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2006-07-28(Fri)

メディアについて思うこと 2

【いろいろ考えていたらとても書ききれなかったので、分けてみました】

TVを口を開けて見ていれば情報はタダで、雨あられと降り注いでくる。ニュースだって映像や解説付きで流してくれるから活字を読み込むよりも理解しやすいかも知れない。しかしTVはスポンサーがいる以上、その意向が強く働いているし、彼らの代弁者である広告代理店、そしてタレント事務所などの意向も絡む。スポンサーは営利企業ゆえに、最終的には自分のところの製品をより多く売るために、あるいは企業イメージや知名度を上げるために金を出しているのだ。その金は本来消費者のものだから、本来消費者である視聴者が最も番組制作に対しては強い意向を持つはずだけど、実際はそうではない。
TVは巧妙な戦略で視聴者を動かそうとしている。下らぬバラエティ番組でも、裏では数十人単位の大人たちが会議をしあれこれと頭を絞って制作している。表に出るのはそのホンの表層部分に過ぎない。それを見ている大衆は別に構えてもおらず、深く考えもせずにいるわけで、最初から勝負の結果は明白だ。そうしてTVに洗脳されていく。TVのバラまく「スタンダード」に大衆がどんどん染まっていく。
どうでもいいが、「グルメレポーター」とかいう連中の下品さはどうにかならないものだろうか? ほとんどが箸もまともに持てぬ連中だし、そもそも「味を伝える」という極めて形而上的なことを体現できるだけの語彙も知識も持たぬ者の方が多い。彦麻呂とかいうデブはモノを口に入れると、咀嚼したものを丸見えにしながら大口を開けて「味の@@@やぁ〜」と意味不明の言葉を発する。食事中にコイツが出ると、わが家ではチャンネルを変える。気持ちが悪くなるからだ。何が悲しくて、人の口の中で咀嚼途中の食べ物を見せられつつ飯を食わねばならないのか。
以前なら、こういう映像を流すと即座に「汚らしい」「食事どきに不謹慎だ」と抗議が殺到しただろう。それ以前に、「こういう映像はナシ」という抑制が制作側にあったとも思う。だが今は夕飯どきのCMでも平気で、洗剤は汚い便器の映像を、汚れた洗濯物を、排水溝の毛だのぬめりをCGでそこまでやらんでも、というぐらい克明に再現して見せ付ける。こういった映像は直裁に示す必要はあるまいに。また消費者金融=金貸しは、昔はひっそりと大人しくしていたものだった。高利貸しなんて胸を張って世間様に言える商売だったか? 生理用品では若い女性タレントが平気で「多い日も安心」だの「オリモノ」だのということが、なぜ平気なのか? それを見せられてなぜ、大衆は不快と思わぬのだろうか? こうしたことは全て、テレビが長い時間をかけて形成してきたスタンダードである。
年長の者への礼儀に欠く言動をヘラヘラと許すバラエティ番組や、こ汚い言葉遣い、無知無教養を開き直ること、箸が使えない、礼儀や作法は無視、別にこちらとて威張れたものではないが、そのことを十分にわきまえている。恥じるという回路を持っている。
ボクシングの亀田兄弟が周囲の大人に平気でタメ口を利き、不遜な態度をしても、誰も注意しない、できない。本来それを躾ける役目の親からして、あの調子である。その映像が毎日タレ流される。それを見た子供たちは「強ければ何してもいいんだ」と思う。(ちなみに亀田兄弟の父親は俺と同い年だったと思う)
若いうちは欲望と衝動に任せて行動するから、後先考えずに突っ走ることもある。まあそれが若者の特権(とかいう免罪符もどうかと思うけど)と言えなくもないが、躾けをキチンと受けていない「子供」が「子供」を作る。その子を誰が躾けるというのだろうか。格闘技が強ければ何をしても許されるし、これからの長〜い人生、それだけで乗り切っていけるし、やがて結婚し子をなしても、その子にいろいろなことを教えて行けるというのだろうか。スポーツは確かに、それに秀でていればいい。別に勉強など出来なくてもそのスポーツをやらせたら誰にも負けぬ、それでいい。ただしそのスポーツで死ぬまで食っていければ、の話だ。だがほぼ全てのスポーツにおいて、それは不可能である。
プロスポーツで、死ぬまではともかく現役年齢の間だけでも、それだけで食っていけるレベルに達するということは大変なことだ。食っていけるレベルに達しても、一番実働時間が長いと思われるゴルフ、次が野球かと思うが、それでも超一流と言われる層はホンの一握りであり、ピラミッドの底辺には数百万!!という数の「アマチュア」がいるというのが現実である。亀田兄弟は若くしてそのレベルに達しているのだから(本来の競技自体というよりは周囲のもてはやしによって、CMだのその他の芸能活動において「食えている」のだとしても)、それはそれで凄いことであることは認める。だが自分が40、50、いや70、80になってもあの調子で世の中渡っていけると本当に考えていたとしたら、それは相当におめでたいとしか言えない。

