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2015-12-14(Mon)

「あっぷる・こあ」

「あっぷる・こあ」が届きました。
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少し前、「あっぷる・こあ」代表の中島隆さんから、やまだ紫の作品を再録させて欲しいというご依頼をいただいていた。
「あっぷる・こあ」については漫画誌を研究されている方なら知らない人はいないだろうし、知らないという今の若い人たちならあの「コミケ」の、スタート前夜に連なる漫画同人世界の熱気を感じることが出来るものと言えば、興味深いものだと理解できると思う。

「ガロ」は1964年創刊、「COM」は1967年、そして「ビッグコミック」は1968年になる。

俺はまあ「ガロ」者ではあるが、「ガロ」編集部に勤務するようになったのは創刊20年頃なので、「ガロ」「COM」双璧の時代は知らない。ただこの2誌と、メジャーながらこの2誌と執筆者もけっこう重複していた「ビッグコミック」の果たした「役割」についてはもちろん、よく知っている。
(ちなみにやまだ紫もこの3誌すべてに佳作含め入選しているが、新人としてこの三誌を制覇した作家はほとんどいないんだYO!)

よく言われるように「ガロ」は白土三平先生の「カムイ伝」を連載するために長井(勝一)さんが創刊した月刊漫画誌だ。大作を掲載し続ける一方で、全国からユニークで独創的な才能溢れる作家を次々と掲載して、非大手ながら登竜門と呼ばれる雑誌になっていく。
「COM」はこれまたよく知られているが、手塚治虫先生が自らの「火の鳥」を連載するために創刊した…だけではなく、やはりトキワ荘時代の作家たちにも自由に実験作品を描いて貰いたい、また「ぐら・こん」(グランド・コンパニオン)と呼ばれる全国の漫画同人の連携母体となるような形を作って、やはり新人作家を積極的に発掘していった。

こうした漫画史的なことは研究されている方がたくさんおられるのと関連書籍もたくさん出ているのでそちらを見ていただくとして、とにかく、今隆盛の「日本漫画」、MANGAやANIMEとして世界中に拡がった一つの表現は、その源流というと鳥獣戯画へ求めたりしなくとも、ディズニーの影響を受け、それを紙面でより「漫画」というかたちで表現の幅を拡げていった手塚治虫や、トキワ荘の今でいう大作家の方々を思い浮かべる向きが多いだろう。
…でもそれだけじゃない。
浮世絵だってエログロもあったし、錦絵には「無残絵」として昨今スポットがあたったような表現もあった。「芸術!」とか言っても表現には光も影もあった。表も裏もあった。メジャーがあればマイナーもあり、メインがあればサブもあった、もうええか。
漫画だってそうだ。
「子供向け」と言われていた時代にも、ちゃんと劇画があった。戦後紙芝居から貸本漫画、そして少年漫画少女漫画、大人向けのエロ劇画もあった。そういう中でイラストやアート的な作品を描く作家たちも、どんどん「漫画」という表現を得て活き活きと創作をしていく時代になっていく。

その流れの中で、「ガロ」や「COM」は大きな役割を果たしたのは紛れもない事実。そして今のようにWEBで作品を個人が気軽に発表したり、しかもそれを世界中に発信したり出来なかった時代、「全国誌」と「同人誌」の差はとてつもなく大きく、大手全国誌側は地方の小さな同人作家をいちいちチェックする暇は無かった。同人たちは自分たちを認めて貰おうと、全国誌の編集部や漫画研究誌などに同人誌を送付し、作品を投稿し、取り上げて貰うのを祈るという時代が確かにあった。
「COM」が1971年に休刊した後、「ぐら・こん」関西支部長だった中島さんは「あっぷる・こあ」発行。もちろん前段いろいろおありだったのだろうが、部外者が軽々に想像でモノを言うもんじゃないし、頓珍漢な事は失礼にあたる。
俺も「ガロ」休刊事件についていまだに頓珍漢な「総括」を見聞するにつれ、腹はもう立たないまでも失笑と軽い脱力を覚える。(あと、軽蔑も)

