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2017-01-05(Thu)

なんとか年を越した

2017年01月05日(木)


皆さん明けまして…でもないですか、早い人は昨日から仕事、病院は年末年始も一時帰宅や退院で病棟がちょっと静かになっただけでした。
皆さんの励ましやお力添えがあって何とか、本当に這いつくばり爪を剥がしつつ血反吐を文字通り吐きつつ、ようやく年を越した感じです。

(以下これまでのあらすじ…ずっと読んできていただいた方はすっとばして下さい)
去年は新年4日から入院、1月一杯で退院したものの3月にはもう耳下腺転移がみつかって3月に入院4月に手術、頸部リンパ節郭清となった左頬と頸部の裏表に放射線をあてるために5月16日に再入院。
それから今まで、ずっと入院中。
放射線治療は口腔内や喉への影響が強く出て、それはそれは地獄のようでしたが、今考えればあんなものは地獄の入口に過ぎなかった。
放射線は、手術をした患部の傷が癒えたら、残存する癌細胞を殺すためにあてる。だから、外科手術で腫瘍を取り、周辺のリンパ節を郭清し、さらに細胞レベルの腫瘍にも放射線をあてて、まああとは出て来たら切るなどの対応を…という希望があった。
辛い口内炎地獄も、ナニクソと右側の口腔を使い、歯もほとんど抜かれたのでペースト食で乗り切った。
水道水でも染みて痛いので、蒸留水を貰って自分用に塩を毎回溶かして「調合」して、口をゆすいだり歯を磨いたりに使っていた。
それでもまだ、これが終わったら一段落…と思えた。

ところが6月一杯で放射線治療完遂後、口内炎が酷くそれが落ち着くまでは帰宅困難という事で様子をみているうちに、なんと一昨年秋に左眼瞼に出来たメルケル細胞癌、もちろん眼瞼ごと切除し、その後「顔面大工事」で再建して貰った、その瞼にまさかの再発。
放射線はあてた場所なのでもうあてられず、しかもこの悪性度からして、かなり周囲を大きく取った方がいいという事になった。
画像診断や眼科の各種検査が進むうち、みるみる腫瘍は大きくなり、左眼球を押し出すくらいに成長した。

そうして、去年のお盆、五山送り火の8月16日に、腫瘍ごと左目を失った。
切り取られた眼球や組織は検査に廻されたが、その結果待ちの間に、何と左の鎖骨上にしこりが出来た。ここは頸部郭清の時に放射線があたったところ。
失った眼球が入っていた眼窩には右大腿の皮膚と血管、筋肉などで「被弁」を作って塞ぐ形が取られた。手術時に、しこりも生検のために取って貰った。
その傷が順調に治っていき、被弁の血行も良く、あとは検査で白ならとりあえず一息…というところで、転移癌とわかった。
もう放射線はあてられない。

いよいよ、傷が落ち着いたら皮膚科と連動して化学療法へ入ることとなった。
ただ右足の太股、皮膚や肉を取って縫合したところがMRSAに感染してしまい、9月の半ばからずっと治りが悪く、実は今もまだ完全には皮膚が塞がれていない。処置こそここは2日に一度消毒、ゲンタシン軟膏、塞ぐというのを繰り返していただいているが、本当に治りが悪い。

そうして10月の半ば、まだ足の方は穴が開いた状態ながら、いよいよ皮膚科に転科し化学療法を開始となった。
化学療法…抗がん剤治療は、もともと俺の場合ベース=基礎疾患に白血病があるため、以前一番弱い薬(ジェムザール)を入れただけで骨髄抑制が強く出て、感染症にかかり中止せざるを得なかった。
その上、今回予想していなかった転移性メルケル細胞癌という凶悪な癌は、まだまだ世界的にも症例が少なく、従って有効と言われる薬も数が少なかった。
さらに言えば症例が少ないという事は、予想される一般的なリスク以外に何が起こるかもやってみなければ判らないという事。

俺の場合はヴォトリエントという薬から始めたが、これの血管生成抑制効果のせいなのか、綺麗に塞がっていた被弁、つまり眼窩を塞いでいた移植した皮膚が脱落してきた。鼻側の内側(ないそく)が大きく開き、こめかみ側の外側(がいそく)に残っていた開きも塞がらない。
当然薬は休止となり、以後毎日、穴の開いた被弁の中、つまり眼窩とお肉を入れた部分を生理食塩水で洗い、拭き、出血やリンパ液などの浸出液が漏れぬよう吸水シートを切って創部に詰め、ガーゼで塞いでテープでがっちり止めて貰う。

これだけなら良いが、実は放射線の後遺障害と、リンパ郭清の影響などだろう、左の顔面から後頭部、首まで、リンパ浮腫という大きいものは15mmほど、小さいのは5mmほどの出来物がびっしりと出来て、それぞれがちょっと触ってもひどく痛むようになった。
そこには軟膏を毎日塗るのだが、これに含まれるステロイドのせいか、皮膚が収縮したように引き攣って、要するに左の顔面がガッチガチに固まったようになってしまった。
顔の形も変わった。
そして顎が痛くてほとんど動かせなくなった。
口が開けても指一本分くらいしか開かない。
毎日生食を入れているため、吸引はしながらとはいえ副鼻腔から上顎道とつながってしまい、浸出液が起きている間はしょっちゅう口腔に出てくるので、数分おきに吐き出さねばならない。
当然寝起き時にはそれが濃縮され、痰状態になって喉に溜まるので、これを出さねばならない。
左の唇も浮腫のせいか麻痺して、腫れてきた。
飯を食う度に口まわりのガーゼが汚れるので、いちいち取り替えてスキナゲートで貼らねばならない。
入院前より10kg痩せて骨皮でふらっふらだ。
関係ないけど髪が白髪だらけになった。

