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2016-04-08(Fri)

とりあえずもろもろ取れました

2016年04月08日(金)
4日の手術は朝1じゃなくて2、9時前に手術室に入り、帰室は後で聞いたら夕方17時半ころだったそう。
手術の結果はもちろん、現時点では成功です。左耳の裏の腫瘍と、左耳下腺あたりの神経を巻き込んでいた腫瘍、さらに周辺部の怪しいものを郭清していただきました。
執刀いただいたK先生曰く
「目で確認できるものは全部取り切りましたからね」とのこと。
もちろんこちらは術後なので、麻酔が醒めて病室に戻った後は「生き地獄」の中。
先生が表情を「口すぼめて」「いーっと」「うーっとやって」という指示を下さり、こちらは痛い中なんとかそれをやる、先生は
「思ったより麻痺は少なかったみたいやね、あれだけ神経さわったわりに」と笑顔。
こちらも「丁寧にやっていただいてありがとうございました」とお伝えするのが精一杯。

あとは術後の無間地獄との戦い。
ひたすら、痛みと不自由、苦痛に耐えて耐えて耐え抜くだけ。
なぐさめてくれたり、身の回りの世話をしてくれる家族は誰もいない。
とにかくすさまじく過酷な状況。
白血病の上に悪性度の高い皮膚癌、それが半年後に転移。
自動的にステージはⅣ。
これはもう余命宣告に等しい。一年後、この世にいられたらそれが奇跡。
そういう中、ひたすら苦痛に耐え続ける時間が延々と過ぎていった。
それでも、この半年にこの「地獄」は4回目。
顔の手術なのに、ここまで全身が不具合になるもんかという驚きには、やはり慣れない。

術後は数日、血圧が異常に低く、さらに術前の採血で血小板数が低かったこともあり、かなり出血したそうだ。
そのために貧血が進み、低血圧とあいまって、体を起こすとふらふらする。
しかも傷は首筋にざっくりとあって、血抜きのドレーンが刺さってチューブとバッグにつながっている状態、もちろん抗生剤栄養剤の点滴もあった。
正直、クソしんどかった。
こんな思いをするくらいなら死んだ方がマシだと何度か思ったが、死んだことがないので、マシかどうかが解らない。
そんな事を比較に出すのはおかしな話で、とりあえず日にち薬で痛みは消える、それは経験で知っている。
そう思ってひたすら耐え難きを耐え続けた。
ただ健康な人が回復するのと違い、俺は基礎疾患に白血病があり、血球崩壊があって、免疫は低い、酸素足りない、血小板足りない、それとセットのうえに、またあの「顔面大手術」から半年だ。
えらいことです。
たぶんこれを見てくださっている方が想像する苦痛・辛さの想像斜め上を行ってるでしょう。いや解らんけどさ。

往生したのは、鼻の軟骨と粘膜を眼瞼再建の際に移植していただいたので、もともと鼻粘膜から出血傾向にあったこと。
家でも鼻をかむ度にうすピンク色の出血があったのが、鮮血がぼとぼとっと落ちる。首を動かそうと圧がかかると出る。もちろん激痛と共に。
んでその血が喉に下がって、血痰になる。それを数分おきに「自分で」出さないといけない。
ティッシュが凄い勢いで無くなり、脇のビニール袋が血や痰のついたティッシュを丸めたので一杯になる。すぐ。
これじゃアカンし面倒臭いし痛いしで、ベッド頭のボトルに吸入する吸引器をつけてもらい、痰を切って自分で痰をじゅごー、と管突っ込んで吸わせる。
これまた凄まじく嫌な行為ではあるが、顔を動かして痰切りをする苦痛より遙かにマシ。

あと麻酔から醒めたあと、2日ほどウトウトっとすると痰が喉に下がり、気道に入る寸前でビクッと覚醒する。人間の体凄い。
しかしこれでは寝られない。これがまたしんどかった。
眠いし寝たいのに、寝かかると痰で強制覚醒。吸引。
口の中の嫌なねばつき。
鉄の錆びたような血の臭い、すえた汗とか尿の臭い。
動かせない体、絶望的な癌の転移。
そして孤独。

