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2015-11-23(Mon)

これまでのあれこれ4

11月16日 眼科、角膜外来、血液内科受診。

11月16日、週明けは朝イチの採血から。
7時前に目が覚めてウトウトして、はっきり起きたのは7時ちょいといういつもの時間。
トイレ、歯磨き、それから防水シートが部屋にあったので、首まわりから胸の方をカバーして、生食で左目を洗う。
寝る前に塗った軟膏を落とす意味合いだが、その後滅菌ガーゼで軽く抑えたらねばっとした黄緑色のものが取れて驚く。
感染からの膿みみたいなものだったら! と一瞬思ったが普通に目ヤニだろうと判断。だって軟膏、点眼、寝る前と眼球と眼瞼は抗生物質漬けだから、少なくとも感染症は起こしにくい。

朝の光は眩しく、今日もいい天気だ。
なので左目をカバーしていない状態では、湯を汲みに行くのにも病棟内はサングラス必須。天井の照明がけっこう眩しい。
戻って来てすぐ、採血の看護婦さんが来て試験管三本。

左目は開けた直後はまあいいのだが、PCモニタを見るとどうしても視線を一点に固定しないとアカンせいか、どうにもしんどくて瞼が降りてくる。
右目一つで見ていた方がなんぼか楽。なのでやはり「貼る眼帯」を箱買いするしかないなこりゃ。
ただ退院日程が不明なので、配達を自宅にするか病棟にするか…。
ちなみに書留や荷物などは、以前は下まで受け取りに行っていたのだが、近年は病棟までちゃんと配達してくれるし、患者の状態によっては部屋まで持ってきてくれる。今はネットも通販も生活に欠かせないものになっているわけで。

その後掃除が入り、バイタルが来て、10時にT先生が来てくれる。
「順調ですね、何か気になる事はないですか」と言われるので、眼帯交換して、目を塞がずにいるとどうしてもしくしくすることと、充血の事を言うと
「充血はねえ、粘膜の方も移植して縫ってあるのでねえ」というので「まだ十日ちょいですしねえ」と言った俺も同意。そりゃそうだよなあ。手術から日付では十一日だが、夜帰室なので実質まる十日。抜糸からまだ四日目。
あと左目の視力がまだ若干回復しない、そこら辺今日眼科なので聞いて見ますと言う。
それから金曜に処置室で見てもらった足の赤疹、「あれどうなりました」というので見て貰うが、「赤みが若干…落ち着いて来たというか…痛みはどうです」というので「動かないと大丈夫ですが、一番下のやつは立つとまだ痛いですね」という。これも明日皮膚科で診て貰うので、と話す。

今日、明日は他の診療科を4つ受けて、で問題ないようなら退院の日取り決定かな…と想像。

11時過ぎ、事務の助手さんが「眼科呼ばれましたので」と言いに来る。
財布を入れたインナーバッグと他科受診依頼票を持って出る。
メガネONサングラスとマスクといういでたちだが、ここは深夜のコンビニじゃなくて病院内だしパジャマだし、別に問題なし。外なら不審者だが。

4階の廊下の方が空いてる=感染リスクは低い方がいいので、エレベータを使わずそのまま通路をどんつきまで延々南下、外来棟に出てエスカレータで1階降りるだけで3Aの眼科外来受付へ。
依頼票を出すと、中の処置室にいる看護師に渡せというので、その通りにする。
まずは視力検査をするので待てと廊下の椅子に座らされる。
周りを見ると、老人が凄く多い。婆さんが受診、爺さんが付き添い、あるいはその逆、あるいは婆さんと娘…といっても婆さんなのだが、母子というパターンもある。
若い人がほぼいないという珍しい状況。
視力検査は5~6分で呼ばれて、若い男性技師に機械にアゴを載せるよう言われて、例の青空に気球が浮かんでいる写真を左右見せられて、最後に眼圧を測るのでそれぞれに空気を噴射されて終わり。
また廊下で待つ。
次は視力検査でも、あのメガネを作る時のレンズ交換を何枚も同時につけられる特殊メガネで行う。左はまばたきをするたびに見え方が違うので往生した。
で次は診察室前で待てと。
といってもその前の長椅子はびっしり向こうまで患者が座っており、立っている人もいる。
するとちょうど真ん前の長椅子の真ん中が開いてたので、座らせて貰う。

