2016-12-02(Fri)

熱で朦朧、薬で朦朧

2016年12月02日(金)


昨日寝たのは1時過ぎ、というか気がついたらPC付けっぱなしで寝オチしていた。眠剤飲んでからついつい夜更かししてしまった。
最近本当に熱が出ては下がらず、往生する。たまに熱が引いてまともな時間帯があると、ついついそこにやる事を集中させてしまうし。

昨日は30日にあったPET-CTの画像診断の結果を皮膚科のE先生が報告しに来てくれた。
「首から上で止まってるようで、他へ新たな転移はないようですから、まずは何よりでした」とのこと。
よかった…。
ただ左鎖骨部分の腫瘍、メルクマールになっているものは「小さくなっているとは言えず、大きくはなっていない」が、リンパ腺を巻き込む形で細長い形に変形しているという。
当初大きくなり始めた時はぼこっと丸く盛り上がり、触診はもちろん目視でもそれがわかったものだが、それが平板になったから弱冠小さくなったかも…と思っていた希望的予想は打ち砕かれた。ま、大抵良い予想や願い、希望なんてものが叶った試しはない。どうってこたぁない。

でも、この糞凶悪な癌が「進行が止まっている」ことだけでも、ヴォトリエントは効果があったと言える。
じゃないと、今休薬して毎日処置して貰っている、開いてしまった左目摘出痕の被弁、これだけ毎日痛い思いをしている甲斐がない。
この被弁の治りをまず最優先とし、休薬して様子を診つつ処置を続け、再度薬を始める時期を慎重に見極めたいということ。

本当にいよいよ後が無いし、薄氷を踏む思いだ。
今はとにかく、形成の先生に左目眼窩を洗って貰い、中の「お肉」を拭いて消毒して貰い、激痛に耐えつつ、感染予防の軟膏なりを塗ったガーゼを切ったものを押し込み、詰めて貰って、ガーゼで保護。これを毎日繰り返すしかない。
この「処置」が毎度極めて強い痛みを伴い、敢えて喩えると剥き出しの肉部分をキリで突かれたり、カミソリですっと切られるような激痛が何度かある感じか。
思わず「うぎっ!」「いっでええ!」とか声が出る。

処置のたびにこれだし、ちょっと気の毒だという事で、形成の先生がたも考えて下さり、とりあえず局所麻酔に使うキシロカインをガーゼに浸したものを、処置前30分くらいで詰めておき、効いた頃に始めようという事になった。
さらに、麻薬系のかなり強い鎮痛剤の「オキノーム」を1時間くらい前に飲んでおくよう処方しておきましょう、と。

「オキノーム」で思い出すのは、あの、連れ合いが亡くなった年の事だ…。
とにかく何かしていないと気が狂いそうで、繰り返す波のように襲ってくる哀しみ、慟哭から逃げるように、家の中にある彼女の全ての漫画やイラスト、詩画などの原画、掲載誌の貴重なもの、全てを掻き集め、わざわざ発注して届けて貰った原稿整理用の袋に入れ直して行った。
彼女…やまだ紫の優れた作品を後世に遺す、伝える、その使命感みたいなものでかなり無理をした。

彼女の作品は当時、信じて版権を預けた会社に裏切られる形で、すべて「品切れ」という塩漬け状態にされていた。作家が死ねば帯でもつけて再版されるかも知れない。業界ではそれを葬式商売という。そんな事を絶対にさせないと、死後すぐに絶版を通告した。
作家から絶版を通告すれば、以後版元は作品を出版「できない」。

たくさん売れなきゃ駄作か、後世に語り継ぐ、遺す価値もないゴミか。

売り上げ至上なのかあんたらの会社は。だったら頭を下げて「長く売りたいから」と言って版権をお世話になった長井さん(当時の青林堂社長・ガロ編集長)から引き揚げてったのは「嘘だったのか」。
嘘をついて、俺たちを騙したのか。
そういう苛立ち、いや怒りもあった。
そして何より彼女の作品を後世に伝えたいという思いが、とにかくまずは原画を整理し管理保全をする状況を整えることだった。
俺も健康ではなくもちろんすでに白血病を患っていたから、度重なる過労が重なって、とうとう帯状疱疹になった。

まあ酷い状況だった。当時のことは日記にも克明に記録してある。
とにかくこの時の、帯状疱疹ではなく「帯状疱疹の広範囲への劇症化」は、痛みの強度、範囲、色々な意味でこれまでで最強だった。痛みで死ぬ、と思ったほどだった。
その時、ボルタレンからロキソニンからあらゆる痛み止めを貰ったが全く効かず、オキノームやオキシコンチンという麻薬系を貰ったというわけだ。
オキノームもこれにはまったく効かなかった。
結局毎日一度はケロイド状の広範囲の水疱破裂部分、血膿とアズノール軟膏を洗い流して綺麗にしないとならず、そのためには立って歩かねばならず、まず痛みで指一本動かすのさえ苦痛だった状況だった。
なのでソセゴンというもの凄く強い痛み止めを点滴で入れて貰い、他の痛み止めももちろん併用し、朦朧とした中、ふらふらと看護師さんに助けられて風呂場へ行き、流して、軟膏塗ったガーゼで保護…という繰り返しだった。いや本当に死ぬかと思った。

