2015-12-24(Thu)

クリスマスに退院(仮出所)

2015年12月24日(木)

ゆうべは1時前くらいに寝たのに、今朝は早くに目が覚めた。
最近ちょいちょい寝坊して、朝食の配膳で起こされる…というのはさすがに恥ずかしいので、ロールカーテンを開ける。まだ夜は明けきらず、時計を見たら6時台だった。
ありゃりゃ、こりゃ年寄りしか起きてねえわと思うが俺もじゅうぶん年寄りなのであった。それも免疫的には銀杯貰えるレベルで。あ、もう銀杯貰えないんだっけ。

朝飯完食。
夜勤だったYさんがその前に起床確認に来て、今日整形外科で左腕を診てもらうという話をする。
入院前からちょいちょい痛みがあった左腕、肩というより上腕から肘、その下にかけての筋肉部分に、一定方向以上曲げたり負荷がかかると強い痛みが出る。それが入院時1とすると、もう6~7くらいになり、部屋着に袖を通すのもしんどくなってきた。
まあ職業がらしょうがねえな五十肩か、で済ませてきたのも、もう些細な事でも先生がたにはお伝えするようにしている。
歯が痛いとか、首に出来ものが出来たとか、とにかく言うだけは言う。報告はする。
勝手に自己診断したり、黙ってたり、我慢したりじゃ治療する側も情報が無いんじゃどうしようもない。
そういう「反省」もあって、このたびは些細な事もお伝えしている。
でこの左腕問題も、結局湿布などで改善されず酷くなってきているので、医師団の中のT先生が整形外科の外来受診を入れてくださったわけ。

Yさんは移転する新病棟では神経内科の方へ移動だそうで、3Fになるという。俺が年明けに再入院する形成外科は2Fだ。あ、ひょっとしたらこれで最後か、と思ったのは去った後だった。お世話になりました。
今いる病棟は形成外科、神経内科、皮膚科だが、新病棟はこのうち神経だけが3Fに別れ、かわりに救急が加わって2Fになるらしい。

11時半ころ、明青のおかあさんから電話があった。
連れ合いと一緒にしょっちゅう常連として伺っていた時から、一人になっても、毎年大晦日は常連さんに作る「感謝の折詰」をタダで(!!)下さる。俺なんかもう常連ですらないのにあまりに申し訳ないので、一人前のてっちりをお願いする。この一人前も実はご厚意なわけで(普通二人前からやろ…)情けないというか有り難いというか申し訳ない限りです。
でも毎年そうして、年を越してきた。
ちなみに去年の「感謝の折詰」はこちら。
ドン!
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今回は「まだ病院に居るんだったら、いつもの料理を届けてあげようかと思って」と言っていただく。お店からだと京大病院は近いから、ぐるっとお得意さん廻るついでに来て下さる…つもりだったのだ、なんということでしょう。
幸いというか何というか「明日いったん退院で4日再入院なんです、伺います」ということにする。「取りに来れるん?」というのでリハビリ兼ねてなので大丈夫ですと話す。
正月3日分の食い物は一人分だしその時高木町の生協でちゃちゃっと買えばいい。
明日から年末までは大人しく、なるべく入院時のリズムを守り、鬼門の28日の外来での放射線治療を乗り越え、年末は明青さんの折詰で年越しをする。…ちょっと一杯やって体調を整え(?)、4日に再入院という寸法だ。
つつがなく行けば良いが。

昼飯のあと歯を磨き終えて爺むさく茶をすすっていると、今回は本当によく話し相手にもなっていただき、お世話になった看護助手のNさんがきてくれて、左腕が痛いという話。何でもなければ良いが、何かあったら大変なので…と話していたら、ちょうどM先生が来て、その話になる。
「今日整形入ってますけど、外来が一通り終わった後になるでしょう」ということ。よく心得ております。
入れ替わりで、今度は耳鼻科に移った研修医のY先生が様子を見に来てくれ、「目の方はいい感じですね、新病棟に移ってもちょくちょく見に来ます」と言ってくれた。鼻を開いたところを縫合してくれた先生だ。ありがてえなあ。

その後はテレビカードが中途半端に残っていたので、使い切ってしまおうと「ひるおび」を見つつちょっとそこらを片付けた。
約3ヶ月弱か。今年は年初からインフルと脾臓への放射線治療で入院してるから、正味一年の4分の1以上を病院で過ごしたわけである。である、じゃねえって。異常だよこれ。
ほんまに大丈夫やろか俺。
荷物をまとめるといっても元々たいした荷物もないし、小物類は小箱に放り込むだけで、さらにそれを大袋に突っ込めば終了。本格的に荷造りするのは明日。何しろ明日の午後までは普通に入院患者だし。