別に頭も鍛えておけ、という当り前のことだけではない。俺なんかこんな偉そうなことを言えた義理じゃないことぐらい重々承知している。でも、若いうちは「バカだなあ」で済む場面も、30、40になったら単に「可哀想な人」になるだけだ。十代のころ、「自分が何も知らないことさえ知らない」でいたころは、好きなものだけ取り入れ貪って、それで自分はモノを知っているような気分でいた。それがとてつもなく恥ずかしい。そう気付くのが早くて良かったと、中年になって心からそう思う。「人間死ぬまで勉強」というのは本当のことだ。
新聞を「読め読め」と若い生徒たちに勧める意味は、実はそういう部分にもある。興味のない記事でも何とか読む努力をする。そうしていくうちに自然と見識が広まる。そうすれば多方面へきっと知識欲も広がり、結果幅広い知識や教養が得られると、信じている。

偏差値教育的な頭の良さ…それは学歴だったりするが、それだけで人間の価値をはかる傾向にも拍車がかかっている。そういった「お勉強がいかにできるか」だけではなく、人としての幅広い知識や教養、ひいては人格というものが評価されるのが、本来大人の世界のはずだった。偏差値的な頭の良さというよりは、知恵とか、違う種類の頭の良さの方が、社会では実際に役に立つことが多い。もちろん、お勉強も出来ず知恵もない…というのは最悪だが、それならそれでも生きていく術はいくらでもある。昔は「俺がそうだから子供に苦労はさせたくねえ」つってお父さんは頑張って汗して働いた…という図式が普通にいくらでもあった。
しかし今はどうだろう。前項でも述べたように、エリートしかエリートにはなれない。つまり、残念ながら貧乏人は貧乏人にしかなれない。先日、NHKスペシャルで「ワーキング・プア」の実態を追った番組が放送されたのを見たが、ほんとうに日本は悲しい国になってしまったな、と感じた。考えてもみて欲しい、時給800円で8時間、足を棒にして働き、一日の報酬が6000円ちょっと。30日休みなしで働いて、18万円「にしか」ならないのだ! 18万ももらえれば、一人なら何とか暮らしていける。借金もなく、健康であればの話だが。だが、もし離婚し子育て中の母子家庭だったら? もし会社をリストラされた50代のおっさんだったら? 夕方のニュースショーを見ていたら、働きながら育ち盛りの子を育てている母子家庭の様子がいくつか紹介されていたが、一日の労働時間が軽く12時間を越える家庭がほとんどで、それでいて年収は200万程度など、本当に厳しいものだった。救いは一つの家庭は子供たちが親の苦労を理解していること、もう一つの家庭は貧しくても幸福だと言い切ったこと、最後の母親は必死で働いて1000万を貯め、保育所を開業できたことなど、「明るい例」にとどまっていたことくらいである。だがその影にはその何十倍、いや何百倍の苦しく辛い家庭がひしめていることは想像に難くない。
いっぽう、TVでは金持ちをもてはやす番組で溢れかえっている。高価な食事や食材のレポート、ヒルズ族だのといって株やITで儲けた連中をまるで神であるかのように卑屈なまでに持ち上げ、豪邸拝見だの高級外車何台所持だの、どこそこに別荘をお持ちだの、手には数千万の腕時計がとか、うんざりするほどの拝金主義ここに極まれりといった感じだ。
そういうものを見せられても(見たくなければ見なけりゃいい)、それが「俺もいつか」と、貧乏人のモチベーションにつながるのなら、それでいいのかも知れない。でも現実には日本にはその「いつか」を実現させる社会の仕組みは、もうない。ごくごく一部の例外と幸運と、恐らくは信じられないような努力があってようやくその一端に触れられるかどうかだろう。


絶望的な気分になる「ニッポンの将来」だが、それでも生きていかねばならない。というより、俺の場合は生きていられることそれ自体が有難いことであることに変わりない。その生かされている社会がいい社会ならもっといいのにと思うのは贅沢すぎるのだろうか…。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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