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2007-01-17(Wed)

京都精華大学生刺殺事件

すでにニュースなどで報道されたように、15日の午後8時前に京都精華大学マンガ学部1回生、C君(20)が路上で刺殺されるという凄惨な事件が起きた。
事件が起きた左京区岩倉周辺は、京都市の北のはずれで鞍馬山の麓の住宅街だ。ちなみに叡山電鉄木野駅の近くというが、叡電は東京でいうと都電というより多摩電(東急世田谷線)に近い印象ながら、走っている場所はここまで来るとかなりのどかな景色となる。周囲には田畑も多く、ほんとうに静かでいいところだ。そういう場所で、事件は起きた。
既報の通り1月15日午後7時40分ごろ、C君は自転車で大学を出て友人宅へ向かった。その約10分後、路上でC君は胸部など十数か所を鋭利な刃物で刺されて通行人に通報を求める。その際彼は「知らない男に刺された」と話しており、到着した救急車で病院へ向かうが、彼は約一時間後に死亡した。死因は失血によるものとのことだ。
京都府警によれば、現場歩道には2台の自転車が鉢合わせするような形で急ブレーキをかけたような跡があり、直前にC君が別な自転車の男と口論をしていたという目撃情報から、関連を調べているという。目撃者の証言、状況から、おそらく犯人はこの男であり、C君はトラブルからほんの短い間に、最悪の形で命を終える結果となったのだろう。
まだ20歳である。
どれだけ無念だっただろう。また、仙台という遠くから「漫画家になる」という夢を応援し送り出された親御さんたちご家族の思いを察すれば、本当にやり切れない思いだ。
京都精華大学はもちろん、連れ合いであるやまだ紫が教授として赴任している大学である。C君が通っていたマンガ学部は日本初、いや世界初のマンガ学部を設立して注目されており、実は学部昇格初年度の倍率は7倍以上、今年度は10倍を軽く越える見通しだそうだ。難関校、なのである
少子化による志望者全入時代を迎える大学だが、日本には大学が多すぎた。世界へ向けての「見栄」のため、単純に「大学進学率」を上げるために私学をバカみたいにどんどん設立させ、「駅弁大学」(=各駅ごとに大学がある)と笑われるほど、世の中は大学で溢れた。それでも「学校経営」が成り立つほど子どもは多かったので、特に何ら努力をせずとも、とりあえずはその地方の高校生が何も考えずに大学へ進学するという図式にあぐらをかいていられたのだ。
だが(かつて漫画家の本宮ひろ志氏も言われていたように)、「本来大学へ(行って専門的な学問を究めるべく)行くべきではない連中が、ただ四年間親の金で遊ぶために進学するようになった」ための日本という国家の損失は計り知れないものがあったと思う。大学へ行くということはもちろん、何らかの研究をより深めるべく…というような建前論はどうでもいい。そんな学生は今やホンの一握りだからだ。高卒より大卒、というカンタンかつチープなステータスを得たいがため、親は大金を払い、子は当然のようにそれを浪費する。本来労働戦力になるはずだった若者たちが、親の金で遊んでいいというモラトリアムを四年間延長されただけである。その中で学生たちがさまざまな学問や芸術・表現、人間と触れ合い、その結果進むべき道を見つけていく…という図式もあることにはある、そういう真面目な学生さんたちもたくさんいただろう。その機会の場として、四年間があるというのなら、それはそれでいい。そうじゃない場合でももうそれはそれでいい、親が許し子が望んだのなら誰も文句は言えない。
私学というのは学校法人である。法人としての経営、ある程度の利潤の追求もせねばならない。私学助成金も、ダラダラと受け続けていられるものではない。ようやく競争・淘汰の時代が日本のアホダラ私学界にも到来したというべきだろう。単に事業として私学を経営していた商店主のような考えの学校法人は、商売替えを考えているか、あるいは座して倒産を待つだけとなる。それが健全な姿だ。
そんな中、従来からのブランドを活かし、よりそれを高めようとする一流名門校以外は、例えばスポーツで、専門教育で、何とかして生き残りをはかろうということになる。むろん高いレベルの教育でブランド校に迫るという方法もあろうが、日本はもうとっくにブランドだけを盲目的に信じる国民ばかりだし、学閥という下らぬものも厳然と学会ごとに存在しているので、生き残りは難しい。そこで、スポーツなり専門教育に力を入れる…という方向性はまっこと正しいと俺は思う。
精華大学はこうした中、学生集めの人気取りで今流行りのマンガに目を向けた…と思われるかも知れないが、実は違う。
早くから体系づけたマンガの高度な教育機関の必要性を感じ、芸術学部内にマンガ学科を設置し、学部昇格までの数年間、牧野圭一(現学部長)・竹宮惠子(教授)らの講師陣がコツコツと「日本初の大学でのマンガ教育」に向けて努力をされてきた結果である。なので、よく専門学校やそれこそ人気取りで漫画家を名前だけ教授に迎えている構図ではなく、講師陣は本当に、京都の大学へ出勤して学生たちを直接指導し、会議を繰り返し、学校説明会に飛び回り、相談にのり、コンパや同窓会の誘いに顔を出し、課題の仕上げや研究講座のために学生たちと合宿までしている。
昨今のコンビニで売られている「マス」のマンガばかりボーッと読んでいる若い子らは知らないだろうが、精華大学の講師陣の顔ぶれは以前紹介したように、大変な方々が揃っている。竹宮惠子、やまだ紫、ひさうちみちお、さそうあきら、板橋しゅうほう…「誰それ? 知らなーい」と一般の子が言うのはいい、だがマンガの世界を目指すのなら「不勉強」の謗りは絶対に免れない、物凄い面々なのだ。
かつて…ホンの十年ほど前まではマンガは庶民の気軽な娯楽だ、アカデミックな場とは逆に無縁であって欲しい…とまで思っていたものだが、ことマンガがこれほどまでに世の中に認知され世界的な評価も得、さらには政府公認とまでなってしまう急展開が訪れようとは思わなかった。であれば、マンガを小手先だけのテクニックだけではなく、もちろん実技教育のうえに美術教育の一環としても、教養としても、歴史としても、産業としても、さまざまな局面から体系的に「マンガ」を教える学校があっていい。いや、あるべきだとさえ思った。(特に編集は)なので自分も97年からマンガ編集を専門学校で教えるようになり、その後残念ながら「マンガ編集」としては特化できず編集科となったことを残念に思っていたところだった。だから大学でマンガ学部なんて、教わる立場としてだけではなく、教える側からも「羨ましい」とさえ思ったものだ。