外は綺麗に晴れて白い雲が薄青い空にゆっくり流れるというのどかな風景。気温もいつもより暖かいという。今年は暖冬か。

なんて思っていたら2時まえ、トイレから戻ったら携帯に着信ランプ、ユキの面倒を見ていただいているにゃほやまさんこと谷川さんからだった。
その時ちょうど助手のTさんと環境整備(身辺の清掃)で世間話をしながら、いつものようにテーブルやら手すりやらリモコンやら要するに日常よく触るところやものを拭いていた。
Tさんは「左腕も心配ですからね、今日整形でちゃんと診てもらってくださいね、なんともないといいですね」と言ってくださる。ほんまにいつも親身になっていろいろよくしていただいてありがたいです。
その後谷川さんに電話をかけ直そうと思った瞬間に再度着信、何とまさかの京大病院にいるというので、北病棟の410ですと伝える。

谷川さんは、京都市内にお一人で暮らしておられる「恩師」のところへ、ときどき身辺のお世話に来られている。今日は電車乗ったはいいけど、電話してもつながらないまま着いてしまったので、じゃあ白取さんのところお見舞いに寄ろうと思った、ということだった。
すんません、ユキちゃんの面倒ずっとみていただいているのにその上お見舞いに来ていただくとかもうね、いただいたポカリスエット的なスエットが出ますよ。
でもにゃほやまさんのことだから、もう俺明日退院で、年内最後なので顔を見に来てくれたのだろう。
ただ残念ながら今日はすぐ放射線治療に行かねばならず、さらにその後は時間の決まっていない整形外科の外来受診が入っていて、その間はシャワーに行けないので、夕飯前にシャワーも済ませないといけないという俺にしては「ハードスケジュール」の日。

谷川さんに「再建」された左目を見て貰うと、「いやもう全然わからへんよ、大丈夫大丈夫! 私もっとツギハギな感じになってると思ってましたよ」と励ましてくれる。
まあ、右半分と左半分で顔が変わったのは、何より本人が一番自覚している。でも慰めていただく、その気持ちが有り難い。
谷川さんはいつものポジティブな調子で、「大丈夫大丈夫」と何度も言い、逆に俺の方がいやでも完治したわけじゃないし的な事を言う、おかしな構図になってしまった。
左腕が痛いので今日整形受診するというと、「痛いの痛いの飛んでけーや、これでアッチの方でだれか『あれ肩急に痛なった何でや』言うたはりますよ」とか。
こういう明るさは見習わないとアカンなあ。
ほんま、ありがとうございます。

そうこうしてるうちにあっという間に2時半過ぎになってしまい、一緒に病棟を出て手術室前のエレベータで1階、谷川さんにお礼を言って見送り、そのまま地下の放治受付へ降りる。
いつも通り名前を告げ、数分待ち、看護婦さんに呼ばれ、麻酔を点眼され、世間話をし、3分後にもう一回点眼され、それからファイルを受け取って治療室前の受付に行く。ここで3時7~8分前くらいだっけか。
3時、NHKでピアノと体操が始まってちょっとして、脾臓の時からお世話になっている技師さんに呼ばれて第5照射室へ。
顔面マスクで台に固定され、左の眼球を保護する鉛の「コンタクト」は研修医の女医さんが何度か失敗しつつも最終的にはうまく入って、位置合わせ、照射、終了。左目の洗浄と点眼。

あとは受付にファイルを戻せば終わり…と思ったら、照射前のカンファレンスでお世話になった看護婦さんが「白取さん明日一回退院して、年内外来で一回来られますね」というので「はい」というと「じゃあちょっとその事で説明がありますので、待ってて下さいね」と言われテレビ前のベンチに座る。
間もなく看護婦さんが来て隣に座り、初回に貰った放治を受ける患者用の注意書きみたいなもの、入院患者用ではなく通院での外来患者用という紙を貰う。
「基本的に書いてある事は同じです」とちょっと苦笑しつつ言われるのだが、説明するのが決まりらしく、こちらもハイハイと聞く。
「無いと思いますが、何か土日に異常があった場合はこちらにね、電話して…いただいても休日なので誰も出ないので(笑)」というのでこっちも思わず笑ってしまった。救急外来にね、ということですねハイ。

