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2006-05-18(Thu)

京都五日目

5月18日(木) 京都五日目
朝ホテルで毎度同じお粥の朝食とコーヒー。いやうまいんだな、こんなモンでも。東京の某ビジネスホテルで食った朝のバイキングはクソまずかったもんだが。いつもなら連れが授業のある週は、昨日(水曜)で終わりで夜に帰京しているところ。今週は急遽、金曜に大学の入学説明会が入り、選任である連れは出席するために、延泊となったのだ。したがって今日はすっぽりと空いたフリーの日となった。夕方、小川先生が俺が講義をしたお礼に食事会をしましょうと言ってくれたので、6時自在館へ集合するまでは自由。これまで京都に何度も来ていながら、大学とホテルの往復だけだった連れは「観光でもしよう」と張り切っている。留守に猫たちへご飯をあげたりしてくれている、次女のYちゃんへのおみやげも買わないとなあ、あとお姉さんに頼まれていた佃煮もあるしなあ、ということで、まずはタクシーで11時前に八坂神社へ出かける。
神社にお参りをし、お姉さんが言っていたうまいという佃煮屋を探そうとするが、京都のガイド本によれば、八坂神社の南門を出たすぐの「やよい」という店がうまいという。お姉さんの言ってた店名は違ったということは覚えているものの、肝心の店名は思い出せないので、ここでいいよと行ってみると、なかなか趣のある店がまえ。試食した山椒とじゃこの佃煮も美味、しいたけもすこぶる美味、これにしようと詰め合わせを3つ、連れ合いのお母さんとお姉さん用に発送してもらい、わが家の分は持ち帰る。
その後骨董屋を冷やかし、四条通りをぷらぷら歩き、石屋を見るとなかなか凄い品揃えなので、二人で目を見張る。高い宝石や鉱石、水晶などが並ぶ中、緑色の細かい結晶が5,6センチ角の岩にびっしりついている様がまるで自然のコケのようで美しく、6000円とあったので思わず買ってしまった。連れの研究室が殺風景だったので、飾りにあげることにする。
その後つらつら歩いて新京極から錦小路へ出る。両側の店をじっくり見ながら歩く。途中、乾物店で珍しい乾燥しじみを見ていると、試食させてくれた。これがまたサクサクとうまかったし、おつゆにもなればしじみご飯もすぐできるよ、というので一袋買う。するとついでにこれも食べてってと、手のひらにごまとおかかのふりかけをくれたので食べると、コレがまたサクサクとすこぶる美味。いったん帰りかえるが、どう考えてもあれは美味いな、というので引き返して一袋買った。それから漬物店を見てYちゃんに頼まれていた漬物類と、うち用のたけのこのわさび漬け、連れが好きな奈良漬を買う。これらは連れが持ってきた大袋に詰め込んで、俺がかつぐ。
そうこうしてるうちにお昼になって腹も空いたので、「もちつき屋」という店に入る。俺はうどんと赤飯のセット、連れはまだ空いてないというので、白玉あんみつみたいなやつにした。出てきたうどんがこれがまたダシの味が絶妙で、うどんも美味。具で乗っているもちは焼きたての丸餅で、軽くついた焦げ目が香ばしい。その他のネギもあげ玉もワカメも必要にして十分で、何もかもが美味。またまた東京のメシが本当にイヤになる。東京では知らないところで外食となると、「外れたらどうしよう」という心配がつきまとうものだが、関西はまずそれがないのが嬉しい。ちなみにこの「もちつき屋」はけっこう有名なお店だったようだ。
満足した後も錦小路を新京極とは反対側の端っこまで歩く。大丸の裏に出たので、研究室のテーブルを囲む椅子が硬く、座布団かクッションがいるなあというので、大丸へ入ってみるが、けっこう高い。それにもうほとんど烏丸通手前まで歩いたわけでへとへとになったので、一旦タクシーでホテルに戻る。
だが大学での食事会というのは6時に研究室集合で、まだ時間的にはずいぶんある。じゃあ俺がいる間になるべく研究室の環境を整えてしまいたいと俺から言い、どこかホームセンターかスーパーみたいなところへ行こうということにして、再び出る。クッションやついたてを売ってるところはないかと、京都駅前から乗ったタクシーの運ちゃんに聞くと、運ちゃんは「わからない」と言って電話で会社にも聞いてくれる。だが結局そういうところはホームセンターの「コーナン」というところぐらいだと言い、連れはコーナンは前に小川先生に車で連れてってもらった時に見たが、本当にDIYの店で、そういうものがある店じゃないというので、困ったなあというと、駅の南側のアバンティならあるかもという。もうしょうがないのでそこでいいと、アバンティへつけてもらう。しかしそこは若い人向けのファッションの店。ただ2階にオモチャみたいなものやおもしろグッズの店があったので見てみると、カッコいいゴミ箱と柄の長いプラのほうきとちりとりセットがあったのでそれらを買う。
