2015-11-23(Mon)

これまでのあれこれ5

11月17日(火) 皮膚科、呼吸器内科受診
前の晩もタリビット軟膏を眼球に入れ、周辺は手袋でゲンタシンを薄く塗って、「貼る眼帯」を貼って寝た。寝たのは12時前だっけか。
朝はいつもよりやや早く6時ころ目が覚めた。曇りらしく、薄暗い。
誰かがそっと入って来たが、左目はパッドで視界がないので、電気もついてないし、入口側を向かなかったので寝ていると判断された模様。その後もちょっととろとろして、ちゃんと起きたのは7時。
トイレ歯磨きの後、洗顔…はちょっとまだアレなので、とりあえず生食で左目を洗う。ちゃんと吸水シート充てたのに、パジャマの胸のところがびちゃびちゃになる。
目を洗った後は滅菌ガーゼで眼瞼周囲を拭き、おもむろにまたタリビット軟膏を眼球に入れる。なかなか自分で的確に「眼球に」落とすのは難しい。まばたきするとはみ出てきたりする。
やっぱりしっかり閉じられてないからだな。左下の僅かな隙間から軟膏が漏れてきてしまう。んで貼る眼帯、また新しいのを張り直す。
顔はウェットティッシュで右半分を、左半分はそっと慎重にぬぐう。

やれやれ、という感じ。
これ家に帰っても毎朝か。きついがしょうがねえな。
今度はもう皮膚癌というリスクが発生してしまった以上、再発、転移を遅らせるために定期検査も受けないとならない。何しろ本当に命がけだ。

皮膚癌を言われ、瞼が無くなる、実際切られた、その後2度目の手術までの気分は正直最悪だった。
切って取れる癌ならすぐ切ってとは言ったものの、調べれば調べるほどこの癌は凶悪だった。
それが無事取り切れ、とりあえず今のところは浸潤も転移も見つからず、しかもその後の眼瞼形成も、顔が変わったとはいえ、ここまでとは正直思っていなかった。
落ちくぼんだ、目「らしきもの」が作られて、顔面ツギアテになり、今後はその醜い顔で何とか頑張ってくれや、という感じになると思っていた。
まあ確かに左右で違う顔にはなったが、それでも、E先生ほか、形成の先生がたは精一杯やってくれ、生かそうとしてくれている。
昨日角膜外来で思いがけず呼吸器内科でお世話になったOさんが、眼科に異動し副師長になって再会した。
手を握って「頑張ってね」と言われた。
正直嬉しかったし、元気も出た。
こういう事を経験するたび、つくづく、生きているではなく生かされているのだと実感する。

昨日の続きになるが、それは別に神とか仏とか超越者、神的なものから生を受けているという意味ではなく、実在する現世の、たくさんの関わった「人」たちからという意味だ。
励まされたり助けられたり、生きてくれと願われたり言われたり、背中を押されたり、手を携えてくれたり、支えてくれるのは、同じ生を生きる人間たちだ。
宗教がどうとかではなく、それは十年間「死」「病気」と向き合って来た自分の「実体験」「経験」だから、しょうがない。神や仏より今を生きる、支えになってくれる人間の方が遙かに俺を生かしてくれている。
これは実体験なので仕方がないことなのだ。

病院の廊下を痛みと少ない視野でふらふらと歩くとき、手を添えからだを支えてくれるのは生きている看護師さんたちだ。
すぐそこにあるものを取る事さえ凄まじい難行の時に、「どれですか」「他にないですか」と助けてくれたのは看護助手さんだ。
癌を取ったり顔を出来るだけ綺麗に再建しようと頑張って下さったのは医師の先生方。
全て、この世の現実、凄まじいまでのリアルの話。
そういう事を経験し、実感した上で、それでも俺は「彼女」に守られていると思っている。
神仏とかそういう言い方をする存在って、そういう事じゃないのかね。

