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2006-05-15(Mon)

京都二日目

5月15日(月) 京都二日目
前の晩は食事から戻った後はテレビを見て、ベッド上でごろごろして1時過ぎに寝た。ベッドはマットはともかく枕が羽毛だか何だか、柔らかすぎて頭が沈み、高さが確保できないので寝づらかった。それより、夜は8時過ぎあたりからひっきりなしに「ゴォォォォ!」という排水音が響きわたる。排水パイプがどうやら一つにつながっているのか、そしてそれがこの部屋の近くなのか、とにかくどこかの階上の部屋で風呂だかトイレだかを使うたびに、排水の轟音が響くのだ。当然夜になれば寝る前に各部屋の宿泊客が三々五々風呂を使い始めるので、12時過ぎくらいまでひっきりなしに電車の通過音のような音が断続的に響くということになる。こういうことは気にし出すと気になるもので、寝つけたのは夜中の2時を過ぎたころだったか。だが朝方6時前にはまた、朝風呂の排水音が響き、それだけならまだしも、今度は我々の部屋のすぐ外の廊下で中年ババァのダミ声が轟く。向かいの部屋をノックして「いい? あのさあ、荷物が多いのよ、なのでこれとこれをそっち入れてくれる?」というのから始まり、笑い声だのデカい声での話などが丸聞こえ。要するに、このホテル自体が安普請なのであった。
広角になってるのでアレですが実際はもっと迫ってきます
そうこうしていると連れも起きたようなので、カーテンを開けると快晴。快晴はいいが、窓の向こうに京都タワーがデーン! と聳え立っているのが見え、ギョッとするほどの威圧感。携帯で撮影してみるが、現実に見る方が遥かに存在感がある。
京都で快晴というのはガロ時代に長井さんたちとつつましい社員旅行で来た時以来だ。だいたいが雨か雲っていたので、気持ちも晴れ晴れとする。連れの支度と化粧を待ち、8時半ころゆっくりと下に降りてシアトルカフェでバイキングの朝食。連れはパンやヨーグルト、ポテトサラダの洋食にし、俺はおかゆと鮭、ひじき、梅干に沢庵という和食をプレートによそる。こういうカフェでおかゆ食ってるのも変な感じだ。食後はコーヒー、連れは牛乳の後紅茶。ゆっくりしてから部屋に戻り、前の晩近鉄の一階で買った研究室用の荷物の大袋を持って出る。
連れが駅前にある京都タワー2階にあるダイソー(百均)で安全ピンを買いたいというので行くが、10時から開店。まだ9時半だったので、とりあえず1階のスタバでコーヒーを飲んで時間を潰し、百均へ上がり直す。そこで台所用品や文具も少し、20点以上こまごまと買い込みいったん帰りかけるが、ゴミ箱や三角コーナーを追加で買い足し、地下鉄へ降りる。
ホームはけっこうな人が待っており、電車の先頭車両に乗り込むと、通勤ラッシュ並の混雑。途中御池を越したあたりから空きはじめ、連れを座らせて俺は立っていた。格好つけていたわけではなく、朝食後の強烈な便意がきはじめていたからである(笑)。座ると下腹部が圧迫されて、我慢の限界が早まりそうだったのだ。終点の国際会館へ着くと、もう暴発寸前。改札を出たところで荷物を置いて連れを待たせ、トイレに小走りで行く。もちろん、全力疾走ができない状態だったためです。
こういう時に限ってトイレは反対側の端っこで、かなり距離があり、さらにたどり着くと個室は身障者用も洋式も塞がっている。しょうがないので和式に入り、あわただしく荷物を置いて排出。和式のキンカクシなんて何年ぶりか。膝を曲げて腰を下ろし、体重がかかると痛いのだがしょうがない。その後改札に戻って連れと合流し、エレベータで地上に上がってタクシーで精華大学へ行く。

