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2016-08-23(Tue)

術後一週間

2016年08月23日(火)
左眼瞼部に再発したメルケル細胞癌の腫瘍本体と周辺3cmマージンの皮膚、および眼球の摘出手術は、16日の午後に無事終えました。
帰室は夜の8時9時とかそういう世界だった、手術室に送ってくれた長日勤のBさんがあれこれと世話をしてくれたので有り難かった。
その夜は寝られなかった。
夜勤のHさんが「無事終わって良かったです」と言いつつ眠剤をくれたので、飲もうとしたら嘔吐してしまい、その力みで厳重に止血ガーゼとシートで固められた顔面からだばだばと出血して、ちょっと大騒ぎになった。
Hさんは後で「これは喀血だとしたら大変だし、患部からなのかちょっと判定しかねました」と言っていたし、俺自身も「なんだこの量」と思ったくらいだった。夜中に夜勤の看護師さんが何人も集まってきて口々に「白取さん」「大丈夫」と顔を見せてくれ、さすがに長い入院で知った顔ばかりなので安心した。
結局、鼻梁と頬との隙間から、嘔吐の際にイキんで下を向いた時に血が漏れ出したというわけ。
まあそれやこれやで、術後2日くらいはほぼほぼ「生き地獄…」と思わずつぶやいたほどだった。

左目がある状態でガーゼでフタをして右目だけでいる状態で「鳴らしていた」つもりが、本当に片目が無くなった後は感覚が全く違った。
たぶん右目は左脳、左目は右脳だっけか、とにかく視神経がクロスして脳につながり視覚野だかどっかが(ほんま適当ですんません)が対象物との距離などを認識したりするんだろう。それが片目が完全に無くなった事で混乱しているんじゃないか。
体のバランスを取るのさえ、ちょっと油断するとぐらりと頭が揺れて危ない。
去年の十月、眼瞼の腫瘍を切除、その後再建まで片目を塞いでいた時のフラフラ感とは格段に違う戸惑いがあった。

それでも、今回は術前に主治医で執刀医のE先生に、
「とにかく尿管(カテーテル)が術後痛くて痛くて。手術の患部の痛みよりあれが一番痛いくらいなんです」と話したら、
「わかりました、状況を見てなるべく早く取れるようにしておきましょう」と言ってくださり、帰室時は取れていた。
これが本当に、ほんっっっっとうに有り難かった。
チンコにぶっとい管が入ってると、痛くてちょっと姿勢を変えるだけでも激痛が走る。
もう体重が落ちて尻肉が痩せ、仙骨がベッドと触れていると痛くなってくる。体を適当に動かしていないと褥瘡になる。
しかしその体制を変えるとか、ちょっとティッシュを取るとか、そういう事全てが激痛を伴うのだ。
それが無いという事は自力で排尿をせなアカンという事になるわけだが、いろいろ他にもつながっているので、尿器(要するに尿瓶)にベッド上で自分でする事になる。でも激痛の中歩行するより遙かにマシ。
通常はもちろん自力で歩行できるのを確認してから抜くことになっているが、苦痛を訴えているんだから先に抜いてあげようというご判断。

今は患者の訴える「痛み」に、医療の側も積極的に緩和させる方向になっていて、むしろ我慢をさせることによるストレス、また苦痛で発生するホルモンなどの方が体に悪いということだそう。
昔は「痛いのは当たり前だからしばらく我慢しろ」「日にち薬だから辛抱しなさい」が当たり前だったので、隔世の感ありだ。その昔というのは、死んだ連れ合いがよく入退院を繰り返していた四半世紀以上前のこと。
本当にあの頃に比べたら、医療現場は大きく変わっていると思う。単に技術や薬の進歩だけじゃなく、緩和ケアやQOLという言葉も無かったわけだし。

とか思いつつとにかく一番しんどかった手術直後から翌日、翌々日くらいを凌ぎ、一日一度患部の止血ガーゼなどを交換し消毒して塞いでもらう「処置」を繰り返している。
手術翌日の処置は移動できなかったので病室で行われ、その際出血がまだあったので急遽E先生が麻酔無しでその場で一針こめかみあたりを縫われた。で追加でもう2針…というのでさすがに局麻をしてもらって、合計三針縫合されたりもした。

