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2006-11-22(Wed)

エビスさんが再婚!!

蛭子能収さんといえばもちろん「ガロ」71年デビューの漫画家だけど、最近の若い人は漫画家というよりも「イジられタレント」か、「絵も描けるお笑い芸人」と勘違いしている人も多いんじゃなかろうか。実際リンク先にしたWikipediaの紹介文も、漫画家時代よりもタレント時代に大きく説明が割かれていて、そのことは俺らからすると物凄〜く浅い認識なのだが。言っとくが、エビスさんを「エビちゃん」などと呼ぶ人間は、蛭子さんを20年以上前から知る人間にはタダの一人もおらんぞ。(誤解のないよう断っておくけど、ちなみに編集者という立場から、漫画家の蛭子さんについては、青林堂から刊行された初期の「地獄に堕ちた教師ども」〜「なんとなくピンピン」あたりまでの作品は本当に凄いと思っている。中でも初期3冊目くらいまでは鬼気迫る作風で、今読んでも「天才」だとさえ思う)

…さて俺はというと、蛭子さんとは「ガロ」入社以来のお付き合いなので、もう20年以上ということになる。直接担当編集者という形には一度もならなかったと思うが、だいたい「ガロ」なんて担当といってもキッチリと分かれてたわけじゃないし、みんな身内のような感じだった。
蛭子さんとはソフトボールもやった、麻雀もやった、旅行も一緒に行った、担当じゃなかったけれど原稿取りで会ったことは数知れず…というお付き合いだった。蛭子さんは酒もタバコもやらない。なので麻雀卓を囲む時、我々はいつもくわえタバコに酒でワイワイ…みたいなスタイルだったので、いつも「もー、やる時は真剣にやろうよ」なんて文句を言っていたものだ。でもその蛭子さんは、自分の手に夢中になると人の話を全く聞かなくなり、挙句の果ては自分の番以外はヨダレを垂らして寝ていたりしたっけ。当時蛭子さんはよく「哭いた」ので、「哭きのエビス」と我々はよくからかっていた。ちょうど「哭きの竜」(能条純一)が流行っていた頃の話である。そして、蛭子さんがフリー雀荘に出入りするようになって、メキメキと腕を上げていくのはもうちょっと後の話でもある。

15年くらい前だったか、やはり「ガロ」デビューで通の人なら誰でも知ってる「特殊漫画家」根本敬さん(根本さんは担当編集者としてお付き合いさせていただいた)がよく蛭子さんを肴に笑い話をしてくれて、またそれが的を射ており、聞く人はみんな膝を打ったり転げまわって笑ったりと、楽しませていただいたものだ。
どういうことかというと、蛭子さんが人間をはかる唯一の価値基準が「年収」(笑)とか、普通のおっさんに見えるが実はあれは「あまりの異常さが一回りして普通の地点に戻った」普通さで、一般人が知らずに接すると必ず痛い目に会うとか。こういう感覚って実際に蛭子さんと接している人でも、感覚が鋭くないと理解できない話なのでここで文章書いてもアレなんすけどね。詳しく知りたい人はロフトプラスワンでの俺と鶴岡 (法斎) 君のトークを収録した「TALKING LOFT3世〈VOL.2〉」を何とか入手して読んでみてくださいね。入手困難だと思うけど(笑)。
TALKING LOFT3世〈VOL.2〉
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蛭子さんの異常なエピソード…というか笑い話は、それこそ枚挙に暇がない。有名なところでは
実の父親の葬式で実家に帰り、参列している間なぜか笑いが止まらなくなり、さすがに兄貴につまみ出されてしょうがないのでパチンコ行った
…という話とか、漫画家のみうらじゅんさんと競馬だか競艇だかに行ってる時、みうらさんに待望の赤ちゃんが生まれたと第一報が入った際に開口一番
「カ●ワじゃなかったとですか? 良かったdeathねえ」
と言った話だとか、まあその手の話は尽きない。
中でもこういう話をさせたら根本さんが一番で、こんな話を当時聞いた。
根本「俺が誕生日だって聞いた蛭子さんがさあ、その日たまたま会う予定だったんで、誕生日だからってプレゼントくれたんだよ。それがさ、ヤマザキデイリーストアのビニール袋でさ、中には90分のカセットテープが一本とさ、●●●●が入ってるだけで。つまりさ、蛭子さんにとって俺ってのは、誕生日プレゼントに90分のカセットテープ一本と●●●●を渡すって程度の人間なんだよな(笑)」
いや実は●●●●ってのが何だったか今は失念してるのだが、「男モノのパンツ」だったような記憶が(笑)。いずれにしてもトンデモナイおっさんなわけですがね。
俺も、蛭子さんについては今でも忘れられないこんなエピソードがある。
まだ一緒になる前の、やまだ紫先生のお宅(当時は高島平の高層団地であった)で麻雀&飲み会があるというので、都営三田線に乗って出かけた時。蛭子さんは確か入稿か何かで神保町の青林堂に来たんだったか、俺と一緒に電車に乗って西台という駅へ向かっていた。車内は6割くらいの混み具合で、俺たち二人は戸袋に立っていた。
蛭子「白取サンはさ、給料いくら貰っとるの?」
俺 「え? いや、ものすごく安いっすよ」
蛭子「いくら貰っとるのさ、エッヘヘヘ」
(この後しばらく教えろ、困ったな、というやりとりが続き、仕方なく根負けして)
俺 (小声で)「…実は手取りで8万くらいなんですよ」
すると蛭子さん、車内に響き渡るような大声で
「ええ〜〜っ!? はちまんえん〜!? それじゃあ家賃も払えんでしょ! 家賃いくら?」
俺 「だから…もういいですよ、勘弁してくださいよ」
(この後しばらく家賃いくらだ、5万か、じゃあやってけないでしょ、どうしてんの、というやりとりが続き、仕方なく根負けして)
俺 (小声で)「うちバイト公認なんで他社のバイトしたり、あと足りない時は仕送りをちょっと…」
すると蛭子さん、また大声で
「ええ〜〜っ!? 社会人になって仕送り貰っとるとですか!? そりゃいかんでしょー、ダメだよぉー!」
(この後しばらく大声でダメだ、いかん、ところでいくら送ってもらうんだ、みたいな話が続いた)
…とまあ顔から火が出るような話なんすがね(笑)。こんなのホンの一端なんすけど。それにしても蛭子さんの「変さ」を知らぬ人に伝えることはなかなか難しい。こういうエピソードをいくら紹介しても、「ちょっと常識知らずの変なおじさん」「天然」「愛すべき変人」みたいなイメージしかないだろうなあ。死人まで出てるのになあ。(蛭子さんを「理解せず」付き合うと、死ぬこともあるので注意が必要だ)