さて確定診断以後初めての皮膚科、外来受診はいつ呼ばれるか解らないので、午後はずっと待機かもなあ、と思いつつ過ごす。
助手さんたちが代わる代わる用事はないか聞きに来たり、環境清潔に来てくれたりするので、世間話をしたり。こういう何気ない話をする事も、「癒し」になっていると思う。メンタルのケアはまだまだ、大きな病院でも行き届いていない部分もある。

…ていうかさあ、その間もひっきりなしに工事の電動工具の音が響き続けてるわけで。
「これはこの部屋が一番酷いですねえ」と助手さんたちも苦笑。
そんな感じで2時過ぎあたりか、事務の人が皮膚科からのお呼びがあったとお知らせに来る。
その時「昨日外来棟と3往復しちゃったんで、もし良かったらあっちに居る時呼吸器内科から呼ばれたら、携帯に連絡して貰っていいですか」というと快く了解してくれ、番号を書き留めてくれたので、安心して出る。

また長~い廊下をてくてく歩いて中央診療棟の回廊に出て、3fまでエスカレータで上がり、皮膚科受付に依頼票を出す。
診察室前でお待ちくださいと言われて座って数分でI先生に呼ばれて入る。

I先生はちょっとだけ笑顔で「いやー今回は良かったですねえ」と言うので俺も「はい、無事取り切る事が出来たみたいで、もう再建も終わりました」と言う。
先生は手を消毒してから「ちょっと見せていただいていいですか」と言って俺が貼っている片目用シール眼帯をぺらっとめくって、再建された瞼を見る。
「…なるほど、綺麗ですねえ」と言い「これは皮膚科の出来る域を超えてますね」と笑顔。
俺も「血液内科や眼科の先生がたにも見ていただいたんですが、皆さん綺麗だとおっしゃって下さって。先生が迅速に形成外科さんへお手配下さったおかげです」と話す。
先生は「良かったです、綺麗にやっていただいたようですし」と言いつつ、「それで今後の話なんですが」というので、俺も「はい、再発と転移ですよね」というと
「その通りです。このメルケル細胞癌というのは非常に凶悪でたちの悪い癌です。転移しやすく、周辺部に再発もしやすいというもので」と恐ろしい事をさらりと言われる。
「今回手術でセンチネルが検査できなかったのは残念ですが、まあそれは仕方ないですね」と、要するに俺が急いで切れと言ったわけで仕方ないという事。
「また今回切り取った細胞とその周辺が陰性だったとしても…」と先生が言ったところで俺のスマホがバイブ作動。
「あ、どうぞ」と言うので「いえ、たぶん病棟からこの後の呼吸器内科から呼ばれた連絡やと思いますので」というと「そうですか」といって続ける。ま、こういうタイミングなんだよなあ。

I先生はメモ用紙に、いびつな形の癌細胞の図を描き、その一部分が延びている様子を示し「極端な話ですね、この部分が外にちょっとでも出ていた場合、今回の検査ではマイナスでも、取り切れていない、つまり他に転移する可能性があるわけです」とのこと。
先生は図を示したあと「ですから、やはり今後のことをよくご相談しないといけないと思うんですね」と。
俺も「この癌は放射線がよく効くという事らしいですが、例えば予防的に放射線をあてる、などでしょうか」というと「そうですね、よくご存知ですね。その通り、この癌は放射線が比較的効果があると言われています。今回の場合、瞼よりも、ここ…」といって眉毛のあたりを示し、「こちらの方が心配なんですね。ですので、まあこれは放射線科の先生ともご相談になるんですが、自分としては予防的にあてることを推奨します」とのこと。
「ただ、どうしても部位が部位ですから、すぐにではないですが、長い目で見ると影響が出ないとは言えません。粘膜や水晶体など、例えば白内障ですとか…まあ、老化を早めてしまうとでも言いますか」というので、
俺も「自分も免疫上はかなりの高齢者と同じレベルだと言われました。でも実年齢は50なので、免疫が低いのに、細胞の活性度としては年齢を考えると…」と言うと
「おっしゃる通りです。癌にとってはとても『楽な環境』という事になりますね」と表情を変えずに淡々と言われる。怖い。
「ですから、やはり予防の意味で、放射線を照射しておいた方がいいと私は思います。形成のT先生の方は何とおっしゃっておられましたか」というので、「皮膚癌に関しては皮膚科がご専門なので、皮膚科の先生とよくご相談して下さいという事でした」というと「解りました。では私の方から、放射線をあてる事を推奨する旨、お伝えしておきましょう」と頷く。

