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2016-06-27(Mon)

ラストスパート

2016年06月27日(月)
土日の小休止を経て、いよいよラスト3回となった放射線治療。
正直、2日以上あいても口内炎というか口の中、左側の傷と痛みは変わらなかった。これは治療が終わってもしばらくこういう状態が続くという事だ…。
相変わらず喉の奥がいがいがし、浸出液混じりの痰を出す。痰や口中の浸出液を吐き出す、と言ってもその動作=口をすぼめて口の中のものをペッと出す事そのものが、激痛を伴う苦行。ゆえにまずは最初の一回で痛みをこらえてできるだけ多くの液を吐き出し、すぐにキシロカインを含む。数分間、含んで麻酔が効いてきたら、本格的に口を塩を混ぜた蒸留水ですすぎ、痛みが薄いうちに喉もうがいをし、できるだけ喉の浸出液も吐き出す。

もう顔の左半分、目から下の照射部分が赤みを帯びて、頬から顎の部分は皮が剥けてきた。アズノール軟膏をすり込んで乾かないようにする。
数日前に気付いたが左襟足の髪が抜けてきている。左のもみあげも照射ラインから下は抜けて髭もないから、考えてみれば首の後ろからあててる部分も毛が抜けるのだ。
転移後の手術で神経が切れた左耳は感覚が薄く残っていたが、照射後は時折ずきんずきんと疼くような痛覚がある。表面だけではなくもちろん内部の細胞まで届くように放射線があたっているから、これは正常細胞もろとも癌細胞も殺している、その疼きだと思うようにする。
正直そういうイメージを持っていないとおかしくなる。

四六時中洗面台に行っては口の中に浸出してくるリンパ液のようなもの、血が時折混じるそれを吐き出し、痛み止めを含み、何度も口をすすぎ…を繰り返している。
その合間に何か出来るかというと、正直何も頭がまわらない。こういう記録も、口の痛みが治まっている時にばばーっとつけているくらい。
夜は眠剤を飲まないと寝られないのは以前からだが、正直ちょっとハイになる事がある。気持ちを安定させるという事は、落ち込んでいるものをアゲる、という事だ。
だから眠る直前にとんでもない事をしたりする。
スマホの普段やらなかったゲームに知らない間に課金していたり、翌朝アレッと思うような事をしていたりする。これは精神が壊れかけているのかな、と思った入院直前の状態に似ている。もっともあれはもっと異常で、何かに逃避することで精神が崩壊するのを回避していた自覚が「今」ならわかる。
その時は解らなかった。

今でもまあ個室に入ってなかったら大変だっただろうな。精神の安定どころじゃない。
幸い入院しているとナースや先生や清掃の人など、話し相手がいるので、社会的な孤立は避けられる。一人でどんどん鬱方面へ向かう事態には陥らないで済む。
一番やばかったのは、本当に、癌の転移が解ってから、手術、術後の顔面麻痺や抜歯による食事困難、痛み、精神的苦痛…で今回の放射線に入る前までが精神的にはギリギリだった。
前にも書いたが、本当におかしな事ばかりして、現実逃避をしていた。

「よく折れないですね、偉いと思います」とナースによく言われるけれども、危うく折れかけていたのを、この入院で何とか立て直した。
精神的な崩壊はぎりぎりで防げたので、肉体的な痛み…放射線障害による口内炎舌炎口唇炎口角炎、肌の糜爛、脱毛、喉の粘膜異常と痛み、それらに伴うさまざまな苦労…は、正直「何くそ癌の野郎に負けるか」と思うことで乗りきっている。