以前なら立っていたところだが、もう無理はしないし出来ない体なのだ。
ほんまに若い人皆無だな、どう見ても中年以上、圧倒的に高齢者ばかり。
まあ俺も中年以上の部類に入るのだなあ、そういえば。
診察室から数分で患者の婆さんが出て来て、しばらくしてまた婆さんが呼ばれて入り、十分ほどで出てきた。
こりゃあと三十分くらいかな、とのんびり構えてたら次が俺だった。
先生は女医さんで、皮膚癌で眼瞼切除が先月5日、再建一回目が15日、で二回目が今月5日です、というと電子カルテを見ながらふんふんと確認し、「ちょっと目を診せて下さいね」と言って机の脇の機械がするーっとスライドして出て来て、アゴを載せるよう言われ、光を当てられる。
「瞼をちゃんと閉じられてませんね」と確認され、今どういう処置を指示されているかというので、日中は保湿と感染予防にクラビット軟膏を点眼、寝る前は眼球にタリビット軟膏を入れて、瞼の皮膚部分にはゲンタシンを縫って、保護して寝ています、と話す。
「寝る時だけですか」というので「はあ」というと「うーん日中も軟膏入れておいた方がいいですよ」とのこと。「ちょっと視界が混濁するので嫌かも知れませんが…」と。感染もあるが、それより眼球が乾いて角膜に傷が付いたりする方が心配という事だ。
幸い角膜外来というのがあって、今日がその日だそう。そっちも診てもらった方が良いですね、ただ時間が…と言われる。解ってます、決まってないし待たされますよね、と思い「じゃあ病棟にいったん戻って呼び出しをお待ちします」というと「そうですね、じゃあそうしましょう」という事になる。

あと「左目は軟膏を塗って一ヶ月くらい保護していて、先日の抜糸前までは片目で生活していたのですが、また今回しばらくガードするようになると、左目の視力が弱くなったりするような事はないでしょうか」と聞くと、先生はにこやかに、しかしきっぱりと
「ないです!」と言われた。
それより保護をしないことで生じるリスクの方が多すぎるって事か…。
まあそりゃそうだ。術後まだ十日。抜糸からたった四日目、露出して出歩いているが、確かにまだ塞いでないとしくしくするし。

お礼を言って刺すような視線を向けてくる廊下のジジババたち…まあ外来に飛び込みで来て待たされてるのだろう、そういう連中の頓珍漢な敵意をサングラスで遮りつつエスカレータで4階に戻り、てくてく歩いて病棟に戻る。
ちょうど配膳の最中で、部屋には食事トレイがもう届いていた。
とりあえず、まずは目にタリビット軟膏をたっぷり入れる。一回目は目を瞑ったら押し出されてしまったので、二回目は多めに。
でガーゼではみ出したの拭いてたら、目頭に黄色いものがあり、引っ張ったらネバーッと冗談みたいに延びて、最終的に指の方へくっついてきて取れた。
膿んでんじゃないよな、まさか…と不安になるが、角膜外来の呼び出しが無いので軟膏塗って塞ぐわけにも行かず、とりあえずそのまま開けておいた。
飯は牛丼の具と飯、あとは何かぱっとしないおかず。食欲あまりなし。

その後角膜外来からお呼びがかかったのが2時半頃だったか、延々また外来棟3階の眼科へ行き、通りすがりの女性技士に頼んで受け付けに聞いて貰う。
老人で混んでいた廊下も処置室前も人が少なくなっていて、診察室の前の椅子に座って待つよう言われて一息。
すると、目の前に看護婦さんがしゃがんで来て、俺の顔を見て「白取さーん!」と言って手を握ってきたので顔を見ると、Oさんだったのでビックリ。
あの気胸~胸腺腫摘出&まさかのカリニ肺炎で、南西病棟にあった呼吸器内科に入院、途中手術で出来たての積貞棟呼吸器外科に入院、手術、そしてカリニ治療でまた呼吸器内科に逆戻り…というのが今からもう5年前か。

当時呼吸器内科の看護師でお世話になったOさんの襟元には水色の桜型バッヂに「副師長」の文字。
「覚えてます?」というので「もちろんですよ、偉くなっちゃって」と言うと「そうなんですよー」と笑う。
「俺もまだ生きてますよ~」というと「でもさっき受け付けの書類でお名前を見て、白取さん…ってあの、と思って」と。
俺も「いや俺の名前世界で俺しかいないんで…」と苦笑。
で廊下でそのまま、今回免疫が低下して、まさかの白血病の上に瞼に皮膚癌という宣告を受けて、瞼切って、くっつけて、再建して貰って、3回手術受けて…という経緯を説明してサングラスをずらして左目を見せると、Oさんも「あらー、でも綺麗にしてくらはって」と驚いていた。
術後十日でこれだけ綺麗というのは皆さん驚かれる。

