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2016-09-27(Tue)

蜂窩織炎、MRSA

2016年09月27日(火)
とりあえず今どういう状況かというと、まだもちろん入院中で毎日先日の手術後の「処置」を受けている。
手術とはもちろん、腫瘍ごと左の眼球を皮膚3cmマージンでごそっと切除したところに、左大腿部から皮膚と血管を移植、同時に術前に解った左鎖骨上部のリンパ節のしこりの摘出(※これは結果転移癌であった)、これらの術後の「処置」のこと。

手術の傷=術創は当然「日にち薬」で、日々痛みは薄れていく。ただ大腿部に関しては、移植先に持って行く血管が予想より筋肉の中にあったそうで、大腿部の筋肉を掘って…というか分け入って取ったそうで、皮膚を木の葉状に切り取ったあと、腿をぐっと寄せて縫合。その部分は、外側の傷より、むしろ体重がかかったときの内側の「肉離れの強いような状態」がしばらく続いて、歩くのもようやくだった。

しかしそれでも頑張って数日でなんとか歩けるようになり、飯を食うのも仕事だと思って毎回完食を続け、経過も良く、太股も抜糸され、血抜きのドレーンも取れ、そうして首から下のシャワーが許可になり、やれやれ…というところまで前回のブログでご報告した次第。

詳しく書くと13日に右大腿のドレーン…血抜きが抜けて、14日は経過良好という事で抜糸をされ、普通にベッド上でネットテレビを眺めたり食事をしたり、主に現実逃避をして過ごしていた。
この自分が置かれた状況を客観冷静に見れば見るほど「ああ長くないな」と解ってしまう。それだけに、それを認めたくないという気持ちがあった。今もある。

15日は病室に皮膚科の化学療法に詳しいE先生が来て下さった。無いと思っていたメルケル細胞癌の治療薬、いわゆる抗がん剤がいくつかあるという事、また分子標的薬も使えるということ、さらに腫瘍マーカーもちゃんとありますという事を伺った。
やはり専門の先生にきっちりお話を伺えて良かった。
土俵際もう後がないと思っていたら徳俵があった、という気持ち。

ただし、今現在俺の左顔面と、手術で同時に取った鎖骨上のリンパ節の腫脹、それらが「無い」状況下、抗がん剤を入れてもその効果を評価できない。細胞レベルで増えた減ったを調べるわけにもいかないので、とにかくPETでは見えない脳への転移が無いかだけ一度ちゃんと造影MRIで調べた方が良いでしょう、と。
それからいったん傷の回復を見つつ、もしその間に転移や再発が無ければ一度退院をして、画像診断を見つつあったらすぐ投与を考える…という方向で…というご見解。

退院、かあ。

正直もうこのまま出られないかもな、と何度も思った。
5月16日から入院してんだよな俺。
特に、放射線治療を終え、一番辛かった口腔内と喉の放射線障害に苦しんでいた最中に、まさかの左上眼瞼に癌が再発したときだ。
この速度で、しかも前回目に放射線をあてたところにかよ、と。
眼科の各種検査も虚しく左の「眼摘」が決まり、その手術を待っている間に、鎖骨の上にしこりを発見したとき。
え、また転移? この速さで?と。
このしこりは今回の手術で取っていただいたが、病理検査からの結果はやはり、悪い予想通り転移癌が出た。

人生、5度目の癌宣告であった。

それやこれやで、ああこのまんま癌とのいたちごっこの末疲弊して死んでいくのかなあ、と漠然と思った。いや思うでしょ普通。
病室は日中は蛍光灯色に近い色で、夕方から徐々に暖色に変わり、夜十時になると消灯で自動で照明が落ちる。もちろん枕元の読書灯やその他処置灯もあるが、これは患者を自然な起床睡眠のサイクルに体を向けていく配慮なので、なるべくこのサイクルに従うことにしている。夜更かしなどはせず。
そういう薄暗くなった部屋の中、自分の手を見ると、これまた痩せて色も悪い、まさしく「アカン人の手や」と思った。客観視すればするほど、「これはもうダメやね」としか思えない。
そんな中、病室で一人「治る!」「生きる!」と声に出した。
咳しても一人、虚しく響くそれは誰に聞かれるでもなく聞き届けられることもなく消えるのみ。
家族がいない孤独な闘病というものは、自分で言うのも何だが、かなりの精神力を必要とする。しかもベース~基礎疾患に白血病があっての、凶悪な皮膚癌とのいたちごっこだ。諦めたところは確実に「死」。
不安や恐怖が無い方がどうかしているが、それを慰めてくれる連れあいはもう居ない。たった一人、日々起こるさまざまな事に立ち向かっていくしかない。今、現在も。

