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2006-08-25(Fri)

漫画家になりたい人へ

前記事「ガロ的編集道」ってに関連することです。

先日、連れ合い(やまだ紫)が教えている京都精華大学マンガ学部のAO入試が行われた。その様子については外部に漏らすわけにはいかないし、突っ込んだことまでは聞いていないので機密漏洩なんかそもそも出来ないんだけど、エピソードとしてやまだの体験談を一つだけ。
ある学生が
「『ガロ』が無くなってから、自分はどこへ作品を持って行ったらいいか判らない」とか
「商業誌で自分の作品が受け入れられるかどうか心配だ」というようなことを言ってきたそうだ。
やまだが『ガロ』でかつて描いていた作家だと知っていてのことだから、今どきの若い子にしてはたいしたもんだと妙な感心をした俺ではありました(笑)。ちなみに、「今どきの若い子」は『ガロ』なんか知らねえよという向きは、少なくとも漫画を描いたり漫画家を志す若者たちには、通用しないという。みな、『ガロ』を「かつてあった」伝説の雑誌としてちゃんと認識しているし、リスペクトもしているという。
そうか、今はネット社会だからね、叩けばいくらでも調べはつく。読もうと思えば読める場所も確かに、ある。(ちなみにやまだ研究室に、自分が編集していた頃の『ガロ』を寄贈させていただいた)

「先日の記事に関係する」というほうに話を戻すけど、どうもその子は
商業誌という世界は資本の論理が先行し作家性重視ではないらしい
から
自分の描きたい作品が編集あるいは版元によっていじられてしまい
結果
作家としての自分を出せなくなってしまう
ということを危惧しているようだ。これには回答も含めてその場面の話があるのだけど、守秘義務があるので(笑)詳しくは書けない。
まあともかくそんな話を京都から帰り、遅い夕飯を取る連れ合いから聞かされたわけだけど、俺個人の見解なら問題はないでしょう。

そこんとこに関連して、前記事「ガロ的編集道」ってで述べたように大手メジャー商業誌の世界にだってちゃんとしたプロの漫画読みである編集者はたぁ〜〜〜くさんおり、むしろサラリーマンやっつけ編集者の方が少ないでしょ、ということが一つ。俺、大手メジャーの「マス・コミック」を憎んだり否定したり(笑)、してないっすよ全然。
さらに、先日も「マス・コミックの力に驚嘆」で述べたように、「商業的な成功」と「作家性を強く出すこと」と「高いレベルでの創作」を同時に実現させられる作家たちもたくさんおられると思う。
さらに手前味噌を続ければ「マス・コミックの力に驚嘆 2 」で引いた『ガロ』からメジャーへ巣立って行き成功している作家の一人である、古屋兎丸氏の言う
「メジャー誌という制約と要望の多い中でどうやって自分を出すか、どう表現していくかを考えていく」
ことが出来なければ、商業誌で作品を発表すること=漫画でメシを食うことは出来ない。
プロというのは、その道で食える立場にある人のことだ。プロの漫画家というのは漫画で原稿料を得て生計を立てている。そうである以上、対価=原稿料を支払う側からの、何らかの意図なり干渉なりが入るのは仕方のないことだ。だからといってそんな環境では自分は作品は描けない、というのであればプロの道を諦めて、同人誌などを発表の場に選択するしかあるまい。それはそれでいいが、ある意味自慰行為を他人に見せているようなものと言ったら言い過ぎか。

優れた作家というのは、商業誌であろうとキチンとオリジナリティを持った作品を高いレベルで発表できる人のことだ。
あの『ガロ』からだって、たくさんの人がメジャー・非メジャーを問わず商業誌へ巣立っていっているではないか。
つまらん心配をする前に、まず自分のオリジナリティ、作家性とは何かを真剣に考え、技術を高め、お話を創る下地になる様々な「表現」を吸収することに時間と労力を費やしたほうがいいと思う。

漫画とは「絵とお話の両輪だから」は、我が師であった長井勝一翁の言葉だ。
当り前じゃん、と思う人も多いとは思うが、実際、『コミッカーズ』(美術出版社)以降、アマチュア作家の画力というかテクニックは物凄く進歩した。プロがどんなペンを使ってるのか、どんなトーンワークをしているのかなどなどが公開されて久しく、テクニックに関してはプロを凌ぐアマチュアもたくさんいる。まあアマチュアの場合「好きだから」という理由で流行りの絵柄を模倣しているうちにそうした絵ばかりになってしまっている感もあるが、ともかく、絵に関してはかなりのスキルを持つ「アマチュア」も多い。だが「話を創る」部分はどうか、と。