本当に、「生き地獄」とはこの事を言うのだと思った。

手術から中3日、今日になってようやくあれこれが全部外れたものの、3日ほどは本当にしんどかった。
貧血は時に目眩だけじゃなく手足の悪寒や痺れ、微熱、あるいは酸素不足からか思い出そうとする事が思い出せない、さまざまな形で動けない自分にダメージを与えてきた。
結果まあ輸血は血小板と赤血球と2度受けたのだが、ここにきてのHGB値の急落とWBCの激減は意味が解らない。
ノイトロが500台まで下がり、「ありゃりゃこれもうちょいで積3から出るな状態やんか」と看護師さんに思わず言ったら「ほんまですね!」と笑われた。でもきっちりその後マスクと手袋を着用して皆入って来るようになった。
やばいなあ俺。

それでも、また今回も「助けられた」。
助けていただいた以上こっちも頑張って生きないとならない。
正直、ほんっとに糖尿のオッサンのインスリン注射器奪ってガーッと見えないところで一気に一本打ったろかと思った。
でもそんな事したら色々な人が悲しむし残念に思うだろうし。
それと一部「ざまあ」と喜ぶクソもおるやろし、それはそれで喜ばせるのがムカつくし。
生かされたのだから、生きねば。

で今日は、ちょうど医師団のK先生が来てくれている時、お見舞いに今はフリーになった編集者仲間の片山さんが来てくれた。
片山さんは持病で通院のため、たまたま今日来られており、寄っていただいたわけ。
そのタイミングでちょっとお待たせして、K先生と処置室へ。
片山さんとのお話についてはまたいずれ。

さてもう首のドレーンから出てくる体液と血もずいぶん減ったので、ドレーン抜きましょうと。
あの首に入っていた血抜きがヌルラリーンと抜かれる感覚は嫌な感じだったが、これで血抜きの管と溜めるバッグが外れた。
処置後部屋に戻って片山さんと会話、途中看護婦さんが来て、バイタル、点滴のルートも外してくれた。こっちはこっちでルートに入れられた、けっこう太いゲージのルート針を手の甲の静脈からヌランと抜かれる。
麻酔科の先生のルート確保の手際は見事で、「こんな太いのを躊躇いなくスッ!と一発で通しますからねえ」と言うと「採血のと同じくらい太いですかね、このゲージだと」と看護婦さんも同意。

とまあこれで点滴台ともお別れ、繋がっていた管、ルート、全て無くなった。
顔を見るとやはりまだ首から上が腫れたようになっている、左顔面。
ヒゲはぼうぼうに延びて頭は油ぽく、顔は左目がぎょろっとして口角が下がり、でたらめなデッサンになっている。
昨日から、点滴を外して貰うために頑張っておかゆさんを食うようにした。
顔面麻痺は、口をすぼめたり、きちんと咀嚼ができないレベル。ロレツが廻らない、まではいかないレベル。
麺がすすれない、ストローからうまく飲めない、汁物はうっかりすると左唇からぼとぼとっと垂れる、そんな感じ。
あと昨日くらいまでは嚥下するたびに喉がずきん!と痛んだ。まあ色々ほんまに酷かったですわ。
チンコカテーテルは手術翌朝に抜いて貰い、歩行訓練をし、処置室まで向かったが、まあこれも色々ほんまに酷かったですわ。ええ。
でもまた、生かされた。
今とりあえず生きているし、こうしてバラバラとPCを打ち込む事が出来ている。
ありがとう、三津子。

お見舞いのメールや励ましのメールを下さった皆さん、本当にありがとうございます。返信できず申し訳ないです。
でも察して下さいね。無理ですわ普通。はい。
そんなこんなの中、仕事がらみで手術前日になんか軽い問い合わせのメールが来てて、へーえ、こんなネット社会やというのに、

相手にものを頼む時に
「そういえばこの人病気やったな、ちょっとどんな案配かブログ見てみよか」、
くらいなこと
さえも
しない人がおるのか

という新鮮な驚きがありました。
まあ元々「お大事に」の一言もないという信じられない相手だったので今更ですが。
世の中色々ですね。
頑張らねえとなあ、クソ、という気持ちにはなりました。本当にありがとうございました。
バカにされても負けませんよ。
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コメント

それでも、とりあえず

こういう時の苦しみやご心境は、外野にはわかるはずがないことだと思います。想像してみようとすることさえおこがましいという気がします。
それでも、とりあえず、手術の成功をおよろこび申し上げます。

白取さまへ

やまだ紫先生、いや三津子さんも見守ってくれていると信じています。

少しでもお苦しみが和らぎますように。明日、地元の神社に行く予定があるので(お節介ですみません)お祈りしてきます。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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