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2006-07-02(Sun)

「出版不況」--細く長〜く…ではダメか? 補の改

★昨年5月にアップした白取特急検車場【闘病バージョン】:「出版不況」--細く長〜く…ではダメか? 補の改稿です。
★何か自分の命があまり長くはないと知って、もっとはっきり言っておきたいことが増えてきましたので。


 「マンガマスター ―12人の日本のマンガ職人たち」の項で紹介したように、日本漫画がどんどん欧米に紹介され、アチラ側からも積極的に日本漫画を研究する人が増えている。
 俺も昔、ブラスト出版というところから「Comics Underground Japan」(Blast Books)というガロ系漫画のアンソロジーを出したことがある。原稿をセレクトしたり向こうに複製を送ったりしたのが95年ころ、本がアメリカで出版されたのが1996年だから、いくら何でもガロ系の漫画をアメリカで紹介するのは早すぎたか、と。
 その後2000年になって、先に言及した「Secret Comics Japan」(Viz Communications Inc.)を編著書としてVIZさんからやはりアメリカで出版させていただいた。
 その後、ブラジルのConrad Editraがそれらの仕事を見てコラムやインタビューの仕事をくれ、一時は日本での編集エージェントになったのだけど、向こうの経済的事情と体制の変化で解消となった。井上雄彦さんにConradの仕事でインタビューしたのは2002年頃だったか。

 ともかく、日本の漫画やアニメーション、関連してゲームなどが世界的に優れた文化、表現でありコンテンツであることはもう充分認知されている。けれども、優れた漫画やアニメがたぁぁくさん世に出て久しいこの国、他ならぬ日本の、特に政官界がそれに気付くのはずいぶん経ってからだったと思う。宮崎駿さんの作品が国際的に高い評価(『千と千尋の神隠し』が第52回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞)を得て、はっきりと「これからは日本の漫画やアニメも世界にアピールできる有力なコンテンツだ」「ビジネスだ」「ひょっとして誇りうる文化かも」となってきたに過ぎないような気がするのね。
 以前から、小野耕世さんのように積極的に世界に向けて日本の漫画やアニメを紹介されていた先達はたくさんおられますが、ほとんど孤軍奮闘というか手弁当っすね。国が力を入れてバックアップするとか保護をして次代の作家を育てるとか、そういう動きは本当に鈍いし不十分だ。
 けれど、では、国なり地方自治体でもいい、要するに政や官の側が「保護」したり「後押し」するようになると、はっきり言って俺らは迷惑なことも多い。
 つまり彼らは自由な漫画やアニメというコンテンツ全てを「保護・育成」しようなどとは思わない。保護して「いいもの・悪いもの」を必ず選別する、いわばそうした「お上のお墨付き」のものとそうでないものに分かれるだろう。で、そういうお墨付き、昔よく言った「文部省推薦」のもので面白いものってあったかね? いやまあ全部がつまらないとは言わないけれど、ガロ系、例えば根本さんとかマディ上原さんとかキクチヒロノリさんとか絶対未来永劫、お墨付きは得られないし、たぶん見つかったら抹殺しようと動かれるかも知れない。
 それは冗談としても、漫画っていうのは人を数百円で笑わせたり泣かせたり感動させたり怒らせたり欲情させたり、ともかく一番手軽な大衆の娯楽だったんすよね。そういうところにお上、官憲だとかが入ってくるとロクなことにならない。だから別にお墨付きもバックアップも本当は必要ないんすよ。必要だと叫んでる人もいるのかも知らんけど、俺は迷惑。ガロ者だからかねえ。

 お上になんか評価されんでも別にかまわない、むしろほっといて欲しい。褒めなくても、世間知らずのキャリアエリートや政治家、お利巧ちゃんの学者だのが無理に理解あるところを示そうとしてか、小理屈をこねまわして漫画を褒めるのを見聞きすると、何かムカムカするのよ俺。漫画も理屈こねなきゃ読めない、不幸な人間のような気がする。
 ともかく、別に日本では漫画やアニメはほっといて、業界に任せといてくれと思う。これから漫画やアニメが世界に誇る日本の文化・表現・コンテンツ・ビジネスになる、それを国が認めバックアップしようと思ってくれるなら、最高のバックアップは「口を出さず、規制をせず、ほっといてくれること」です。
 そうしておいてさえくれれば、諸外国でもちゃんと日本漫画のいいところを理解する人たちはどんどん現れるし、増えてくる。

 最近、やまだ紫「愛のかたち」がフランスの出版社Editions PHILIPPE PICQUIERより仏語訳の刊行が決定した。かの出版社では、この作家の過去の作品を非常に高く評価し、これ以外にも複数刊行したいと話しているそうだ。

 ところが、彼女の漫画作品で日本で読めるものは何点あるのか?

