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2017-02-12(Sun)

闘病に本気出す

2017年02月12日(日)
2017年02月12日(日)

手短に。
というのも、「あちこちに原因不明の痛み」が出てきたとお伝えしていたのだが、その原因が分かったからだ。
転移、だった。
左の腋下に自分でもごろごろ触れる腫脹があり、これはもう転移確定だろうとおもった。もちろん主治医のE先生始め他の先生にも触診で確認いただいた。
ほぼ同時にいい報せもあった。
新薬オプジーボが使える状況が整い、準備にかかるという連絡を伺ったのが6日。7日にはほぼ決定したのだが、まさに腋下転移がはっきり確認されたのもその日だった。
投与の評価のためもあって事前の心電図検査や採血などがあり、急遽空き時間を待ってPET-CTが前の日に枠が取れ、8日、絶食して午前中にPET。

この日は午後回診もあり、ふうやれやれと思って午後はぐったりしていたら、E先生ら医師団が来られて、
「新薬を使うにあたってはリスクも高いので、一度きちんと上の者…O先生ふくめてご説明したい、ついてはご家族は」と言われる。
家族はいないし、これまでも連れ合いを無くした後ガタガタッと崩れたあと、対処療法での入院も手術も何もかも、新たな癌告知も再発や転移も、眼球劇出も、その他もろもろ地獄の苦しみを一人で受け止めてきた。
「また、一人で聞くし一人で決めるだけです」とお伝えするが、それでもちゃんとご説明したいという事で、夕方に個室に皆さんが来て下さる。

O先生は冒頭数分で退室され、残った3人の皮膚科の先生がたと、看護師ではSさんが残って、説明が続けられた。
ノートPCでみられるカルテに転送されたPETの画像は、恐ろしいものだった。
左の顔面は眼窩から首までがほぼ真っ黒で、さらに予想通り左の腋下にもくっきりと反応が出ていた。
だが予想外だったのは、右の脇の下から走る肋骨付近、そう、前に「痛むようになったけど手術痕の古傷だろう」といってロキソニンハップを貼っている、そこに反応があったことだ。
E先生は「状況から見てリンパから飛んだ転移だと思われます」とのこと。
右半身への転移は初めてなので、さすがにちょっと同様した。
「まずいですね…」とかさついた声しか出せなかった。
それと、痛い痛いと湿布を貼っていた手首や右膝、左足首はおそらく炎症だろう、そこも黒く反応が出ていた。
それらは今のところPETの輪切りCT画像で精査しないと解らない、とにかく左の顔面は骨にも転移しており郭清しあれだけ放射線をあてたところにもけっこう腫瘍が出来ている、という事だった。
まあ、最悪である。
ともかく現状はこう、というお話。
で次はどうするかという、今後のお話。

これは大げさに言うと「白取さんの生き方の話になりますので」ということで、それで熟慮のうえ判断して欲しいということだ。
ああ、それで「待ったがかかった」状態なのかな、と。
選択肢は3つ。
一つは、「何もしない」。
これはあり得ないが、でも「もうええわこんなん勘弁して、痛みだけ緩和して貰ってあとは静かに死にます」という選択があっても良い。その気持ちも痛いほど解る。こんっなに、これほどまでに過酷な「日常」、一分一秒がもっと辛くなる可能性がある「戦い」なんか御免だ、と。それも選択だと思う。
でもたぶんそれは俺よりも長く生きて、ある程度事を成し、ある程度気持ちに踏ん切りがつけられて、しかもその「死までの道程」をともに歩む家族なり伴侶がいる人なら、それもあるだろう。
でも一人で座して死を待つ、しかも目に見えて日々苦痛が加算されていく状況の中、ゴール地点の「死」まで俺は平静でいられるほど老いていない。
未練なら死ぬほどある。
やりたいことも山ほどある。
だから、何もせず座して死を待つのはあり得ない。

…いずれにせよ、お身内の方なりと一度お話をされて、どのみち週末になりますし、お考えをおまとめください、ということになった。

その後、オプジーボの冊子と今回の医師団のご見解と説明のまとめをいただきき、さらに選択肢に関しては若いT先生が箇条書きにプリントしたのを持って来てくれた。
一人、部屋でそれらを読み、考え、まあ結論は一つなのだが、とりあえずこんな時にすら連絡しないのは酷すぎるかと思って母親に電話した。
老母は後半必ず涙声で「なんであんたがこんな目に」とか詮無い話のループになるので、一応これこれこうだけど最後まで頑張ると話した。

選択肢の2つ目は、エトポシドの前に使った、ヴォトリエントを再開するというものだった。
これはちょっと意外だったが、先生曰く
「手術した被弁が開いたのは予想外でしたし、おそらく続けると完全に取れてしまうと思います。ですが、この薬だと腫瘍への抑制効果はあると結果が出ましたので…」というご説明だった。
今の半分くっついて半分眼窩が露出して、毎日(今隔日になった)形成の先生がたに「処置」していただいている「創部」、それがさらに移植直前の眼窩剥き出し状態のまま、「処置」を続けつつ、癌の成長はとりあえず止める。
これ、しんどい生活をただ続けるだけで、ゴールはどこなのか、と思う。
癌の進行を食い止められても、薬の性質上、傷が治りにくく体は弱る。
これの投与前はすたすた片目でも処置さえ済めば自分で買い物に出たり、とりあえず「歩けた」し「動けた」し、ここまで酷い状態ではなかった。
しかし結果的にまさかの被弁開口、体調も熱が出る吐き気が出るで酷いものになった。
ヴォトリエントをやめた後のエトポシドは、残念ながら癌の進行抑制にはあまり効かなかったようだ。