なので俺の頭の中ではオキノームかあ、あれ効かないんだよなあ…という理解があった。いやこれけっこう強いんですけどね。

今朝、何度か朝方目が覚めつつも8時朝食直前までうとうとして、まずはトイレの後検温。37℃台の微熱。
もうここ毎日ずっとこんな感じ。
口の中に溜まった、左目の浸出液や洗浄で入れた生食の残りやリンパ液などの入り交じったものが、口の中や喉に溜まっている。気持ち悪いのでそれらを吐き出す。けっこう嘔気を誘発されるくらい、気持ち悪い。
よろよろとベッドに戻るともう朝食が来るが、さすがに食欲も落ちてきた。体重も55kgを切った。やばい。

午前中、体拭きと着替えをし、処置を待つのだが、今日から10時にオキノームを飲むことになっている。待っていると日勤のHさんが持って来てくれ、目の前で散剤を飲む。麻薬系はたくさん患者に預けたりはできない。
しばらくすると、独特のあの聴覚が鈍くなったような、もあーんとした感じになる。顔面のどこかに常にある痛みが鈍くなって…来ない。やっぱ効かないか、なんて思い、処置遅いなあと思ってるうちにうとうとしてしまった。10時で熱は38℃に上がっていたので、うとうとしたら汗びっしょり。せっかく着替えたのに。
そのうち徐々にオキノームが回って来たのか、何か朦朧として、今動いたらふらふらっとコケそうだなと思って大人しくベッドに仰向けになっていた。うとうと、覚めてを繰り返す。

そのうち「はっ」と気づいた、今日は金曜で、2時から形成外科の教授回診なのだった。ということは処置は3時前くらい。今自分は易感染状態なので、処置も処置室ではなく部屋に先生方が来て下さるのだが、その都合もあって他の人が終わってからだから、かなり最後の方になるはず。
あらら、と思ったがもう遅い。さすがに服用10時では5時間後は効果消えてるだろう。来週からは金曜は午後の服薬に替えて貰わないとな、と思っていると昼食が来た。
朦朧としているので、とても食事という感じではないし、そもそも食欲が全くない。一応置いといて貰い、その後もずっとうとうとを繰り返していた。

午後になり、回診前に形成のY先生が来て、その話をしたら「あー、そうでした! 今皮膚科やから、毎朝と思って今日開始やし10時のままやったんですね」と苦笑。
「まだちょっと朦朧としてますけど、さすがにもうそろそろ醒めそうですね」というと「じゃあキシロカインの方、入れておきましょうか」ということで顔面ガーゼを外し、キシロカインゼリーをたっぷり浸した3cm幅に帯状に切ったガーゼを被弁の剥離部分から眼窩に詰めていく。やはり時折ビキッと激痛。こればかりはどうしようもない。
でも教授回診が終わり、その後の部屋での「処置」は、なるべく眼窩に洗浄水が残留しないよう、生食で洗いながら枕元の吸入器に細いカテーテルをつなぎ、それで奥に流れ込む前に吸い取るという方法に昨日から替えて貰った。
あと神経に触るような部分が数カ所さすがに激痛はあるものの、真横を向いて流す事で喉へは行かなくなったし、吸入もあるし、キシロカインも効いているのか、痛みもちょっとだけ弱く感じた。
医師も患者もお互い「これはいいですね」「これで行きましょう」みたいな連帯感。

それにしてもオキノーム、その後も夕方まで軽い朦朧状態は続き、鎮痛というより感覚が麻痺するというか、危ないので買い物も助手さんに頼んで、あとはベッドで時折うとうとを繰り返していた。
これこんなに強い薬やったんやな…と改めて当時の帯状疱疹の激痛を思い出す。あれはほんまに無間地獄、生き地獄だった。まあ今もだけど。
これ、俺長くねえわ本当…。こんな状態で外で、普通に生活する事なんか出来るわけがない。不可能だ。そういうダウナーな思考がよぎる。
でもそれを即座に「いや、でもあの時(前回オキノームを使った時)のように、強い意志で仕事をしたい、する」と思う。願う。
今こうして昨日今日の事を書けるようになったが、もう夜の8時だ。
今日は朝からいつも通り熱が上がったり下がったり、さらにオキノーム朦朧状態が加わって、シャキッとしていた時間がない。もっともこのところ熱のせいで一日のうちシャキッと平熱でしっかりしていられる時間が、正味2~3時間くらいしかないが。
死なずに生きる、生き続けること。
これが本当に大変だ。えらいことだ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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