2016-07-13(Wed)

新たな不安?

2016年07月13日(水)

実はまだ入院中です。
放治終了から二週間、そろそろ障害もピークを越えたか…という状況。
数日前までがピークで、痛み止めを常に口に含み、吐き出し、ひっきりなしに浸出液を吐き出し、痛み止めが切れるとまた含み…を起きている間じゅう繰り返していた。
食べられるものはお粥さん程度の「そのまま嚥下できるもの」で、刺激や酸を使っていないもの。「潰瘍食(ペースト)」という指示になっている。
もう一ヶ月以上、三食、ゲル状のものをひたすら「生きるために」口に放り込んでいる。ペースト食になってからは全食、完食も続けている。食わねば、生きられない。

昨日は呼吸器内科の外来受診があり、胸部レントゲン撮影と受診、口腔外科での口腔ケアを受けた後、処置室へ向かってベナンバックスの吸入を受けた。
とはいえ、入院中だと病棟に「お呼び出し」が来るので、それから外来棟へ向かえば良い。これが通院だと、予約時間になっても押す事が多いので延々待たされたり…が常。病人にはけっこうしんどいのだ。

先週は月曜が血液内科受診、火曜が耳鼻科、水曜が口腔ケア、金曜が放射線科のがん診療…と受診ラッシュで、もし退院していたら週に4回行ったり来たりになっていたところ。しかもペーストしか食えず、四六時中痛み止めが欠かせず、数分後には口の中が浸出液で気持ち悪くなり、蒸留水に塩を混ぜたもので常に口をすすぐ…という状況。
こんなんでとても退院して生活が送れるわけもなく、栄養状態が悪化して、元の病気にも影響が出かねない…というのが入院継続の理由。
いやもうね、自分でもほんまに有り難いと思ってます。健康な人でもきっつい湿気と暑さの中何度も病院往復にならずに済んだし、何より一つ退院前に「新たな不安」がまた出来てしまったという事もある。

数日前から、左上瞼の目尻寄りに何か違和感を感じるようになった。

黙っていても「痛み」ほどではないが、じんじんと神経がそこにじんわり波動を感じるような。普通そんなの気にしないところだが、これが、去年の夏に「ものもらい=目ばちこ」じゃないか、と最初ほったらかしていた時の初期症状と全く同じだから、そりゃ気になる。

左瞼を失い、その後大きく全てがガタガタと悪い方向へ変わってしまったきっかけになった、何てことはない左の上瞼に出来た小さなしこり。そのよくよく見ないと判らない大きさだった「出来物」は、あっという間に線香花火くらいの大きさとなり、血内受診日にK先生に相談して皮膚科を紹介して貰った。
「念のため」生検してもらい、そうしたら凶悪な「メルケル細胞癌」が出た…という経緯がある。

昨日、夕飯後に主科である形成外科の主治医E先生とY先生が来られ、この左瞼の件はすでに報告してあったので、「明日午前中オペが無いので、切って検査に出しましょう」という事になった。
このまま放射線治療後の後遺症は治まっていくにしても、こっちの「新たな脅威」に関しては、悪いものならすぐ対応しなきゃならないし、そうでなければそれで良い。いずれにせよ後顧の憂い無く退院出来た方が良い。
そういうご判断で、今日の午前中に処置室で生検のために切ることになった。

E先生は「とにかく、心配なままでいるのがストレスになるし、それは一番良く無いことです。ちゃんと調べて、早め早めに対処しましょう、何でもなければそれでOKですし」とのこと。
うん、全くおっしゃる通り。有り難いことです。
普通こんなに丁寧かつ迅速に対応して貰えないと思う。今までの経験上。ヘタすると「ものもらいやろ」で済まされる場合もあるだろうし、このような事は「些細なこと」と考える先生もおられるだろう。

門外漢が生意気を言って申し訳ないが、そういう外科的に見てすぐ解る「大変なこと」に比べれば「些細なこと」でも、そこに拘るのが形成外科の「審美」に関わる部分でもあるのかな、と想像する。E先生は本当に色々な方面に気配り、心配りが細やかな方で、もちろん先生によっても違うのだろうけれど。
実際、E先生は学会に出られた際によく目上の先輩医師に「もっと綺麗に作れるだろう」とかよく突っ込まれるそうだ。こちらにすれば「ええ? こんなに綺麗なのに」と思わず言いたくなるような結果でも、先生がたにはそれはもう、それぞれに拘りがあるという。

