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2006-06-05(Mon)

米原万里さんが亡くなる

5月25日、ロシア語通訳・翻訳家で小説家・エッセイストとしても知られている、米原万里さんが亡くなった。卵巣がんで、まだ56歳の若さだった。米原さんの略歴など詳しいことはニュース(訃報:米原万里さん56歳=エッセイスト、作家)などを参照していただくとして、自分にとってはお元気なころからのテレビ出演や、長年定期購読している週刊誌の一つ「週刊文春」での連載(「私の読書日記」、複数の方が交替で執筆)で親しんだ方だ。氏のエッセイなどは面白さとユニークさで定評があるそうで、いつか読もうと思っているうちに、機会を逸していた。

米原さんの物凄さは、やはり自分が癌であるという「宣告」を受けてからの生き様である。
2003年の秋に卵巣脳腫と診断され摘出手術を受けたが、それが癌であると判明したあと、医師側の独断による「規定路線」を拒み、「無治療・様子見」を自ら選択。三ヶ月に一度の検査で経過を観察した後、一年半後に鼠蹊部リンパ節へ転移。その後は抗癌剤が効きにくいと知ると、それによる疲弊や副作用などの悪影響と治療効果とを考慮した結果、米原さんはいわゆる「第四の治療」、代替療法を探索し始めることになる。このくだりが、包み隠さず、文春の「闘病記」に記述されてきたのだ。ちょっとでも効きそうだと聞けば、自分で徹底的に調べ、自ら足を運び、疑問があればその場で呈し、時にはその研究熱心さから治療を断られたりもしながら、それこそ必死で自らの癌と戦い続けた日々だ。その連載も、今年の四月末のもので最後となってしまった。
「週刊文春」の6/15号には『米原万里「がん闘病」最後の一ヶ月』と題した記事が掲載されており、妹さんの談話も読める。闘病記を読んでいるこちら側は、いつも米原さんの癌患者でありながらのヴァイタリティと精神力に驚かされてきたものだが、実際は相当お辛かったようだ。それはそうだろう、癌を宣告されるということがどれほどのショックとストレスを自分に与えるかは、経験した人でないと解らないものだ。常日頃デカいことを言っている人でも(例えば俺のように)、足が震えるのだ。
米原さんは数多の「代替療法」に挑み続け、自らの体を実験台として験したが、どれもが彼女の癌に良い効果を及ぼすことができなかった。あれほどの強い意志を持ち、「生きる」ことへの執着の強い人でも、癌に打克つことは出来なかった、そのことは我々にとっても大きなショックである。もちろん、癌とひとくちに言っても自分などのじわじわと真綿で首を絞められるような「極めてスロー」な進行タイプから、アッという間に逝ってしまうタイプまでさまざまなものがある。
俺のような血液・血球の癌、白血病や悪性リンパ腫のようなタイプは進行が早いものだと抗癌剤も効きやすく、遅いものは効きにくいというのが大雑把な分類だ。あれよあれよという間に進行するということはないものの、すぐに死ななくてはいい代わりに治療法もないというのは、まさに究極の選択のように、どちらもイヤなものだ。やはり、健康がいい。

京都から戻ってしばらくは膝やあちこちの関節が腫れて往生した。その後ここ数週間おとなしくしていたせいか、体調は回復。膝のコブも安静にしていたせいか、だいぶ小さくなってきた。両手の指の関節が節くれだっていたのも、ここ数日は比較的おちついている。食欲はすこぶるあり、三食食べないと飢餓感があるほどで、食間の「おやつ」も禁煙後は増えた。食欲があることはいいことだという。体重は入院前の64kgから68kgに増えたが。体重の増加も、脾臓が巨大化したせいでなければ(つまりこうして食欲があるせいで)、問題ないということなので、生ものや消化の悪いものには気をつけつつ、連れが呆れるほど爆食している。

時々考えるのは、それほど長くは生きられないと知ってから、「今生で自分は何を為したか」ということだ。
まだ何も為し得ていない、だが病を知らず長く生きられていたら何を為したかというと、その確証もない。逆に余命宣告を受けてからの方が、そのことを真剣に、よく考えるようになった。これはやはり「癌になってよかったこと」の一つだろう。でなければダラダラと喫煙を続け、自分の体を痛めつけ続け、日々を「消化」していたかも知れぬ。自分には時間がない、そう思うことが否応なしに刹那刹那を大事にせざるを得ないことに直結する。
「ガロ」のころ、大腸癌が見つかった長井(勝一・ガロ編集長)さんを、連れ合いと一緒に見舞ったことがある。病室へ入ると、長井さんはベッドの上にあぐらをかいて、小さなラジオを何やら難しい顔をしていじくっていた。当時の俺は癌患者にかける見舞いの言葉など何があるだろうと思いつつ、思わず「長井さん、大丈夫ですか?」とマヌケな言葉が口をついた。長井さん曰く
「大丈夫ってお前、俺癌なんだぞ?」
と、あの怒ったような口調としゃがれ声で切り返された。
「俺、癌なんだぞ?」と健康な人間を威嚇するような態度に、思わず俺と連れ合いは顔を見合わせてしまった。思わず三人とも笑ってしまった。長井さんらしいといえばらしい、思い出話である。

