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2005-02-13(Sun)

漫棚通信ブログ版 [水木しげると手塚治虫]で思う

水木しげると手塚治虫(漫棚通信ブログ版より)

 戦後マンガの二大巨頭をあげるとするなら、手塚治虫に対抗するのは白土三平か、横山光輝か、はたまた水木しげるか。誰になるのでしょう。

 この刺激的(?)な問いかけから始まる記事に仕事中の疲れた頭がハッと目覚めた。思わずコメントを発作的に書き連ねてしまったが、整理してここにもう一度掲載します。

 戦後漫画を「手塚文脈」でのみ語る動きがどんどん加速している昨今、水木しげる原理主義者としては、「漫棚通信」さんの論考は興味深い記事でした。
 つげ義春さん(何度目かの時、ご本人が先生と呼ばれるのはちょっと…とおっしゃられていたので)や白土三平先生(お会いした時に先生以外に言葉がありませんでした、感激で)の初期作品に、手塚漫画の影響が見られるという水木さんのご指摘に関しては全く同感だと、水木さんご自身の発言を読んだ時にそう思った。水木さんがそうおっしゃるのだから、もう誰も反論できまい。それにずっと自分もそう思ってきた。
 つげさんの初期作品、とりわけ貸本時代の作品などは(珍しいSF調のものなど)意識的にか手塚色が濃かったし、白土先生の少年誌での作品での影響などは有名なところだろう。ただそうしたことは、漫画というものが漫画というだけでまだまだ「子ども向け」と言われていた時代、どうしてもある程度「子ども向けの絵柄」というものがあり、似通うのは当然かとも思う。
 劇画という言葉が1959年ころに辰巳ヨシヒロさんの提唱によって誕生した際の劇画工房の作家たちにでさえ、手塚漫画の影響が見られないこともない。劇画は確かに子ども向けだった漫画の世界を大人へ、といっても当時はどちらかというとせいぜい20代前半かブルーカラー層の読者であったが、拡大したことは言うまでもない。だが当時の手塚作品にも大人向け、あるいはハイティーン層を意識した作品は多々ある。劇画(当初は「新漫画」)だと言っても、やはり当時最先端、売れっ子でもあった手塚作品の影響は全くないとは言い切れないのではなかろうか。
 では、水木さん(ご存知の通り、水木さんはご本人=武良茂氏が漫画家であるご自分のことを水木さん、と言います)はどうだろう。
 水木さんはもちろん、復員後輪タクや紙芝居や貸本漫画などさまざまな苦労をし、糊口をしのいできた。「水木しげると手塚治虫」でも述べられているように、43歳でようやく「少年マガジン」に引っ張られるまで、貸本の世界で主に活躍していたわけだが、その絵柄は驚くほど一貫している。まさしく水木しげるは水木しげるがルーツである、絵柄も作品を貫く哲学も、全て「水木しげる」で終始一貫しているのだ。
 さて俺も手塚先生の偉大さを充分認識している一人であり、ファンでもあります。漫画家協会のパーティでお会いした際も、「ヨッ、大将(長井勝一初代ガロ編集長)元気?」と握手の手をにこやかに差し出していただいて、涙が出そうなくらい感激したことを鮮明に憶えています。元々俺も漫画家を目指していたわけだし、模写もした。もっと以前、小さい頃から手塚漫画には多大な影響を受け、尊敬する漫画家のもちろんお一人であることは言うまでもない。ただ戦後漫画は手塚治虫やトキワ荘だけで語れるものではない、という当たり前のことを言いたいだけなのだ。

 手塚治虫と並び称するのであれば、水木しげるという意見には大賛成だ。実は何年も前から、特に教鞭を執っている専門学校に97年にコミック編集専攻科ができた時からも、生徒たちにそう伝えてきた。それ以前、やはり水木しげる原理主義者である漫画家の根本敬氏の担当になった頃もそんな話で盛り上がったことがあると、憶えている。
 水木さんご自身、手塚先生には特別なライバル意識がなかったとは言えないだろう。その水木さんが手塚治虫没後、「手塚治虫文化賞特別賞」を受賞した際も、俺は「賞金が出るもんな」とすぐに了解した。水木さんがお元気なのは、まさしくその「枯れない」ところであると思う。

