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2016-08-30(Tue)

絶望的ながら絶望はせず

2016年08月30日(火)
夕飯を終えてまったりしていると、7時過ぎにE先生とY先生が来て、今日病理の方へ行かれたとのこと。
16日の手術で俺の顔面から取られたあれこれを検査にまわしていただき2週間、見解を聞いていただいたそう。

今回は腫瘍から3cmマージンという、けっこうな大きさを切除し、さらに骨や眼球まで取ったので、腫瘍そのものはそっくり取り切れたのは言うまでもない。で細胞レベルでは、周囲の皮膚にはもちろん無く、ただ、細いリンパ管の中には浸潤していたそうだ。
ああ、まあこれ普通にアウト、リンパ転移だと完全にステージⅣだもんな。
もちろんそれは耳の裏と耳下腺に一回転移していることからすでに明らかだった事だけど。
今回は原発部分を切除し眼瞼再建をし、放射線をあてたところに「再発」したということが問題だった。
なので安全を考え、腫瘍から30mmマージンというかなり「大きく」切除した…これは外科的にはかなり広い範囲だという。
「これくらいならほぼ大丈夫だろう」というのにじゅうぶんなマージン=余裕。しかも今回は下の骨や眼球も摘出しているから「今回再発した腫瘍」については、全て取り切れたと言っていいということ。
あと涙腺にも癌細胞が行ってたそうなので、眼球を取って良かったと言えるだろうと。温存して将来涙腺に再発し、結局摘出という事になりかねないところだった。

で、問題はリンパを通じて流れてしまった癌細胞だが、それが腫瘍化したのが春に耳鼻科で摘出・郭清した耳の裏と顎、耳下腺の二箇所への転移癌。
これらはもちろん今回のPETでも反応なく、今のところその先、他の部位にも集積は見られなかった。
つまりこの「首から上」にとどまっていてくれたなら、今回の摘出と、その前の左顔面と頸部への放射線でかなり敵にはダメージを与えたはず。その「生き残り」がしぶとくまたどこかへ腫瘍を形成するかも知れない。ただ、それは今の時点で、いつ、どこへ、かは全く誰にも予想できず、予防も出来ない。
一番可能性の高いのはやはり原発部分、左顔面だそうだ。
ここは眼窩と頬骨から下、鎖骨近くまで放射線はあてているので、もうこれ以上放射線治療はできない。皮膚も今回かなり多く取ったので、次に近いところへ出来ると「顔」が無くなってしまう。かといって、じゃあ抗がん剤を…と言っても、「メルケル細胞癌に効果のある薬」は残念ながらない。
それにベースの白血病が悪化した時に、一番弱い部類のジェムザールを、それも通常より少ない量で投与されたのに、血球減少が起きた。そういう事を考えると、「今、取り切れた」状態で「予防的に」抗がん剤を投与する事は考えにくい。

結論としては、今後については、この癌は足が速いので「三ヶ月」を一つの区切りとして、またPETなどの検査で早期に見つけていくしかない、と。見つかったらすぐに切れるところなら切ってしまうと。
見つからなければそれはそれでいい。
だがリンパに浸潤したなら、俺のような基礎疾患のある、しかも癌患者としては「若い」年齢の人間が、今後無事でいられる確率は恐ろしく低い。
いわゆる余命幾ばくもない、というやつだ。
それが何ヶ月なのか一年なのかは解らないが。
笑っちゃうね、いやはや。土俵際も土俵際、ほぼ「死に体」である。
とはいえさすがに4回も「癌です」と言われてきて、入院や手術も何度も何度も繰り返し、今もがっちりガードされた左の顔面、目の周辺は頭蓋骨が露出している状態だ。淡々としているようで、まともに考えたら笑ってる場合ではない。
ていうかいよいよ確実な死へのカウントダウン状態だ。

現状、痛み止めを毎食後飲んでいても鈍く痛みがあり、時折感覚のない頭頂部あたりにビキッと鋭い痛みが走ったりもする。
春に頸部郭清を受けた左顎から首にかけても感覚がない。イメージ敵には、コンクリート製でカッチンカッチンになっている感覚。もちろんちゃんと触ると軟らかいし、あくまで「感覚」がそうだということ。
そして今、左の顔面の感覚もない。口を開けると痛いので、二指くらいしか開けられない。
咀嚼運動をすると痛みが走るので、ペースト状のものか、軟らかいものをゆっくり噛むしかない。
完全に右目だけになったのだが、いまだにその片目だけの感覚に慣れない。
目も疲れるし脳も疲れる。体もついていけてない。
正直ほとほとこれほんまにアカンで、という状況なのは自覚している。