俺もその方が安心ではある。最悪左の眼球摘出もあり得ると言われて覚悟していた。実際今も右目だけで打っている。
昨日の夜目に軟膏入れて塞いで寝て、朝洗って軟膏塗り直して塞いで、ずっとそのまんまだ。視力も落ちないと眼科の女医さんにキッパリ言われたんだから、当面はこのままで良い。
そして長い目で見て放射線で癌を予防しても、眼球に何らかの機能低下が見られる懸念があるとしても、癌の再発よりはマシ。それこそ再発したら今度は摘出かも知らんのだ。

I先生は「それで、再発とは別に今後転移の方も心配ですので、一定間隔で調べていく必要があると思います。それにはPET-CTが一番適していると思いますね」と言われる。
というわけで、とりあえずは放射線照射を再発予防に行い、その線量や部位の調整は放射線科のプロにお任せするとして、今後はPETや目視含め、再発や転移がないかを見ていきましょう、という事になる。
最後に、左足に出来た赤疹を見て貰うと、ちょっとよく解らないが、感染のようなので軟膏を出しておきましょうと言っていただき、「もし改善されないようでしたら、皮膚の生検含めて調べましょう」と。
これで皮膚科の受診は終了。
お礼を言って出る。

それから呼吸器内科へ…と2階に降りるが、受付に依頼票を渡していつもの診察室前へ座ってから、あっと気づいて受付に「胸部レントゲン撮ってないんですけど…」というと、受付の女性が「紙は病棟から出てないんですね…」と言ったあと「でもオーダー入っていればリストバンドで受けられるはずですので」という。
「じゃあレントゲン行って来ますので」と告げて、1階へ降りる。
正面玄関前を通ってレントゲン受付へ行き、予約票は無いが入院中の外来受診なので、オーダーはあると思うとリストバンドを見せて名前を言う。
すぐ打ち込んで調べてくれ、間違いなく入っているという事で、いつもの半分くらいの紙に氏名と患者番号など書き入れてくれ、渡してくれた。
待合へ行くと、見覚えのある看護師だが同じ北4でも診療科が違う人と、さっきスマホに連絡をくれると言ってくれた助手さんがいた。二人でベッドに老人を乗せてレントゲンを待っていたので「無事間に合いました」と挨拶する。
こちらが先に呼ばれたので撮影室に入り、撮影。
終わって助手さんたちに「お先です」と挨拶して、また外来棟2階呼吸器内科受付、「レントゲン撮って来ました」と報告し、診察室前の椅子に腰を下ろす。

ふう、と息が漏れる。
いや、やっぱあっちゃこっちゃ歩き回ると疲れるな。
と思ってたらしばらくして、二つ三つ左手の診察室からメガネをかけた見覚えのある若い医師が出て来て受け付けの方へ消えた。
…あっ、N先生や! と思いだした。
五年前の南西病棟に呼吸器内科があった頃に、カリニ肺炎で入院した時の主治医、これから診察を受けるI先生の下がN先生と、もう移動で居ない研修医のK先生だった。
N先生はいつぞや、採血だっけか俺の右肘に針を刺した時に神経をぶすりとやって、激痛の後肘が伸ばせなくなった。
しばらくして戻って来たので「N先生」と声をかけて「覚えてはります?」というと「あっ…研修の時の…?」と自信なさげだったので、「5年前の南西病棟の時、カリニ肺炎でお世話になった」というと「あー」と思いだし、「肘その後伸ばせるようになりました?」というので「はいもう大丈夫です」と伸ばしてみせる。N先生も気にしてはったんやなあ。
でちょっとだけ挨拶してると、直後、診察室からI先生が顔を出して「白取さんどうぞ」というので入る。

