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2016-10-12(Wed)

化学療法に向け皮膚科に転科

2016年10月12日(水)
このところ、左顔面が放射線による皮膚障害らしく、下半分が赤くなり、腫れて引き攣ったような痛みと、ボコボコと出来物が出来ている。

8月16日に腫瘍とその周辺の皮膚及び眼球摘出をして、切り取ったり摘出されたモノの病理検査の間は洗浄と消毒などの処置を毎日して貰い、検査結果は既報の通り「黒」であった。切除された皮膚からは癌細胞は出なかったが、リンパ節からは出たと。
でリンパに行っちゃったものはもう止めようがないのと、切除範囲内に癌細胞が無かったという事はこれ以上のマージンをさらに切り取る必要も無いという事。
それで骨が剥き出しだった左顔面は塞ぎましょうという事で、9月に入って顔面には右大腿部の皮膚と血管を移植して塞いだ。

もともとこの左の顔は、去年10月、最初に左瞼に腫瘍が出来て瞼ごと切除手術をし、眼瞼再建のための下瞼と上瞼を繋げる手術を経て、上眼瞼再建のための「顔面大工事」が行われた。
形成外科のE先生率いるチームの素晴らしい技術で、ちゃんと開閉の出来る上眼瞼を再建していただき、下瞼は鼻を開けて軟骨と粘膜を移植して顔の皮膚を大きく切って剥がして寄せて、くっつけて再建された。
眼瞼部には再発防止の放射線もあてたのに、照射範囲外の耳の裏と顎部耳下腺の2箇所に癌が転移した。その転移の腫瘍摘出と、頸部リンパ郭清をしたため、首の左側はひきつれたようなままで、そろそろ半年経とうかという今でもまだ自由に素早く動かす事が出来ない。
ここにも手術後に「がっつり」66グレイも放射線をあてたのだが、その後遺症からの立ち直りの途中でよりによって左の眼瞼に「再発」した。各種検査の末、眼球ごと取るしかないという結論で、8月16日の手術になったわけ。

で、右大腿部の創部はMRSA感染などもあって一時腫れるわ膿が出るわで処置のたびに激痛で悲鳴をあげていた。とにかくこの癌は凶悪でしかもしぶとい。
これは外科的な治療はいたちごっこ的になりつつあるし、放射線はもうあてられない場所にすら転移した。
化学療法しかありませんね、という事になった。
もともとメルケル細胞癌は世界でも学会への症例報告が少なく、ここ数年あまり有効な薬も無いというような記載があったので諦めていた部分もあったのだが、E先生が皮膚科のE先生に相談して下さり、一度部屋に往診に来ていただいた。

E先生のお話によると、今は肺の小細胞癌に使う薬が比較的メルケル細胞癌にも効くという事が解っているのでそれが使えるという事、あとは分子標的薬があるのでそれも使えそうだという事、さらに例のオプジーボ(ニボルマブ)は抗PD-1抗体薬だが、同じような仕組みで逆側(癌細胞と免疫細胞の戦いの構図で言うと)をブロックするPD-L1抗体薬が、今日本でも治験段階だそう。
という事で、化学療法=ケモに入るにあたって、やはり懸念材料になるのは俺の場合ベースつまり基礎疾患である白血病。抗がん剤などは副作用として色々ある中、やはり血球減少による免疫抑制が大きいものの一つとして挙げられる。
俺の場合入れる前にすでに白血球数が1500前後と少なく、こういう状態だと慎重にならざるを得ないので、まずは経口であまり副作用の大きく出ないものを、量も考えつつ使用していけないか、血内のK先生ともご相談して、決めて行きたいというお話だった。

それにしてもまずは脳に腫瘍がないか…これはPET-CTでは解らないので、造影MRIで検査をしておいた方が良いということになり、先月28日に検査を受けてきた。
結果、幸いな事に脳内に腫瘍は出来ておらず、ホッと一息。

PET-CTはご存知のように癌のような活発な細胞は糖分を栄養としてがんがん取り込むので、絶食して放射性物質を注射して集積した部分に腫瘍を疑う診断なわけだが、当然ながら絶食しようが安静にしてようが、「脳」が活動を停止することはない。ゆえに、PETの画像でも脳は反応として出てしまう。
だから脳内に腫瘍があるかどうかは、別に調べないといけないというわけ。