白血病と闘い続けながら、最愛の連れ合いを亡くし、病気がくすぶっていた状態から悪化、猫と暮らせなくなり、まさかの皮膚癌発症と手術、さらに再発…というこの流れで精神を平常に保つのは、さすがに強靱だと自負していた自分でも、「ああこれアカンかも」という瞬間が何度もあった。
でも、放射線治療も残りラスト3となって、今日でラスト2となった。
もちろん終わってもしばらくは障害は続く。放治の先生は「長いと一ヶ月くらいは…」と言われていたが、一ヶ月もペースト状のものしか食えず、かつ痛みが続くのは正直勘弁して欲しい。でも、これでとりあえず目前に迫っていた「死」をちょっと遠くに追いやる事が出来たわけで、なら、この障害に関しては「日にち薬」だと割り切れる。
割り切るつったって苦痛は苦痛だけれども。

よく病気の誰それちゃんを助けよう! 誰それさんを応援しよう! みたいな動きを見ることがあるが、そういう事を受けられずに日々こうして苦痛と闘い、「闘病」している人もたくさんいるんだよなあ。
放射線の治療を待つ間に、照射室の待合には、だいたい知った顔の人がいたり、俺みたいに長くない人は入れ替わったり、色々な人を見る。
たぶん頸部の癌だろうか、照射範囲の毛がごっそり脱落し、どっかの国の独裁者みたいになっている人もいる。若い女性の泣き声が聞こえて、照射室から嗚咽しながら、ナースに抱きかかえられるように出て来て車椅子で去って行った事もある。
みんな大変だ。苦痛、困難と闘っているのが「闘病」の現場。俺だけじゃあない。
俺の隣の個室は、今小学校低学年くらいの女の子が入院している。親御さんが毎日来ているが、泣き叫んだりする事もなく、手術の当日から元気で、翌日からはお姉ちゃんらしい子と走り回っている。こんな小さい子でも頑張っている。
そうかと思えば、シャワー室…大と小の2つの個室がある…で、小さい方で浴びていると、介助つきで浴びているらしいおっさんが「冷たいわ」「ちゃう! もっとこっちや」とか横柄に誰かに指図していたりする。
溜まらんな、ああいうの。本当に介護や看護の現場で働く人たちは偉いと思う。

色んな人を見て、現場にいて、他人から見れば「詰んだ」状態にある重病人であろう自分でも、「俺はちゃんとしよう」と思う。
自分で出来る事は自分でする、でも出来なければ助けて貰う。もう、出来ないんだからしょうがない。
だったら助けてくれる人に感謝し、ありがたいと思って助けて貰うしかない。

ユキの事も、今回は谷川さんが、近くにお住まいの「メグちゃん」ことNさんご一家に頼んでくださり、今は先住の犬猫と慣れ…つつある?…ようで、一安心。本当に感謝しかない。
Nさんのお嬢さんが特にユキを可愛がってくれていて、居場所も見つけたようだし、一安心。
写真も送っていただいた。
624yuki.jpg

もう精神的に自分が生き延びる事で一杯一杯なので、ユキには本当に申し訳ない事をしていると思う反面、それでもこうして良い人がちゃんと面倒をみて下さる事で、あったかく嬉しい気持ちになる。
桜風舎さんでも残念ながら先住猫ちゃんたちとうまくいかなかったとはいえ、一時期皆さんに面倒をみていただいたし、本当に自分以外の命に責任を持つという事が病人にはいかに大変かを思い知った。
猫と暮らす普通の日常、それが遠く眩しいものである今、「大丈夫ですよ、絶対また…」なんて言われると、お気持ちは有り難くもちろん受け取りつつも、反面いやいや、そういうのはもういいですからと思ってしまう自分がいる。
でも、俺も自分の様子をもし別人として1時間でも見ていたら、「お気の毒に…」と思いますよきっと。
それでもやる事やらねばならない事が残っているので、まだ死ねないんだなあ。

さらに退院したらたぶん、その後の方がしんどくなる。つまり「普通に生活する」という事のハードルがいかに高いかということ。健康な人には何でもない事が、難行苦行になる。
でもそれを諦めると、行き先は一つしかない。
そこにはまだ行けない。
明日、明後日で放射線治療は完遂。ゴールは近いが、苦難はまだまだ続く。
そして「闘病」に終わりはない。きっついなあもう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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