闘病をこうして記録し公開している人は有名人含め市井の一般の方までたくさんおられるが、ご家族のおられる方は正直本当に羨ましいと思う。
家のことや面倒くさい役所関係の事、公共料金などの些末なこと、洗濯や買い物など身の回りの世話はもちろん、ちょっとした些細な頼み事をやって貰える事が助かるし、何より、「話し相手が居る」という事だけで患者の気持ちはじゅうぶん和らぐ。
逆に言えば、それらが一切ない、しかも白血病患者の上にステージ4の悪性皮膚癌…という俺は、まあ、今だに気が狂ってないだけ立派だと自分で思っている。
看護師さんたちはそういう事も慮ってくださってか、よく気づく人は話し相手になってくれるが、忙しいので大抵は他の患者からのピッチへのコールで足早に立ち去っていく。
「叫びたい時は叫んでもいいんですよ」「もっと白取さんは甘えてもいいと思います」と言ってくれる人もいる。でも叫ぶおっさんやじいさんは現実にいるが、病棟では単に迷惑な存在でしかない事を知っている。
歯を食いしばれば出来る事を簡単にナースを呼びつけてさせる患者も多い。そういう事が軽々に出来ないから、辛いという事も自覚している。
でもそんなのホイホイやれるような人間なら、こんな病気になってないと思う。

結局このしつこい癌は、リンパに乗ってしまった以上撲滅は俺の体の状態では無理だ。どこかで腫瘍を形成したら早く見つけて切る、あるいは分子標的薬で叩く。そうやっていくしかないようだ。
薬にはもちろん副作用もあるし、ベース(基礎疾患=白血病)のある自分にはリスクが多すぎるが、座して死を待つのは愚かだと思う。辛い治療が嫌だから穏やかに死にたいという人の気持ちは痛いほど解る、それこそこれまで凄まじい苦痛を体験してきたから。
だからこそ、闘うしかあるまい。

とはいえ、今患者である俺に出来る戦いは、とにかく食って出して清潔に心がけ、心を安寧に保つこと、寝ること、それくらいしかない。
心の安寧といえば、手術翌日、つまり動けず痛みと術後鬱の中、スマホに実家から何度か立て続けに着信があった。
てっきりお見舞いの電話かと思ってスルーしていた、というより電話に出ることすら不可能だった。
それでも夜になって、ほったらかしておくのも親不孝か、ただでさえこんな状況は親不孝なんだから、せめて電話くらいして安心させてやろうとかけ直したら、用件は入院費の未払いで督促が保証人になっている実家に行ったとか。
心の安寧どころか逆に気持ちがどん底まで墜ちた。
本当に、生きてても良い事がねえやと思った。

もともと頸部郭清手術後の放射線治療で6月一杯、その後遺症が酷かったので、7月いっぱいの入院くらいかと思っていたのだ、こっちだって。
それが5月中旬からまさかの再発、転移だ眼球摘出だ皮膚移植だと、こんなに長くなるなんて思っていなかった。
もっとも思ってたら100万200万ぽんと用意できるかと言えばそれはそれで無理なんだけど。

そんなこんなで見ている人から見たら色々な意味で「終わっている」俺ではありましょうが、それでも頑張って出されるペースト食はとにかく放り込み、体重も一時期58kgまで落ちたのを61kgまで戻した。
ナニクソ、死んでたまるかという気持ちだけだ。

また、「仕事」がしたい。
まだ、「仕事」がしたい。

ところがまた厄介事が起きた。
順調に回復して抜糸したあと、病室戻って数時間、何か右足の付け根が痛いなと思ってズボンを下げて見たら、包帯がずれており、ガーゼがぺろりとめくれていた。ガーゼは汚染されていて、つまりは「傷」が剥き出し状態にあったということ。慌ててガーゼを被せて包帯をズリ上げたが、それでいいわけがない。
よたよたとつたい歩きで処置室へ行き、当直の看護師Oさんにガーゼを交換してテープでしっかり貼り直して貰い、伸縮包帯を2本使ってきっちり膝上から鼠径まで巻いて、さらにずれないようにテープで縦に止めてもらった。

