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2015-11-30(Mon)

水木しげる御大逝く

2015年11月30日(月)
てめえの事より何より、まさかの水木先生の訃報とは…。
ネットのニュースで知った。
「30日午前7時ごろ、心不全のため東京都内の病院で死去した。93歳だった」
今月11日、調布市内の自宅で転倒して頭を打ち入院していた、とのこと。
つまりその入院のまま、亡くなったということか。何と言うことだ。

ご冥福をお祈り申し上げます…
という言葉すら何と言うかまだ上っ面で発した言葉がそこらにぼとんほとんと落ちて行きそうな印象。
水木先生は普通に120くらいまで生きて、ばくばくご飯を食べてワッハッハと笑っておわれると思っていた。いや、それ以外に無いと確信していた。
迂闊だったなあ。
信心が足りなかったか畜生!
なにしろこのところは、こっちが生きる死ぬのところだったしなあ。
もっとも今でも、次の再発に備えて予防的に放射線を充てる準備段階。

まさかの白血病の上にメルケル細胞癌という糞凶悪な癌宣告で顔面大手術3回を経たところだ。
ちなみに今日は朝起きて、左目の「貼るガーゼ」を外し、目を眼軟膏をぬぐう湿った滅菌コットンでぬぐって、目薬をさしてから、ずっと晒している。
病棟を歩く時は風が目に染みるのでメガネONサングラスをしているが、病室では普通にしている。
だいたい、小一時間で目がしばしばしてくるので、目薬を点眼する。
健康な人がまばたきを普通にする、涙腺から保湿のための涙が出て眼球を保護する。
水、油、水、みたいな層で絶妙に保護されるその仕組みが、まだ完全に目を閉じきれないため、保水されずに乾燥するのだ。
乾燥すると角膜に非常に良くない。感染もある。
なので起きている時も軟膏を入れておくか、こまめに点眼をするしかない。
軟膏を入れておくと視界が混濁するので、結局眼帯をするしかない。
晒しておくなら、こまめに点眼するしかない。
面倒臭いが、最悪眼球摘出まであった今回の糞皮膚癌野郎のせいだからしょうがない。
糞野郎は形成外科のK先生らが綺麗に切り取ってくれたので命も視力も救われた。
失われた眼瞼はE先生やT、Y先生らが大工事で、「作り直して」いただいた。
この後多少醜いとか点眼が頻繁とか、そういう事は些細な事だ。
命に比べれば。
ちなみに放射線照射は50グレイを25回に分けてあてるらしい。
宿酔が心配なのと、今回は骨髄抑制は部位的に強く出ないと思うという事だが、眼球への影響、涙腺の機能などが心配。
涙腺の機能はほぼ失われるということだ。
点眼が欠かせなくなる。でも、まあそういう事はたいした問題じゃない。
命に比べれば。

水木しげる先生には何度も何度もお会いしたし、もちろん調布のご自宅にも、仕事場にも、近くの「妖怪博物館」にもお伺いさせていただいた。
本当に誰に対しても態度の変わらない、「あのまんま」の先生だった。
仕事でお時間をいただいているプロの漫画家に、プロの編集者が端くれとはいえ、軽々にサインなどをねだるのは、矜恃として許さないでいた。
(そこらへんは
ここらへん
とか
ここらへん

に書いたんで割愛)
その禁忌というか青臭い自分なりの縛りを破った作家の先生は数少ない。
もちろん水木しげる先生はそのうちのお一人で、今もいただいたサインは大切に持っている。
そのサイン帖にはたった三人のサインしかない。
あと二人はまだ連れ合いになる前のやまだ紫先生と、そして林静一先生である。

とりとめのない記憶が怒濤のようにこみ上げる。
「わっはっはっは」という楽しくてしょうがないという、破顔しつつの笑顔が思い出される。
ああ、命まで取らなくても。命さえあれば、水木先生さえおられれば、マンガは周囲の妖怪が描いてくれたかも知れないのになあ。
敬愛する人がどんどんアッチへ行ってしまわれると、そのうちアッチの方が楽しそうで行きたくなってしまいそうではないか。
それは困る。
そういう意味でも生きていていただきたかった。
合掌。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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