙遜。「僕も楽器いろいろやってたんですが、もう左の指に麻痺があるので、ギターやベースは諦めました。ドラムもねえ、キック…僕らの世代はバスドラですけど」というと「そう、バスドラ!」と同意してくれたので嬉しくなった。でも俺が「体力と筋力がもたへんでしょう」というと「また始められたらいいじゃないですか、諦めることはないですよ」と言って下さる。ええ人やなあ。
「指や体を動かすのはいいことですよ」とにこにこされるのが、ま、眩しい。
「じゃあドラムの御用があった時は…」と頭を下げると「お願いします」と言って下さる。
そんなこんなで、来週まで様子を見て何かあったらすぐ言ってください、で眼科の先生に意見を伺って、退院の日取りとかね、ご希望もあるでしょうし、また相談しましょう」と言ってまた爽やかに去って行かれた。
病室に来られたお顔を見るたびにホッとするし、お話の後はいつも気持ちが安らぐ。いい先生にお会いできて良かったなあ。
E先生は、俺の足の赤い出来物の事を知らなかった。
という事は、Y先生やT先生に言われたから診に来たのではなく、自発的に様子を診に来ていただいたという事だ。
ありがたいなあ。
なんとなーくだけど、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、医師と患者といえども対等の人として対応して貰える、そんな普通の事が嬉しいし、信頼できる人だと感じる。
ほんまに、世の中には「どうせこいつ長くねえだろうし」みたいな態度をする人間がいるんだよ。いや、病院とかじゃなくてもね。

その後トイレでようやく今日のお通じ。
固いかと思ったが、便秘ではなく普通の人にしたら普通の快便だろう。俺の場合下痢が多すぎて、普通の固さだと痛いくらい。
何より固いので肛門が切れて血が出るのが一番怖い。
トイレから出てしばし考え、この脛の赤疹というか傷というか炎症というか、もし雑菌の皮膚感染だとしたら、トイレでのズボンのゴムの部分がかかる位置かも知れんと思い当たった。あるいは、廊下を歩く時に、このズボンはLLなので、ウェストはちょうど良いが、裾は時々床に付いてしまう。床は当然、凄まじい雑菌だらけ。で、ベッドではよいしょとその裾をまくり上げる。それが脛に付く部分…だったらふくらはぎの方にも感染しないとおかしいか…。わからん。
何にせよ感染源は多すぎるし、俺の免疫は弱すぎる。
原因菌なんか特定できない事の方が多いと去年感染症で入院した時に積3に居たY先生も言ってたし。

9時過ぎには早々に歯を磨く。虫歯もあるので、とにかく清潔を保つことに過剰なくらい。

さて週末。
だいたい想像してた通り、来週中には退院だろうか。
ひとまず月曜採血、血内と眼科、火曜呼吸器内科と吸入、皮膚科は病棟からだろう。
退院したらしたで大変だな。これからは冬になり、インフルも怖い。実際今年の頭、正月気分も終わらないうちにインフル感染で入院してるし。
ただ今のところ、皮膚癌を瞼ごと切り取った、取った瞼は再建していただいた、その経過は悪くない。
もちろんまだ大きな傷は強く動かすことは出来ないし、抜糸後は保護テープが貼られている。今でも鼻は両方通らなくなることが多いし、左の鼻からは時々血が出る。いや、割合頻繁に出る。
顔面の皮膚感覚も、剝がされた部分は基本的に「触られているのが分かる」くらいで、かなり鈍い。そして瞼、いつも半眼みたいなものだから、右目との大きさの違いが際だつ。
いろいろ言ったら、そりゃあキリが無い。
でもこんな、左目のピンが合わなくて、時々右目の方が負担が大きくてしばしばしたり色々あるとはいえ、また長文を打ち込んだり、ネットを長時間見てられるようになるのは、もっと先だと思っていた。
左足の赤いのは皮膚の雑菌感染か、はたまた布団かマットのダニか、とにかく土日の間は我慢するしかない。
いろいろ我慢我慢で来た、また我慢だ。
もう慣れた。

…と思ってたら、翌日からは病棟の工事の騒音に悩まされることになった。
日々是我慢。すさまじい轟音が響くのだが、廊下に出てみると、どうやら俺の部屋とどんつきの部屋の上下か、この近辺でコンクリート壁を削るようなでかい工事をやっている模様。
でも他の部屋にはそれほど響いていない。何やこのピンポイント嫌がらせ。
14日は土曜、週末なのに遠慮会釈なく工事か。

こちらは、朝起きたらトイレ歯磨きなどを済ませ、まずは両手を洗って消毒し、ゴム手袋をして左目の「貼る眼帯」を剝がす。
うっすらついたいた血もほぼ、無くなった。目やにみたいなものが付いている場合もある。
それを貰った200cc入りの生理食塩水のアンプルを開けて、パジャマが濡れないようペーパータオルでガードしつつ、顔を左に傾けて眼球に直接かける。水で流し洗う感じ。
ついでに眼瞼周辺の軟膏も、滅菌ガーゼでぬぐうように拭く。
この洗った直後、左目の視界がクリアになる感覚は非常に心地よい。
…のだが、しばらく放置していると、すぐに左目がしくしくしてくる。右目がそれにつられて半眼になる。そのうち両目を開けていられなくなる。
仕方ないので、左目に軟膏を垂らし、「貼る眼帯」をぺたりと貼る。
そうすると右目だけになるが、これがもう慣れたもので、ずっと片目で割合快適。
問題はこの「貼る眼帯」が、下の売店で3枚入り324円税込み、と高いこと。一枚100円か。で、寝る前に貼ったのを朝貼り替える。んで午後にシャワーの時に貼り替える。一日2枚は使うので、あっという間に無くなるし、コスパも悪い。
そのうち売店にも無くなりそうになったので、買いだめしたが、某通販サイト密林で検索したら、同じメーカーの大箱があったので、とりあえずカートに保存。50枚入りで、見た感じ、3枚入りの中の個別包装のが、そのまま箱に入れてあるみたい。ついでに、生理食塩水は薬局でホイッと買えないので、眼科でも使う眼を拭けるクリーンコットンというのもカートへ。
退院したらしたで、毎日毎朝これやらんとアカンぽいなあ。
金かかるなあ。

とかやってるうち、担当のYさんが来て「凄い(工事の)音ですねえ」と。「いやもう慣れたし…」と言いつつ「あの大部屋のいびきの方がきつかったわ、夜やったし寝られへんかったし…」と言うと「いろいろ済みません」と言うので「いやいや誰のせいとかちゃうし」と慌てて手を振る。
あともうシャワーいいそうですよ、と言われたが、実はもう浴びていたのだった。だってE先生が「普通に顔を洗ったりしていただいても大丈夫ですよ」と言われてたし、じゃあ頭洗ってもええんちゃうん? と…。

そんなこんなで週末、翌日の日曜は停電だった(笑)。
もうね、工事とか停電とか色々、八年もこの病院あちこちの病棟病室でお世話になってると、慣れっこですよええ。
粛々と常用電源につないである延長コードとタップを、非常用につなぎ替えたり。ウォシュレットが使えなくなるので、午前中にトイレ済ませといたり。
この日夕方からは、ついに飯が「常食」になった。
もう咀嚼も大丈夫。
こうしてちょっとずつ普通に戻って行く…ならいいが、俺の場合は白血病患者に戻るだけであり、さらに、再発が非常に多い皮膚癌のフォローアップが今後必要になる、転移にも脅えるという生活。
まあそれでも、今のところ大丈夫。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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