しかし18日にはもう激痛で歩けなくなった。
朝起きたらもうベッド上で右足を持ち上げるのさえ痛くてできなくなっていた。
手術直後の痛みが10とすれば、11だ。これは酷い。いっときはつかまり歩きが出来るレベル、7くらいまで下がったというのにどうした事だ…。
トイレの行き帰りも重労働で、まずは体勢をベッドから下りる状態に変えるのが一苦労。そしてサンダルを履くのが一苦労。履いたら立ち上がるのが大変。
そして、そこから左足を一歩進め、右足は力を入れると激痛が走るので、両腕で丸太ん棒でも持つように「自分の右足」を持って前に進める。それを交互に繰り返してトイレへたどり着く。
戻って来たら今度はベッド脇からベッド上へ自力で引き揚げることすら激痛で、両手で自分の右足をモノのように持ち上げないとダメなくらい。

尻の方も腫れてきたし、処置の際に先生が「もうこれは蜂窩織炎ですね」ということで、19日にまた点滴ルートを開けられ、抗生物質一日二回の投与になった。
その後エコーで調べていただいたら、どうも皮下に血腫か液だまりがあるかも、と。で当直の先生が針刺して引いてくれたが、激痛だけで何も出ず。ていうか局麻くらいして欲しかったが…。

それを受けて翌日、「無痛」にこだわるA先生が、エコーで血腫というか膿溜まりの部分を特定してマーキングし、丁寧かつ慎重に「痛い? 大丈夫ですか」とこちらの反応を見つつ局麻を打ってから、針で膿を引いてくれた。
その時は5cc程度だったか、たいした量ではなかったが、すぐ培養検査に出し、結果23日にはMRSAと解った。
多剤耐性菌なので急遽薬剤がバンコマイシンに変更となり、翌日の処置はA先生率いる女医軍団が4人、エコーマシンをまた持って来てくれた。

エコーで診て貰うと、皮下の炎症は前回濃く映っていた血膿の層みたいなものがあって、中でも一番痛いところは薄く映っているが押すと変形し、これは固まっていた血腫が溶けたものじゃないか、ということ。画像もリアルタイムで見せていただいた。
これは前回の層よりも大きいので、一回切開して洗う、それを何度か繰り返した方がいいかも知れない、と。M用の点滴を入れても、この血腫部分には血管から薬が届かないから、取るなり洗うなりしてからの方が効きもいいという。
俺が女医さんたちの顔を見回しつつ「えーと切るより針で引いていただく方が…」と頭をかくと、A先生は察してくれて「そうですよね、ちょっと待ってくださいね」と言って主治医のE先生の番号を若い女医さんに聞いて電話して、
「じゃあ麻酔して引いてみて、もし土日急激にまた溜まったり腫れたりするようなら切って洗うことにしましょうか」という事になった。

何で切って洗う…という処置を嫌がったかと言うとこれ、何年か前に金玉の裏に感染症で膿瘍が出来た時に、皮膚科で切開して膿を出して洗い、消毒し、そこは縫合せずにガーゼで保護し、洗浄と消毒を毎日繰り返す…という処置を受けた事があるからだ。
あれは処置のたんびに患部を生食で流し、消毒棒でぐりぐり洗うというとんでもない激痛を伴うので、歴戦の勇者たるさすがの俺様も(笑)、局麻で注射針で血膿を抜かれる方が遙かにましだと判断。いや大概の痛いことに耐えて来たし、今も猛烈に痛いんですが。

さっそく用意が調えられ、いつものようにA先生が局麻を丁寧かつ慎重に打ってくれて、血膿を注射針で吸い出してくれた。なんと今回はシリンダー2本とちょっと、つまり30ccほどの量が引けた。
「でもやっぱり色は前より若干薄いので、やっぱり血腫が溶けたんでしょうね」とのこと。
3本目を引くあたりで男性のM先生も来て、最後圧迫ガーゼを貼ってくれた。あとは包帯巻いて終了。

「あとは夜から始まるM用の薬が効いてくれば痛みも引いてくるでしょう」ということで一安心。
その後看護師の方のMさんが来てくれ、「MRSAが出たので感染者という事になり、退院まで白取さんは専用の血圧計酸素計体温計を使って貰うのと、ドアに入室者は感染対策をするシートを貼らせてもらいます、あと入口に室内で使用したマスクや手袋を捨てる専用のゴミ箱を置かせて貰います」ということ。