前に、E先生と世間話をしていて、お互いに意外な共通項があると笑ったことがある。こんなバカと接点あるわけねえだろというツッコミはちょっと置いておいていただくとして、まあ先生はこういうお話にも付き合って下さるという話。
E先生からは、形成外科というのはけっこう他の科から、助っ人に頼まれて行くことがあると伺った。
それは耳鼻科だったり眼科だったり整形外科だったり乳腺外科だったりもういろいろで、例えば皮膚科でケロイド状になった皮膚を綺麗に移植してあげたり、他にも欠損した部位をそれらしく形成してあげたり、俺のように眼瞼を失った人を再建してあげたり、舌がんの人の舌をそれっぽく作ってあげるとか、もうその都度その都度違うので、セオリーがないという。
医学の現場というのは症例を参照したり、対応がプロトコル化されている事も多く、その症状を見てそれが「どの症例」なのかの判断が難しい現場でもある。そういう中で、形成外科の場合は割合クリエイティブな要素があるんじゃないでしょうか、と。
俺は出版や編集というある意味クリエイティブな現場で仕事をしてきて、ルーティン部分ももちろんあれど、毎回毎回「違う作品」「違う作家」を相手に仕事をしてきた。本造りのシステムは当然プロトコル化されているが、毎回こういう場合にはどういう作り方をしようか、個性を尊重し考え考え進めてきた。
そういう部分がなんとなく「同じようなものかも知れないですね」と。もちろん医学の現場の方が人の命や一生に関わることで、遙かに責任も大きく比較できる事ではないのだが、そういう共通項的な部分を見つけて、なんとなくお互い全然接点のない、でも「プロフェッショナル」な仕事に理解し合えるという事は、貴重な体験だった。

俺のような血液腫瘍が基礎疾患、その上で悪性度の高い皮膚癌を発症、さらにそれが転移…という状況なのに、今現在の「主科」が形成外科というのは、ある意味奇跡的であったと思う。何かあればハブ(hub)のようにあちこちの外来に廻していただけるし、本当に良かった。いやまだ何も解ってないけど。何もなきゃいいけど。

で今日は10時半ころ、いつも掃除に来てくれるFさんと世間話をしていたら、ドアが開きカーテンの向こうから元気の良いナースOさんの声で「白取さーん、呼ばれたよっ」と声がかかった。掃除はお任せして、マスクしてすぐ処置室へ向かう。
すでにE先生とY先生がおられ、挨拶してから指示通り右奥のベッドに横になる。枕は向こう向きだったので、左顔面の処置の都合上逆に、頭を手前に寝る。
E先生は俺の左手の椅子に座って、処置開始。まず左目の周囲をよく消毒し、局所麻酔。この局麻も最初ちくっとして、あとは薬が入って行く間、しばしの我慢。でも結構ゆっくり入れてくださったので、痛みはさほど無かった。何しろ繊細な場所だからなあ。
んでメスやあれこれの指示にY先生やOさんらがてきぱきと従って、持って来たり動いたりで、無事組織は取れてホルマリンに浸され、あとは縫合。
感覚はないが、皮膚の動きは伝わるので、丁寧にやっていただいているのがわかる。糸の端っこは抜糸の時用に少し伸ばして目尻側に貼って置いて、消毒と保護のテープを数カ所貼っていただき、無事終了。3針縫ったとのこと。
あとは病理の検査結果が一週間くらいで出るので、E先生は「何も無ければそれで良し、もし出たらすぐ切っちゃいましょう」と言って下さる。

去年の夏、左上瞼のド真ん中に不気味な線香花火の先端みたいな出来物が出来た時は、最初の皮膚科の外来で生検サンプルを採ろうという事になり、処置室へ行ったのだが、こんなに丁寧にやって貰えなかったなあ。

…あれは去年の9月1日。
血液内科の主治医K先生が紹介してくれた皮膚科外来を受診し、先生の診察を受け、生検のために切りますという事で処置室へ廻された。
そこで研修医か新人の医師を最初の先生が「検査するから切って」と部位などを指示して去って行った。残った若者数人がどう切ったら良いか、所在なげに座っている俺を囲んで討議を始めて、結局、先ほどの先生を呼びに言って、再度指示を受けながら行うことになった。
局麻を打たれて「そこ切って」「もうちょい」「そうそう」なんて感じで指示を受けつつ切られたっけ。
あの時は縫合も一針だったし、止血も不十分で、ガーゼが軽くあてがった状態をテープで貼られただけであった。素人ながら「こんなんで大丈夫なのか」と思ったら案の定、帰りのタクシーの中で出血したのを覚えている。いきなり鮮血が垂れてきたのであせってティッシュを探して抑えた。
そしてもちろん翌朝起きたら、眼窩に沿って内出血もしていた。
もし悪性腫瘍やったら間違いなくこれで血管に癌細胞が大量に散ったやろなあ、と嫌な想像をしたものです、ええ。
で結局その後メルケル細胞癌が出て、まずあれこれ検査というのでPET-CTなどの日程を入れて貰い、さらに別な検査…という間に腫瘍がどんどん大きくなっていく。それでこちらから「すぐ切ってください」とお願いし、形成外科に入院して左瞼ごと切った、というわけだ。
それが去年10月で、眼瞼再建手術と放射線照射を経て、転移が確定したのが今年の3月のPET-CTで集積~耳鼻咽喉科での生検だった。早め早めの対応…でも、ぎりぎり危ないところをすり抜けてきた感じである。

今日の形成外科では、あの一番最初の去年夏に最初に左瞼に何か出来た…という時より小さなものを、これだけ丁寧にやってくださるのだなあ、と戻って鏡を見て感心。同時に本当に有り難いことだと思う。

さてこれ、どう出るか。
何もでなければ、またするりと土俵際をスライドして残っている状況、か。
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何も出来ませんが、回復をお祈りし、信じております。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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