それらをぶら下げて、あとどうしようと言うので、俺はもう疲れたからとにかく教授室へ行っちゃって、お茶も飲めるようになったし、ソファでぐったりしてようと言うが、6時まで3時間くらいあるからイヤだという。じゃあどっか行くかと言うと、「金閣寺行こう」と言う。「金閣寺ィ?」と驚いたが、俺も昔何かで一度見たきりで記憶もないので、デカい荷物を持ったまま地下をくぐってヒイコラ京都駅の反対側へ出て、駅前の市バスターミナルの案内所で「金閣寺は」と聞くと何番からで220円というので切符を買い、バスで金閣寺まで出かけた。
雨中の金閣。月並みながら荘厳である
金閣寺に至る寺の門の前に着くと、修学旅行の中学生たちで溢れている。邪魔くせえ。とにかく参道を歩き、入場料を払って入って歩くとしばらくして、池とあの金閣が姿を現す。テレビや雑誌で見るのと現実とは大違いで、画面では安っぽいというか成金趣味みたいにギラついた印象だったのが、荘厳というか、綺麗だと素直に感動。ところが何とこのあたりでボロボロと大粒の雨になり、足早に金閣の周りを歩き、後半はほとんど早足で茶屋まで行き、避難。500円ずつ払って抹茶とお菓子をご馳走になる。ここでホッと一息、この菓子がうまかったので外のみやげ店で1つ買う。
その後タクシーで直接国際会館まで行き、連れが前に行ったのとは別の、駅前すぐの岩倉川沿いにあるコーナンホームセンターへいく。だが結局ここもやっぱりDIYの店で、ソファといったら車の椅子に敷く、タクシーの運ちゃんが使うようなシート型のしかない。結局教授室のドア止めを買って出て、駅前からタクシーで大学の自在館の横につけてもらう。雨は小降りというかほとんどあがっていた。俺らが金閣寺にいた時が一番降ってたと思う…。
連れは出席簿に出席カードを書き写したり、ケトルで沸かした湯で紅茶、俺はコーヒーなど飲んだりして6時過ぎまで時間潰してると、部屋の前で学部長の牧野先生が院生らしき女の子に「じゃあその子らはレアタへ先に行ってもらって、君はやまだ先生たちをご案内して…」と言ってるのが聞こえた。先日はご挨拶し忘れたので、外に出て挨拶。ここで初めて牧野先生と名刺交換をしてご挨拶を交わすことが出来た。その後先導してくれるはずの、中国からの留学生だという院生の子より先に牧野先生が歩いて案内してくれるというので、結局4人で外へ出る。
この大学の敷地内には孔雀がいるというので驚いていると、孔雀の前を通って行きましょうというので、檻の前を通り、雌雄2羽ずつの孔雀の檻を見たり、水のステージがある野外劇場などを見て、線路を越えて「レアタ」という学生食堂…といっても外部の人もお金を払えば飲食できる施設へ。ここでは院生の子やカートゥーンの子らもいて、学生は全部女の子。先生は牧野、やまだと俺だけ。総勢15、16人くらいか。俺は今日の食事会は、小川先生が声をかけてくださって先生がたが3,4人程度の集まりであると勝手に了解していたので、学生さんたちもこんなに参加してくれるとは思わず、びっくり。(小川先生はご不幸があり、急遽欠席となった)
7時ころから瓶ビールやウーロン茶、チューハイなどで乾杯。牧野先生は自分とマンガ界、社会史みたいなのをクロスさせた自分史みたいな年表を配ってその話をしたりの枕の後は、もう無礼講。俺はビールで連れはずっとウーロン茶だった。途中から吉村さんという、カートゥーン学科の先生で、学生らに今まさしくガロを読ませているという先生が合流した。飲み会は9時ころまで、そこは牧野先生にご馳走になってしまい、そのまま俺たちはタクシーで国際会館、地下鉄経由でホテルまで戻り、10時着。その後は11時過ぎには寝た。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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