さらに29日、鎖骨上に出来て日増しにしこりが大きくなっていたリンパ節は、手術室で局所麻酔で摘出して貰った。
顔には覆いがかけられていたが、生々しいやり取りや患部をいじられる感覚は、2005年、白血病確定診断の時に肩のリンパ節を取った時のことを思い出したっけ。(結果、この献体からも転移癌が出た)

とりあえず、脳はとりあえず無事、首から下はPET-CTで転移などが無い事は判っている。
今、このクソいまいましいメルケルさん(首相ではない)は、とりあえずのところ左の鎖骨から上、顔面半分あたりまでに限局してくれている。
むろん細胞レベルでは今でも遠隔転移などの可能性は否定できないが、細胞レベルの話をしてもしょうがない。いつ、どこへ出るかは出てみないと判らないし。
とにかく、今のうちに薬で叩く。
その薬が効いているかどうか、効果を見るメルクマールなのだが、29日に局麻で取ったリンパ節、病理の結果またもや「黒」と出たものは、今この状態では「取った」状態。指標がない。
…ところが、そうしている間にも、鎖骨上のさらに左側にあるリンパ節、放射線もがっつり当たったところに今、でかいしこりが日々成長中である。

さらっと書いているが、白血病を入れると、メルケル細胞癌、耳下腺転移、上眼瞼再発、頸部転移、そしてコレ。
コレについては切除なり生検なりはしていないが、こないだ取ったところより上側だし、まあ「確定」だろう。
つまりこれが「黒」なら「癌宣告」ということでは6回目。
転移や再発は「違ってて欲しい」と思いつつ「黒でした」となる間が精神的にきついが、もうここまで来ると「ああこれもそうだろうな」と思っているし、先生がたも「まあ…でしょうね…」と渋い顔。
これを外科的に取ってもまたいたちごっこになるだろうし、放射線はもうこの部分にはあてられない。
そこでケモ開始にあたり、この腫瘍(たぶん間違いなく黒)をメルクマールにするという事だ。

ところがこいつの成長がまた早いこと。
最初は日課で自分で触診していて、「ん?」と押してて解ったのが、今では外から見ただけでボコッと膨らんでいる。大きさも1cmちょいだったのが半月ちょっとで2cm程度になっている。
これだけでかいと首を動かす際割合引っ張られる部分にごろっとしてるし、首自体、郭清手術でまだ満足に動かないというか、固い。
そして、冒頭に書いた通り、この郭清で起こりやすい「リンパ浮腫」が左顔面下部に出来ている。
簡単に言うとリンパの流れが悪くなり、顔に停滞して腫れる、みたいな事だ。
顔の輪郭が変わってしまった。
放射線照射は6月末に終わったというのに、口内炎グランドスラムはその後一ヶ月半、そして2ヶ月半で皮膚障害が起きてきた。放射線、なめてました正直。恐ろしいなあこれ。

とにかく右側を向くと首が腫瘍と郭清術創のひきつれで痛いので、寝ていても目が覚めてしまう。正面向いて寝ていても、いつの間にか左右どっちかに無意識に寝返りをうつもので、左だと皮膚移植で分厚く盛り上がった顔面をガーゼ保護してあるし、右だと首がひきつれて痛い。
もう最初から右を向いて横になった体勢で眠剤を飲んで寝るしかない。そうするとだいたい3~4時間はちゃんと深い睡眠が摂れるので、その後寝返りで目が覚めて、あとはレム睡眠を繰り返しても、まあ睡眠部族でしんどい…というほどにはならないで済む。
本当に、歩く、食う、寝る、喋る、見る、簡単な事がいちいち大変だ。

あと、今日を以て形成外科から主科が皮膚科に変わった。
もっとも転科しても病棟は偶然同じ南病棟2階なので、部屋もそのままで、担当看護師チームも同じ。
これは本当に有り難い、助かる。
病棟が変わると当たり前だが看護師さんたちとの人間関係もまた一から構築していかねばならない。たとえば今、自分は身内が京都にはおらず一人であり、この一年の間に全身麻酔で6度の手術を経たこと、カルテには書かれていない「行間」のさまざまな事、今の病棟のチームの皆さんなら短い人でも5ヶ月くらいは顔を合わせているから、ツーカーな部分も多い。
そういう事がまた一から…と考えただけで目眩がしそうだ。だから、これも一つ、いい偶然。