「先生、再建終わりました。瞼、見ますか」と言うと「いや大丈夫ですよ」と苦笑されるので「見ます、見ます?」とシールガーゼを剝がそうとすると、「も、もうめくれてますよ…」と言って「はあ、まだちょっと腫れてるけど…うまいことやって貰いましたねえ」と感心される。
「さっき廊下でN先生とお会いしました」と言うと「ああ、そういえば5年前は一緒に診さして貰ってましたね」と。
5年かあ。
肺のレントゲン画像データはもう飛んできていて、「肺は今回も異常とくに無いですけど…」と言って「5年前の…こういう痕はやっぱり完全には消えないですねえ」と、画像を示す。
あの時は穴だらけだったもんなあ。穴というか何と言うか、CTで見るとブラックホールみたいなのが何個もあったっけ。よく生きてるよ俺。
レントゲンを見ながら「今回の癌は再発や転移が多いそうで、怖いですね、どこへ行くか…」というと、I先生もモニタを見ながら
「肺に来たら必ず見つけますよ」と言ってくれた。
いつもの淡々とした言い方だったが、これは心強い。
「お願いします!」と頭を下げる。ちょっと泣きそうになった。
「あとベナンバックス、入院中はどうやったかなあ…」とカルテを操作。「たぶんこれで行けると思います」と処方をくれ、「お大事に」と言われて診察室を出た。

足汗できゅっきゅっと変な音を立てるサンダルを気にしつつ、処置室まで行く。昨日今日でどんだけ歩いたかな俺。落差が凄いな。
この頃もう3時半過ぎ、処置室は看護師の数もいつもより少なく、それでも俺の顔を覚えている看護師さんの方が「ベナンバックスですね」とすぐに言われる。
5,6分待ってOKになり、吸入室へ。
「この機械になってからは初めてですかね」というので見ると、見慣れた青い吸入器ではなく、緑色の少し大きいものになっていた。
ホースの先端の咥える部分も簡単なものに変わっていて、ヨダレは外に逃げないようになっている。まあ、ホースの途中に溜まるのだが。
あと霧化は前のより性能が良いようで、すぐにがっつり薬が入って来る。きっつい。案の定嗚咽とヨダレ。地獄。
なんとか薬が無くなるまで頑張って吸い込み、終わって、買い物する体力も余裕もなくまっすぐ病棟まで戻った。
疲れた。汗もかいたので、一休みして5時まえにシャワーして戻った。

それにしても。
瞼の出来具合がどうこう言える立場でも状況でもない、自分はいつ皮膚癌がどこかに転移しその臓器に巣くうか、あるいはどこに再発するかを常に気にしながら生きていかねばならんのだ。
大変な事になっちまった。
正直気が重い。
でも今は生きている。
形成の先生がたは「外科的には取り切ったので、癌の初期治療は『終了』」と言い切った。あとリンパに乗ってようが血液に乗ってようが、今の段階でそれを言っても仕方がない。
とりあえずは取った瞼を再建してもらった、その「大手術」からまだ十日ちょっとしか経っていない。こっちだって感染症、あるいは壊死の可能性だって無くはない。軟骨移植とかしてるんだし。
実際目は真っ赤に充血しているし、腫れもなかなか引かない。
見つかってもいない再発や転移に脅えてる段階じゃないだろう。
でもそれを今言う、そして早めに対応を考える。それが皮膚科の医師で、メルケル細胞癌の怖さを知るI先生の所見である。