薬は使い続けるとやがてあちらさんにも耐性が出来て効かなくなる。
もしヴォトリエント再開という選択をし、それが何ヶ月後か解らないが、効かなくなったという状況になり、その時俺の体は「次」に耐えられる状態にあるのか。
たぶん、無いと思う。
今でももうギリギリ、本当はかなり無理だと思う。

なので選択肢3、オプジーボ投与になる。
ただこれは俺のような「併存癌」(すでにベースに癌がある)の状態での症例が少ないし、そもそもケモ…化学療法は人それぞれ、病気病状容態進行具合、さまざまなことを考慮して行う「オーダーメイド」に近い治療になりつつある。
要するに似たような皮膚癌で、白血病の無い患者には奏功率が割合高く寛解すら期待できるが、ベースを考えると、とくに免疫が急激に低下した場合はステロイドをかなりの量緊急に投与される。
すると当然ながら免疫は下がる。すると、まあ簡単に言うと自分の体に自分が負ける…自家感染で亡くなる恐れもある。
実際、白血病の闘病仲間で骨髄移植後、免疫抑制で腸炎を起こし、あっという間に亡くなられた方を知っている。ちょっと前まで元気に廊下を歩いて、挨拶するまでお元気になられたのに、と血液内科のK先生が眉を曇らせていたのを覚えている。

要するに、バクチである。
生きるか、死ぬか。
物語でよくあるゆな簡単に言うそれじゃなく、マジで、それも高い確率で「死ぬ」方が多い。
それでも勝てばゴールは「退院」「社会復帰」かも知れない。
いやいやいやそんなん無理だから、とみんな思ってるはずだし俺も99%無理なのは誰よりも自覚している。
でもやるんだよ。
座して死ぬより、前向きに転んで死ぬ。
闘って、死ぬしかないでしょう。

腹は決まっていたが。

10日は、さいたまに住む連れ合いの次女、ゆうちゃんに電話した。
ゆうちゃんはもちろん「家族」だ。ちゃんと話しておかねばと思った。(ちなみに知ってる人は知ってると思うが、やまだ紫の名作「しんきらり」に登場する次女のモデルである)
そういえば数日前に荷物を送ってくれたっけ、重くて開けようとしたら手首をやってしまい、しばらく放置していたというと、
「ゼリーとかチョコとかだから開けてよ」と笑われた。そして次第を説明すると
「きっとちかちゃんなら大丈夫だと思うよ」と言ってくれた。
俺が思うに、連れ合いのやまだ紫こと三津子さんは、「そっちへついてるんじゃないの、俺んとこに付いててくれたら、こんな生き地獄でヒイヒイ言うわけがないし…」と零したら
「でもこれまでもいそいろ乗り越えてきたんだし」と。
ああ、そうだよなあ。魂は遍在、なのだった。

クラウドファンディングでも、昔の編集仲間だった泉さんが頑張ってくれている。高いのに、「免疫に良いから」とマヌカハニーを送ってくれた(あとでAmazonで値段を見てギョッとした)。
本当にたくさんの方々がご支援、応援をして下さっている。有り難く申し訳なく、素直に嬉しく。
そして今後の治療や「あとのこと」などを考えると頭がクラクラするが、今は闘病。それだけを考えて踏みとどまる。
ここで踏ん張らないと、本当に、今度こそ本当に、死んでしまう。

そういう事で昨日、今日は大人しく、本当にほぼここ十日ほどはベッドからほとんど動けなくなっている。
会いたい、というお声を何人かの方にかけていただいたが、すいません、無理です。感染が怖いとかじゃなく、体力的にお相手がしんどいです。
こうして再びフルキーボードを叩いているのも、お詫びも込めてご報告をという思い。

昨日、「原因不明」だった右脇腹の痛みが転移という事は、ひょっとして…と触っていたら、右手首の少し肘寄りのところに腫脹がある。
「あ、あった…」これか、と。
じゃあと右足の膝下が痛いのは、と探っていたら、膝の下や脛ではなく、太股を少し上に上がった内側に2つ3つ、しこりがあった。
ということは、きっと左足にもあるな、探せば。
こういう感じでどんどん全身に転移し、そこが動かすと痛み、つまり動けなくなり、そのうち痛みの中で死んでいくのか。
冗談じゃねえぞ。

1997年に「デジタルガロ」WEB立ち上げとともに「白取特急」WEBを開設し、青林堂が別資本の手になって「ガロ」の名が使えなくなって、しばらく自費で「デジタルG」を続け、それも経済的理由で閉めた。
以後は日記をブログ形式にしてgooブログで「白取特急検車場」として2004年頃からリスタート。
2005年にゃ白血病を宣告されて、それが「闘病バージョン」になり、俺はそこで「闘う」と宣言した。
それは白血病が相手で(告知時点では余命数ヶ月と言われた)、その後ブログはFC2に移転し現在に至るのだが、赤裸々に、ほんまにアホかというくらいに顛末を開示してきた。
この大げさに言うと「生き様」は変えられない。
(あ、もし俺が死んでもおおかみ書房の千葉代表が俺の半生記を出版してくれることになってます。買ってねテヘペロ)

医師をして博打と言わしめる化学療法、でも逆に変に嘘をつかれるより潔良い。
厳しい戦いが続くし、勝てる割合は正直あまり言いたくないほど低いが、頑張るしかないやろ!!
全然手短になりませんでした。
最悪投与当日に亡くなる可能性もあるそうですが、またお会いしましょう。

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闘って、生きて下さい

>座して死ぬより、前向きに転んで死ぬ。
>闘って、死ぬしかないでしょう。

闘って、生き抜いて下さい。
薬効をお祈りしています。


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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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