…被害者となったC君は、遠い仙台の地から本気で漫画家になろうと、京都精華大学を選んだ。一年目は残念ながら浪人したというが、見事二年目で難関を突破した。大人しく真面目な印象であったと、直接担当講義を持つやまだ教授も語っている。授業もほとんど休むことななく、課題もこなしていた。あこがれの漫画家を目指すために思い切り大学という場で精進できる、最高の環境で同じ志を持つ仲間たちと、学生生活を謳歌していた。
事件の真相はまだ不明だが、彼は志半ば、凄惨なかたちで死を迎えることとなった。路上に残ったタイヤ痕、直前の口論の目撃談、犯行時間の短さ…推測に過ぎないが、自転車がぶつかった、あるいは道を譲らなかった、あるいはもっと単純な目が合った合わない口の利き方がどうだこうだとかともかく、怨恨でもモノ取りでもない、本当に些細なことだったのだろう。そんなことで人を刺す。死ぬまで十数回も人に刃物をつき立てる。これは異常者以外の何者でもない、そしてそんな異常者がカンタンに刃物を持ち歩き、そしてその辺をウロウロしている。そのことに戦慄する。

わが家では、やまだはここ数日高熱を出して床に就いていたが、昨日は線香を立てC君のご冥福を祈った。やまだは泣いていた。まだ若いのに、死にたくなかったろう、可哀想に。一日も早い犯人の逮捕と、公正な裁きを望む。


<追記>
精華大のマンガ学部の沿革に関して、上記記述に補足記事がありましたので、こちらも引用加筆修正させていただきます。
踊る阿呆を、観る阿呆。を、書く阿呆。」より
【ここから引用】
現マンガ学部は、スタート当初は「美術学部デザイン学科マンガ専攻(コース)」だった。将来的に「学部」昇格への夢はあったにせよ、当初はまず設立すら文部省(当時)に認められなかったと聞く。せめて「専攻」は認めてくれ、と文部省まで出かけて行って必死に役人を説得したのは、ヨシトミヤスオ・佐川美代太郎の両教授である。<コツコツと「日本初の大学でのマンガ教育」に向けて努力をされてきた>というとき、まっさきに挙げねばならないのはこのふたりのお名前である。

【ここまで】
…ということで、正確を期すならば拙文中の
芸術学部内にマンガ学科を設置し、学部昇格までの数年間、牧野圭一(現学部長)・竹宮惠子(教授)らの講師陣がコツコツと「日本初の大学でのマンガ教育」に向けて努力をされてきた結果


マンガを大学教育の場で教えることの必要性を早くからヨシトミヤスオ・佐川美代太郎の両教授が訴え、地道に努力をしてこられた結果、美術学部デザイン学科マンガ専攻からスタートさせた。それから芸術学部内にマンガ学科に昇格させ、さらには学部昇格までの数年間、小川聡専任講師や牧野圭一(現学部長)・竹宮惠子(教授)らの講師陣が加わりつつコツコツと「日本初の大学でのマンガ教育」に向けて努力をされてきた結果

に変更すべきであると思いました。
拙文は、精華大にマンガ学部が設置されていることを「マンガが流行ってっから学生集めにマンガ学部っての作ればウハウハだぜ」の結果ではなく、上記のような流れによるものだということを伝えたかったわけで、その沿革に関する事実に補足があった(成立までの成り立ちと、功労者のお名前について)ということですから、こちらの言いたいことつまり大意は全然変わりません。とんがりやまさん、ありがとうございました。
それにしても1月末現在、まだ犯人は捕まっていない。当初目撃者も比較的多かったこと、あの周辺をあの時間に、しかも自転車で通るということは近隣に住む者か少なくとも土地勘がある人間であるという推測から、犯人逮捕は近いと思われたのだが。犯人が捕まっても、C君は帰ってこない。人を殺しておいて平気なツラをして日常を送っているクソ野郎に激しい怒りを覚える。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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