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2007-01-22(Mon)

累犯障害者

1月17日に起きた、大阪府八尾市で知的障害者が突然3歳の幼児を歩道橋から投げ捨てたという事件。たまたま、本当に偶然なのだが、この事件の起きる直前にAmazonに頼んでいた本がこれだった。
累犯障害者

新潮社

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あまりの偶然の一致に驚くと同時に、前から気になっていたこの本を一気に読み終えた。
著者の山本譲司氏は、もちろん「あの」という冠がつけられるほど、一時マスコミを賑わせた人である。衆議院議員として活動中の2000年に秘書給与流用疑惑を報道され逮捕、翌年実刑判決を受けて400日以上服役。これで普通は「ハイ消えた」となるわけだが、彼の場合は「塀の中」でさまざまな「障害者」である受刑者と触れ合うことによって、日本の福祉問題、障害者を取り巻く諸問題に強い関心を持つようになる。そして出所後の山本氏は、障害者福祉施設にボランティアで通う傍ら、「触法障害者」と呼ばれる人たちを訪ね歩き、丹念なルポを綴っている。この本はそうした彼の活動のまとめたものなのであるが、まずもって感じるのは、本当に丁寧に一人一人の障害者と向き合い、丹念に調査し、さまざまな関係者に事情を聞き、まとめられているということだ。
「ろうあ者だけの暴力団」「親子で売春婦の知的障害者」「障害者一家による障害者の監禁事件」「障害者同士の不倫殺人事件」などなど、ふだんあまりマスコミでは大きく取り扱われることのない、しかし厳然たる日本社会の一面が、本書には綴られている。この類のルポルタージュは、興味本位で取り上げるものは基本的にないと言っていいが(問題が問題だけに)、かといってヘタな取り上げ方をすると「健常者」からいらぬ誤解を受け、またそれが当事者である障害者たちにフィードバックするという負の連鎖を生みかねない。本書はその意味で、山本氏が「本気で」この問題に取り組んだ、いや今まさに取り組んでいるという真剣さが伝わってくる。
マスコミの報道というのはあくまで事件そのものと、極めて表層的なその周辺の状況を報じて終わることが多い。そこに至るまでのほんとうの経緯や犯人、あるいは被害者を取り巻くさまざまな状況と背景などは、よほど事件に興味を持ち後追い取材記事などを集めて読むなりしていかない限りは、通り一遍のマスコミ報道による「理解」で終わるだろう。ていうか、普通一般の人はそうしてまた次の事件へと興味を移していくのが日常である。気分として「障害者が野に放たれた結果犯罪を犯した」…という簡略化・記号化された刷り込みだけが何となく持ち越されていく。
以前「想像力」という当ブログ内の拙文でチラと触れたと記憶しているのだけど、ある事件が起きる、犯人がおり被害者がいる、それぞれを取り巻く人たちがおり環境がある、当り前の話だ。そしてその「個々を取り巻く環境」は当然ながら、もっと俯瞰すれば「社会」ということになり、「日本という国」が見えてくる場合だってある。まず大事なのは、とにかく情報としての事件報道、事実報道(真実かどうかは別だが)なりが耳目に触れた場合、そこで思考停止しないことだと思う。いや別に、いちいち自分と無関係な事象にまでアレコレと想像や妄想を膨らませていてはアレな人になってしまうわけだが、報道というものはそもそも報道機関の主観が多かれ少なかれ入っていることだけは最低限認識した上で見ろ、と若い人にはいつも言ってきた。
だけど世の中には想像したくても出来ないことも多々、ある。
いや、そちらの方が多いといってもいい。自分が知らないことであれば、想像すら出来ないことがあるからだ。
この本「累犯障害者」は、そういった知らなかった事実が少なからず掲載されており、大変勉強になった。例えば、ホンの一例だが、恥ずかしながら、ふだん我々が何の疑問もなく聴覚障害者が交わす「手話」は、日本語をある意味記号化したものだと思っていた。ところが聴覚障害者たちはそもそも我々が日常使う「会話」をしたことがないのだから、彼ら同志の会話は健常者のそれと同一なわけがない。実際、聴覚障害者同士は「まったく別の言語」であるところの手話を使って会話しているという、当り前のことにこれまで理解が及んでいなかった。何となく、我々が普段会話しているようなことが、身振り手振りなどに「翻訳」されているのだろうと想像していた、自分の無知が恥ずかしい。
また現在の聾学校での教育は、基本的に健常者と同様の「口話」をさせることを目的としており、つまり正しく「音読」させることを至上としているという。この頓珍漢というか的外れな勘違い教育が、いまだに、21世紀のこの「先進国ニッポン」で行われていることにショックを受ける。つまり「1+1=2」という「数式」の意味よりも、「いちたすいちは、に」と正しく発音させることを一義としているというのだ。こんな教育をしているから、聴覚障害者は必然的に基本的な学力が健常者より劣ってしまうことが多いのだという。つまり、「耳が聞こえないだけ」であとは健常者と同じ人間に、福祉教育・行政がよってたかって「知的障害という障害を加えている」…と言ったら言い過ぎだろうか? 単に耳が聞こえない、それだけで幼児に教えるがごとく発音を教え、高度な教育を施さない、つまり無理やり低学力に彼らを抑え付けていることになる。
こういった「福祉による暴力」(何もしない、ということも暴力だ)は、さまざまな実例と共に、この本に紹介されている。つくづく感じるのは、日本という国の福祉行政、いや公務員どもの怠慢さ・事なかれ主義が、官僚や政治家の無知・無理解の連鎖が、結果として国民の無知無理解を生み出している…という構図の悲しさだ。税金むしり取っといて、日本の福祉行政なんてこの程度なんだと、ホトホト情けなさに嘆息しきり、である。