5年前、奥さんが亡くなった時は本当に憔悴されたようで、何かの番組で直後の映像を見たが、自宅でも奥さんがいるべきところにいない、ということがたまらなく寂しいと言っていた。ところがその翌年か、何かのヴァラエティ番組の企画だったか、再婚相手探しみたいな企画に乗っていて、芸能界に足を突っ込むと因果なものよのお、なんて連れとも話してたのだが…。
マジで再婚したっすか。

19歳年下ハリセンボンのハルナちゃん似…本当におめでとうございます。


★追記★
ほらきた。いやね、匿名チキン野郎なんでサクーッと無視するけどね、エビスさんが再婚したのに昔から知ってる人間がめでたいと祝うならともかく、バカにするようなことばかり書いて不遜であるとかさ、不謹慎であるとかさあ。
だからね、他の人ならともかく、蛭子さんだから。昔から知っている人ならみんな了解していることなのよね(笑)。嫌いな人と旅行行きますか? 麻雀やったりソフトボールに興じたりするか? 
蛭子さんの亡くなられた奥さんは、あまりの蛭子さんとの相似ぶりに、我々の間では「女エビス」と呼んでいたほど。蛭子さんはそれほど奥さんのことを愛してたし、奥さんもそうだったと思う。お子さん二人は当時父親のあまりの憔悴ぶりに本気で後追いを心配したと何かで語っていた。
そこに、昔から知る俺たちは違和感を感じていたんですよ。
蛭子さんは、実父の葬式で笑いが止まらなくなる人。愛する妻が死んだ。いつもそこにいたはずの笑顔がない、その寂しさは本当だと思う。でも蛭子さんってずっとそのままいく人なわけがない。なぜなら、「蛭子さんだから」だ。そうして今回、雑誌の企画で知り合った、20歳近く年下の女性と再婚ということだ。しかも奥さんの死後2年くらいで知り合った計算である。これぞ蛭子さん、である。
こういった蛭子さんの蛭子さんたる部分、エビスをエビスたらしめているディープな部分を知らぬ連中が生半可な常識で蛭子さんを語るな、フツーの常識の範疇に収めようとするな、と言いたい。死ぬよ。
俺が心から蛭子さんの再婚を祝っていることを、ガロ時代の蛭子さんを知っている人なら誰でも理解してくれています、はい。
ねえ、鶴岡君。どうもです。(鶴岡法斎の『放浪都市』 蛭子さんの結婚
「TALKING LOFT3世〈VOL.2〉」、セガの失速など「予言」が的中してしまいましたなあ(笑)。

★さらに追記★
YellowTearDropsのローリングクレイドル氏も蛭子さんの因果を体験したとか。それを聞いてハッと思った。
おおおお俺の癌は「ガロ」を離れたことによって結界がなくなったからではないかと。おおおお恐ろしいああ恐ろしや。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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