感染を恐れていた俺が感染源になっちゃったなあ。
やれやれ、と話すと「でもMは入院長くなって、白取さんみたいに免疫の落ちてる方はちょっと避けにくい部分もありますから…」と慰めてくれる。他の患者さんに移すとアレだね、というと「病棟には他にも数人おられますし、白取さんは(元々易感染ゆえ)個室ですし…」と。まああんまりふらふらするなとい事だろう。
ていうか痛くて歩けないんだから、ふらふらも出来ないが。

そんなこんなでしばらくおとなしくしていた。
世間では秋のシルバーウィークとやらがあったそうだが、まったく関係なかった。それどころではなかった。
とにかく看護師さんや先生がたや助手さん清掃員さんも含めて、ほんとうによくして下さるので、何とか気持ちをぎりぎり持たせていられる。

あと業界では後輩にあたる呉君が何度か見舞いに来てくれた。
一度はジャーナリストとしてご活躍中のOさんが上洛され、ご紹介いただき、あまり世代が違わなかったことが解って話が弾んだ。
有り難かった。
一人になると、ダウナー系にどうしても気持ちが傾く。
というよりも、普通に冷静客観的に自分のおかれた状況を考えたら、ああ絶望的だこりゃ、という結論に至る。
たぶん、普通の常識を持った人なら誰でも。

2005年白血病、奥歯など8本抜歯。幸い無治療で様子見、以後免疫低下。
2009年連れ合いを失った。
ストレスと疲労からさまざまな感染症などを経て落ち着いたと思ったが、
2013年にこれまた無理をして仕事をし過ぎて、動かなかった病気がとうとう悪化。
輸血頻回となり感染症を繰り返し、
2015年、インフルエンザ感染入院を機会に巨碑に放射線照射。
これが劇的に奏功。機能亢進がおさまり、脾臓が縮小、溶血傾向も止まった。
…と思ったら夏に左上眼瞼にメルケル細胞癌発症。
上眼瞼切除、再建手術2回を経て、左目に放射線照射。
2016年1月いっぱいで退院、やれやれと思ったら3月、左耳裏と顎…耳下腺部にメルケル細胞癌転移。
転移癌の摘出とリンパ郭清手術。軽度顔面麻痺(口角)。
放射線治療のため歯を四本抜歯。咀嚼困難。
5月放射線治療開始、6月末で終了、追いかけて放射線障害が襲ってきてピークを迎えたあたりで、
7月にまさかの上眼瞼にメルケル細胞癌再発。
いろいろ可能性を調べたが結局、8月16日に左眼球と、腫瘍周囲マージン3cmと大きく皮膚を切除。
その後病理検査で、リンパより癌細胞が出た。
9月8日、右大腿部の皮膚と血管を、切除された左眼球のあった部分へ移植手術。ついでに左鎖骨のしこりも摘出。
左鎖骨のしこりからメルケル細胞癌の転移癌が出る。
術後、右大腿部蜂窩織炎、MRSA感染とわかる。

そうこうしていると左頸部にまたリンパ節のしこり発見した。
9月28日に脳に転移が無いかと、急遽頸部のしこりも見るため頭頸部造影MRI検査予定。

…これを淡々と挙げているが、もちろんそれぞれに肉体的にも精神的にも大きな苦痛とダメージを負っている、当たり前だ。
でも治りたいと思うし、ここは治そうと思う人たちとの共同作業の場所だ。一人、病室で毎晩悩みの種である金策や、自分が死んだ後のあれこれ始末などを考えるが、それらを整えたら本当に死にそうなので、最後の最後のことを詰められずにいる。
まあ、今現在ストレスになり悩みの種になっている事はお金で解決するので、いざとなれば借金をし、それを返す事をモチベーションにすればいいや、とか。死んじゃえば生命保険金があるのでそれで返せるし…と考えが行きがちなので、まず生きる事を前提に考えないと、やばい。