今年、2015年はこの中島さんによる「あっぷる・こあ」が休刊して40年目にあたる。
ちなみに「あっぷる・こあ」休刊が1975年夏で、米澤嘉博さんらが「コミックマーケット」を最初に開催したのはこの年の12月。
俺がはっきり将来漫画家になりたいと意識した頃…1978年頃は、まだ「東京でそういうのがあるらしいよ」というレベルだった。参加したくても地方からではどうしようもなく、そもそもが中学生では元からどうしようもなかった。色々まだ、ほんまにどうしようもなかった時代でもあった。
まあ何を書いてるんだかとりとめが無くなってしまったのは仕方ない、何しろ今これを書いているのは入院中の病院のベッド上である。
しかもこのたびは目をやられたので、休み休みでもあり、何かググってコピペしたりwikiって調べたりとかクッソ面倒くさいうえにしんどいのである。
全てはパッションから、なのである。
どういうパッションかというと、この当時の参加作家による再録作品や、「あっぷる・こあ」復刻版の刊行に寄せての皆さんの文章などを拝読するにつれ、あの頃…自分が漫画家になりたい、漫画という表現で自分は何かを表したい、とにかく何か描きたい! というパッションを思いだしたからだ。
そうした俺の熱い思いは、後に長井さんに会いたい一心で受験を一年延ばして上京し、青林堂のガロ編集部でアルバイトをすることになり、そこで凄まじい才能の数々に触れて自分の「身の程」を知り、結果「漫画家になりたい」ではなく「好きな漫画の傍にいたい」ので編集者になった。
だから編集者としても熱かったしパッションもあった。
新人さんでも「作家」を目指す人は尊敬したし、編集者としてサポート出来る事に喜びもあった。何かお役に立てればと思っていた。そういう意味では作家にはなれなかったが編集としてはギラついていた、じゅうぶん。
ま、今はなかなかそのエネルギーが出ないんすけどね。何せ「生きる」という方面に最大限エネルギーを向けないと、簡単に死んでしまいそうなので。

このたびの復刻というか、記念碑的な復刊「あっぷる・こあ」へやまだ紫作品を再録させて欲しいというご依頼を受け、当然快諾をし、原画を調べたがこちらには残っていなかった。(というより、あの名作「性悪猫」の原型の原型が「あっぷる・こあ」にあった事を、後に中野晴行さんにコピーをご送付いただいて知ったというていたらくである)
誌面から復刻されたというのに、やまだを含め、他の方々の作品も美しかった。
そして何より、皆さんの漫画を愛する気持ち、熱気、そう、パッションが伝わってくる。
「若かったから…」とかいうそういう簡単なものじゃないと思う。

当時は当然携帯もネットも無い。今の若い人たちより遙かに制約も多く発表する場も手段も無い、だいたい連絡を取るのすら「長距離電話」というとんでもない代金を請求される手段ではなく「文通」である。
同人は文字通り志を同じくする同志、仲間が漫画誌や情報誌でそうしたアナログな手段で連絡を取り合い、あるいは友人の口コミや紹介で互いを知り、連携するしかなかった。
これは俺の世代でもそうだったし、やはり90年代に携帯やネットが普及する前と後ではまあ天変地異レベルの激変があったと思う。
「若かったから」じゃなく、若くて情熱に溢れており、熱かったから、今ならハンディが多すぎるだろうという状況でも、それを熱量で押し切ったのだ。

中島さんには、拝読後正直な感想をメールでお伝えした。
俺が入った頃のガロは創刊20年目、世の中はバブル景気に向かっていた頃(恩恵は個人的にはゼロだった…ので、俺の世代を「バブル世代」と呼ぶのは間違いである。記憶が定かであれば、バブルの頃それを謳歌していたのは当時の30代くらいのある程度自由のきく、今60代くらいの世代だろう)。
ネットやWEBは無かったとはいえ、エキセントリックなマンガの発表の場も、読者の許容範囲も、かつてガロとCOMが双璧であった時代、地方での同人活動を「ぐら・こん」がつなぎ、「コミケ」がそれを引き継いでいった時代から大きく拡がっていた。
そういう意味ではガロは自らの役割を見失いつつある時期であり、サブカルチャーブームがバブルの副産物として訪れたことで、その存在を何とかアピールしていたように思える。
しかし確実に、こうした流れが今の日本のMANGAやANIME文化が世界的になる下地になっていたと思うし、敢えて言わせていただければ「我々」はその一翼を、あるいは底辺の片隅でも、確かに担ったという自負もある。