今回の八尾市の事件にしても、報道を見て「だからああいうのは病院か塀の中に放り込んでおきゃいいんだよ」という無知・無理解から、障害者への蔑視、差別を生む・または拡大するだろうという危惧を覚える。むろん障害者であっても犯罪を犯していいとは言っていない。もちろん、今回の「犯人」も悪いと知っていてやったと供述しているという。だが、ちょっと想像してみたらいい、知的障害があり、幼児への執着(?)からか過去連れ回しなどで何度か逮捕歴・服役経験がある犯人がいる。彼の扱いに困った施設があちこちたらいまわしにする。今の施設は何とか働いて収入を得る、社会との接触を持って暮らしていくことを覚えて行ってもらいたい、障害者であっても人間である…そんな思いで彼を引き取り、労働に従事させてきた。だが彼は残念ながら健常者とは違う。
その辺のフリーターでも、「かったりぃなあ」とサボりたくなることはあるだろう。その辺のヤンキーでも、「ムシャクシャするから」と弱い人間に暴力を加えることはあるだろう。それらは当然、いいことではない。場合によっては犯罪だ。それに働くということをしなければ報酬は得られない。だから普通は自分で何とかそういった無法な気持ちを抑制し、つまりは「我慢して」労働や学業といった「やりたくもないこと」に従事する。
だがそれが知的障害を持つ人間、誤解を恐れずにあえて言えば、もし、「幼児」であったらどうだろう? 時と場合をわきまえずダダをこね、自己の欲望を抑えることを知らず、そもそも自制心だのモラルだのという概念すらない。もし、知能がその幼児程度だったら。そして知能が健常者より劣っていたとしても、体は大人だし、もっと言えば一人の生きている人間、いや生きていかねばならない人間なのである。
じゃあどうすればいいんだ、野放しかよ、被害者は泣き寝入りか…という乱暴な意見も多かろうと思う。そうではない、今回の事件はやっぱり監督者の注意不足だったろうと思う。一人の障害者を取り巻く周囲の人間たちが、彼を彼女をサポートしてやる。なるべく自立を促しつつつも注意深く見守る。必要があれば助ける。福祉ってそもそも、そういうことだろう。
もちろん詳細はこれから明らかになっていくと思うが、「タブー」扱いせずに、もっともっと正しく障害者を取り巻く状況や福祉の実態を一般の市民にも開示すべきだし、こういった事件の報道も含め、キチンと一般社会へ理解を促すかたちでするべきだろう。その意味でも、本書は非常に有意義であると思う。
さらに、著者である山本氏は罪を犯したがその非を認め反省し、贖罪し、そして今はこういった福祉問題に真摯に向き合っている。その事実を正しく評価すべきだし、もっと言えば、今度は福祉問題への取り組みをもって、国会へ再度チャレンジしていただきたいとさえ思う。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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