(あらすじここまで)

さらに! 年末頃から、左耳の聞こえが悪くなってきた。
これは内部にも浮腫が出来て、外耳道や内耳を圧迫しているんだろうと想像。だって後頭部や耳の上あたりもぶよぶよし出している。
そして昨日あたりから、ほぼ左耳が聞こえなくなった。
これでは新年明けましておめでとうどころではない。
イヤホンを何とかぐいぐいと無理矢理突っ込んで、スマホの音量を「耳によくないよ」という警告が出るくらい大きくしてようやく聞こえるか、というくらいに聴力が落ちた。
とにかく右耳と右目はまともなのでまだ良いが、左側はダメだこりゃ状態。

…とまあこういう日々を、年末年始と送って来ました。
ようやく年を越したと思ったら、何か前から時折ズキンと痛んだ右の肋骨のあたり、脇の下から胸にかけての痛みが頻回になってきた。
ちょっと体を起こしたり捻ったり、立ち上がったりする圧がかかるとズキンと痛い。
熱は無いし、大きく胸腔を膨らます呼吸をしても痛まない。触っても痛くない。打診しても押しても痛くない。
でも力がかかると痛い。ちょっとティッシュ取ろうとベッド脇に手を伸ばすと「ウッ」と一瞬動きが止まるくらい痛い。

今日も看護師さんと世間話をしていて、思わず図に描いて説明しちゃったけれども、俺の今の状況って、すでに何でか石抱きの刑に遭っており、「慢性リンパ性白血病」というけっこうな大きさの石が乗っかっている。
そこへ細かい感染症やら帯状疱疹やら肺炎やら胆石やらがほいほい載っけられ、時に外され、代わりに別な感染症という石を載っけられたりしている。

そういうすでに慢性的な拷問状態=苦痛とストレス下にある中で、一昨年秋にメルケル細胞癌というどでかい石が追加された。
眼瞼喪失、再建、転移、頸部郭清、転移、眼球摘出、転移、転移、転移。
ちなみに年末に皮膚科の先生に病室で取って貰った組織サンプル、生検の結果はやはり「黒」。

この年末年始の間に、その生検された場所のさらに鎖骨より下にもう一箇所転移、さらにその先に小さな転移と見られる腫脹がある。恐ろしいスピードだ。
どうですかこの生き地獄。
そしてなぜ俺は生きているんでしょう、と思いませんか。
その答えはここに何度も書いているのでもういいけど、まあとにかく、今日から「次の薬」、エトポシドが始まった。
これは白髪になるより抜けるらしい。あと骨髄抑制が強く出やすいらしい。
ということで、一錠飲んで採血をして様子をみて…という慎重な投与になるということ。
これが効かなければ絶望的な状況になるが、オプジーボが効きそうなので、何とか使えないか道筋を探っていただく事になっている。
可能性があれば、やる。生きるためにやれる事があるならやる。

年始から嫌な話で申し訳ないですが、でもまあこうして生きています。
今年を生き抜く確率は恐ろしく低いですが、それでも可能性がある限りは頑張って生きないと、今まで頑張ってきた甲斐がありません。

年越し、元日だけは食事を「常食」に戻すようにお願いしておいた。
20170101.jpg

朝は丸餅の小さいのが入った小さな白味噌の雑煮が出た。煮物なんかは咀嚼がうまく出来ないので軟らかいものだけにした。
昼は数の子や海老や刺身や肉は入ってないけど、それでも「おせちっぽく」してくれたおかずが小分けされて並んで、赤飯がついた。
(でも実際は処置の時間を聞くのを忘れていて、オキノームを立て続けに飲んだために朦朧として、すぐに食えなかった。赤飯は箸で全部持ち上がるくらいになってしまい、残念)

あと嬉しかったのは、「お餅が食べたいなあ」と何気なく某看護師さんにぼやいたら、「砂糖醤油で」というので「そう!」と意気投合。そうしたら「持って来ましょうか」といって、年明け2日に何と砂糖と醤油も小分けして、角餅に食べやすく切れ目を入れて焼いたのを持って来てくれた。
20170102.jpg
いやあ嬉しかったこと、美味しかったこと。
本当に有り難かったし、まさか食べられると思わなかったので感激しました。
生きてないとこの「喜び」も味わえないもんな。

これくらいだったか、正月ぽかった事は。
あとは年末と年始に関東からかつての教え子Oさんが訪ねてくれたが、あいにく処置後ちょっと熱が出て休んでいたり、二度目は寝ていたりで結局会えなかった。とらやの羊羹とゴディバのチョコありがとう。めっちゃくちゃうまかったっす。あとメイバランスも有り難かったです。
こうして「新しい年」を迎えられたことを素直に喜ぼう。
そして今年一日でも長く生きるために頑張ろう。
できれば、また皆さんに喜んでいただけるような良い仕事をしたい。
いや、そうして恩返しをせねば、と強く思う。願う。
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新しいエントリを読ませていただくたびに、事態が少しでもご好転することをを心よりお祈りしています。

それとともに、凄い文章だと感心しています。『仰臥漫録』や『病牀六尺』に感じたものと同じようなものを感じます。本にまとめられたら反響が大きいのではないでしょうか。そんなことを言っている場合ではないと叱られるかもしれませんが、一読者の率直な感想として。



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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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