そんな事を話して懐かしがっていると、診察室からちょうど呼ばれたので、Oさんは別の入口から廻って診察室の奥から見守ってくれる。
診察室は男性医師二人で、簡単に眼瞼再生の経緯を説明、ふんふんと聞きつつ「へえ、こんなん出来るんやなあ」「凄いなあ」としきりに感心していた。凄いなE先生。
で軟膏を今これこれこうしている、というと、機械にアゴを載せてモニタに目を拡大表示させつつ、「ちょっと目を閉じてみてください」といって「閉じられてないなあ」と言いつつまた「はいぱちぱちしてみて」とか、光を強くあてたりなどして、「はいいいですよ」と言われて機械から顔を外す。
先生は「今タリビットは寝る前だけですか」というのでハイというと、「日中も入れといた方がいいですよね」とのこと。
あとゲンタシンは皮膚用の抗生剤軟膏だけども、けっこう目に入っているので、とガーゼで拭き取ってくれつつ「これは目に入れるための軟膏じゃないので」と言う事で、タリビットだけを日中も眼球に入れておくよう推奨される。
「その際目は曝すというか、ガーゼなどで覆わなくていいんでしょうか」と聞くと「そのままでもいいですし、視界が混濁するのが嫌でしたらカバー(眼帯)してもいいですよ」とのこと。
とにかく乾燥するのが一番悪いらしい。

「角膜の方は細かい傷はありますが、大丈夫です」というので「大丈夫なんですか」と聞くと、「毎日細かい傷は付きますが、毎日再生されていますから」とのこと。
再生不能な、あるいは能力を超える傷が乾燥するとつきやすくなるという事だろうか。俺の再生能力大丈夫かな。
とりあえず今のところ眼球、角膜自体に異常はないので、引き続いて軟膏塗って乾燥に注意という事で、カルテにも指示しておきますとのこと。
で診察室を出るときに奥からOさんも一緒に来てくれ、処置室前の廊下で少し立ち話。

お互いいやー懐かしいですねえという話になり、あの時いた男性看護師のTさんはその後血内に移って再会した、ちょっと前にもう別の科に移ったけど、その時「今(血内に)白取さんおるで」と聞いてたそう。
Oさんは5年前、当時オンボロ南西病棟から引越になる頃だったが、自分は結核病棟に移るので、当時出来たてだった積貞勤務ではなく北1なんです、と残念そうに話していたっけ。
そういうと、その通り北1へ行き、そしてまた異動で、眼科へ来たそうだ。
そこで、まさかの角膜外来なんて普通の人ホイホイ来ないところで、しかも俺白血病が基礎疾患やからあんまり関係なさそうなのに再会とは、いやーびっくりですねえ、とお互いあれこれ話す。

別れ際、Oさんはぎゅーっと俺の手を両手で力強く握ってくれ、
「白取さんは大丈夫ですよ、奥さんも上から見てはりますし」と言ってくれる。ありがたいなあ。思いがけぬ再会だった。
何度か振り返って手を振ってお辞儀をしつつ、4階へ上がって北病棟までまた延々と歩いて戻った。
巨大病院だし、八年も通って入退院あっちこっちしていれば、そりゃあ知った顔も増える。…と思われがちだけど、現実には外来はともかく病棟の看護師さんと、病棟以外で再会する事はあまり多くない。
看護師さんたちは普通に定期異動もあるし、希望しての他科への移動もあるし、もちろん別の病院への移動や退職もある。そして巨大病院ゆえに、看護師さんが受け持つ患者の数も多いし、俺だって毎日来てるわけでもない。実際、Oさんともこうして5年ぶりなわけだ。しかも全然違う場所で。
これもご縁、だろうなあ。

そんな感じで3時半ころ部屋に戻ってベッドに座り、PCを開いて「いやーしかし今日は歩いたなあ」と思ったら、あの事務の助手さんに「今血内お呼びがかかりました~…落ち着く暇もないですねえ」と同情気味に言われる。

んですぐ他科診療票と財布入りバッグを持って、また延々外来棟まで。
まあ、運動不足気味だったのでええか…と、延々と長い廊下を三度、南下。
2Gの血液内科の受付に紙を出すと、「K先生がちょっと45分まで外出されているそうで…」と言われ、診察室前で待つよう言われる。ていうか今何分なのかスマホ忘れたので解らない。
どうせ疲れたので、座ってぐったりしていた。
10分ほど待ったか、K先生が「済みません~間が悪くて」と笑顔で小走りに来てくれて、診察室へ一緒に入る。