 連れ合いだから言うのではない、編集者になる以前から、連れ合いとなる以前から、「性悪猫」「しんきらり」を漫画史に残る名作だと思っている。当然フランスからも高い評価を受けた、当然だと思っている。なぜ、日本ではその正当な評価をしないのか?  と思うのだ。
 お上の評価など、どうでもいい。われわれ業界や、読者の目に任せておけ…と胸をはって言いたいのに、では「漫画の国ニッポン」の読者レベルはというと、どうだろう。
 津野裕子という、やはり非常に優れた漫画家がいる。先に述べた、アメリカで出版したアンソロジーでも絶賛された才能である。日本では一般の漫画ファンでも知る人は少なく、著作も弱小版元から3点、それも2点は品切れという津野裕子作品を、アメリカ人が外から高く評価する。
 キャリア30年を越え、新作の評価も高いやまだ紫作品を日本の版元は「見殺し」(品切れ状態で再版もせず放置状態)にしている現状、そしてやはり外からフランス人がそれらの作品を高く評価し、出版する。こうした状況は枚挙に暇がない。
 漫画の国ニッポンつったって、結局はたくさんの人が見る「マス」のコミックがたくさん売れてるだけの話なんですよお客さん。テレビでちょっと宣伝すりゃガーッと売れる、マスメディアが「右向け右」と言やぁほとんどのイッパン大衆はその通りに動く、コミックも「産業」になって久しい現在、その例に漏れません。
 漫画という優れた表現が、日本という国で独自の進化を遂げ、今だに進化し幅を広げているというのに、読者がついていっていない。四半世紀前くらいまでは、マスコミが大きく漫画を取り上げるということも少なかったし、漫画が原作で映画になるなんてのは、アニメを除けば、安易に作れるアイドルを主役にしたどうでもいいプロモーション映画でもなければほとんど見られなかった。漫画は「表現」としては不当に世間に虐げられ、蔑まれていたといってもいい。
 漫画は何とかして世間に認められようと、いや、そんな気負いなどなく、自由な表現を模索して、流行や商売ヌキで試行錯誤をして、メジャーもマイナーもシームレスで切磋琢磨していたいい時代があった。
 漫画はその後テレビドラマや映画の原作になることは珍しくなくなり、普通に漫画を大人になっても読む世代は還暦を迎えるという時代になった。漫画を差別するような人間は本当に少なくなった、社会も変わった。何せ政府が漫画を日本が世界に誇るようになったのだから。
 でも、日本ではテレビが最大のマスメディアとしてだけではなく、大衆を簡単に動かせる巨大な影響力を持つ唯一絶対の手段となってしまっているから、テレビに出ていれば阿呆でも先生、テレビに出てれば下手糞だろうが有名歌手、テレビに出てれば芸がなくても芸能人…と、とにかくテレビ至上主義となってしまっている。大衆は独自に優れた表現を探す努力を放棄し、テレビに審美眼を一任してしまって久しい。何だこの国の文化って。
 インターネットの時代になって、ようやくテレビに対抗し得るメディアの台頭を予感させるようになったものの、やはり不特定多数への絶対的な影響力という点では全く太刀打ちできない。ネットからスターに、というパターンは、結局その「素材」を「テレビが取り上げたから」そうなったに過ぎない。

 …こんな情けない状態をいつまで続けてるのだろう、そう思うと胸を張ってお上に漫画という表現を「いいから黙って見とけ」と言ってもいられないではないか。 メディアを大衆という「受け皿」に送り出す「送り手側」で、テレビに対抗してきたのは版元、出版社側だ。それはずっと、出版といってもあくまで活字であったが、活字の世界では相変わらず活字至上主義者が跋扈している。だが売り上げという点で漫画がそれを支えるという自己矛盾も同時に抱えている。それでも活字側が一定のリスペクトを得ていると、それが錯覚だとしても、一応そういう了解の構図がある。売れる・売れないだけでは測れない、その作品そのもののを評価し、いいものを後世に伝えていこうという気概がまだ、かろうじて残っている。(危なくなってきているが)だから、一定のリスペクトを社会から受けていられる。
 漫画の世界ではどうだろう? 過去の名作を今に伝えよう…と言って引っ張ってくるのは、結局過去に「マス」として売れたものではないか。ジャンプやサンデー、マガジンなどに代表される、その時代にバカ売れした作品を数十年後にまた引っ張り出してきているに過ぎない。もちろん、優れた作品だから過去にバカ売れしたのだろうし、実際に今見ても面白いものも多い。だがそれらは、昔も今も巨大な大手版元という資本のもと、送り出されたものである場合がほとんどだ。
 ガロ系などの作品は昔も今もほとんど社会に大きく紹介されることはなく、従って一部の濃い漫画ファンの間で細々と語り継がれていくしかないのだ。
 昔は、いや少なくとも俺がいた頃のガロ=青林堂の頃は、弱小の版元であればあるほど、小部数でもいい本を出していけた。2500部や3000部を、それこそ「無くなったらすぐ再版」していった。結局いっとき、流行でバーンと売れるものより、版元を支えていってくれたのは、俺たちの毎月の給料となり版元の土台となってくれていたのは、そういった「本当に長く愛される、時代に左右されぬ優れた作品」であったはずだ。
 だが今、売れる・売れないだけが価値基準となり、弱小版元は本を出したところで書店で棚を貰えずに、評価を得る前に大衆の目に届くことすら出来ないのが現状だ。目先の利益を追わねば版元は自転車操業が出来ないから、勢い初版部数は低く抑え、その代わりサイクルを早くする、いわば「ヒット&アウェイ」的な、刹那的などうでもいい本が増える。点数が増えればこれまた書店でのスペースの奪い合いとなる。
「いいものを長く売れ」なんて、もはやそういう現場では鼻で笑われるだけだろう。

 だが、言い続けなければならない。

 出版不況でいろいろ考えてきたが、「本当に良いものを長く売る」ということは全てではないが、選択肢の一つとして確かに、あると思う。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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