それでも、いやあまだ死ぬわけにいかねえから、と思っている。
絶望的な状況である事は重々承知しているが、しかしながら絶望はせず、といったところか。
やる事がたくさんあるし、死ぬなという人がいてくれるし、逆縁もしたくない。
患者に出来ることは決まっている、これまで何度も書いてきたように。
治ると思う、そして食って出して綺麗にしてなるべくストレスを排除する。
それでも死ぬときは死ぬ、病院ではそれが日常でもある。普通に会話していた人が数日後にお亡くなりに…なんて事が当たり前に繰り返されていく場所だ。

今日は歯科口腔外科に呼ばれて行ってきた。いつも親切にしてくれる歯科衛生士のHさんが経過をカルテで見て、さらに俺の状況を見て、そして話を聞いて「大変なことにならはって…」と同情してくれ、それでもちょっとだけ開けた口から懸命に器具を入れて口腔を綺麗にしてくれた。「痛いのによう頑張って磨いたはりますねえ」と褒めて貰えて、ちょっと嬉しかった。

帰室後、しばらくすると頼れる看護師のYさんが「北4のときの助手さんが来てはるけど今いい?」と来たので、もちろんと応えて助手のNさんとしばらく話した。北4時代の助手さんは全部今は南3病棟へ移ってしまったが、助手さんは院内を駆け回っているので、ちょいちょいお会いしていた。これこれこうなって、という事はお話していたが、その後手術どうだったか、たまたまこの階に届け物があったので寄ってくれたという。有り難い。
日中はいつもいろいろと話し相手になってくれるナースのSさんがシャンプーと体拭きをしてくれ、その時もまたいろいろ話した。
本当、色々な人に支えて貰い、助けて貰っていると実感する。
ユキを預かっていただいた谷川さんや、今可愛がってくれているメグちゃんさんにも、いつも感謝している。猫を手に抱いたときのあのずしりとしたあったかい感覚、ゴロゴロと喉を鳴らす震動が伝わってくる感じ、たまらなく愛おしい。
もう、少し前の自分が当たり前に出来ていたこと…猫と暮らすことはもちろん、麺類をすする、ばくばくとおにぎりを食う、普通に左側を向いて寝る、顔をじゃぶじゃぶ洗う、自転車に乗る、走る、色んなことが出来なくなってしまった。

正直死ぬより辛いこともあるかも知れねえな、と思うこともないわけではない。
でも死んだことがないから、解らない。
理詰めの人間なので、解らないという事が一番気持ちわるいし、怖い。

感情で動く人間をどこかで軽蔑し醒めた目で見て生きてきたが、どこかで羨ましくもある。
人に媚びて同情を誘い、自己正当化と共に溜飲を下げる。ストレスも開放されるだろう。
でもそういう生き方をして来なかった、出来なかったから俺はやまだ紫と一緒になったんだし、この仕事をやってこられたと思う。
もうちょっと小器用に、小賢しく立ち回って、むしろその都度感情を爆発させてきたらこんな病気にはならなかった…という保証もない。それにそんな奴、他ならぬ俺が一番嫌いな人種だ。
自分が嫌いな人間になりたいわけがない。

正直去年の10月から、入院している時間の方が長いわけで、ここの病棟でも俺が一番長い患者だと聞いた。
そういえば数日前からようやく車椅子ではなく一人で買い物にふらふらと手すり伝いに歩けるようになって、エレベータが地下一階で開いたとき、何となく自宅のエレベータホールのような感覚に陥った。いや自宅は今そんなものはないのだが、感覚的に病棟、病室に居る方が当たり前になっているのが解る。
これは自宅へ戻ったら戻ったでいろいろ大変だ。戻れるかどうか解らんが。

今露出している左の顔面部分、これを皮膚移植で塞ぐにしろ、その間に癌が再発したり近くに転移したりすると、またややこしい事になるので、ちょっと処置を続けてPETのタイミングをみるか、どうするかカンファレンスで相談するという事を伺った。
いずれにしてもまだしばらくは入院が続きそうではある。
そしてそれは全然苦痛でもなくむしろ安心、という感覚でいる自分がいる。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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