んでお礼を言って受付にファイルを戻しに行くと「お疲れさまでした」とだけ言われたので、ああまだ整形の呼び出しは来てないか…と思ってそのまま病棟まで戻った。
やれやれ、どんだけこの廊下長いんだよまたここ往復か、と思いつつたどり着いた病棟の詰め所で、事務の助手さんに「戻りました」と報告。いつもの助手さんは電話を受けており、俺に「ちょっと待って」的なサインをする。
待っていると、詰め所の奥にいた術前ハイに付き合ってくれた看護婦のTちゃんが「白取さーん」と手を振ってくれたので手を振り返すと出て来て、「もう風邪治りましたよ」というので「良かったっすねえ」とか言ってたら、電話が終わり「…済みません、やっぱり整形外科お呼びの電話でした」というので脱力。
Tちゃんも「あらー」というので「何かね、そんな気がしてたんだよね…」と言いつつ踵を返し、今延々と歩いて来た南北に長~い廊下をまた外来棟まで戻る。こういうタイミングの悪さ、予感は当たるんだよな。

さて整形外科の外来は1階なのでエレベータで降り、そのまま受付に他科診察依頼票を出し、115の前で待てと言われて待つ。
待つ。時計もスマホも無いので解らないが体感で30分くらい待ったか、呼ばれて診察室へ。
N先生「どうされました」というので「これこれで」と左腕のことを話す。
先生が立って俺の左腕の可動域や痛みの発生する位置、角度などを数種類の運動で調べてくれたあと、
「基礎疾患が白血病なので、何か肉腫とか最悪骨転移なんかあったら心配ですし、このたびのメルケル細胞癌も免疫低下と関係あるようで、一ヶ月ちょっとで1cmくらい大きくなったので…」と話す。
先生はふんふんと聞いてくれて、俺が手術前に9月に一度PET-CTは撮っていますので…というと「ではそれを見ておきますので、これから肩のレントゲンを撮ってきて下さい。終わったら、またこちらに戻ってきて下さい」と依頼票を出してくれた。

診察室を出て、今度は同じ階のX線受付に行き、待合で待つ。
テレビはちょうど4時のニュースが始まったところだった。
数分待って4番に呼ばれ、若い技師にまず立位で左肩を斜めから撮影、次にベッド脇に座って撮影用の板の上に肘を乗せ、角度を丁寧に調整されつつ、2枚撮影。
いつもここでは胸部レントゲンをはい肩くっつけて、息吸って、止めて、はい終了…だったので、何だかもの凄く丁寧な感じがした。
合計3回撮影して貰い、お礼を言ってまた整形外科の外来受付に取って返し、レントゲン終わった旨告げて、診察室前の廊下の椅子に座る。
今回は割合すぐにマイクで呼ばれて入ると、N先生はPETも見たし今レントゲンの画像も見た、結果腫瘍的なものや骨に異常は見られないので…という所見。
…なので俺がまさかの「五十肩…でしょうか」というと「…そうですね」とちょっと苦笑気味の表情。
うう恥ずかしい。
何やこれ。

で、でも、入院生活が影響しているという事もあり得るそうだ。何言い訳してるの俺。
普段割合同じ姿勢を取る事が多い=仕事がら長時間、さらに病人なので基本運動はしない、今回は皮膚癌発生でそのまま入院し、やはりよけい動かなくなる、使わないから関節が硬くなる、動かすと痛いので動かさない、動かさないと固くなる…の悪循環みたいな事か。
とにかく「ちょっとずつ動かして、無理のない範囲でリハビリ的な事をして様子を見ていきましょう、もし酷くなるようなら外来で通院リハビリも考えて…」みたいな。うう…。
情けねえ。

でも、何もなくて良かった。
五十肩でなーんだワッハッハ、で済んで良かった。
いやほんまに谷川さんのお陰で痛いの…は飛んでかなかったけど、笑って済むことになりましたよ、ありがとうございます。

お礼を言って診察室出る時にドアに左腕をぶつけて「いてて」と言うと先生も思わずニコッと笑われ、とても恥ずかしい気持ちのまま廊下を足早に外来棟のエレベータに向かう。
ちょうど来たのでまっすぐ4階まで、病棟へたどり着くとさすがにくたびれてふらっとした。どんだけ足腰弱ってんだ俺。
詰め所に「戻りました」と挨拶して、部屋に戻って、この余勢を借りてじゃないと動けへんなと思い、風呂道具を持って浴室へ行く。
先客が一人入ってるようだったが、まあええかと思って脱ごうとしたら、何か靴がオバハンくさい。さらに棚の服も…まさかな、と思いいったん外に出て確認、札は間違いなく「男性」になっている。
たまたま通りかかった顔見知りの助手さんに「あの~、男湯ですよねえ」というと「そうですよ」というので「中に入っておられる方が女性ぽいんですけど」と告げる。
助手さんは脱衣所の靴をみて「あら本当」と言って、風呂場をノックして「失礼しまーす」と確認して貰うと、やはり女性が間違って入っていたらしい。
で何かしきりにその助手さんが「済みませんね、間違われてたみたいで」と謝るので、助手さんは何も悪くないのにと「いや大丈夫ですちょっと時間あけて出直します」と言ってふらふらと部屋に戻った。
結局シャワーはしばらく休んでから重い腰を上げて出直した。疲れた。