「あっぷる・こあ」のやまだの作品も他の皆さんの作品も、若さと「表現したい」という純粋な欲求に溢れ、眩しいくらいの輝きを失っていない。
むしろ今、さらに輝きを増しているようにも思えるのだ。
昨今漫画表現へのハードルは色々な意味で大きく下がったとはいえ、逆に、安直で、机にへばりつき、時間を忘れて打ち込んでいた「あの頃」の熱意のようなものが感じられるものは少ない。いや、あるけど、玉石混淆の石も等価で凄まじい数存在するので、玉になかなかたどり着けないというか。(そういう意味で編集者の存在、役割は大きくなっていると感じる)
自分の場合元々は漫画家志望の一少年だったので、今編集者としての目で見ても、やはりかつての「ガロ」や「COM」の才能たち、それも既存の表現の「枠」をどうぶち壊すかという「頭」ではなく、描きたいものを情熱のままぶつけたら、枠が壊れていた…とでも言うような勢い、エネルギー、情熱のようなものが違う気がする。
あの時代の作品をただうすらぼんやりと眺めて「古くさい」としか感じられない感性には何も反論しないしする気も起こらないが。
「ガロ」編集部に毎月送られてきた、そのほとんどは残念ながら自己満足や模倣の域を出ない投稿作品、それでも、その封筒の山から立ちのぼる熱気は確かに、熱いものがあった。
今は余計な情報も多すぎるし、何でも表層の知識だけはちょちょいと得られる時代なので、何というか、「小賢しい」才能はたくさん見る。
でも、我々理屈屋で理詰めであるはずの編集者ですら「…いい」「凄い!」しか出て来ないような衝撃は、昨今はめっきり少なくなった気がするんだなあ。ワシもトシじゃからのう。
…いや違う、これは決してトシのせいだけではないと、このたびの「あっぷる・こあ」を拝読させていただき、強く思ったことだ。
そんな事を考えさせられた。

「ガロ」や「COM」については色んな人が色んな思いを持ちそれぞれの体験や理解で、色んなことを言ったり書いたりしている。まあそれらはその人その人にとっての「ガロ」であり「COM」なので、それで良い。他人がどうこう言う問題じゃない。
でも漫画史とか漫画研究とかいうジャンルがあるんなら、「ガロ」休刊顛末すら誰一人として俺のところに話をちゃんと聞きに来ない、そして頓珍漢な想像とか誤解で総括をするのは、どうなんだろうかという思いがある。
でも、知っている人間が動かないと、やはり後の世代に伝わらないのだな。
ご送付いただいた「あっぷる・こあ」と、テーブルの上のやまだ紫の写真は、それを教えてくれたような気がする。

で、この入院中、自分が編集者になるきっかけや、ガロ編集部時代の話を長く話す機会があった。それはもちろん「俺の体験」であり「俺の視点」ではあるが、間違いなく嘘や作り事は交えていない。ま、俺記録魔だから昔の自分が嘘を許さないんだよな。
「ガロ」の顛末についても、あれから20年近く、俺は全く言ってきた事を変えていないし一貫してきたつもりだ。だって「そう」なんだからしょうがねえ。俺にとって、は。
話が逸れた。そろそろ目がしくしくするし肩と腰も痛い。ワシもトシよのう…

「あっぷる・こあ」は、送料込み400円を、切手あるいは郵便小為替にて発送をお申し込み下さい。
申込は発行人の中島隆さんにメールで…reissueapple@yahoo.co.jpまでどうぞ。

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コメント

No title

「ガロ」休刊顛末、今回のお話しされた結果はどこかに発表されるのでしょうか。
実は、白取さんの手で書かれることをずっと待ってたりします。

眼が良くなられたら、いつかぜひお願いします。

川添様

お尋ねの件ですが、
今回の話は呉ジンカン氏発行の「キッチュ」に掲載される予定です。ツイッターとかWEB検索で出ると思います。
ガロ休刊の顛末直後、自分は篠田さんの依頼にて月刊誌「創」に文章を寄せさせていただきましたが、18年経って、あの事件に対して言う事は何も変わってませんし、少しボリュームが…いやかなりボリュームが大きくなる予定という事でしょうか。
休刊事件後に片方が言いたい事だけを言う=それを本にまでしてしまうという「手際の良さ」に比べて自分は言ってきた事も変化なく知ってることも体験したことも変わるわけもなく、です。

とはいえ、いい加減頓珍漢な「総括」は大概にしとけよコラ、という思いは鬱積していたので、それはそれで「あくまで俺の言い分」は別の機会に大量に公開したいと思いますよ。
たぶん別なところから。
それまで生きてないといけませんね(笑)。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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