京都精華大学は、京都市の北の端、鞍馬山の麓にある緑に囲まれたキャンパスだ。広い敷地の中に校舎が点在しており、起伏があるキャンパス内を移動するのは病人には骨が折れる。フィトンチッドも一杯で、普通の人が散歩するには新緑のこの時期、気持ちがいいだろう。キャンパス内には鹿や雉もいて、日本画を学ぶ学生のモデルになっているというのも、この学校らしい。とにかく環境は学ぶには最高だ。ただ、今どきの学生たちには、繁華街までは遠いし、近所には遊ぶところもないのでそういう部分は不満かも知れないが。
さていったん本館で連れが3階で用事を済ますのを十分くらい一階で待つ。その後教授室と実習教室がある「自在館」という建物へ行き、3階の研究室へエレベータで上がる。教授室に入ると、なるほどまだガランとしてほとんど何もない。前に使っていたのは同じマンガ学部のプロデュース学科の熊田先生。熊田先生が使っていた小型の冷蔵庫が一つと、壁にはロッカーと大きな書庫ラックが2つ、あとはテーブルと窓際の机に小さな引き出し台。
執務でメインに使う机の上は全く整理されておらず雑然としており、整理魔の俺としては許せない状況(笑)。さっそく片付けを始め、買ってきた事務用品なども整理して収納したり並べたり。しばらくすると12時過ぎに連れと講義でコンビを組む西岡愛先生が入ってきて、挨拶。すぐにやまだと授業の打ち合わせを始める。俺の方は前の晩買って持ってきたパンで昼食を軽く摂るが、連れは朝飯のバイキングから時間が経ってないからと、結局食べなかった。1時くらいまでそんな状況で、二人は授業に出ていった。
整理はいいが、文房具も含めて足りないものが続々と出てきたので、十分くらいして買い足しに行こうと、メモを置いて研究室を出る。いい天気と陽気の中、てくてく歩いて叡電の「京都精華大学前」駅まで行き、そこから出町柳へ。叡山電鉄の鞍馬線は、東京で言うと玉電=世田谷線のような二両、時には一両編成のチンチン電車に近い風情だ。出町柳から京阪に乗り換えるとコレが特急で、目指していた五条には止まらず七条まで行ってしまったので、いったん地上に出て反対側から入りなおし、カードを買って各停で五条まで。地上に出て五条大橋から川原町通りへ出るが、予想に反して意外と寂しい。あ、新京極があるのは四条だった! とここで勘違いに気付くがもう遅く、川原町通りをひたすらてくてくと上がることになる。
途中「パソコン工房」というPCショップがあったので、これ幸いと足りなかったUSBハブ、リストレスト付のマウスパッドを買い、それをぶら下げて四条新京極まで歩いた。この時点でもうへとへと、足は棒のようになった。何せ去年の夏に入院〜退院後は、病院の行き帰りや近所への買い物や食事以外はずっと自宅に引篭もっていた。その数少ない外出だって、近所以外の往復はバスやタクシーなどの乗り物を使っていたわけで、実際に歩いた距離はそれほどでもない。足が萎えているんだなあ、と実感。
天気が良く快晴のせいで、気温はグングン上昇しており、新京極の観光客や修学旅行の中坊の間をぬい、百均を発見する頃には汗だく。そこで本立てやらクリアファイル、整理ボックス、台所用品の足りないものなどをどっさりと買い込み、重い荷物を持って歩く。雑踏を抜けて寺町通りまで出たあたりでもう動けなくなり、ちょうど通りかかったタクシーに手をあげてしまう。
ところが運ちゃん大学までの道がうろ覚え、おまけに今日は北大路が何とか行列で馬だの平安装束の雅な行列があって通行止め。そこで一度は往生するが、警官が機転をきかせてくれ、行列の途切れ目をさっと止めて車を通してくれたので助かった。だがそこを抜けて宝ヶ池のトンネルを出てから、俺が叡山電鉄の線路沿いに走って岩倉を過ぎたあたりから山側に入れと言ってるのに、変なところを上がってしまい、山すその住宅街をうろうろ。結局30分以上無駄にし、料金も4500円くらいになった。だが疲れてたし気力も萎えていたのでそのまま料金を支払い、自在館横につけてもらってタクシーを降りた。

研究室に戻ると3時半を周っており、もはや疲労困憊。だがそこから買ってきたもので机廻りを整理整頓し、小ぢんまりした台所も水まわりを整理し、冷蔵庫の製氷皿も洗って水を入れて冷やしたり、買ってあったが放置してあった床ワイパーも組み立たり。そうこうしているとキヤノンのピクサス、MP800という複合機も届いていたので、今度はそちらへ取り掛かろうとすると、休憩で二人が戻ってきた。俺はプリンタを荷解きし、とりあえず窓際の引き出し台の上にセッティングし、パソコンとの配線をする。二人はすぐに授業に出かけたので、それから初期設定をし、ドライバや各種添付ソフトのインストール、テストプリントなどをしていると、小川先生が入ってきた。挨拶をし、名刺を渡す。座っていただき、明日の俺の講義の打ち合わせ。
実は今回、やまだの連れで元ガロの編集が行くということで、学生にガロのことを話してという依頼があったので。相手は四回生ゆえ、技術的なことや精神論は不要ということで、若い人の知らないガロの話や俺の若い頃の小さな版元での経験談などが面白かろうということになる。その後は世間話で、小川先生は俺と3つ違いだが、誕生日が一緒というのでびっくり。小川先生が帰った後は、明日の講義のために、以前創形美術学校で講義をしたときの資料として作ったガロの歴史の概略図をプリントし、テストを兼ねてピクサスでコピーしてみるが、これが綺麗なので驚く。出力したものとコピーとで、ほとんど品質にかわりがないくらい。もちろんコピーは多少白抜き文字が潰れ気味ではあったりするが、全然使えるレベル。プリンタはもうここまで来ているのかと妙な感心をする。
その後は一昨年アニメージュから受けたインタビューのテキストを、学生に配布用に書き足したりしたものをワードに流し込んで、これも20人分出力を、と思ったら6時過ぎになって二人が講義を終えて戻ってきた。課題の採点などを始めたので、俺は出力をかけてトイレに行き、戻ってきたら終わっていた。二人の採点は7時過ぎでようやく終わり、西岡先生が先に帰った後、一段落したので俺らも支度をして帰ることにする。

外はすっかり暗くなっており、山すそにある大学の構内は気温もぐっと下がってきている。昼間あれほど暑かったのが嘘のようだ。本館一階の備え付けてある配車専用の携帯でタクシーを呼び、国際会館まで行ってもらう。地下鉄で四条まで行き、地上に出ようとするが、俺はすでに昼間の備品買いで疲れていたので、手近な出口から出てすぐのわき道にそれ、蕎麦屋へ入る。俺は天とじそば、連れは天ざるで、疲れのせいか二人ともほぼ無言のまま運ばれてきたそばを食う。蕎麦は当り前だが関西風のダシ汁で、これが美味。その後はセブンイレブンでちょっとだけ買い物し、一階で俺だけコーヒーをテイクアウトしてホテルの部屋に戻った。二人ともテンション低く、着替えてテレビをつけるが、二人とも11時前には休む。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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