昔勉強した写真・カメラの世界では、機材に凝りプロ顔負けの道具を多数所有し、技術と理論に長けた「アマチュア」のことを「ハイ・アマチュア」と呼んでいたと思う。他の分野でも使うのかも知れないが、ともかくこのようなハイアマは、技術面では確かにプロと同等あるいは凌ぐほどの「腕前」を持っているが、肝心な「絵心」がないため、構図は凡庸だったり、対象が全くつまらなかったりすることが多い。
漫画の世界のハイ・アマには、もう一つの車輪である「お話」が創れない人が多い。
それは、同人作家の多くが「創作系」ではなく「パロディ系」であることからもよく解るだろう。もちろんパロディとて、本編の「アナザー・ストーリー」を創るという反論もあろう。だが、しょせんは、人が産み出した世界の上にアグラをかいているに過ぎない。
いや、同人漫画はそれはそれでいい。なぜなら同人漫画だからである。好きな人が好きなように描き、それを好きな人が対価を払って買うわけだから。

さてハイアマの多くは絵だけを見れば(オリジナリティという部分ではともかく)、それはそれはペンは走ってるし道具も使いこなしてるし、背景やパースもプロ並だ。だが創る話が三文芝居…という場合が多い。これではいくら絵がうまくても、全く使い物にはならない。いや、原作がついて単なる絵描きとしてなら通用するかも知れないが。
漫画家、というのは単なる絵描きではない。
長井師の言葉を借りるまでもなく、ストーリー創りが伴って初めて漫画家となる。別に集団で分業体制でも構わないが、ともかく漫画というのはそういう表現だ。
絵、デッサン、技術の巧拙は、何とでもなる。教えればよほど不器用な人でない限り、大概上達する。
でもお話をどう創るか、どうやって人を作品世界に引き込んでゆくか、それも自分という他にはない作家として、オリジナリティある作品を構築していくか、を教えるのはたいそう難しい話であろう。
例えば70年代に『ガロ』でデビューした蛭子(能収)さんなどは、他誌に軒並み「絵が下手すぎる」という理由で叩き落とされていた。川崎ゆきおさんも、『ガロ』以外ではデビューできなかっただろう。でも、そういった作家さんたちには「絵の巧拙」などどうでもいいほどのオリジナリティと、話の面白さがあった。それがその人の「作家性」だと思う。

昔、長井さんは俺が漫画家志望の18歳だった時に、いい漫画家にはどうやったらなれるかという稚拙な問いに対して
「いい小説いっぱい読んで、いい音楽いっぱい聞いて、いい映画いっぱい観な」
と言った。
全くその通りだと、二十年以上経った今でもそう思う。
どれだけさまざまなジャンルの作品に接し、自分の感性を鍛え、熟成させた己の創作意欲を作品に昇華させることが出来るか…が、いい漫画家になれるかどうかなんだと思う。
薄っぺらい人にはそれなりの漫画しか描けない。そういう人は、結局メジャー誌へ運良く行けたとしても、それこそ薄さを突かれて編集の言いなりになるしかないのだろう。

時間があるうちに、それこそ貪るように小説でも映画でも漫画でもいい、さまざまなジャンルの「表現」を吸収するべきだと思う。それらはその気になって見渡せば周囲に溢れているのだから。
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コメント

どうも!

AO入試ですね(笑)。
OAだと何か自動化されてそうですな。修正しました。

Unknown

AO入試だよね?

ジブリについては

まあ色々ともっと言いたいこともあるので…。
でも、確かに以前と比べたら、もう擁護しきれないというのが本音というのはよく解りますね。
自分としては、なんか「オタクの普遍化・一般化」と共に、ジブリ戦略が変わってきたような気が。

ジブリ

なんか、ずっと庇ってきたけど、もう庇いきれない・・・
というのが正直なところですね、僕ら世代のオタクとしては。

>30代後半オタク様

コメントありがとうございます。
劇場版「うる星」、懐かしいですねー。前にもどっかに書いた気がしますが、公開当時劇場で見て、あまりの面白さに友達に勧めて一緒に見に行ったりした俺って、オタクだったのか。
「ガロ」のパロディというかつげ作品へのオマージュが散りばめられていたりしたのは有名ですよね。まあコミックの「うる星」ファンからは当時賛否両論だった記憶がありますが。もともと「メガネ」はアニメでのキャラだし、原作の設定を忠実に活かしつつ、その世界をさらに拡げたという意味では、「うる星」はいい作品でしたね。
「最近のジブリ」……(苦笑)

そういえば・・・

劇場版「うる星やつら」「うる星やつら2(ビューティフル・ドリーマー)」で押井守監督を評価したのは、私らの世代だったわけですが、押井監督に限らず、あの頃のアニメって面白かったですねえ。ガロのパロディも入ってたし、SF小説などからの引用も多くて。それらを知ってなくとも本線でじゅうぶん楽しめる映画でありつつ、大人が散りばめられた「仕掛け」や「メッセージ」「オマージュ」などでニヤリとさせられたり、感心したり。
大仰かも知れないけど、それらを漫画やアニメの世界での「教養」と言ってもいいかも知れないですね。
最近のジブリの映画にはつくづく失望させられています。