 ガロ編集長の長井師が存命中、ガロで長井×水木対談を神保町の小料理屋で収録したことがある。長井さんはいつものように酒をチビチビとやりつつ上機嫌で話していて、ほとんど目の前の料理に手をつけないのを見ていた水木さんは、長井さんの分の料理を「長井さん、食べないんならいただきますよ」と言ってもりもり食べられていたことを鮮明に憶えている。(俺はカメラマン役もやっていた)その時、水木さんは話の中で
「水木さんはね、去年守護霊が入れ替わったんですよ。いい霊にね。だからその霊が逃げないように、いつもお尻の穴をキュッ!と閉めてるんです」
 身振りを交えてそう言うと、我々の顔を見回して「アッハッハッハ!」と笑った。
 また漫画家協会のパーティだったか、来賓が何か喋っている時に、一緒にいた誰か(これが誰だったかは簡単に忘れている)が、「水木さん、水木さん!」と言うので料理の並んでいるテーブルを見ると、水木さんは左腕の付け根に紙のお皿を挟み、そこに右手で器用に料理を取っては精力的に食べておられた。ちなみにその時「水木さん、お取りしますよ!」と言って料理を取ろうとして甲斐甲斐しく世話を焼こうとしていたのは、呉智英さん(くれともふさ、ではなく我々は皆ゴチエイさんと呼んでいた)だった。

 別なところにも書いたような気がするが、俺はガロに入ってから、本当にさまざまなとんでもない才能の方々…漫画家に限らない…に会わせていただき、ご一緒させていただいた。お酒を酌み交わせていただいたこともあった、とりわけ当時のガロ編集部=カムイ伝終了後の編集者では誰一人会ったことのない、白土三平先生に唯一お会いできたことは自慢の一つでもある。
 それでも、編集者である以上、心の中では「ししし白土三平先生と俺は今酒を飲んでいる!」「うわああ、目の前につげ先生がぁ!」「池上先生の仕事場に俺は今、いるのだ!」「矢口高雄先生の奥さんに漬物までいただいている!」とか思っても、仕事なんだからと、ミーハーにサインをねだったり、一緒に写真を撮ってもらったり、ということを一切していない。相手は仕事だからと、時間を割いて会って下さっている。「個」を出すのは失礼というものだ。だから偶然撮られたのは別にすれば、著名な作家の方々と一緒の写真はほとんど、持っていない。残念な気もするのだけれど、それは俺が勝手に、編集者としての自分に課した「掟」のようなものだったのだ。

 水木しげるさんだけにはその掟を破って、何度目かに仕事場にお邪魔をした際、同行した山中さんに頼んで、水木さんと並んでツーショットの写真を撮ってもらった。それは今でも、俺の宝物である。
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コメント

宇宙塵!

伝説のSF同人ですね。A・C・クラークも懐かしいです。
今ではネットオークションがこれだけ普及していますから、サイン本やグッズがもうすぐに出てますよね。この間も某プロ野球チームがファンサービスで行った選手カードにサインをするというイベントが終わったとたんにヤフオクに出品されていて、球団側が嘆いてました。
何でもかんでも金にかえよう、仕事も趣味も混同、要するに節操がない世の中なんでしょうか。
年々、自分のような年齢でも学生たちとの実年齢の差よりも、「共通の言葉」や意識の乖離を感じています。そんな中でも常に一定の割合で、ちゃんと理解してくれる、こちらの思いが届いていると思わせてくれる生徒がいてくれるので、何とか続けてられる、そんな感じですね…。
それにしてもアーサー・C・クラークのサインがもしあったら…(ヨダレ)

プロ編集者魂

サインなど貰わない~という経験。お気持ちがよく
わかりますよ。
ぼくは、SFファンで「宇宙塵」同人だったときに
アーサー・C・クラークの『都と星』の挿絵を描いた
ことがあります。
そのクラークさんが、何と「宇宙塵」の20周年記
年(だったか25年か)に、来日しパーティに参加
されたんです。
憧れの大作家!本を差し出しサインをねだりたい
ところでしたが、グッとこらえました。
ぼくもプロだ、ミーハーやってはダメだ、
そんな場ではない、と。(笑)
これも編集者側の気持ちと似ているような気が
します。(今でも、ちょっと残念…)

でも

今にして思えば、何と言う自己満足な「掟」だったかと…ああああお宝の数々が、と思うことも、正直あります。本当です。
ちなみにまだガロ編集部に入る前にはしっかりと水木先生、林静一先生、そしてやまだ紫先生のサインをしっかりいただきました。
あと、ガロ時代でも自分が担当して作った本で、根本敬さんは「ご苦労様でした」とサインを描いてくれましたね。そんなに厳格に自分に課していたわけではないです。
でもつげさん、白土先生には今でもスッ飛んで貰いに行きたいなあ。

Unknown

>仕事なんだからと、ミーハーにサインをねだったり、一緒に写真を撮ってもらったり、ということを一切していない。
プロフェッショナリズムですね。私にはとてもとても不可能なジェントルな対応です。泡吹いて倒れます。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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