まずはこちらがサングラスを外して、左瞼を見せて「こうなりました~」と診て貰う。
K先生も「おお~、綺麗になってますねえ」とびっくりしたご様子。
「凄いなあ、けっこう切って動かしたり大きい手術やったのに…」というので「この小鼻のところもね、軟骨取るんで切って開いたの縫合したんですよ」と見せるが、「いやー全然解りませんねえ」と感心しきり。
で、ひとしきり手術の話のあと、プリントしていただいた採血結果を見つつ「血液の方は、すごく良いですよ」と言われる。
前回手術後5日目での採血結果では悪かった数字がほぼ持ち直しており、しかも白血球数以外は50代男性ならかろうじて正常値に入った。
凄い。
白血球2170、好中球数は50%。もっとも免疫グロブリンは少なめ。
ただ赤血球系、HGB、PLTなどは50代なら標準値内に入った!
凄い…。
HGBが13.5とか、どこの健康体だよ…。
K先生も「脾臓への放射線照射がこれだけ効くとは毎回驚きです」と。
ほんまに毎回二人で驚いている気がする。
今後も、もうどうしようもない、手の打ちようがないという場合は移植も考えますが、まず第一の選択肢としてはまた脾臓へ放射線を…という方が良さそうです、ということ。
何せ脾臓を摘出するにしても、今の若干縮小した状態でもじゅうぶん「巨脾」としては大きい部類に入る大きさなので、取ってしまうと今の体と血液の状態から、やはりダメージが大きすぎると。また傷の大きさという意味では感染リスクもケタ違いだし、放射線によく反応するみたいなので、そっちを考えた方が良いでしょうね、と。
まあ後は病棟の世間話なんかもあれこれして、明るい感じで診察室を出た。

良かった。
これでまずは、当面の敵であるこの皮膚癌、あとはどう再発を防ぐか、放射線を予防的にあてるのか、違う方法があるのか、あるいは経過観察だけなのか。
そのあたりを明日皮膚科のI先生に伺う予定。

本当は買い物をしたかったのだが、何しろ行って帰ってを立て続け2回、さすがに疲れたのでまっすぐ病室に戻った。割とへとへと。
ヘモグロビン値が近年最高値13.5じゃなかったら、ゼイゼイ言ってただろうなあ。それにしても血小板は11万と、これはきっと手術後だから増えたんでしょうという事だが、赤血球関連など軒並み正常値に入っているのは凄い。本当に、3年前、がくっと病気が悪化する前に戻ったみたい。
もちろん、とはいってもこうして皮膚癌なんか発症しちゃってるんだから油断できないが、悪い結果よりはいいに決まっている。記録を終えるともう5時半で外は真っ暗だった。

夕方、飯前にシャワーして帰室5時45分。
夕飯後、下膳するついでに水筒に熱湯を汲みに行くと、食堂では車椅子のおばちゃんと、白衣の女性…でも医師というよりカウンセラーか職員ぽい人とが、何か書類とか付き合わせて話している。聞くとはなしに入って来る話に「生活保護が」「退職した時に」とかちらほら聞こえてくる。
病気ってなあ、特に経済、仕事直撃するもんなあ。
働きたくたって働けねえんだもん。
俺も今回はさすがに請け負っていた仕事を肩代わりして貰わざるを得なかったし、健康だったら何でもするんだけどなあ。
でも他人様の事を心配している余裕は残念ながら、無い。
湯を汲んで粛々と戻る。

6時半過ぎ、スマホでワンセグつけて電波の都合上NHK一択なので流し見してると、E先生が来てくれる。
眼科からのカルテ記入を診ていただいたようで、目の保護の話など。
あとは、今日の診察とか昔お世話になった看護師さんと会ったとか、その都度縫合痕を皆さん褒めていただいたとご報告。
E先生は「明日皮膚科も受診していただいて、様子をみて…」というので
「退院も今週中くらいでしょうか」というと「そうですね」とのこと。
部屋の清掃間に合うやろか…。
今日、いつも清掃を頼んでいる会社のAさんの仲間から電話があり、年末の大掃除シーズンにかかりつつあって一杯一杯だけど何とか今週中には…みたいな感じだった。

E先生は先日も世間話でバンドの話をして「また始められたら良いじゃないですか」と言われたが、とにかくそういう気持ちじゃないとアカンと思った。やる、やらないは別にして、前向きにという意味で。
「どうせそんな長く生きられねえし」と言い訳しながら、だらだらと流されるような生き方をしたり、挙げ句「じゃあ死ぬか」と言われたら怖い、瞼を犠牲にしても生き残ろうとあがく、人間てそんなものだ。
醜い顔になり、嫌な思い痛い思いをたくさんして、それでも生きようとしがみついている。
こんな不格好な自分だが、それでも助けようとたくさんの人が動いて下さってきた、それは厳然とした「事実」だ。
俺がどう思おうが俺の人生だ俺の勝手じゃん、とは言えない。
白血病になって十年、因果だなあと思っているけれども、これはE先生も「その都度頑張って乗り越えて来られたじゃないですか」と。俺にしてみれば繰り返して言っている通り「その都度頑張って命を助けていただいてきた」という立場。
それを忘れて、「俺の勝手」とは言えない。傲慢、不遜にも程があるというものだ。
生かされてきた、というのは別に宗教的な意味ではない。極めて現実的、科学的な、事実の話。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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