今どきの漫画家さん

>(一人目の)Unknown様
コミケでのパロディものなんかは、あれはあれで全然アリ、OKなんすよ。何度も言うけど。描き手も読み手も双方了解済だし、そういう中から本当の創作へ行く人もいるし、いかなくてもいいし。
あと「まんが道」的世界って、まあ何の道でも確かに「今どき感」はありますよ。でも今どきだろうがいつの時代だろうが、変わっていいことといけないことがあると思う。本気で何かに打ち込む、ということは忘れてはいけないことだと。

>(二人目の)Unknown様
今どきの漫画家さんは本当、大変だと思いますねー。人ごとみたいですが(笑)。
「ほとんどがどこかで見た話」になっちゃうということはそうなんですけれども、「それでも面白い漫画家はいる」のも事実だということを考えれば、何となく答えみたいなものが見つかるんではないかと。
例えば「何気ない日常を淡々と描くこと、そのことがドラマとなる」という手法にしても、つげ義春がそれを描くこと、やまだ紫がそれを描くこと、それぞれに魅力が違いますよね。喩えがちょっと物凄いかも知れませんが(笑)。

最近のテレビドラマは「ドラマチック」ということをエキセントリックや非日常という方面へ追いすぎて、どんどんダメな方向へ向かって行き、その結果まともな脚本家が育たなくなったと思います。どうなったかというと、優れた漫画を原作に持ってきたり、過去の名作ドラマのリメイクをしたり。結局そういう方向になるか、あとは適当な話をJ事務所や旬のタレントを使ってそこそこ視聴率を取って「成功」とする…みたいな感じですよね。
漫画は話だけではなく絵も大きな魅力です。それに漫画家個人で脚本から美術から配役から撮影(画面)から何から全てを一人でやれるものでもあるので、本当はこれほど個性が出せるものはないはずなんですよね。

Unknown

表現技法なんかが確立された現在においてストーリーの
構築と言うのはとても難しいと思います。
失踪してそれを手記にしてももはや前例がありますし、
ほとんどが「どこかで見た」話になってしまうので今の漫画家
さんは大変だなぁと思います。
しかしそれでも面白い漫画家はいるんですけどね。

Unknown

コミケなんか行くと確かにオリジナル少ないね。
てかまあ最初っからプロになる気もなくて、好きなこと好きな身内でやってれば楽しいってのがオタクだからさあ、それでいいっていうか。
「まんが道」的な世界って今、どーなんすかねー。

そうですね

コメントありがとうございます。
「感性を磨く」、つったってそれが一番難しいことかと。
自分なんかまだまだまだまだ、だと思ってますし。でも、自分の知っている漫画家さんたちは、やっぱり感性豊かで、色んなことを教わります。「ガロ」だったから余計にそういう個性豊かで感性も豊かな方々がたくさんいらっしゃった、とも思いますが。でもメジャー畑の作家さんでも、第一線まで上り詰めた方ってやっぱりお話を伺ってても魅力的な方が多かったですね。
漫画家も分業体制、というのはよぉく理解していますよ。マーケットが大きくなればなるほど、たった一人で対峙することが難しくなっていくことも。
でも漫画はたった一人でも、お話に絵をつけてそれを見せて行ける素晴らしい表現ですよね。どちらか一方しか得意じゃなくても、漫画という表現には関われる。それも素晴らしいことですが、その両方を高いレベルで一人でやれる漫画家って、本当に凄いと思います。
他の誰でもない、自分という作家。そこを目指す過程で、ある意味得意な部分に特化していくという選択肢はアリでしょうけど、やっぱり自分もかつて漫画家を目指していた立場から言うと、自分の手で作品を創って行きたいという欲があるはずではないかと。
絵が苦手だけど話を作るのが得意な人が、いい絵描きを見つけてコンビを組む、という形も全く否定しないですが、まだそのどちらのレベルもプロの域に達していない人たちは、まずは絵とストーリーの融合という形の漫画作品を一人で構築していく、という作業に全力で向かって欲しいなあ、と思います。

同業者より

「画力はプロ並、ストーリー作りは三文芝居」
確かに、多いです。
ただまあ我々商業誌の場合、分業体制というものが確立しております。ご存知かとは思いますが、制作部分でも絵描きと原作、ここにもアシスタントやりサーチャーがいたりします。またそれに加えてプロデューサーとしての編集者がおり、そして売っていくために出版社の営業や、その後多角的に展開していくためのプロジェクトチームに広告代理店その他が加わっていきます。
おっしゃるように商業誌にもマスとそれ以外があり、実はマスはほんの一部の超大手版元であって、そのほかは中堅以下の版元がひしめいて、パイを奪い合っております。
マスの場合、漫画家本人がやりたいことを100%やれることはまず、ありません。多くの名作に関しても、後世に名が残るのはもちろん漫画家個人の名前なんですが、実際はその漫画家が個人で100%作ったものは逆に少ないでしょうね。
アマチュアの人には、そういったこともよく実態を学んで、どこを目指すのか、どういう漫画家になりたいのか、しっかり考えて方向性を決めて欲しいですね。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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