今日の朝は食事のあと、足と顔の処置前に看護師のOさんが体拭き用の熱いおしぼりと着替えを持って来てくれ、処置は形成の主治医E先生がこれまで通り行ってくださり、皮膚科のE先生の下で担当になるI先生が念のため術創部分の処置を見させてください、と立ち会って、写真なども撮られた。
病棟も病室も処置室もナースも同じで、先生がE先生に加えて皮膚科の先生方が「加わった」という、むしろ力強いイメージ。
前向きに考える。
これまでは腫瘍が出来て、とにかくまず成長が早いので切る、予防的にラジエーション…という間に再発や転移でまた手術手術と、もう相手が早すぎていたちごっこだったが、今回ようやく化学療法で「やっつけたる!」という気持ちではある。
もちろんこちらの体が持たないと困るので、とにかく毎食完食し、体重を戻し、何なら貯金で太っておくかくらいの勢いで間にもパンを食べたり、カロリーメイトを吸ったりしている。いつ食えなくなるか解らないし、食えなくなったら弱るのは早い。経験済みだ。
今は、とりあえずびっこ引きながら買い物に出たり立ち歩いたりは出来るし、じっとしていれば痛みもほとんどない状態。
明日は心電図や心エコー、肺機能検査、採血などがあり、化学療法への準備が進められる。それまでしばしの休息的な時間。

たくさんの方から励ましをいただいた…といつも言ってばかりですいませんです。
まあでもさすがに「ああもうこいつアカンやろな」と思われても仕方ないと思う、正直。
それでも、それでも応援してくださる方がいる。
特に「ガロ」時代に担当させていただいた漫画家の古屋兎丸さんには、本当に、ほんっとうに、お世話になりました。
そしてもちろん今も猫の世話でお世話になっている長野さんや谷川さん、たびたび見舞いに来てくれる後輩の呉君や本の事でお待たせしている千葉ちゃん、他メールやコメントなどなど、皆さん本当にありがとうございます。

昨日、一応、いや万が一って事があるので、母親に死んだ後の事をいろいろ書き綴って、郵便局にビッコ引いて出しに行ってきた。
83円切手では「10円足りませんね…」と言われて追加を払った。便せん10枚程度だったか。
ひさびさにボールペンで長く字を書いていると、もう便せん2、3枚目から右手に力が入らなくなり、ミミズの這ったような字になりそうで、意識して力を入れて書く。するとさらに疲労して変な字になる。
もはや「書道やってました」という人間の字ではない。何より、右目だけだと本当に字を書くのが難しい。
電話も、今左の顔面下部にリンパ浮腫があるのと、顔面や頸部の数回にわたる手術の結果、口も左側が完全に麻痺した。うっかりするとヨダレが出たりする。左顔面は鼻や口含めてほぼ感覚も無い。
そして皮膚移植の際血管はこめかみ部分の動脈静脈に移植して繋げてあるから、ちょうど顎を開閉する際のちょうつがい部分、顎関節のあたり、大きく口を開けると痛いので開けられない。
抜歯のせいで滑舌が悪く、口の麻痺もあって、長時間喋ったりもしんどい。

それでもまずは癌の野郎を叩き殺し、そこから少しでも「日常」に近づくべく頑張らないと。
おそらくそれは、想像できないほど辛く、苦しく、しんどい、下手をすると闘病よりきっつい「実生活」だとうなと思う。
それでもそこへまた戻りたいと思うのは、ただただ、まだやり残した事がある、やりたい事があるからだ。
まあ「全身編集者」としては、文字通り死ぬまで、編集者として仕事をしていたい。

やまだ紫作品が、カタログハウスさんの「通販生活」新年号(2017年春号)に再録される予定です。
時代が変わっても楽しまれる、大人向けの漫画を掲載したいという、嬉しいご提案でした。
こういう事もある。
生きていればこそ、でしょう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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