その後部屋にY先生が来て、顔の手術の縫合痕をガードしてあったテープ、抜糸後貼り替えて無かったので換えましょう、ついでにタリビットも俺一人でやろうとしてもなかなか難しいというとそれも入れましょうという事で、処置室へ行くことに。
で貼り替えをしてもらい、最後に眼軟膏を入れて貰って、さっきシャワー後に貼り替えた「貼る眼帯」を再利用というかそのまま貼り直す。
Y先生も「これご自分でこの形に切ったんですか」というので「いえいえ、こういいう形で売ってるんですよ、しかも滅菌されてて個別包装で」というと「そうなんですか」と驚いていた。でも3枚で300円くらいすると言うと「あ…ちょっとお高いんですねえ」というので、「ネットで箱買いしようかと思ってます」と話す。
後は、小鼻の縫合痕、Y先生が縫ってくれたところ、他の先生方も皆さん褒めてましたと言うと「そこはほくろの位置もちゃんと合うように頑張りました」と言ってくれた。皆さん、頑張ってくらはったお陰様である。ほんまに有り難い。

あと左足の赤疹の軟膏はまだ届いてなくて、届き次第渡すということ。それで治らないようであれば生検など、皮膚科の方で対応してくれるはずとのこと。
放射線に関しては入院中ではなく、退院してから皮膚科からの指示で受診してもらうかも知れず、それらも含めて退院時期など、またE先生とも相談して…ということ。
うーん部屋のダ○キン間に合うかな。
でもE先生は「そういうご都合にはもちろんなるべく合わせるようにしますよ」と言ってくれたし。

その後夕飯を食い終えてワンセグのニュース見つつほっとしていると、E先生が来られる。
今日の皮膚科で放射線の予防的照射の意見を伺ったが、それを受けて、一回皮膚科、放射線科含めて今後どういうふうにやっていくか相談させて貰って、退院の方はそれからという事でよろしいかというので、もう逆にこちらは部屋を綺麗にダス○ン入れてからでないと戻れないので、助かりますと話す。
まあ早く帰りたいもう帰るはよ出せ言う人もおるんやろうなあ。でも俺は基本先生がたの見解には逆らわないし、もう先生がたのご方針通りにしますと話す。
E先生はそういうところもきちっと配慮をして下さるので、安心感がある。
付いていきます! という気になる。「気」は大事。

谷川さんからは「ユキちゃん元気やで」と写真とメールがたびたび来る。
ほんま有り難い。色々な人に助けられて、文字通り支えられて生かされている。ああしかし、ユキと抱き合って寝ていたんだなあ。あの頃くらいまでに戻れたらなあ。
猫一匹、守ってやれなかったなあ。まさかこんなに自分が弱るとは思わなんだ。でも谷川さんちのモコちゃんと仲良く美山の自然の中で遊ぶ姿、身勝手とは思いつつも良かったなあ、とも思う。
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気の素晴らしさ

白鳥さん、お久しぶりぶりです。
前のコメントにも書きましたが、こちらもばたばたしていてなかなかチェックできず、夏からずっとブランクでした。
今日(土曜日)午後4時間かけて、癌宣告前の痛飲エピソードから今までの分を一気に読みました。
私が始めて白鳥さんのブログに遭遇し、そして奥様の突然の発病と他界、その様子を刻々と書き続ける白鳥さん。本当に書くことで、自分の平衡を保っているんだというのが伝わります。
ともかく、今は手術も成功して無事に回復中。今後の再発防止のための治療活動ももうすぐ決まりそうですね。
白鳥さんの命がギブアップするまで、応援してます。ユキちゃんが良い里親さんに恵まれてよかった。里親さんのブログも見てきました。先住のワンコと仲良くやってる姿、嬉しいですよね。
血液も白血病以外の面では50歳標準に達してるなんて、すばらしいです。まだ死ぬな、って命令がどこかから出てるんですよ、きっと。
また、ちょこちょこブログチェックしますね。
お返事は不要です。
応援している人間がここにもいますよ、というお知らせですから。
お元気で!
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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