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2005-01-29(Sat)

教祖誕生(1993)

教祖誕生
(1993年 東宝)
監督 : 天間敏広
原作 : ビートたけし
脚本 : 加藤祐司 / 中田秀子
出演 : 萩原聖人(高山和夫) 玉置浩二(駒村哲治) 岸部一徳(呉) ビートたけし(司馬大介) 下絛正巳(初代教祖)ほか
【未見の方へ=ネタバレあり・注意】
 帰省途中の頼りなさ気な学生、萩原演じる高山青年が、ひょんなことから下條演じる初代教祖率いる新興宗教の一行に加わる。しかしその教団、ウラではたけし演じる司馬と一徳演じる呉が仕切るインチキ教団だった。だが、純粋な信仰心を持つ玉置演じる駒村が司馬と対立し始め、言うことをきかない酒好きの初代教祖をたたき出したあたりから教団は。。。

 ビートたけし原作の小説を、彼の監督映画の助監督だった天間監督が映画化。

 いや、この映画は日本映画の中でも最高峰の部類に入る一本ですよ。
 現在DVDはおろか、ビデオも業務レンタル用しかないようで、たまにCS放送なんかでやるのを観るくらいしか機会がないのが残念。こんな名作を見られないままにしておくとは、まるで今の出版界で名作を品切れというなの生殺しにしているようなもんですよ。
 自分は映画評論家ではない。けれど、たくさんの漫画作品を編集として見てきたので、少なくとも絵とストーリーが組み合わさった形での「表現」にそれなりの一家言は持っているつもりだ。

 この映画が優れているところは、やはり一分の隙もミスキャストもない配役と、脚本に尽きる。もちろん原作が優れていることは言うまでもないが、それを、どう「映画」に仕立てていくのか、というところで全くミスがないだけではなく、むしろそれをより高い次元に引き上げたというところが凄い。

 たけしの時に鬼気迫り時に力の抜けた自然体の演技が、タレントとしての「彼」をいつしか忘れさせ、インチキ教団を私利私欲のみで操る男・司馬に完全に一体化させる。それだけでなく、一途に宗教に帰依する若者を演じる玉置の演技も素晴らしい。そして、たけしの演技に勝るとも劣らない、というより対等に屹立し役者としての底力を見せ付ける、下條の老練な演技力。それらに絡む岸部一徳の抑えた演技、興味本位で意志の弱そうな青年がやがて、一種狂気を孕むと言えなくもない状況へ変貌してゆく様子をこれまた好演した萩原など、役者の配役と彼らの演技力だけで、これほどまでにリアリティが出せるものかと驚嘆せざるを得ない。

 むろん映像としても、教団の本拠地の外観の「うさん臭さ」なんかは拍手ものだし、「巡業」に立ち寄る田舎の風景もいい。細かいところのディテール全てに「うそ」がなく、自然に映画の世界に観る側を引き込んでゆく、これが、映画の力だと思う。
 昨今の日本映画のダメなところは、やはりリアリティの欠如と、細かいところの詰めの甘さだろう。脚本の弱さもあるしミスキャスト(演技のできないアイドルやタレントを安易にキャスティングする)もあろう。

 萩原演じる高山青年が、ローカル線で教団一行と一緒になる。高山は興味本位でたけし=司馬にいろいろと聞く。それに対して司馬は「あのね」と、極めて自然に詮索をあんまりするな、信じるということがすなわち宗教だ、みたいなことを説くシーン。同じように教団に加わった高山を焼肉に誘い、そこで飲み食いしながら話すシーン。この「感じ」が出せる役者は本職でもそうそうおるまい。どこかに演技くささが出てしまうはずだ。しかしこれらのシーンでのたけしの演技は演技であることを忘れさせて余りある、つまりたけし演じる司馬という人間の人間性までをも我々見る側に「了解」させてしまう力があるのだ。

 また別のシーンでは、下條=教祖が酔っ払っていい心持でいると、たけし=司馬に呼び出される。司馬は昼間自分の言うことをきかなかった教祖を罵倒しながらシメる。それをじっと見張っている岸部=呉。やがて教団を叩きだされる下條が寂しげに、「じゃあな」と言って去ろうとする。
 このシーンのこの演技は、下條演じる教祖が、まさしく映画の中で司馬たちの同情をひこう、哀れみを誘おうと、ことさらに寂しさをかもし出そうとする演技だ。つまり下條という役者が演じる教祖が演技をするシーンなのだ。これが実に、自然になされており、さらにそれを見た司馬が呼び止めて思わず餞別代りの金を上積みしてしまう、という成り行きに、自然さとリアリティを与えている。

 これらはこの映画に数多く観られる見事なシーンの中の、ほんの一コマに過ぎない。
 他にも玉置演じる駒村の個室でのたけしとのやり取り、そのシーンにつながるたけしと愛人の関係を説明するシーン、さらに駒村が激昂し司馬に返り討ちされるに至る流れ。事態がまさに急展開を見せるシーンが、無駄のないテンポで、説得力ある描写で続いていく。

 我々が映画を観る時に、「アッそりゃないよ」「ああ、これは嘘だ、もう駄目だ」と何度か思わされるシーンにぶつかる。映画だから当たり前だ。だがそれが許容範囲を超えた時、もはや映画に入り込むことができなくなる。それは小さなミスの積み重ねという場合もあろう。またせっかく細部にこだわりながら、大きな一つのミスや、大前提からしてミスという場合もあるだろう。
 この「教祖誕生」には一切、そういったミスシーンがない。この映画世界が存在している、あるいはしていた、と思わされる。つまり全篇、安心してこの映画世界に身をゆだねることができる。

 「映画をつくる」とはこの映画のようなことを言うのだ。

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たまたまビデオに撮ってあるので、もう数十回は観ています。観るたびに面白さを再確認できます。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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