術後二日目、栄養剤の点滴があるとトイレ往復が重労働になるので、外すためには飯を食わねばならない。
しかし俺の場合は点滴が入ってると空腹感が感じられない。術前の最後の食事からまる三日絶食が続いていて、体重がすぐに1kg落ちた。
これはやばいというので、当直だった主任のSさんに「これが6割くらい食えれば外れるんですよね」と確認の上、顎を開閉するのも痛いなか、7割ほど夕飯を食った。Sさんは「すごいすごい」と喜んでくれ、とりあえず今晩はこれでストップにして、先生に聞いてみますと言ってくれた。
まあ結局は一食だけじゃダメで、翌日も栄養剤を入れられたが。
でも三日目からは毎食食べられるようになり、すぐに点滴が外れた。抗生剤も終了のタイミングだったのでルートも抜管で、すっきり。
何度も何度も経験しているが、体から色々な管やら器具が取れていって、回復していく。
患者に出来ることは食う、出す、寝る。出来れば体を動かす。治る、と思う。これしかない。
この三日目、術後はじめてPCで記録をつけようとしたら、すぐにだばだばと顔面から出血したので、慌てて閉じてナースコールをした。結果例の鼻梁と頬の「三角地帯」から血が漏れて来たので、そこへ当直のOさんがガーゼを突っ込んでテーピングしてくれた。

俺の左顔面、眼窩の周囲はどうなっているかというと、骨。
要するに頭蓋骨が露出している状態だ。
眼窩には当然あるべき眼球はない。腫瘍が浸潤はしていないようではあったが、念のため眼窩の骨の一部も腫瘍ごと切ったそう。今、取られた皮膚プラス骨膜プラス骨、眼球は病理検査にまわっている。検体が大きいので分析にも時間がかかるらしい。通常一週間程度で解るものが、十日から二週間くらいかかるそうだ。
その間この「骨露出」状態を、毎日ガーゼ交換と消毒と、がっちりガードをする状態で過ごす。
処置の際に頼めば顔面がどうなっているか見せてくれるだろうし、写真も撮られているのだろうが、ま、グロ画像見る趣味ないし。見ないでおこうと思っている。

この処置、なぜかここ二日ばかり痛みが酷くなり、ロキソニンでは効かなくなったのでボルタレン錠を追加して貰った。
昨日は午後に悪寒がして、検温したら38度台だった。ロキソニン飲んで布団にくるまって様子をみていたが、一時間後熱が上がっていたので、当番ナースのNさんに報告、急遽培養検査のために両腕から採血され、抗生剤の点滴になった。
これはもう何度か経験している検査。
ここから熱が普通に下がる場合もあるし、下がらず、しばらく苦しんで輸血になったりしたこともあった。
そして今まで、原因菌が特定できた事は、実は一度もない。それくらい「容疑者」の数が多すぎるわけ。本当、普通でいい、そこらを普通に歩いてるオッサンとか少年なんかの普通に強い免疫力、うらやましい。欲しい。
自分はここまで弱くなってしまったなあ、と実感する。
当たり前だよ、癌なんだもの。

おもえば一昨年から入院回数は中断含め7回。300日は超えたかな。全身麻酔の手術は去年からだけで5回。
そして生涯で癌宣告は転移再発入れて4回目だ。
俺もしぶといなあ。
とうとう片目を失ってしまったもんなあ。でも生きてるしなあ。

隻眼というとまあコスプレで鬼太郎や丹下段平がナチュラルに出来る利点があるなあ。(伊達政宗とは言わない謙虚さはある、ちなみに人生においてコスプレをした経験は、無いが)
入院中、手術前に仕事も兼ねて来てくれた千葉ちゃんにそんな軽口を叩いていたら
「ほんまですね、まだ目がある連中は甘いですよ!」というので笑ったっけ。

冗談はさておき、いろいろメールやコメント含め励ましをいただいてありがとうございます。
お返事はほぼ、できていません。顔からだばだば血が出ると困るもので。
あと左目だけだと、これがまた実に眼精疲労が早い。残った目は大事にしてやらなアカンと思いますし、済みませんです。
ゴールデンウィークが過ぎたあたりで入院し、葵祭が終わり、梅雨が過ぎ、祇園祭りが過ぎ、五山送り火も過ぎていった。諸行無常よのう。
休み休みとはいえ、調子に乗るとまただばだばと出血しそうなのでこの辺にしておきます。
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手術が無地に終わり、少しでもブログを書くところまで回復してらっしゃる。
安心しました。
どうぞゆっくり焦らずに。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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