先日の処置で、当番医の先生が足の方を見て「あらら、穴が完全に空いてますね」と言いつつ腿を両側から押すと、「膿が出ますわ」と言って吸水シートを指示し、「けっこう出ますねこれ」というので痛みを堪えつつ「A先生に引いていただいた時は30ccくらい取れたと伺ったんですが…」というと「今もそれと同じくらい出てますよ」とびっくりされる。
でこの膿はむしろ出た方が良いので、一段落したところで圧迫はせずにガーゼを貼り、普通の包帯を巻く感じで処置された。

で昨日の朝の処置はエコーでまた診て貰い、だいぶ血腫みたいなものは落ち着いて来たということ。でとりあえず押してみて出た量も少ないので、生食で洗い、消毒してガーゼと包帯。これでしばらく様子を見ましょう、と。この消毒が一番痛かった。
あと足の前に左顔面を剥がしてそこの洗って貰うのだが、これも骨に定着していない箇所が内側で空洞のようになっており、そこに生食を流し込むと別なところから出てくる。これもまた痛い。

昨日はこの処置の前、朝食前採血があり試験管4本、血内の主治医K先生の受診日だったが、結局外来終了後に部屋に往診していただいた。白血病の方は低値安定で相変わらず大きい動きはないし、炎症も治まりつつあるので、バンコマイシンが効いているのでしょうと。
せっかく術後順調に回復していた右足だったが、蜂窩織炎、まさかのMRSA感染で血膿やら激痛やらと、やれやれうまくいかないもんだ。

今日は2時過ぎに車椅子を助手さんに押してもらい、まずは口腔外科で口腔内のチェックをして貰い、口腔ケアの後、助手さんにまた来て貰って胸部レントゲンを撮り、呼吸器内科I先生の受診、ベナンバックス吸入があった。
明日は脳に転移が無いかと、首に新たに出来たリンパ節のしこりを見るために頭頸部の造影MRIがある。
それを受けて、あらためて皮膚科のE先生の診察が明後日。
耳の裏から顎にかけての、耳下腺への転移は摘出とリンパ郭清をしたが、その後放射線もあてた、その範囲内にまたしこりが見つかった。
これは恐ろしい。
とりあえずそれがどういうものかはともかく、皮膚科としてはPETでは解らない脳への転移がないか調べ、首の方と絡めて分子標的薬の治療をどうするか、などを相談してくれると思う。

いずれにしても死ぬまで長い戦いがまだまだ続きそうだ。
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読んでいます。
読んでいますよ!

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生きて
生きやりましょう!



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がん治療

壮絶という言葉では追い付かない苦難の中におられる事と、お察し申し上げます。

小生の身内も(白取様ほどではありませんが)ある癌と闘病中なので、お気持ち痛いほど解ります。
身内には家族も、小生のような親類もおりますが、もしそれが居なかったらと想像しただけで辛いです。
お一人での闘病、さぞかし強靱な精神力をお持ちと尊敬いたします。

そしておっしゃるように「医療はお金」でもありますね。
百回お見舞いの言葉を言われるより、お見舞い金を百円でも貰える方が嬉しい、
ぶっちゃけみみっちい話ですが、これは隣のお年寄りが言っていた本音です。
実際そんなものです…。

クラウドファンディングで治療費カンパとか出来ないかとか、色々考えています。
一時期、読者で楽しませて貰っただけの者としては僭越で差し出がましいかとは思いますが、
何かぽんぽんケタの違うお金を海外にばらまく富豪もいれば、生きるために必死でお金を掻き集めて
それでもまだ足りずに絶望している人もいます。
何とかならないものでしょうか…。

医は算術ですものね。
自分を治す、「治療」と「闘病」だけに専念できるよう、お祈りするしか出来ませんが、ご無事で改善されますよう。

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誰かと話すと楽になるのであれば。

お見舞いくらいならなんぼでも、いきますよ。

ガロの時代のことたくさん話して下さいよ。

ガロマニアの友達もつれていきますから。

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本当にささやかなことしかできない自分がもどかしいですが、ご容態の改善をお祈り致しております。

海の向こうから何もできないもどかしさ感じながらもブログ読み毎日祈ってます。
いままでも発揮してきた底知れぬ生命力を信じてます!

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市立小樽文学館の
編集長・長井勝一没後20年「ガロと北海道のマンガ家たち展」に行きました。
来場者が「ガロ」を手に取ってみることができ、懐かしい思いに浸っていました。
その昔は白取さんのことを知りませんでしたが、良いお仕事をされていると思います。
ブログを拝見しています。
無理をせず、いつまでも更新してください。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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