さて夕飯はチキンの照り焼きぽいものにマッシュポテトといんげん、にんじん。具沢山のミネストローネ。アスパラとカリフラワーのサラダ。それに小さいティラミスぽいケーキが一切れ付いた。
ああクリスマス、なのだな。イブか。
日本全国のカップルが発情しラブホテルが満室になるという不謹慎な日か。いや違いますね、不謹慎か。
そしてネットでブルネイ国王がクリスマスを祝う奴は禁固刑と言ったニュースをにやにやしつつ見る。国王が「リア充爆発しろ!」と叫んでる姿を想像するとおかしいが、もちろん単にイスラム教では関係ないから、という事。

その後7時ころ、E先生が部屋に来てくれたので、今日の整形の結果報告。
「…という顛末で面目ありません」というと「いえいえ、でも良かったですね」と笑われる。「小さい事でも気になる事は言ってください」とフォローされてしまった。
俺の病気の場合は免疫が低下しているために小さい事を見逃すと大変な事になりかねないうえ、今後は本当に再発と転移が怖い皮膚癌に脅えねばならん。
でも五十肩て…。とほほほ。

そんなこんなで、いったんではあるが明日は退院、つまり最後の夜である。

このたびの入院はほんまに長かった。
血液腫瘍という「がん」患者十年目にして、今度はメルケル細胞癌という「皮膚癌」を宣告された。左の瞼を腫瘍ごと失い、そして再建していただいた。
手術は3度に及び、とくに3度目は「大手術」だった。我ながらよく耐えたと思う。そしてそれ以上に、先生方や看護師さん助手さんたちスタッフさんにも感謝の気持ちしかない。
入退院や手術も回数覚えてないくらいの「慣れっこ」のはずでも、その都度その都度感じる痛みや辛さ、苦しみは慣れたら楽になるものではない。
それに体で感じるそうした苦痛のほか、もちろん精神的なダメージも大きいし、もともとが白血病という基礎疾患を抱えている身ゆえの不安定さがある。それは自覚している。
自覚しているから抑制をしようと心がける。心がけたからといって、じゃあ楽かと言えばそうではない。むしろ抑制してしまう事でそれが我慢となり、ストレスとなることもある。

とにかく、10月2日から明日クリスマスまで73日間82日間、俺はよく頑張ったと思うよ。
自分で自分を褒めたい。
お見舞いに来てくれた友人知人には本当に、心から感謝している。ありがとうございます、としか言えない。それはもちろん、メールや電話などで励ましてくれた方々も同じだ。
正直、今日もE先生と話していた事だが、今回の放射線照射を完遂すれば、一応一連の皮膚癌に関する治療フェーズは全て「終了」となる。
発現、受診、生検、癌確定、各種検査、切除手術、眼瞼再建手術、再発予防の放射線照射。
「これが終わって、はい健康に戻りました…ならいいんですけど、慢性白血病患者ですからねえ…」というと、E先生は
「今後はきちっと定期的に検査をして、再発や転移を早く見つけて対応するようにして行きましょう」と言ってくださった。

基礎疾患による易感染状態、ずっと続いてきた体調の低値安定と、大小の感染症による体調不良、入退院…。
これに今後は手術と放治で機能が落ちた左目のケアが毎日のルーティンに加わり、癌の転移や再発にも注意しなければならなくなった。
それでも、この十年、何とかするりするりと生死の境をふらふらと、彼岸へ転げ落ちることなくすり抜けて来た。

今日、谷川さんにも「こんな調子であと何年か、できれば5年とかまた10年くらい行けませんかね」と調子のいいことを言った。
まあ調子が良すぎると思うけれども、それでも、十年前は十年生きる事がとりあえずの目標だったわけで、達成したら皮膚癌になった。
この先の十年はかなりハードルが高そうだ、しかし諦めたらそこにあるのはリセットのきかない「死」そのもの。
諦めたくなるような事が正直続いてきた、でも、俺は諦めなかった。
今後も、些細な事でも「先生!」とウザがられても、諦めないで踏ん張ろうと思う。
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Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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