…米原さんの夢は「作家になること」だったそうだ。妹さんは「まわり道はしたけれど、作家になることができて、幸せな人生だったと思います」と語られている。そうか、「幸せな人生だった」と思えればいいわけだ。ならば大丈夫。

米原万里さんのご冥福をお祈りいたします。
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コメント

腰痛など

ちょっと調子が悪くてしばらくご無沙汰してました。

>オオカワさん
お祖父さん、回復されるといいですね。病を得ても、そのことが誰かの力になる…それはそれで素晴らしいことではないかと逆説的なようではありますが、思います。自分もこうした病気になり、それでもまだちゃんと生きていられることで、誰かの励みになっていれば嬉しいですね。頑張ってください。レス遅くなってすみません。

>まりさん
いつもありがとうございます。
「白血病の新たな再発防止治療」とは凄いっすね! やはり最終的な強力な治療としては抗癌剤による癌叩き~寛解導入~地固め~造血幹細胞移植というコースなんでしょうが、再発の恐怖から逃れられるものではありませんから。また再発するごとに寛解率も低下するわけなので、そこで再発を止められたら、大変なことだと思います。
それにしてもこの分野の進歩は目覚しいものがありますね…。期待して待つことにしましょう。ていうかその前に免疫力で叩いてやりてえ。
北海道はここしばらくが一年で一番いい季節ですねえ。東京では毎日クーラーがフル稼働しています。そうしてまたあの暑い夏がきますが、去年の今ごろを考えると、夏がまた迎えられることも、また嬉しいものであります…

しばらくです

しばらくです。

白血病の新たな再発防止治療と言うニュースをネットで見ました。まだマウスでの実験段階ですが、抗がん剤とあるペプチド(たんぱく質の構成要素)を一緒に投与すると、ペプチドが骨髄でねばっている癌細胞(再発の元凶)を骨髄からひっぺがして、それを抗がん剤で叩くんだって。マウスは抗がん剤単独では40日くらいで死んでしまったのに、この治療法だと60日以上たっても元気なのだそう。東京理科大と札幌医大との共同研究で、これから人体への応用に着手すると言うことでした。


あと、すでにご覧になっているのは存じておりますが、がんについての情報サイトアドレスが新聞にまとめて載っていたので記させて頂きます。

国立がんセンター http://www.ncc.go.jp/jp/" target=_blank>http://www.ncc.go.jp/jp/
がん情報サイト  http://cancerinfo.tri-kobe.org/" target=_blank>http://cancerinfo.tri-kobe.org/
県立静岡がんセンター  http://www.scchr.jp/" target=_blank>http://www.scchr.jp/
Web患者図書館  http://www.jhpla.jp/" target=_blank>http://www.jhpla.jp/
パラメディカ  http://homepage3.nifty.com/paramedica/" target=_blank>http://homepage3.nifty.com/paramedica/

東京は暑そうですね。暑気当たりや冷房冷えで体調を崩されませんよう、何卒御自愛下さい。

はじめまして!

私の祖父も今、癌で治療中です。

私は広島に住んでいるのですが、大学に受かって、関東に帰ることが出来れば、祖父母の家族の手助けもすることが出来ます。

いろんなことにやる気がでます。

地元商店街

はいぼーるさん、どうも。
地元というのはもちろん阿佐ヶ谷ですな!
もうずいぶん行ってないですが、今でもパール街を長井さんが、永島先生が歩いているような気がします。
長井さんが「飲みにいかない?」と誘ってくれたとは、ご機嫌だったんですね。確かに、今となってしまえばもったいなかったかも知れないっすねえ。
長井さんは飲みに行っても、小食な人なのでつまみ類はほとんど手をつけず、周りにどんどん食べさせるという人でした。うかうかしてると「ほら、若いんだから食えるだろ?もったいないからよ、食っちゃえよ!」と次々に勧められるので、いつも腹が一杯になったもんでした。

長井さん

白取さん、爆食ですか、たくさん食べられるのはいいですよね。

長井勝一さんの「俺、癌なんだぞ?」エピソードは
読んでるこちらも笑ってしまいました。

個人的な思い出を聞いてください。
20年近く前、地元の商店街で、夕方、ひとりほろ酔いで歩いてた長井さんに
「あ~こんにちは~」と挨拶したら
「どこか、一杯飲みに行かない?」と誘われかけたのですが
子供だった私は遠慮してお断りしてしまいました。
今思えばもったいなかったなあ。

「癌なんだぞ」

いや、何年経ってもインパクトある発言でした(笑)。
長井さんの発言ってそういうの多いんだよなあ。

それにしてもサッカー…ですなあ…

さすが

長井さん、という感じでしょうか。>「癌なんだぞ」
白取さんに簡単にがんばって、というのも何かいまだに変な感じですけど、でもがんばってください。病気になんか「負けないで」という意味において。

それにしても、サッカー・・・オーストラリア強かったですね・・・
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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