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2006-07-30(Sun)

極楽・山本事件3 欽ちゃんの「波乱万丈」

先ほど日本テレビ系「いつみても波乱万丈」、渦中の(ってもう立ち消えたけど)欽ちゃんが出演。
コント55号時代から人気絶頂で妻子がいることが発覚〜やめる〜やめる撤回、欽ドン欽どこで人気最絶頂〜やめる〜劇団立ち上げ、映画制作〜泣かず飛ばず〜そしてGOLDEN GOLDS結成〜やめる〜やめる撤回(笑)…というある意味波乱万丈な半生を語り倒されておりました。
いや、欽ちゃん、いい人なのはわかる。ていうか「いい人」にキャラ転換をしたのはわかる。前にも書いたけど、欽ちゃん絶頂期のコントはそりゃあワイルドだったし、言うことも露悪的なところがあったり小憎らしい理屈屋ぽいところもあり、ガキの自分から見ても好きなキャラクタではなかったというのが正直なところ。だって俺の欽ちゃんの印象というと「二郎さん可哀想」(笑)だもんなあ。
でもこの番組、ちょっと「?」という部分も多々あった。こういう番組、なんでこのタイミングかというと、当然「球団「やめることにしました」〜「おれやる、やらしてな!」騒動」で叩かれたためのイメージ回復戦略なわけなんだけど、例えば欽ちゃんが「目を潤ませて」唯一の弟子、と語った斉藤清六の話。
欽ちゃん人気絶頂の頃に自分を訪ねてきて「弟子にしてくれ」と。欽ちゃん三日一緒にいたら「こいつ頭おかしい」と思い、「コメディアンになるなら浅草行きな」つんで浅草へ行かせた。清六ちゃんと浅草で十年修行して戻ってきた。欽ちゃん一緒にメシ食ってたら清六、箸がうまく持てないんで食べ物をあっちゃこっちゃに転がす、「お前とメシ食うのイヤだ」と叩き出す。ていうかそう言われた清六が姿を消したという。そしたら欽ちゃんが映画作った時に、映画館の前でサンドイッチマンが自分の映画を宣伝していたと人に聞く。「欽ちゃん、頼んだのか」つうんで「頼んでない」、そのサンドイッチマンが何と清六。欽ちゃんが感激して「こいつだけは何としても有名にしてやろうと思った」つんで、TVや舞台に出演させた。曰く「有名になるまで8年かかった」…。いや時間軸メチャクチャである。清六がブレークしたのは確か「欽ちゃんのどこまでやるの」(通称「欽どこ」)だったはず。欽ちゃんが映画撮る前だったはずでは? …まあいっか。
「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(72年〜)通称「欽ドン」は「イモ欽トリオ」(普通の子=長江健次、悪い子=西山浩司、良い子=山口良一)を輩出、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(76年〜)通称「欽どこ」は真屋順子がお母さんをやり「わらべ」(のぞみ=高部知子、かなえ=倉沢淳美、たまえ=高橋真美)、見栄晴などを輩出した当時の超人気番組だった。小堺一機、関根勤もまだ駆け出し扱い(何せ黒子役…というかややかこしいが小堺は灰色だったのでグレ子、関根が黒子)。欽ちゃんがやや毒気を抜かれて、いや抜いて?、お茶の間形式でコントやトークを繰り広げる番組で、かなり視聴率が高かったはず。自分も見てたし。
ある日突然欽ちゃんがほとんどのレギュラー番組からの降板を宣言してテレビからほぼ消え、劇団を立ち上げた(はしのえみ、Take2はココ出身)あたり、つまり85年〜91年ころというと、自分はもう青林堂(ガロ)で働いており、残業残業の頃。芸能界にもほとんど興味がなかったので欽ちゃんは「消えた」という認識だったと思う。たぶん今の20代後半から下の人にとっての欽ちゃんは「仮装大賞」の司会のおじさん、ではないだろうか。なので98年に長野オリンピックの司会に抜擢された時は、見ているこちらも「何で?」という強い違和感があったのを覚えている。
でもこの時期にイメージ回復のためにわざわざ番組を作ってもらえること、人気絶頂時に引っ込んだにも関わらず、いわゆる「干された」状態にならなかったことなど、彼は今さらながら業界人に、そしてそれを通じて国民に愛されたキャラクタなのだなあと実感。今回の球団「やめることにしました」〜「おれやる、やらしてな!」騒動にしても、俺みたいに「子供かあんた」と感じる人間の方が少なかったようで、そのうえ「こんなにいい人なのよ欽ちゃんて」というメディア側の擁護が凄いと、おかしいよと表明する方が悪役のようである。要するに今の「俺ナンも考えずに言ったり走っちゃったりするもんだから…ごめんなあ」という「キャラ」を許容できるかどうかなんだろうなあ。昔の欽ちゃんを知ってると「ええ〜、そういうキャラでしたっけ?」という目で見てしまうのはいた仕方ないところ。だって欽ちゃんといえば、徹底的に台本を練り上げ、舞台やテレビでのコントもその通りに行うという、言ってみればドリフターズなどと同様、古い芸人の部類に入るタイプだったはず。(そのためにTVが作った漫才ブーム=アドリブやリアクション重視には批判的だったし、それがゆえに人気自体が下降した;古いタイプの芸人である、その芸人としての評価、また若手を育てたことなどへの評価は今回の騒動とは別の話)
自分でシナリオを書き、その通りに演じて見せる芸人・欽ちゃん…その意味では今回の球団「やめることにしました」〜「おれやる、やらしてな!」騒動は考えナシにおろおろした結果と取るか、結果的にGolden Goldsの宣伝に大きな貢献をしたと見るかは、「自由だ〜!!」
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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